#073 閉鎖空間
長尾智恵は意識を回復した。瞼を開けるとそこは先ほどまで居た山の中ではなかった。
「ここはいったい‥‥‥」
身体を起こして周囲を見回すと見慣れない石組みで囲まれた暗い空間のようだった。
空間は8畳程度の広さで床,壁,天井の総てが削り出された石材で出来ており,壁の一面にの天井に近い場所に明り取りの小窓があった。
長尾智恵には部屋の間取りに覚えがあった。
「馬場学長の閉じ込められている部屋に似ている‥‥‥」
でもこの部屋に馬場学長は居ない。
「だとしたら‥‥‥」
彼女は推理してみる。
ここと同じような部屋が幾つも存在するのではないか‥‥‥
普通に考えるなら明り取りのある壁の向こうが外に繋がっているのではないか‥‥‥
そうだとすると残りの3面が別の部屋と隣接しているのではないか‥‥‥
「よしっ。」
長尾智恵は3面の壁をコンコンと叩いていく。
もし向こうが空洞であるならば‥‥‥こういった場合,叩いた時の音が変わるとミステリー小説や探偵もののアニメなんかでやっていた。その通りかどうかは定かではないが可能性があるのなら試す価値はある。
コン‥‥‥コン‥‥‥コン‥‥‥
石と石の繋ぎ目に何か細工がないか‥‥‥隙間がないか,空気の流れを感じないか‥‥‥合わせて調査をしたが,特に怪しい所は見付からなかった。
それでも何かないかと床も含めて手に届く範囲をダブルチェック,トリプルチェックと繰り返し調査する。
「ふぅ‥‥‥何もないのかな。」
長尾智恵は諦めずに今度は拳が赤く腫れるのではないかというくらい強く叩き,大声を上げた。
「誰が!誰かいませんか!居たら返事して下さい!」
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
そうすると叩いていた壁とは反対側から反応を得た。
彼女は直ぐに振り返り移動すると今度はそっちの壁を叩く。
「すみません!誰か居るなら返事して下さい!」
そうすると壁の向こうから声が聞こえる。
「助けて‥‥‥」
長尾智恵には確かにそう聞こえた。
壁を叩くのを止めて声を掛ける。
壁の向こうに居るのが誰だかは分からないが,言葉の通じる人間が居るのだけは確かだ。
壁の向こうに居る人は肉体的にも精神的にも疲れ参っているのか助けを求めてくるのみでそれ以外の応答はしない。
「この壁を壊す方法がないのかな‥‥‥」
ヤハウェやソピアーの力を利用できれば何とかなるのだろうとは思ったが,考えてみたらこっち側の世界に来てから彼らの接触がないのに気が付いた。
それは彼らが自分たちが創造して管理してきた世界と他の神やそれに近い存在が創造して干渉を拒否されている世界があるのではないかと考えた。
それが事実ならこの世界は後者になるのだろう。
「そうならば自分の力で何とかするしかない。」
そしてもう一つ疑問が湧いた。それは何故自分がこの世界に転移してしまったのか‥‥‥という事だ。さっきまでは山県先生と一条日向が飛ばされた世界に居たはずだ。こことあの世界が同一のなのかと言われれば一緒だとは思えない。彼女はそう直観的に感じしていた。
でもそれはあくまでも長尾智恵の憶測に過ぎず確たる証拠はない。
今は隣の部屋に居る人間と思われる者を救い出し,この世界の事を聞き出すのが最善だろう。
彼是数時間様々な事を試したが頑丈な石壁はビクともしない。
その間も壁の向こうに呼び掛け続け,絶望に囚われないように注意する。
救助を求める声は微かになりながらもまだ聞こえてくる。
それだけが長尾智恵にとっても救いだった。
「いっそ自分の呼び掛けに応じる神に近い存在がこの世界に居ないだろうか‥‥‥」
適当に自分の知っている神の名前を思い出しながら呼び掛けてみる。
日本神話の天津神である,天之御中主神,高皇産霊神,神産巣日神,宇摩志阿斯訶備比古遅神,天之常立神,国之常立神,豊雲野神,宇比地邇神,須比智邇神,角杙神,活杙神,意富斗能地神,大斗乃弁神,淤母陀琉神,阿夜訶志古泥神伊邪那岐神,伊邪那美神,天照大御神,天忍穂耳命,邇邇芸命,思金神,建御雷神,天手力男神,天児屋命,天宇受売命,玉屋命,布刀玉命,天若日子,天之菩卑能命‥‥‥
国津神である,大国主神,阿遅鉏高日子根神,下照比売,事代主,建御名方神,木俣神,鳥鳴海神,須勢理毘売命,八上比売,沼河比売,多紀理毘売命,神屋楯比売命,鳥取神,椎根津彦,須佐之男命,櫛名田比売,少名毘古那神,大物主神,久延毘古,多邇具久,大綿津見神,大山津見神,宇迦之御魂,大年神,木花之佐久夜毘売,玉依比売,豊玉毘売,八束水臣津野命,多紀理毘売命,市寸島比売命,多岐都比売命,伊勢津彦‥‥‥
ギリシャ神話のティーターン神である,クロノス,レアー,オーケアノス,コイオス,ヒュペリーオーン,クレイオス,イーアペトス,テーテュース,テミス,ムネーモシュネー,ポイベー,テイアー,アトラース,プロメーテウス,エピメーテウス,,エーオース,セレーネー,ヘーリオス‥‥‥
オリュンポス神である,ゼウス,ヘーラー,アテーナー,アポローン,アプロディーテー,アレース,アルテミス,デーメーテール,ヘーパイストス,ヘルメース,ポセイドーン,ヘスティアー‥‥‥
スカンジナビア神話のアース親族である,オーディン,トール,バルドル,ニョルズ,ウル,フレイ,テュール,ブラギ,ヘイムダル,ホド,フォルセティ,ヴァーリ,ヴィーザル,ロキ,フリッグ,フレイヤ,イズン,シヴ‥‥‥
インド神話のヴェーダ時代の神である,アグニ,インドラ,ウシャス,ソーマ,スーリヤ,アシュヴィン,チャンドラ,ディヤウス,プリティヴィー,トヴァシュトリ,ラートリー,リブ,アパーム・ナパート,アリヤマン,ヴァルナ,ミスラ,ヴァーユ,ルドラ,ヴリトラ,ピシャーチャ,ヤマ,ローカパーラ‥‥‥
ヒンドゥー教時代からの神である,ヴィシュヌ,クリシュナ,シヴァ,ブラフマー,カーマ,カーリー,ガンガー,サラスヴァティー,ドゥルガー,パールヴァティー,ラクシュミー,ヴィローチャナ,クベーラ,バーナースラ,マハーバリ,マヒシャースラ,マヤースラ,ジャランダーラ,ヴェーパチッティ‥‥‥
幾ら呼び掛けても応じる神は居なかった。
そして長尾智恵は何か思い違いをしているのではないかと感じた。
今まで名前を挙げたのは地球上の神話における神のものだった。実際にソピアーやヤハウェだって地球上の存在である。
もしかしたらここは地球上ではないのではないか‥‥‥
だからソピアーやヤハウェに加えて他の神の名前を挙げ連ねたところで呼び掛けに応じないのではないか。
そうだとすれば合点がいく。
彼女がしていたのは呼び掛けているのではなく呼び出そうとしていた‥‥‥ここが地球上でないからリンクが切れていて呼び出せなかった。と考えれば‥‥‥
長尾智恵は石の壁に触れて瞼を閉じると直接石に連なるであろう存在に呼び掛けてみる。
暫くすると接触していた石が光を帯び,掌には熱を感じるようになってきた。光が徐々に壁全体へと拡がり,その光が強くなると彼女の閉じた瞼を通して,瞳に感じるまでになっていき,彼女は目を開いた。
石が反応した事で石に関わる神の力が働いたと感じた長尾智恵は念を込めた。
「石壁の一部をなくして自分が向こう側の空間に行けるようにして欲しい。」
そうすると触れていた部分から石壁がみるみる消えていく。
ちょうど彼女が通り抜けられるだけの範囲の壁がなくなり穴が出来ていた。
向こうの空間には1人の少女が立ち尽くし目を丸くして長尾智恵を見ていた。
この空間も長尾智恵の居た空間と同じように3面の石壁と残り1面が明り取りを天井近くに持つ石壁になっていた。
その見知らぬ少女は自分と同じ日本語を話し,聖ウェヌス女学院高等部の制服を着ており,山内円佳と名乗った。そして驚いた事に1965年うまれで16歳だという。
長尾智恵は自分が2019年から来たというと山内円佳はまるで信じてもらえず,仕方がないのでスマートフォンを見せるとそれが何なのかすら理解してもらえなかった。
試しに音楽を流すと山内円佳はポータブルオーディオプレイヤーかと聞いてきたが,長尾智恵はその商品名に心当たりがなくを知らないために話が噛み合わない。
画面のカレンダー表示を見せてもそうやってドッキリを仕掛けてきているとしか思われない。
「そうだ‥‥‥」
長尾智恵は財布に入れていた500円硬貨を見せた。それであれば発行年が刻まれており信じてもらえると思ったからだったが,その思惑も外れる。
彼女が1960年代中頃の生まれの16歳という事はここに閉じ込められたのは1980年代初頭という事になるが,500円硬貨は初めて発行されたのが1982年だという事を忘れていた。というよりもその事を知らなかった。
しかも彼女が見せた500円硬貨は平成の年度が刻まれており,山内円佳は昭和までしか知らず,完全に行き詰ってしまった。
長尾智恵は財布を見て昭和の56年から64年までの文字が書いてある硬貨はなかった。
「どうしよう‥‥‥」
山内円佳は自分に対して完全に疑いの目を向けてくる。
かと言って長尾智恵としては彼女をここにこのまま残していくのには抵抗がある。
何か彼女に信じてもらえる確実な証拠がないかと持ち物をチェックする。
その中に学生証を見付けた。
「これはどう‥‥‥」
山内円佳に聖ウェヌス女学院の学生証を差し出す。
彼女はそれを受け取りマジマジと見やる。そして自分の学生証を取り出して較べ始めた。
山内円佳の学生証は硬質紙にパウチをしたもので写真の添付もなく長尾智恵の眼からすると偽造も出来る簡単なものに感じた。
それに対して長尾智恵の学生証はプラスチック製で顔写真もありICチップ内蔵の偽造の難しいものだった。
しかし山内円佳からすればそう云った技術を知らないから余計に怪しく見えているのだろう。
訝しげにチェックているとふと目を見開いた。
そうそれは裏面に記載されていた学長の名前に‥‥‥聖ウェヌス女学院高等部学長・馬場佐南の文字に。
「ねえ,あなた‥‥‥この学長って‥‥‥」
「馬場学長の事ですか?」
「そうよ。だってこの人が私の知る馬場さんなら彼女は次期生徒会長と云われる私のクラスメイトだもの‥‥‥」
「えっ?」
場の空気が一瞬凍り,2人はフリーズしていた。
『この人が馬場学長のクラスメイト?だとしたら私が馬場学長を助けに来たんだと言えば信じてもらえるかも‥‥‥』
長尾智恵はそう考えて,場の空気を変えるために言葉を切り出した。
「‥‥‥という事はあなたは馬場さんを助けるためにここに来たと言うの?彼女もこの近く居ると?」
「多分‥‥‥絶対だとは言えませんが‥‥‥でも彼女が書き残した記録ではそうだとしか‥‥‥」
馬場佐南の名前が漸く山内円佳の閉ざされていた心の鍵を開けてくれたようだった。
長尾智恵は他人と話のする事の出来なかった山内円佳に喋らせてもっと心を開かせる事にした。
親身に自分の心情に寄り添おうとしてくれる長尾智恵に山内円佳は自分がここに来るまでの状況を話してくれた。
彼女は聖ウェヌス女学院の中の文化系クラブでは最も伝統のある格式高い伝承研究会という現在は存在しない部活動に所属していて,この研究会はとある事件を最後に約40年前に廃部となった。
当時,伝承研究会には10人程度の成績優秀な生徒が部員として在籍しており,個々に学園祭での発表のために調査研究を進めていた。
本来は学院の存在意義でもある宗教上の伝承を研究するのが活動目的であったが,話題性から当時流行っていたオカルトやホラーに調査を傾倒させていったと部員が多かったという。
それは彼女が高等部に進級する数年前に全国的に伝播した口裂け女など都市伝説などが彼女たちの研究意欲を駆り立ててしまったからだ。
部員の中でも過激なものを好む数人が聖ウェヌス女学院内に伝わるオカルト系の伝承,すなわち俗に呼ばれる学校の七不思議に面白半分に手を出したのだった。
そのうちの1人が彼女・山内円佳だったのだ。
特に彼女を含む何人かは神隠しに興味を持ち,文献や資料などの調査だけではなく,実証実験にまで手を出していた。
それは誘拐や拉致による監禁の上の失踪と云われるものとは違い,民俗学者・柳田國男の書いた遠野物語の中にある神隠しの伝説である寒戸の婆やバミューダトライアングルに近いものだった。
聖ウェヌス女学院の敷地内にはそう云った異界の門が開く事があり,突然消息を絶ったという噂話が実しやかに語り継がれていた。
しかしその神隠しが起きた場所がどこなのか,いつ起きたのかは実際には分かっていない。それを彼女を中心とするグループが徹底的に調べていたのだ。
そして事件が発生した。1人の部員が学院内で消息を絶ち行方不明となった。最初は調査に夢中になり戻って来ないだけ‥‥‥と部員や友人たちもその程度に思っていた。
当時は現在のように携帯電話やスマートフォンと云った便利な道具もなく,防犯カメラが張り巡らされている訳でもない。
だから門から外に出ていない以上,敷地内を隈なく人海戦術で捜し,見付からなければどこかに隠れている‥‥‥そう考えるのも無理はない。それでもダメなら捜索願を出すのが手順だった。
警察側としても学校の中での出来事であれば大学自治に煩い学内に敢えて手を出すのは愚の骨頂で,せいぜい学校の外側で目撃者を捜し,警察犬を使い臭いを追い掛ける程度しか出来ない。
まだまだ科学捜査というものは初期段階でその有効性すら疑われていた時代だから仕様がない。
女子生徒の行方不明から2日,3日と経ち1週間が過ぎた頃,流石に学院でも動揺が走り,教職員たちも焦りが見えていた。
その矢先,第2の行方不明者が出てしまった。伝承研究会の,山内円佳のグループの1人がまた消息を絶った。
殊ここに到っては連続誘拐も見据えて警察の介入を許すしかないと学校側も考えた。
その間,山内円佳はこの2件の行方不明が神隠しだと確信して調査に動いていたという。
「私に何かあったらこれを先生に‥‥‥」
クラスメイトである馬場佐南には自分が行方不明になったら残した資料を開示して欲しいと伝えた。
さらに1週間後‥‥‥山内円佳はここに閉じ込められていた。
その後の事は勿論どうなったかは知らない。それは長尾智恵も一緒で何分にも彼女が生まれる前の話であり,連続行方不明があった事,それを機にウェヌス・ウェルティコルディア礼拝堂が封鎖されたという話だけは聴かされていた。
そして山内円佳の記憶と擦り合わせると彼女たちの行方不明事件が馬場学長の試練へと繋がり,最終的には礼拝堂の封鎖に流れて行ったと知った。
『行方不明事件自体が仕組まれたものなのなら‥‥‥』
馬場学長の試練から自分が受けている今の試練まで総てが繋がっている事になる。
それは取りも直さず自分がここに来るのが前提条件であり,それを仕組んだのがヤハウェやソピアーならさっき呼び掛けたのに反応を示さなかったのは故意だという事になる。
仮にそうでないのなら彼らより上位にある者が仕組んでいる事になるのではないか。
それは彼女がさっき呼び掛けたのが様々な神話でその中で最高神や主宰神と呼ばれる神が含まれていたからだった。
「私も知らないもっと上の立場の神がまだ存在する‥‥‥」
そう考えると身震いの止まらない長尾智恵だった。
しかし,いつまでもそんな事をしている場合ではない。
長尾智恵は壁を強く叩き大きな声で呼び掛ける。
「助けて‥‥‥」
そうすると山内円佳の時と同じ反応が返ってきた。
自分がここの空間に来るときにしたように石壁に手を当てて念じる。
先ほどと同じように石壁は光を発して熱を帯びる。そして徐々に壁が消滅していき向こう側の空間が見えてくる。光が収束すると向こうの空間が確認できた。
そこに立っていたのは‥‥‥
「馬場学長!」
「長尾さん‥‥‥」
馬場学長は長尾智恵の後ろに居た少女を見て狼狽える。
「‥‥‥も,もしかして‥‥‥ま,円佳?」
「誰?」
「佐南よ!馬場佐南!」
「えっ?本当に?」
山内円佳は長尾智恵の後ろに隠れて脇から覗き込み,馬場学長の姿に疑いの目を向けていたが,馬場学長の雰囲気に自分のクラスメイトだと実感した山内円佳は駆け出し抱き着いた。
「本当に佐南なのね‥‥‥」
「ええ‥‥‥」
「随分とおばさんになったものね。」
馬場学長は苦笑いをするが約40年振りに再会した友人を抱き締めて涙していた。
その後,3人で経緯を話した。
「そう‥‥‥長尾さん,ありがとう。円佳を助けてくれて‥‥‥それでここを脱出する手段はあるのかしら。」
「それは任せてください。それよりも当時失踪したという残りの2人を捜しませんか。」
「出来るの?」
「はい。」
そう言うと長尾智恵は2面の石壁に視線を向けた。




