特別な人なんていませんよ?
戻った時には騒ぎが悪化していた。
先輩職員を捕まえて事情を聞いてみると、チャレンジ件数が急に増えたそうだ。
今わかっている情報を確認してみると、警察官にすらチャレンジャーが現れたらしい。それも顔見知りの警察官……昨日聖女が大きくした騒ぎを鎮めてくれた人だ。
それから先は考える余裕なんてなかった。
その日、うちと亡くなった課長のいる隣の転生阻止課の担当地区だけで100件以上のチャレンジが発生。
奇妙なことに他の地区では急激な増加はみられなかった。精々近隣のチャレンジ件数が少し多いか、程度。
異常はうちと隣にしか出ていなかった。
翌日、両地区の転生阻止課職員の過半数の異世界チャレンジを確認。
見回り中にチャレンジした例も確認された。
もう意味がわからない。
それでもなお、地区内のチャレンジ件数も右肩上がりを示している。
異常な死亡数を受けて通常の業務を行える状況ではなくなってしまい、近隣の地区に応援を要請。
その職員も次の日に異世界チャレンジをしたことが確認され、両地区の転生阻止課は一時的な閉鎖が決定した。
閉鎖も何も事実上動けない状況に陥っていたのだが。
もう、先輩職員は全滅していた。
「どうしてこんなことに……!」
閉鎖決定の日、申し送り用の資料を作成しつつ拳を握る。
結局、違和感はあっても何もできなかった。減っていく人手と増えていく仕事を前に調べる余裕がなかった。
何より、早すぎる。
たった数日でこれだ。急すぎてどうしようもない。
どうしていきなり異世界チャレンジが流行したのか。
転生阻止課の職員が数十人単位で異世界チャレンジをするなんて説明のしようがない。脅迫や洗脳という線も考えたが、それだとどうして俺だけ無事なのかがわからない。俺だけターゲットから外す理由がない。
そもそも、どうしてこのタイミングなんだ?
チャレンジャーの増加傾向は見えていたが、激増まではまだ猶予があった。まして、こんな特定の転生阻止課と担当地区を狙い撃ちにするような偏りのある増加は理解不能だ。
――どうかなさいましたか?
隣の聖女がこちらを見た。人のものとは思えない整った顔が俺に向けられている。
頭を回しているうちに手が止まっていたらしい。
「なんでもないですよ」
そうだ、なんでもない。
今は申し送りを終わらせることを優先しないと。もうここには俺と聖女しかいないんだから――
「っ!」
右足を上げ、勢いよく左足を踏みつける。
強烈な痛みに思わず涙目になるが、心を支配していた謎の思考は消え去った。
――どうしたんですか?
「……」
答えず、意識を向けずに思い起こす。
前もこんなことがあった。
初めて違和感を覚えたときも、こうして話しかけられて違和感を見失ってしまった。
大体、今まで思いいたらなかったことがおかしいだろう。
一番怪しいのは誰だ。
いうまでもなく聖女だ。
うちの課がおかしくなったのは聖女が来てからだ。
隣の課がおかしくなったのは聖女が来てからだ。
うちの地区がおかしくなったのは聖女が来てからだ。
それ以前に、この世界がおかしくなったのは聖女が来てからだ。
異世界チャレンジなんて意味不明なことが起こったのは聖女が来てからだ。
――どうかなさいましたか?
声が、聞こえる。
声が、声が、声が……こ、え?
──声なんて、聞こえない。