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高いヒールの靴


「ありがとう。」


その一言を聞いたら、帰宅するはずの足が止まってしまった。今、本当にあいつが言ったのか?ふと、後ろを振り向くと、あいつはもう眠っていた。


ベッドの下には、あいつの脱いだヒールの高い靴が片方倒れて靴底がこっちを向いていた。あいつ、この靴で帰るのか?あいつの靴と交換して来た方がいいか?……何で俺がそこまで……?晴のお節介がうつったな……。


足元を見ると、剥がれた絆創膏が自分の靴についていた。その絆創膏を取った瞬間、俺の頭の中に舞台で見たあいつの苦しそうな顔、悔しそうな顔が、頭によぎった。何でだよ……何で今思い出すんだよ……。


気がついた時にはあいつの靴を持って、保健室を出ていた。保健室を出て、公演の場所まで走っていた。


公演場所へ入ると、演劇部の部員達はそれぞれ忙しそうに作業していた。それを見ながら、入り口で立っていると、突然部員の1人に話しかけられた。

「あ!ひらりの友達!ちょっとごめん、ひらりの靴はそこ置いて、ちょっとここ持ってて!」

え?何で俺が?ここって、ここ?

言われた通り、舞台の壁のような所をとりあえず、押さえてみた。


「違う。こっち。悪いけど、ここ、押さえといて。あ、釘が出たら言って」

後から別の場所を指定された。

「あ……はい……。」


いや、釘出たら俺の手危なくないか?カンカンとトンカチの音が聞こえると、手にその振動が伝わる。

「ありがとう!助かった!」

看板のような板の後ろから部員が出てきて、俺にお礼を言った。


辺りを見回すと、みんなそれぞれ仕事をしていた。コードを巻く人、舞台を直している人、紙を熱心に見る人、ここは、思ったより気軽に入っていい場所ではないように思えた。


「次はここ押さえてくれる?」

しばらくあちこちを押さえていると、どこからか数人の部員の話声が聞こえてくる。


「ひらりは?」

「熱出したんだって。」

「えー!明日からどうするの?」

「ひらり次第じゃない?他に代役いないし。」

「あ、昨日傘無くして帰ったって言ってた。」

「何で傘無くすかなぁ……。2ヶ月の準備が全部無駄になるなんて……。それだけは避けたい!」

口々に出た言葉は、悪気は一切なかった。全部、明日以降の公演の不安からだ。


「あ、ひらりのお友達、今日はありがとうございました。」

部長らしき人のお礼の言葉を皮切りに、他の部員も口々に俺にお礼の言葉を投げ掛けてくる。

「いや、見せてもらったのはこっちだし……。」

そんなに感謝される謂れはない。

「あなたの貴重な時間を頂いて見てもらったんだから、ありがとう。だよ。」


意外な言葉だった。貴重な時間を頂いて、見てもらう……?あまりに謙虚な言葉に驚いた。そんな気持ちでやっていたなんて、知らなかった。

「……こちらこそ。今日はありがとうございました。」

俺はしっかり礼をして、公演場所を後にした。


後ろの人達が…………

「ひらりの友達、いい子だね。」

「そうだね。」

そう言うのが聞こえた。友達?そうか。そう見られるのか。あいつとは、友達でも何でもない。今日初めて口をきいた仲だ。


ただ……礼を尽くす人達に、ちゃんと礼を尽くしたい。それだけだ。自分の何とも言えない気持ちに、あいつの靴の事はすっかり忘れていた。


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