おかえり
110
俺はひらりを探しに、真っ暗なC館非常階段前の廊下に来た。
やっぱりここにいた……。
そこには、廊下の隅で膝を抱えて泣いているひらりがいた。静かで、暗い廊下に、俺は声をかけた。
「ひらり…………ごめん。あんな事言うつもりじゃなかったんだ。だけど……お前が俺より台本を読めてたから……嫉妬した。バカだよな。自分に能力がないからって、人に当たって……本当に……悪かった。」
「…………。」
ひらりは何も言わず、膝を抱えていた手に力が入った。
「本当は、戻って来てくれて……嬉しかった。また、お前の演技が見れると思ったら、安心した。」
「…………嘘。」
「嘘じゃない!嘘ついてるように見えるか?……暗くて見えないか。」
俺が電気をつけようとすると、ひらりは止めた。
「つけないで!!」
「でも、つけなきゃ何も見えない……」
「いいの!見えなくていい。私、泣き顔ブスだから……見えない方がいい。」
確か…………前にひらりに言った覚えがある。泣き顔ブスだから、やめた方がいい。もちろん冗談だ。
「いや、あの、あの時は……」
今は冗談は通じないようだ。
「私、嘘つきは信じられないよ」
「だから、嘘じゃないって、信じろよ……。」
「信じられない…………。だって春壱は、いつだって私を信じてくれなかった。いつも私の事を疑った。私がお姉ちゃんの妹って知った時も、缶ジュースこぼした時も、台本を川に落とした時も、演劇部に戻った時も……私の事、信じてくれなかった。私の事、信じてくれない人をどうやって信じろって言うの?もう……もうやだ!!」
小さな傷も…………積もり積もればいつかは爆発する。俺の知らないうちに傷ついてたんだ……。俺が…………傷つけていた。
「ごめん……ひらり……。」
俺はひらりに触れようとするが、止める。触れられなかった。触れる資格なんかない。
しばらくすると、羽多がやって来て、ひらりを慰めた。
「ひらりちゃん、もう帰ろう。先輩ももう学校出た方がいいって。行ける?」
「……うん……ぐす……。」
ひらりと羽多は一緒に立ち上がる。
俺の横をすれ違う瞬間、俺はひらりの腕を取った。
「っなして!」
「離さない。」
ひらりは腕を振りほどこうとするが、ほどけない。絶対に振りほどけないくらいの力で、ひらりの腕を掴んだ。
「春壱のバカ!」
「バカだよ。」
ひらりは、逆の手で俺の肩や胸を叩く。何度も叩かれるうちにだんだん強くなって、少し後ろによろける。ひらりは何度も何度も俺を叩いた。どんなに痛くても、どんな言葉をかけられても、この腕だけは…………決して離してはいけない。そう思った。
「辛かった!」
「…………ごめん。」
「苦しかった!」
「…………ごめん。」
ひらりはしだいに叩く手が弱くなり、とうとう叩くのを止める。
「…………悲しくて……。」
「うん……。」
「寂しかった……。」
「ごめん……。」
そう言うと、俺達は何故か抱き合った。
「ごめん……。晴といるお前は……信じる事ができなかった。お前は晴の事、俺には何も言わない。俺には関係の無いことだ。仕方ない。だけど、何も知らずに信じるほど、俺は人間ができてない。俺は晴の事、信じてないから。」
ひらりは俺から離れて言った。
「違うよ。晴君の事は信じたいんだよ。信じたいから、私を疑ったんだよ。私が何も言わないのは……違う。何も言えないのは……二人を仲違いさせたくないから。」
「じゃあ…………また何かされたんだな?また公演を邪魔してやるって脅されたか?今度は美術部が狙われたか?」
「春壱……なんでそれ……」
ひらりは驚いた顔をしていた。
「バカにすんなよ!?それぐらい考えればわかる。今度は何だ?何を条件に演劇部に戻った?お前は晴に心を売り渡してまで芝居がやりたいのか?」
「やりたいよ!それでもやりたかった!…………別に、心は売り渡してないけど……。」
少しずつ、ひらりは顔が下を向く。
「じゃあ、お前は芝居をやるために、晴の言うことを何でもきくのか?」
ひらりは迷っているようだった。
「きくよ。……嘘、きかない。……なんとか、交渉してる。停戦状態の国と外交してる気分かな?」
「その外交、俺にも報告しろ。救援が必要ならいつでも言え。」
「いいの?助けてくれるの?」
すると、ずっと黙って隣で見ていた羽多が言った。
「春壱だけじゃないよ。私も。私も助けるから!」
「羽多ちゃん………。春壱……ありがとう。」
ひらりは左手で羽多と手を握りあって、右手は……俺が掴んだままだった。
「じゃあ、じゃあ、私、また演劇やっていいの?」
俺は少し笑って言った。
「もちろんだよ。」
「春壱~!!」
ひらりはもう一度俺に抱きついた。
「お前っ!」
羽多の目の前で、何だか恥ずかしくなった。
「春壱、ただいま!!」
少しため息をついて言った。
「…………お帰り、ひらり。」
ひらりは俺を離すと、次に羽多に抱きつく。
「え!ひらりちゃん?」
「ずっと言えなかったけど…………演劇部に入ってくれてありがとう。ようこそ。演劇の世界へ。」
「ようこそ?」
羽多は疑問を持ちつつ、ひらりに抱きつかれながらこっちを見た。俺は、その疑問は無意味だと思った。
「羽多、ようこそ。」
羽多も何となく理解して言った。
「うん。よろしくね。二人とも、私と世界を征服してね!」
俺とひらりは顔を見合わせて言った。
「yes!mam!」




