Quest30:葛葉討伐の準備をせよ その1
※
「……お前様」
しっとりとした声が耳朶を打つ。
聞き覚えのない、それでいて何処か懐かしい声だ。
その声に導かれるようにレドは目を開けた。
すると、女がこちらを見下ろしていた。
異国の服に身を包んだ女だ。
煌びやかな櫛がボリュームのある髪を彩っている。
耳と尻尾、雰囲気から同族――フォックステイル族であると気付く。
いや、かつての同族と言うべきかも知れない。
彼女の顔――その左半分は頭蓋骨が剥き出しになっているのだから。
闇を湛える眼窩には蒼い炎が宿っている。
「あ、アンデッド!」
レドが逃げだそうとすると、女は悲しげな表情を浮かべ、口を開いた。
「お前様、どうかなさったのですか?」
「――ッ!」
しっとりとした声が鼓膜を震わせ、意識を揺さぶった。
霞がかったようにボーッとする。
「お前様、何を怖がっているのですか?」
「何を……?」
レドは首を傾げた。
一体、何を怖がっていたと言うのだろう。
「すみません。怖い夢を見ていたようです」
「そうでしたか。てっきり妾のことを怖がっているのかと思いました」
「そ、そんなことはありません!」
女が悲しげな表情を浮かべ、レドは叫んだ。
自分はなんと馬鹿な男なのだろう。
こんなに美しい女性を悲しませるだなんて――。
「ところで、ここは何処ですか?」
「ダンジョンの最下層です」
「ダンジョン?」
レドは鸚鵡返しに呟いた。
「……僕は」
確か自分は調査隊の一員としてアンデッドが星を奉った遺跡の周辺に出没するようになった原因を探っていたはずだ。
朧気ながら記憶が甦ってくる。
「僕は調査隊の皆と遺跡に足を踏み入れて、それで……」
「そんなことはどうでもいいじゃありませんか」
「そんな訳――」
「どうでもいいじゃありませんか」
女はレドの言葉を遮り、言い含めるように言った。
確かに、どうでもいいことだ。
正体不明の敵に襲われて上役が死んだとか、同僚が死んだとかどうでもいい。
そんなことを思い出しても悪夢が長続きするだけだ。
耳を塞ぎ、目をつむり、口を閉ざす。
それもまた生きる知恵だろう。
「でも、帰らないと」
「妾と一緒にいてくれないのですか?」
「一緒に……」
いる、と言いかけて口を噤む。
少し前ならば一緒にいると言えただろう。
自分が一緒では姉は幸せになれないと考えていたからだ。
だが、今は違う。
レドは姉の下に帰らなければならない。
にもかかわらず、舌がもつれて帰るという一言が出てこない。
だから――。
「もう少しだけここにいます」
「……」
最大限に譲歩したつもりだったが、女は恨めしそうに睨め付けてきた。
「分かりました。お前様、もう少しだけここにいて下さい」
「はい」
レドは頷き、こめかみを押さえた。
「どうかなさったんですか?」
「頭が痛くて」
「もう少し休まれたら如何ですか?」
「そうします。そう言えば貴方の名前を聞いていませんでした」
「妾の名前を忘れてしまったのですか?」
「……ごめんなさい」
レドは素直に謝った。
彼女の名前を忘れてしまうなんて自分は大馬鹿だと思う。
でも、思い出せないのだ。
ずっと、ずっと昔に会っているはずなのに――。
「きっと、混乱しているのでしょう。妾のことは……ゆっくりと思い出して下さい」
「すみません」
レドは謝罪の言葉を口にして目を閉じた。
※
「見慣れた天井だな」
マコトは『黄金の羊』亭の天井を見上げて呟き、体を起こした。
葛葉との一戦が尾を引いているのだろう。
体のあちこちが痛み、疲労感が体の内側にこびりついているような気がする。
できれば一日中横になっていたい所だが――。
「起きるか」
マコトはベッドから下り、軽くストレッチをした。
机の上にある籠手と脚甲、鎖帷子を見て溜息を吐く。
それなりに愛着はあったのだが、ここまで壊れていたら修理は不可能だろう。
「下取りしてもらうのは流石に無理か。服とブーツも駄目にしちまったし……」
ぶつぶつと文句を言い、はたと気付く。
なんで、金があるのにこんなことを気にしているのだろうと。
「金はあるのにな」
マコトは天井を見上げてぼやいた。
金はあるのに、もったいないという感覚から抜け出せない。
長年の貧乏生活で培われた感覚は金があってもなくならないようだ。
まあ、図に乗って嫌われてしまうよりマシかも知れないが。
部屋から出て、一階に向かう。
一階ではシェリーが掃除をしていた。
途中まで下りると、シェリーはこちらを見上げた。
「旦那、おはようございます」
「おはよう」
マコトが指定席――カウンターの一番端の席に座ると、シェリーは掃除を中断してカウンターの中に移動した。
グラスにレモン水を注ぎ、カウンターに置く。
マコトはレモン水を飲み干し、息を吐いた。
「旦那、昨夜は――」
「気にするなよ」
マコトはシェリーの言葉を遮った。
自分が焚き付けたせいで、と罪の意識を感じているのだろう。
「切っ掛けはシェリーの言葉だったけど、俺は俺なりに考えて戦ったんだ。シェリーが気にすることじゃねーよ」
「……旦那」
「あ~、怠い」
シェリーが頬を赤らめつつ呟いたその時、ユウカが階段を下りてきた。
着ているのはいつものセーラー服ではなく、ワンピースだ。
腰にはポーチを付けている。
「……おはよう」
頭痛でもするのか、ユウカはこめかみを押さえつつマコトの隣に座った。
シェリーがレモン水の入ったグラスを置くと、ユウカは一気に呷った。
「プハァァァァァッ! 生き返るわね!」
「おっさん臭ぇな」
「うっさいわね。水くらい好きに飲ませてよ。ただでさえ昨日は大変だったんだから」
ユウカはムッとしたように言った。
水を好きに飲むことと昨日のことは別問題だと思うのだが――。
いや、言うまい。
とにかく、ユウカは頑張ってくれた。
それで十分ではないか。
「そうだな。昨日は頑張ってくれたもんな」
「なに、その、はいはい頑張った頑張ったみたいな態度は」
「そんな態度は取ってねーよ」
「嘘よ。頑張ったからスルーしてやろう的な……見下され感を覚えたわ」
「見下され感って、お前の内面にまで責任は持てねーよ」
シェリーは無言でユウカのグラスにレモン水を注いだ。
ありがと、とユウカは礼を言って、レモン水を飲み干した。
「……昨夜は大変だったわ。やっぱり、口車に乗って正義の味方の真似事をするもんじゃないわね」
「すみません」
「分かってくれればいいのよ」
シェリーが申し訳なさそうに言い、ユウカはふんぞり返った。
マコトは責めなかったのにこの娘は――。
「……ドッペルゲンガーか」
「何がよ?」
「何でもねーよ」
「昨夜は頼りになったのに今日は、みたいなことを考えているのかと思ったわ」
「当たらずとも遠からずだな」
「チッ、マジでムカつくわね」
ユウカは舌打ちした。
「昨夜はシェリー、シェリーって言ってたくせに」
「おい!」
マコトは頬が熱くなるのを感じながら叫んだ。
「本当のことじゃない」
「いや、本当のことだけどよ」
「だったらいいじゃない」
「分かった。お前がその気なら盗賊を蹴り殺したことを蒸し返すぞ」
「は? もう二度と言わないって約束したじゃない!」
「言われたくねーなら黙ってろ」
「分かったわよ。チッ、小さい男ね」
ユウカは不愉快そうに舌打ちした。
「昨夜、爆上げした株が大暴落だな」
「そんな訳ないじゃない」
ふふん、とユウカは鼻で笑った。
「どんな根拠があって言ってるんだ?」
「マコト一人が空売りを仕掛けても相場に影響はないわ。何せ、あたしは衛兵どもから神のように崇められてるんだから」
「いきなり図に乗りやがったな」
「事実よ。ああ、今思い出しても気分がいいわ」
ユウカは恍惚とした――と評するには些か色香に欠ける表情を浮かべた。
「これよ、これ。あたしが求めていたのはこれだったのよ」
「どれだよ」
「少しは黙って聞きなさいよ」
ユウカはムッとしたように言った。
「あの賛辞こそがあたしに与えられるべきものだったのよ」
「可哀想なヤツみたいだな」
「誰が可哀想な子よ!」
ユウカは声を荒らげた。
「いや、俺は可哀想なヤツって言ったんだ」
「同じことでしょ?」
「駄目なヤツと駄目な人くらい違ーよ」
「どう違うのよ?」
「駄目なヤツは『はッ、駄目なヤツ』って感じで、駄目な人は『駄目な人。でも……』って感じだな」
「途中で挟んだ演技は誰の真似よ?」
「最初のはユウカだな」
「くッ、マジでムカつくわ。見捨てておけばよかった」
ユウカは不愉快そうに顔を顰め、すぐに相好を崩した。
怒ったり、笑ったり忙しいヤツだ。
まあ、見ていて飽きないが――。
「ふふん、でも、今のあたしは気分がいいから許してあげるわ」
「そりゃ、どうも。元の世界に帰りたくないなんて言い出すなよ」
「言わないわよ。あたしはちゃんと元の世界に帰るわ」
「そうか」
マコトは内心胸を撫で下ろした。
「そう言えば、どうしてユウカがここにいるんだ?」
「何よ、いちゃ駄目なの?」
「そうじゃねーけど、あの後すぐに自分の宿に戻っただろ?」
「……宿が燃えてたのよ」
ユウカは呻くように言った。
「災難だったな」
「魔道書は無事だったけど、お気に入りの服が燃えたわ」
くッ、とユウカは今度こそ呻いた。
「服が燃えたのに、どうして魔道書が無事だったんだ?」
「宿の従業員が持ち出してくれたのよ」
「スゲー従業員だな」
「服と小物も持ち出してくれればよかったのに」
「鬼か、お前は」
命懸けで魔道書を持ち出したのに、服と小物も持ち出してくれればよかったのにと言われる従業員には同情しかない。
「鏡は無事だったのか?」
「いつも持ち歩いてるんだから無事に決まってるでしょ」
そう言って、ユウカはポーチを叩いた。
「そうか、よかったな」
「ええ、何があっても鏡だけは死守するわ」
「……そうだな」
マコトは小さく微笑んだ。
母親からのプレゼントを大事にしている所を見ると少しだけ優しい気持ちになれる。
「何よ、気色悪いわね」
「優しい気持ちが何処かに飛んでいったぞ」
「マコトの内面にまで責任を持てないわよ」
ユウカは拗ねたように唇を尖らせた。
「ってことはその服は?」
「シェリーに借りたのよ」
「ちゃんと返せよ」
「当たり前でしょ。あたしを何だと思ってるのよ」
ユウカはムッとしたように言った。
「でも、しばらく借りることになるかも知れないわ。念のために言っておくけど、ちゃんと返すわよ。ちゃんと返すけど……」
「街がこんな有様ですからねぇ」
シェリーがユウカの言葉を引き継いだ。
マコトは鼻をひくつかせた。
微かに焦げ臭い。
「ああ、そういうことか」
「そういうことよ」
ふふん、とユウカは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
確かにこの状況で開いている店は少ないだろう。
「被害はどうなんだ?」
「旦那の、旦那達のお陰で被害はそれほど多くないみたいですねぇ」
「結構、死んでたような気がするけど?」
「ロックウェルは何年かに一度強いアンデッドに襲われるんですよ」
ユウカは訝しげに眉根を寄せて尋ねると、シェリーは溜息を吐くように言った。
「それに比べたらってことね」
「教会と領主様が支援を行っているんで、しばらくしたら落ち着きますよ」
「マズいな」
マコトは腕を組み、小さく呟いた。
被災者の支援は大事だが、葛葉対策も大事だ。
「どうかしたんですか?」
「装備を新調しようと思ってたんだよ。けど、店が開いてないんじゃな」
「ああ、旦那の装備は……」
「壊れちまったからさ」
マコトは軽い口調で言い、肩を竦めた。
「昨夜は心臓が止まるかと思いましたよ」
「スプラッターだったもんね」
シェリーが溜息混じりに言い、ユウカがうんうんと頷く。
「風呂場がすごいことになってるけどな」
「きちんと掃除しますよ」
「悪ぃな」
「いいんですよ」
シェリーは弱々しい笑みを浮かべた。
その時――。
「マコト、ここにいたのか」
リブの声が響いた。
「おお、リブか」
「お前はうちの長老かよ」
「そんなローカルな物真似はできねーよ」
リブは荒々しい足取りでマコトに歩み寄った。
「そう言えばお前達はどうしてたんだ?」
「一晩中、クリスティン様の屋敷に詰めてたよ」
リブはうんざりしたような口調で言った。
「積もる話は後にして。マコト、クリスティン様が呼んでるぜ」
「そうか」
マコトは頷き、立ち上がった。
※
リブに先導され、マコトとユウカは大通りを進む。
街には焦げた臭いが漂っていた。
建物は破壊され、多くの住人が死んだ。
にもかかわらず、住人は復興作業を始めていた。
いや、多くの住人と言うべきだろうか。
焼け落ちた建物の前に立ち尽くす者、その場に座り込んでいる者もいる。
悲惨な状況からも立ち上がれるのが庶民の強さだという言葉を思い出す。
誰の言葉か忘れてしまったが、そうではないのだと思う。
人間は仕方がなく動くのだ。
途方に暮れ、悲嘆に暮れ、動く以外にないから動く。
そうしなければ生きていけないからだ。
それを強さだと言ってしまうのは残酷なように思える。
「マコト、どうしたんだよ?」
いつの間に隣に来ていたリブが話しかけてきた。
「ああ、いや、何でもねーよ」
「何でもねぇって顔じゃないぜ」
リブは呆れたように言い、マコトの肩に腕を回した。
「馬鹿にしたりしねーから言ってみろよ。それで気が楽になるかも知れねーだろ?」
「でもな」
弱音や愚痴は言いたくない。
同情や共感を得られないだけならまだしも非難されたらダメージが大きい。
「あたいのことは信用できねーか?」
「そんなんじゃねーよ」
信用しているか信用していないかで言えば信用している。
「…………かなり被害が出たと思ったんだよ」
「そうだな」
リブは視線を上げ、神妙な面持ちで呟いた。
「あたいは、これだけの被害で済んでよかったと思ってるぜ」
住人を気遣ってか、リブは囁くような声音で言った。
「けどよ」
「マコトは被害が大きかったから気にしてるのよ。意外に小心者だから」
マコトが反論しようとすると、ユウカが茶化すように言った。
「ユウカは気にならねーのか?」
「気にならないわ」
「スゲーな」
マコトは思わず呟いた。
「何処がよ?」
「少しくらい罪悪感を抱くのが人情ってもんだろ」
「助ける命に優先順位を付けてたヤツがよく言うわ」
「そりゃ、そうだけどよ」
「大体、あたし達が戦わなかったら街が壊滅してたわよ」
「そうは言うけどな」
「はいはい、この話は終了!」
ユウカは手を叩き、一方的に話を打ち切った。
「そういや、マコトとユウカが敵のボスを追い払ったんだよな」
「追い払ったと言うか、相手が退いてくれた感じだな。にしても、よく知ってるな」
「見てたヤツがいるんだよ」
マコトは受付嬢とその弟を思い出した。
いや、大通りで戦っていたのだから他にも目撃者はいたはずだ。
「相手が退いてくれたってことは負けた――」
「負けてないわよ」
ユウカがリブの言葉を遮る。
「まあ、ちょっと劣勢だったけど、相手が退いたんだから実質的にあたし達の勝ちね。次はインチキしてでも勝つわ」
「負けを認めてるじゃねーか」
「引き分けよ、引き分け」
マコトが突っ込むと、ユウカはムキになったように言った。
「負けたと思った時に負けなのよ。だから、あたしは負けてないわ」
「お前の闘争心は何処から湧いてくるんだ?」
「……知らないわよ」
ユウカは吐き捨てた。
さらに大通りを進むと、洗練された街並みが広がり、人気が少なくなる。
この辺りは殆ど被害がないようだ。
恐らく、高い塀がアンデッドを阻んだのだろう。
「あッ!」
突然、ユウカが声を上げた。
「どうしたんだよ?」
「ちょっと行ってくるわ!」
そう言って、ユウカは駆け出した。
向かった先には若い衛兵――ユウカに祈りを捧げていたヤツだ――がいた。
ユウカに気付いたのか、若い衛兵はビクッと体を竦ませた。
「何しに行ったんだ?」
「喝采を浴びに行ったんだよ」
「喝采?」
マコトの言葉にリブは訝しげな表情を浮かべた。
「気持ちは分かるが、温かい目で見守ってやってくれ」
「喝采って雰囲気じゃねーよ?」
「……そうだな」
若い衛兵は緊張した表情で対応している。
腰が引けていることから快く対応していないと分かる。
ユウカが何事かを言うと、若い衛兵は諸手を挙げた。
万歳だろうか。
しばらく何事かを話していたが、マコトとリブが近づくと、若い衛兵は去って行った。
突っ立ったままのユウカの前で立ち止まる。
「喝采は浴びられたか?」
「浴びられたけど、嫌な顔をされたわ」
「そりゃ、そうだろ」
「なんでよ? あたしはこの街を救った英雄でしょ?」
「あたし達な、あたし達」
一応、突っ込んでおく。
前衛を請け負っている自分が怪我をするのは仕方がないと思うのだが、手柄を独り占めするのは勘弁して欲しい。
「なんで、嫌な顔をするのよ」
「そりゃ、そうだろ」
「なんでよ?」
「あれだけ強い所を見せちまったらな」
「強いんだから頼もしいと思うのが普通でしょ?」
「逆だ、逆。あれだけの力が自分に向けられたらって思ってるんだよ」
「は? そんなことしないわよ!」
「それはこっちの理屈だろ」
頼もしいと思うより警戒する方が正しいように思える。
「くッ、女神様とか言ってたくせに」
「神様は神様でも荒ぶる鬼神って所じゃねーの。どうか、何もしないで下さいって伏して願い奉る的な」
「荒ぶる鬼神って何よ!」
ユウカは顔を真っ赤にして言った。
その姿はまさに荒ぶる鬼神だ。
「この世界はクソね!」
「もっと言葉を選べ」
「この世界はうん……何を言わせるのよ!」
「俺のせいにするなよ」
マコトはうんざりとした気分で呟く。
「ったく、都合のいい時ばかり女神様とか言って、手の平返しをするとか……ああ! もう! マジでムカつくわ!」
ユウカは地団駄を踏んだ。
「いちいち怒らなくてもいいんじゃねーの?」
「怒るに決まってるでしょ!」
ユウカはリブに詰め寄った。
「助けてやったのに恩知らずな真似をされたのよ?」
「連中はそういう生き物なんだって」
リブは溜息を吐くように言った。
傭兵兼冒険者として過ごす中で何度もユウカと同じような目に遭ったのだろう。
「そんなヤツらのために怒っても仕方がねーじゃん」
「そ、それはそうかも知れないけど! ムカつくものはムカつくのよ!」
ユウカが近くの塀に蹴りを入れる。
ズシン! と地面ばかりか、空気までもが揺れ――塀が倒壊した。
※
「マコト様!」
マコト達が伯爵邸に着くと、ローラが駆け寄ってきた。
警戒態勢を解いていないのか、昨日と同じ格好だ。
ローラはマコトの前で立ち止まり、リブに視線を向けた。
リブは溜息を吐き、マコトの肩から腕を下ろす。
「マコト様、ご無事で何よりです」
「あたしもいるんだけど?」
「ユウカさんもご無事で」
「まあ、いいけど」
ユウカは拗ねたように唇を尖らせた。
「クリス様がお待ちです。付いて来て下さい」
ローラが踵を返し、マコト達はその後を追った。
先導され、屋敷の中を進む。
何度も足を踏み入れているが、道順を覚えられない。
もしかしたら、安全のためにいつも違うルートを使っているのかも知れない。
「ああ、そう言えばフジカはどうしてるの?」
「フジカさんは寝室で寝ています」
「あのなんちゃってビッチ」
ユウカは吐き捨てるように言った。
「フジカさんをあまり責めないで下さい」
「あたし達は死闘を繰り広げてたんだけど?」
「明け方まで負傷者の救護を手伝って下さったんです」
ローラは少しだけ申し訳なさそうに言った。
「へぇ、意外ね」
「意外ってことはねーだろ」
「ふ、分かってないわね」
ユウカは鼻で笑った。
「ああいう綺麗事を言うヤツはいざとなったら何もしないって相場が決まってるのよ」
「ってことは少しは見直したのか?」
「なんで、あたしがフジカを見直してやらなきゃいけないのよ?」
ユウカはきょとんとした顔で言った。
「言ってることとやってることが一致してるからだよ」
「マコト、甘いわ」
「何がだよ?」
「信用させて、ここぞという時に後ろから刺すつもりよ。あれはそういう女よ」
「チッ、ユウカ・フィルターが発動してやがる」
「ちょっと! ユウカ・フィルターって何よッ?」
「ユウカ・フィルターは悪意で現実を歪ませるフィルターだよ」
「そんな解説はいらないわよ!」
ユウカは顔を真っ赤にして言った。
「……本当に、お前の過去に何があったんだか」
「マコトが期待しているようなことは何もないわよ」
「それじゃ、救いようがないじゃねーか」
「そこまで言わなくてもいいでしょ!」
「性善説は駄目だな」
「当たり前でしょ。そもそも、人間は育った環境によって善にも悪にもなるのよ。天使も、悪魔も心の中にいるってことね」
前は違うことを言っていたような気がするが、突っ込むだけ無駄だろう。
多分、脊髄の反射で言葉を紡いでいるのだ。
「俺が期待しているようなことが何もなくてユウカがそんな風なら駄目になるヤツは駄目になるし、駄目にならねぇヤツは駄目にならねぇってことじゃねーか」
「ま、まあ、マコトが期待しているようなことは何もないけど、世間への反発的なものはあると思うわ」
ユウカは上擦った声で言い、不意に表情を引き締めた。
「つまり、世間が悪いのよ」
「それが結論かよ」
「そうよ!」
ユウカは胸を張った。
結構、胸がある――なんてことは考えない。
「ユウカはそういうヤツなんだろうな」
「理解してもらおうなんて思わないわ」
ふん、とユウカは鼻を鳴らした。
「ユウカがそういうヤツだってことは理解したぜ」
まあ、と続ける。
「いいんじゃねーの? ユウカはそれで」
「それって何よ、それって」
「揚げ足を取るなよ」
マコトはうんざりと呟く。
「ユウカが変わるより俺が変わった方が早ぇし……悪いヤツじゃねーもんな」
「な、何よ、それ」
ユウカは三角帽子を目深に被った。
分かり易いヤツだ、と笑う。
「そう言えばフェーネは?」
「フェーネさんは寝込んでいます」
「なん――」
マコトが言い切る前にローラは扉の前で立ち止まった。
「着きました」
「あたいはここで待ってるぜ」
ローラが扉を開け、マコトはユウカと一緒に執務室に入った。
クリスティンはいつかのように窓を背に席に着いていた。
何故か、執務室には男――バイソンホーン族のフランクもいた。
フランクは青白い顔で壁際に立っていた。
扉を閉める音が響き、クリスティンが口を開いた。
マコトとユウカはクリスティンからやや離れた所で立ち止まった。
「昨夜はご苦労じゃった。じゃが、報告もせずに帰るとは何事じゃ!」
「大事だったに決まってるでしょッ!」
「ひぃッ!」
クリスティンはユウカに怒鳴り返されて悲鳴を上げた。
ユウカは歩み寄り、机を叩いた。
ひぅッ、とクリスティンが小さく悲鳴を上げる。
「こっちは七悪と戦って死にそうな目に遭ったってのに何様のつもりよ!」
「りょ、領主様じゃし、そ、それに――」
扉の開く音が響き、クリスティンは目を輝かせた。
「何事でしょうか?」
「ろ、ローラ! こ、こやつがワシを――」
「生意気なことを抜かしたから言い返しただけよ」
ユウカは肩越しに背後を見やり、地の底から響くような声で言った。
「お手柔らかに頼みます」
「ローラ!」
無情にも扉が閉まり、クリスティンは悲鳴を上げて立ち上がった。
扉に駆け寄り――。
「ローラ! ローラッ!」
「……」
クリスティンは家から閉め出された子どものように扉を叩いたが、ローラは答えない。
それどころか、扉を開けようとさえしなかった。
「ローラ! それでも、お前は騎士かッ? ワシに対する忠誠はその程度か!」
「今は暇を頂いている身ですので」
「復帰させる! 復帰させるから扉を開けるんじゃ!」
クリスティンは必死で叫んだが、扉は開く気配すらなかった。
「復帰したらマコト様の傍にいられません」
「お前は忠誠より色恋を取るのか!」
「申し訳ございません。私はこれが最後のチャンスだと考えております」
「見合い見合い見合い! ワシの力で見合いをさせてやるから!」
「……結構です」
「とにかく、開けるんじゃッ!」
やはり、扉は開かない。
「ローラがヘマした時に庇ってやればこんなことにはならなかったのにね」
「庇わなかったことは謝る! 何でもするから開けるんじゃ!」
ユウカが小馬鹿にしたように笑い、クリスティンが扉を叩く。
「クリス様……私は今日も、明日も、明後日もユウカさんと顔を合わせなければならないのです。それに、昨夜のアンデッドの件もあります。クリス様に泣いて頂くのが最も被害が少ない方法なのです。お許しを。私は弱い女です」
「ローラァァァァァッ!」
クリスティンは大声で叫び、膝を屈した。





