Quest3:スケルトン・ジェネラルを討伐せよ【後編】
※
案の定と言うべきか、縦穴は目と鼻の先になかった。
少し無理をするとは言ったが、これでは無理をしすぎだ。
肩越しに背後を見ると、ユウカは疲労困憊という感じだった。
俺から休憩を切り出すべきだったな~、と今更のように思う。
上司が残業している時に帰りにくいのと一緒だ。
マコトが何も言わなかったせいでユウカは疲れていると申告する機会を失ってしまったのだ。
自己管理がなっていないと切り捨てるのは容易いが、ユウカはまだ高校生なのだ。
マコトが気を遣わなければならなかった。
言い訳にしかならないが、何日も十階層をさまよい続けたせいで気が急いていたのかも知れない。
再び前を見ると、通路が途切れていた。
「ユウカ、縦穴だ」
「……ようやく九階層に行けるわね」
ユウカは大きく息を吐き、杖にもたれ掛かった。
「少し休むか?」
「冗談。ここまで来たんだもの、休むなら九階層で休むわ」
「……」
「何よ?」
マコトが見つめると、ユウカはムッとしたような表情を浮かべた。
休憩を取るべきだと思う。
もし、休憩を取ろうと提案したらどうなるだろう。
彼女のことだから一人でも登ると言い出すのではないだろうか。
「……登れるか確認してくるからここで休んでてくれ」
「ええ、分かったわ」
マコトは通路の縁に立ち、縦穴の様子を確認した。
縦穴は円柱状の吹き抜けになっていた。
天井は二十メートルほどの高さにあり、底は闇に閉ざされている。
ゴーゴーという音が聞こえるので、もしかしたら暗闇を潜り抜けた先には川があるのかも知れない。
むろん、確かめるつもりはないが。
「トムはあれを使って下りてきたんだな」
対岸にはロープがぶら下がっていた。
どうやって、行けばいいのか。
疑問に思って身を乗り出すと、外縁部がわずかに迫り出していた。
幅は三十センチメートルもない。
普通に歩くことはできないから腹か、背中を壁に預けて進むことになる。
「登れそう?」
ユウカはマコトの隣に立ち、心配そうに尋ねてきた。
「俺は問題なく登れると思うが、ユウカは大丈夫か?」
「レベルアップしたお陰で筋力は並の大人以上にあるわ。杖は持ってもらわないといけないけど……」
「分かった」
マコトはユウカから杖を受け取り、リュックに押し込んだ。
アンテナのようになってしまったが、横にするよりはいいだろう。
「一応、聞いておきたいんだが、杖がなくても魔法を使えるのか?」
「威力や射程に影響が出るけど、使えるわよ」
「なら問題ないな。あとは登る順番だが――」
「あたしは後でいいわ」
「どうし――」
理由を尋ねようとすると、ユウカはキッと睨み付けてきた。
「ああ、スカートな」
「そうよ!」
恥ずかしいのか、ユウカは顔を真っ赤にして言った。
「気にしなくても汚パンツなんて見ねーよ」
「うっさいわね! さっさと行きなさいよ!」
へいへい、と言って壁に腹を向けて縦穴の縁を進む。
踵が完全に宙に浮いている。
その不安定さに冷や汗が背筋を伝う。
下に落ちればアウトだ。
もし、川が流れていたとしてもどれくらい高さがあるのか分からない。
仮に落ちて死ななかったとしても何処まで流されるのか。
万が一、最下層まで流されてしまったら打つ手はない。
慎重に、慎重に、と自分に言い聞かせる。
時間を競っている訳ではないのだ。
一歩、また一歩と進んでいれば縄に辿り着く。
ピシッという音が響き、マコトは体を強張らせた。
「……ビビった」
何も起きなかったので、安堵の息を吐く。
隣を見ると、ユウカが同じように体を強張らせていた。
「慎重に行くぞ」
「わ、分かってるわよ」
ユウカはズリ、ズリと摺り足で縁を進んでいる。
マコトも彼女に倣い、摺り足で縦穴の縁を進む。
焦るな、焦るな、と自分に言い聞かせる。
一秒でも早くこの不安定な状態から抜け出したいという気持ちを必死に抑える。
ミスは焦っている時に犯すものだ。
焦っていると普段は何気なくできていることができなくなってしまう。
普通に歩く何倍もの時間を掛けて、ロープのある所に辿り着く。
「ようやく九階層だな」
マコトはロープを握り締め、息を吐いた。
「ちょっと早く登ってよ!」
「分かった」
ロープに沿って視線を上げる。縦穴の壁はわずかに傾斜していた。
垂直ではないというレベルに過ぎないが、多少は気分が楽になる。
マコトはロープを掴み、足を支えにしながら縦穴を登る。
九階層の通路がどんどん近づいてくる。
あと少しで九階層に辿り着く。
ユウカの悲鳴が聞こえたのはそんな時だった。
「何よ、これ!?」
下を見ると、ユウカが半透明の影に纏わり付かれていた。
「幽霊なんてありかよ!」
「力が、抜ける」
ユウカがズルズルと落ちていく。
恐らく、幽霊は人間――生者から精気のようなものを吸収するのだろう。
「ユウカ! 頑張れ!」
「も、もう無理!」
ユウカはロープから手を放した。
斜面を滑り落ち、空中に投げ出される。
理性は見捨てるべきだと訴えていた。
ここで危険を冒すメリットはない。
地図はマコトが持っている。
食料もだ。
一人でダンジョンを脱出するだけの力はある。
もう協力する必要はないのだ。にもかかわらず、マコトはユウカを助けるために動いていた。
ロープから手を放すと同時に反転、斜面を思いっきり蹴る。
虚空に投げ出されたユウカを右腕で抱き締め、左腕を伸ばす。
その先には不規則に揺れるロープがある。
「届けッ!」
マコトは渾身の力でロープを掴んだ。
停止すると同時に体が真上に跳ね上がる。
「俺って天才! イェーッ!」
「ば、か。早く登って」
視線を巡らせると、幽霊が周囲を浮遊していた。
「俺にしがみつけ!」
「だから、力が入らないのよ」
「……マジかよ」
小さく呟く。
せめて、左腕で抱き締めるべきだった。
これでは炎を使えない。
「……手、手を」
「安心しろ。絶対に――」
「手を放したら化けて出てやる」
「悪ぃ、放していいか?」
「アンタも道連れよ」
とんでもない女だった。
見捨てて逃げればよかった。
しかし、後悔しても遅い。
「ホォォォォッ!」
「ホーーーーッ!」
幽霊が甲高い声を上げながらマコトに纏わり付いてきた。
それだけで体から力が抜けていく。
「ユウカ、魔法は?」
「も、もう腕を上げる気力もないわ」
ユウカはがっくりと頭を垂れた。
体が怠い。
このままではマコトもユウカと同じような状態に陥るだろう。
「俺は賭けに出ようと思う」
「どんな?」
「多分、下は川だ」
「好きにしなさいよ」
投げやりな口調だったが、同意と言えば同意だろう。
「分かった」
ロープから手を放すと、幽霊達はぐんぐん遠ざかっていった。
いや、マコト達が落ちているのだから遠ざかるとは言えないか。
何秒くらい落下しただろうか。
衝撃は唐突に訪れた。
川面に叩き付けられ、深い、深い川底に引き込まれる。
マコトはユウカを抱き締めたまま必死に足をばたつかせた。
どちらが上で、どちらが下なのか見当も付かない。
不意に目の前が明るくなる。
プハッ! と水面から顔を出して空気を貪る。
「ユウカ?」
「……」
呼びかけてもユウカは無言だった。
どうやら、気を失ったらしい。
「足が着かねぇ! 流れが速ぇ!」
要するに流されているだけだ。
しばらくして、ドドドドッという音が聞こえてきた。
川が途切れ、大量の水煙が上がっている。
滝だ。
滝があるのだ。
「マジかよ」
マコトとユウカは空中に投げ出された。
※
マコトは水の中で必死に手足を動かす。
そこは地底湖だった。
何度も滝から落ち、川を流され、ようやく辿り着いたのがここだった。
動きが徐々に鈍っていき、体が沈んでいく。
諦めてもいいのではないか。そんな思いが湧き上がってくる。
ユウカを抱えて地底湖まで辿り着いたのだ。
それだけでも上出来ではないか。
ふっと体から力が抜ける。
完全に呑み込まれたその時、足が何かに触れる。
水底だ。
足が水底に触れたのだ。マコトは体を起こした。
「ユウカ、もう少しだぞ」
話しかけてもユウカは答えない。
気絶しているのだから当然だ。
水面から出た途端、体が重くなった。
マコトは岸にユウカを引き上げ、周囲を見回した。
地底湖はダンジョンの隅にあり、一段低くなっている。
リュックを下ろし、獣のように四つん這いになった。
「……う」
「今頃、お目覚めかよ」
ユウカは体を起こし、こめかみを押さえた。
「ここは?」
「地て――ッ!」
吐き気が込み上げ、堪らず嘔吐する。
地面にぶち撒けたのはパンと干し肉、大量の血液だった。
「汚いわね。あっちで吐きな……アンタ、それって」
ユウカは手で口を覆った。
「まさか、あたしを庇って?」
「庇ったつもりはねーよ」
我が身を犠牲にしてまで庇おうとしたつもりはない。
岩に激突したのも、滝から落ちた時に下敷きになったのも偶々だ。
「回復魔法、頼めるか?」
「……」
ユウカは無言だった。
しばらく沈黙した後、おずおずと口を開いた。
「ごめん。あたしは回復魔法を使えないの」
「マジかよ」
じゃあ、あの青白い光は何だったのか。
「あたしのスキルは鑑定じゃなくて、ソウル・ヒールっていう精神を癒やす力なの。ステータスを見ることができるのはその副産物。本当にごめんなさい」
「そう――ぐッ!」
マコトは激しく噎せ返った。
そのたびに血がバシャバシャと地面に降り注ぐ。
体から熱が抜けていく。
その代わりに入り込んできた冷気が体を蝕んでいく。
この感覚を知っている。
あの夜の公園で味わった。
これは死の感覚だ。
「……これで終わりかよ」
「ごめん。本当にごめんなさい」
ははは、と乾いた声で笑う。
碌でもない人生だった。
親の借金に振り回されて、異世界に転移したと思えば地の底で死にかけている。
ガチャという音が響き、顔を上げる。
すると、そこに白銀の鎧を身に着けたスケルトンが立っていた。
いや、スケルトンの上位種だろう。
何しろ、プレッシャーが桁違いだ。
奈落のような眼窩には真紅の光が灯っている。
あえて名前を付けるのならばスケルトン・ジェネラル。
こちらを認識したのか、真紅の光が輝きを増す。
精緻な細工の施された剣を抜き、ゆっくりと近づいてくる。
「……点火」
マコトは震える脚で立ち上がり、小さく呟く。
漆黒の炎が腕から噴き出した。
瀕死の重傷を負っているにもかかわらず、かつてないほど猛々しい。
「死んじゃうわよ」
「グールの時と一緒だよ。逃げても死ぬ。どうせ、死ぬなら賭けなきゃな」
碌でもない人生だったが、学んだことはある。
それは何もしなければ失うということだ。
「……足止めを頼む」
「分かったわ」
マコトは拳を構え、爪先立ちになる。
陸上のクラウチングスタートのようなものだ。
べた足ではバネを活かせず、スピードを殺してしまう。
「リュノ・ケスタ・アガタ! 無窮ならざるペリオリスよ、縛れ縛れ縄の如く――」
呪文がダンジョンに響き渡り、ユウカの足下に魔法陣が展開される。
マコトは強く地面を蹴った。
「我が敵を縛める縄となれ! 顕現せよ、捕縛陣!」
光の帯がスケルトン・ジェネラルの足下から伸び、一瞬にして拘束する。
だが、わずかに身動ぎされただけで霧散した。
「――ッ!」
スケルトン・ジェネラルが剣を水平に振る。
狙いは首だ。
一撃で頭を斬り飛ばすつもりなのだろう。
その時、視界が落ちた。
いつかのように窪みに足を取られたのだ。
剣が頭上を通り過ぎ、髪の毛がパラパラと落ちる。
「おおおおおッ!」
マコトは踏み止まり、拳を振り上げた。
ガンッ! という音が響く。
拳が白銀の鎧を打った音だ。
拳に触れた部分はボロボロと崩れ落ち、その下に隠れていた赤い球体が露わになる。
恐らく、この赤い球体が弱点だ。
「危ない!」
ユウカの声が聞こえた次の瞬間、衝撃がこめかみを貫いた。
スケルトン・ジェネラルが柄頭で殴打したのだ。
あまりの衝撃に体が揺らぐ。致命的な隙だ。
スケルトン・ジェネラルはその隙を見逃さず、剣を振り上げた。
「魔弾!」
ユウカの声が響き、魔弾がスケルトン・ジェネラルの顔面に突き刺さる。
だが、ダメージらしいダメージは与えられない。
一瞬だけ動きを鈍らせただけだ。
スケルトン・ジェネラルが剣を振り下ろす。
だが、そこにマコトはいない。
スケルトン・ジェネラルが剣を振り下ろすよりもマコトが体を引く方が一瞬だけ早かったのだ。
もし、ユウカが魔法を使っていなければ両断されていただろう。
「オオオオオッ!」
マコトは雄叫びを上げて、体当たりした。
自分の腕をスケルトン・ジェネラルの腕――剣を持っている方だ――に絡め、鎧に空いた穴に手を突っ込む。
指先が赤い球体に触れると、スケルトン・ジェネラルは激しく抵抗した。
それで赤い球体が弱点だと確信した。
スケルトン・ジェネラルが自由な腕を振り上げる。
そこに――。
「捕縛陣!」
ユウカの魔法が発動し、光の帯が左腕を絡め取る。
スケルトン・ジェネラルは光の帯を引き千切ろうとするが、今度は簡単にいかない。
「とっとと、くたばれッ!」
「――ッ!」
マコトが渾身の力で赤い球体を握り締めると、スケルトン・ジェネラルは声なき声を上げた。
手の中で赤い球体が砕け、スケルトン・ジェネラルの鎧と剣が塵と化す。
さらに骨がバラバラと地面に落ちる。
【レベルが上がりました。レベル20、体力18、筋力17、敏捷17、魔力27。ボーナスポイントが9付与されました】
御使いの声が頭の中に響き、マコトはその場に座り込んだ。
熱が体に戻り、全身を蝕んでいた冷気が消えていく。
しかし、倦怠感だけはどうにもならない。
「大丈夫?」
「ああ、何とかな」
マコトはおどおどと尋ねてくるユウカに軽く答えた。
「怒ってる?」
「怒ってねーよ」
協力関係にある人間にまで嘘を吐くのはどうかと思うが、自分の身を守るために嘘を吐かざるを得なかったと考えれば我慢できる。
マコトは立ち上がり、傾斜を登る。
「ちょっと待ってよ!」
「伏せろ」
ユウカは素直に従った。
「どうしたのよ?」
「前を見てみろと」
「前って……ッ!」
ユウカは息を呑んだ。
目の前には広大な空間が広がり、その中央には黒いパルテノン神殿が建っていた。
きっと、ここがダンジョンの最下層に違いない。
もっとも、ユウカが息を呑んだのはそれが理由ではない。
「……マジ?」
「マジだ」
広大な空間には無数のアンデッド――スケルトン・ジェネラルが歩き回っていた。





