Quest23:狐火を使いこなせ【後編】
※
薄く目を開けると、シェリーがこちらに背を向け、ベッドに座っていた。
窓から差し込む光は白々として、室内を照らすにはやや物足りない。
そんな中でも彼女の姿は鮮明に写る。
それは暗視の効果ではなく、白い肌のせいだろう。
少なくともマコトはそう思う。
シェリーは乱れた髪を手櫛で整える。
うなじから背筋のラインは危ういほど色っぽい。
絵画か、映画のワンシーンのようだ。
マコトは昨夜のことを思い出し、ニヤリと笑った。
シェリーはいい女だ。
同時に抱きがいのある女である。
熟れた体はマコトが与える刺激に反応し、そこから生まれた快楽を受け容れている。
だが、経験のなさ故か、快楽を得る方法、快楽を与える方法については無知だ。
この女を自分の色に染めたい。
彼女を見ているとそんな気持ちが湧き上がってくる。
キャンバスを目の前にした絵描きとはこのような気持ちを抱いているのかも知れない。
シェリーは手を休め、ベッドサイドに手を伸ばし――。
「……おい」
「――ッ!」
マコトが指で背筋を撫でると、シェリーはビクッと体を竦ませた。
「旦那、起きてたんですか?」
「白々しいぞ」
「何のことです?」
シェリーは小首を傾げる。
あどけなさを感じさせる仕草だ。
「煙草だよ、煙草」
「おや?」
シェリーは今気付いたと言うように煙草――マコトのマルボロとジッポーだ――を見る。
「俺に対する嫌がらせだな」
「私だって偶には煙草を吸いますよ」
シェリーはしれっと言った。
「嫌がらせだな?」
「違いますよ」
そう言って、唇を尖らせる。
ムッとしてますよ、とアピールするための仕草だ。
「私が自分の部屋で煙草を吸ったっていいじゃありませんか。大体、煙草を吸うことの何が嫌がらせになるってんです?」
「壁を見りゃ分かるっての」
喫煙者にとっては当たり前のことだが、煙草を吸うとヤニで壁紙が汚れる。
だが、シェリーの部屋――正確には寝室だが――は壁や窓がヤニで汚れていない。
「大方、アランに吸い方を教わったんだろ」
「もう、そんなことを言わなくてもいいじゃないですか」
白い肌が朱を帯びる。
「他に、どんな遊びを教わったのかじっくりと聞きてーな」
「アランのことには触れないで下さいよ」
私は旦那の女なんですから、と言外に滲ませる。
「あいつは昔の男ってことでいいんだよな?」
「そうですよ。昨夜、何度も言ったじゃないですか」
「言わされたの間違いだろ。すぐに前言を翻すから質が悪ぃ」
マコトの女と認めさせるために体に聞かなければならなかった。
そのくせ、マコトの将来を慮るようなことを言うのだ。
「もう、苛めないで下さいよ」
「苛められたいのかと思ってたぜ」
「もう!」
シェリーは少しだけ語調を強める。
「で、何処まで話したっけ?」
「嫌がらせ云々って所ですよ」
「そうだったそうだった。シェリーに煙草を吸われると敗北感が酷いんだよ。つか、分かっててやってるだろ」
俺は映画『ツ●ンズ』の弟か、と心の中で突っ込む。
「考えすぎですよ」
「わざとだ」
「もうわざとでいいですよ」
シェリーは溜息交じりに言った。
「禁煙な、禁煙」
「はいはい、分かりましたよ。まったく、旦那は変な所で子どもっぽいんですね」
「その子どもっぽい男の女だろ?」
「……」
シェリーは無言だ。
「おいおい、またかよ」
「冷静になると考えちまうんですよ」
マコトは体を起こし、背後からシェリーを抱き締めた。
「素直になれよ、シェリー」
「朝っぱらから獣じゃあるまいし、堪忍して下さいよ」
「獣は好きだろ?」
「そ、それは……知りません!」
昨夜のことを思い出したのか、シェリーは顔を真っ赤にして言った。
「じゃ、思い出してもらわないとな」
「旦那、本当に堪忍して」
「目を潤ませて言う台詞じゃねーな。まあ、昨夜教えたことをやってくれれば気が変わるかも知れねーが?」
シェリーは口元を押さえた。
「なあ?」
「分かりました。分かりましたから……」
もう、とシェリーは唇を尖らせた。
※
昼、マコトはカウンター席で唐揚げバーガーを食べていた。
唐揚げバーガーを頬張ると、肉汁が滲み出る。
「旦那は幸せそうに食べますねぇ」
「シェリーの料理が美味いからだよ」
「そ、そんなことを言われると照れちまいますね」
シェリーは頬を朱に染め、首筋を掻いた。
「唐揚げも美味いが、パンも美味い」
「旦那のお陰ですよ」
「シェリーのお陰だろ」
今まで『黄金の羊』亭のパンは灰色だったが、ジャイアント・スケルトンの討伐報酬――小麦によって白くなった。
「看板メニューにするのもいいかも知れませんねぇ」
「結構、儲かるんじゃないか?」
「醤油は旦那の物ですからねぇ」
「まあ、そうだな」
こんなことならクリスティンにもっと味噌と醤油をもらえばよかった。
次に依頼があれば一トンくらい要求するのもいいかも知れない。
面倒臭そうなので、他の七悪とは戦いたくないが。
他愛のない話をしていると、シェリーが階段を見上げた。
「フェーネちゃん、おはようございます」
「おはようッス」
ふぁ~、とフェーネは欠伸をし、マコトの隣に座った。
「体調はどうだ?」
「体調はいいッスよ」
「どうぞ」
フェーネはシェリーからグラスを受け取り、一気に飲み干した。
「プハーッ!」
「お前もおっさん臭いな」
「何がッスか?」
「何でもねーよ」
フェーネがカウンターにグラスを置き、シェリーがレモン水を注ぐ。
「兄貴、何を食べてるんスか?」
「唐揚げバーガー」
「おいらも欲しいッス」
「シェリー、頼む」
「ええ、分かりました」
シェリーは作り置きのパンに切れ目を入れ、そこに唐揚げとレタスを挟んだ。
「はい、どうぞ」
「いただきますッス」
フェーネは唐揚げバーガーを頬張る。
次の瞬間、二本の尻尾が逆立った。
「美味いッス!」
「お、何を食ってるんだ?」
階段を見上げると、リブが頭を掻きながら下りてくる所だった。
「あげないッスよ?」
「盗らねーよ」
リブはムッとしたように言い、フェーネの隣に座った。
「はい、どうぞ」
「サンキュー」
リブはシェリーからグラスを受け取り、やはりと言うべきか、一気に飲み干した。
「プハーッ!」
「流行ってんのか?」
「何が?」
「プハーッ、ってヤツ」
「さあ?」
リブは首を捻り、グラスをカウンターに置いた。
シェリーはグラスにレモン水を注ぎ、唐揚げバーガーを作る。
「唐揚げバーガーです」
「お、美味そうだな」
リブは手を摺り合わせ、唐揚げバーガーに齧り付いた。
実に豪快な食べっぷりだ。
見ていて、気持ちがいい。
同じ気持ちなのか、シェリーは微笑ましいものを見るような目でリブを見ている。
リブはあっと言う間に唐揚げバーガーを平らげ、レモン水を半分ほど飲む。
「は~、美味かった」
「食べ物は飲み物じゃないッスよ?」
「当たり前だろ」
リブはフェーネの皮肉を流した。
「お代わりはどうです?」
「午後から体を動かすからいいや」
「また手合わせか?」
「それもいいんだけどよ」
リブは視線を落とした。
視線の先にいるのは唐揚げバーガーを頬張るフェーネだ。
「精霊術の使い方を練習しておかないとマズいだろ?」
「ああ、確かに」
マコトは頷いた。
フェーネは調子に乗って精霊術を使ってぶっ倒れているのだ。
二度目だから匙加減は分かっているはずなどと考えるのではなく、限界を確かめる意味でも練習すべきだろう。
「なんスか?」
「精霊術の練習をしようって話だよ」
「分かったッス」
リブは溜息交じりに言い、フェーネは頷いた。
「そう言えばさ、フェーネはマコトとキスして強くなったんだよな?」
「そうッスよ」
「じゃあ、あたいやローラもマコトとキスをすれば強くなれるのか?」
「そうじゃ――」
「知らねーよ」
マコトはフェーネの言葉を遮った。
「キスでレベル上限を突破した上、精霊術まで使えるようになるんだぜ。マコトとセッ――」
「おい!」
マコトは思わず叫んだ。
「何だよ?」
「俺を強くなるための手段みたいに言うな」
「別にいいじゃん。あたいは強くなりたい。マコトはあたいとやりたい。利害が一致してるだろ?」
「いや、俺がやりたがってるって決めつけるなよ」
「いやいや、やりたがってるだろ? あたいの胸を見てるじゃん?」
「まあ、見てるけどよ」
リブの胸は目線の位置にあり、ゆさゆさと揺れているのだ。
マコトでなくても注目してしまうというものだ。
「一回、試してみようぜ?」
リブはニヤリと笑い、胸を鷲掴みにして押し上げた。
「試してみようぜ、じゃねーよ」
「後腐れなくやれるってのに意気地がねーな」
「意気地の問題じゃねーよ」
「じゃ、何の問題だよ」
「気分だよ、気分」
「面倒臭ぇな」
リブはうんざりしたように言い、シェリーに視線を向けた。
「シェリーはマコトとやったんだろ? どうよ?」
「……そんなこと言われても」
恥ずかしいのだろう、シェリーは顔を真っ赤にしている。
「パワーアップした感じはするか?」
「し、知りません!」
シェリーは両手で顔を覆い、カウンターの奥に走り去った。
※
食事を終えたマコト達は南城門の近くにある空き地に移動した。
フェーネは空き地の中央に、マコトとリブは隅に立っている。
「今日はオフじゃなかったの?」
岩に腰を掛けたユウカがぼやくように言った。
「精霊術の練習をするんだよ」
「なんで、あたしが……」
「スキルの使い時だろ」
「……水薬扱いしないで欲しいんだけど」
面倒臭ぇと思ったが、口にはしない。
そんなことをすればさらに面倒臭いことになる。
「……水薬扱いしないで欲しいんだけど」
「スルーしたんだから絡んでくるなよ。大体、お前のスキルなんてこれくらいしか使い道がないだろ」
「キングと戦って死にかけたアンタを助けてやったのはあたしなんだけど?」
「骸王のダンジョンで何度も助けてやっただろ。借りを返したくらいに思えよ」
「あれは共同戦線でしょ」
「どう考えても負担が偏ってたぞ」
マコトが何度死にそうな目に遭ったと思っているのか。
「お前も切り刻まれろ」
「それはアンタの役目でしょ!」
「俺の役目じゃねーよ!」
マコトは叫び返した。
「二人とも仲がいいよな」
「は? そんな訳ないじゃない」
リブがニヤニヤ笑いながら言い、ユウカは反論した。
「言い争ってるように見えるけど、なんだかんだとチームを組んでるじゃん。ほら、仲がいい証拠だろ?」
「……ぐッ」
ユウカは呻き、押し黙った。
こういう風に操作すればいいのか。
「ユウカは好きな子を苛めちゃうタイプなんだな」
「死ねッ!」
マコトが言うと、ユウカは顔を真っ赤にして叫んだ。
もちろん、怒っているのだ。
「兄貴、やるッス!」
「最初は撃ち分けられるかだぞ!」
「分かったッス!」
フェーネはスリングショットを構え、空き地の外にある木に向けて小石を放つ。
小石は木の幹に当たり、地面に落ちた。
続けざまに小石を放つ。
小石は木の幹に触れた途端、漆黒の炎を解き放った。
木の幹がボロボロと崩れ、木が倒れる。
「撃ち分けられたか?」
「大丈夫ッス。精霊術を使わない時はグッて感じで、使う時はググッって感じッス」
「そ、そうか」
どんな感じだ、と心の中で突っ込む。
「何発くらい撃てるか分かるか?」
「十発くらいッスね」
「一日でスゲーな」
ぶっ倒れるまで精霊術を使ったせいか、二日目にして感覚を掴んでいるようだ。
「アンタも大概だったわよ」
「俺が?」
「いきなり使いこなしてゾンビを倒してたし、七悪の力ってそういうものなのかもね」
「まあ、自分の力らしいからな。ある程度は使えるんだろ」
「兄貴、次は何をすればいいッスか?」
「スリングショットなしで使えるか確かめてくれ」
「了解ッス」
フェーネはスリングショットをポーチにしまい、足を肩幅に開いた。
そして、手の平を上に向ける。
「点火ッス!」
フェーネが叫ぶと、漆黒の炎が噴き出した。
漆黒の炎は手の平から少し離れた場所で球体――人魂状になる。
「フェーネ、炎で手を包めるか?」
「どうすればいいんスか?」
「念じるんだ」
「やってみるッス」
念じているのか、フェーネは眉根を寄せ、ブツブツと呟いている。
五分程度経過し――。
「できないッス!」
「分かった。その人魂……いや、狐火は自由に動かせるか?」
「試してみるッス」
フェーネは眉根を寄せ、一歩、二歩と後退る。
狐火は動かない。
「……狐火って」
「いいだろ、別に」
「安直なネーミングね」
ユウカは呆れたと言わんばかりに肩を竦めた。
「止まってるッス、止まって――ッ!」
狐火が爆発的に膨れ上がって消える。
よほどビックリしたのか、フェーネは目を白黒させている。
「もう一回やるぞ!」
「分かったッス!」
フェーネは元気よく返事をした。





