Quest8:装備を整えよ【前編】
※
マコトは物音で目を覚ました。
反射的に飛び起きて周囲を見回すが、そこにアンデッドの姿はない。
それどころか、ダンジョンの中でさえない。
「……ダンジョンを脱出できたんだったな」
頭を掻きながらベッドから下りる。
身に着けているのはシェリーが用意してくれた無地のトランクスだ。
ズボンとシャツと同じようにサイズが大きい。
ゴムの代わりに紐が使われているお陰でずり落ちてくる心配はないが、どうにも着心地が悪い。
「新しい下着を買わねーとな」
もちろん、武器や防具も。
収入がないのに出費ばかりが嵩んでいく。
真綿で首を締められているような状況だ。
こういう時はさっさと行動して問題を解決するに限る。
そんなことを考えながらシェリーが用意してくれた服を着て、短剣を手に取る。
「どうすりゃ戦士系のジョブを取得できるんだ?」
短剣をベルトに差し、独りごちる。
並の相手には遅れを取らないはずだが、やはり素手で戦うのは怖い。
「いや、情報収集するのが先か」
そもそも、ジョブが自分にどんな影響を与えているのか分かっていないのだ。
調べてからでも遅くはあるまい。
部屋を出て、鍵を閉める。
階段から階下を覗き見ると、シェリーがカウンターで仕事をしていた。
それにしても危ない階段だな、とそんな感想を抱く。
廊下の一部がなくなっていたかと思えばすぐに階段がある。
落下する者もかなりいたのではないだろうか。
それに体重が掛かるたびにギシ、ギシと軋むので、心臓に悪い。
ドキドキしながら階段を下りる。
中程まで下りた所でシェリーは仕事の手を休め、こちらを見上げた。
「おや、旦那。おはようございます」
「ああ、おはよう」
マコトは階段を下り、カウンター席に座った。
「昨夜は災難でしたね」
「素面で酔っ払いの相手はな」
「若い旦那にゃお酒は早すぎますよ」
酒を売ってくれなかったことを皮肉ると、何とも常識的な答えが返ってきた。
「見た目通りの年齢じゃねーんだが?」
「私はそう感じませんねぇ」
「心の目で見てくれ」
「生憎、私の目はここにあるきりですよ。ちぃとばかり性能が悪いですけどね」
シェリーは人差し指で目を指差した。
あっかんべえでもされているような気分だが、子どもっぽくて可愛らしい。
「泣きぼくろがあるんだな」
「そこに反応するんですねぇ」
「性能が悪いなんて自虐ネタに飛びつける訳ねーだろ」
うんざりした気分で言い返す。
「それもそうですねぇ。じゃあ、話を変えて……旦那、朝食はどうします?」
「もらうよ」
「すぐに準備をしますね」
シェリーは料理をカウンターに置いた。
野菜たっぷりのスープとパンというシンプルなメニューだ。
マコトはスプーンでスープを口に運んだ。
「どうです?」
「昨日より味が染みてて美味いよ」
要は昨日の残りである。
パンは――丸いフランスパンと言った風情だ。
二つに割ると、中は灰色だった。
マコトはパンを頬張る。
名状しがたい味が広がる。
わら半紙を食べたらこんな味がするかも知れない。
ダンジョンで食べたパンの方が美味いのではないかとさえ思う。
「味噌汁、飲みてぇ」
「うちみたいな宿で味噌汁なんて出せませんよ」
「味噌汁があるのか? じゃあ、醤油は? 米は?」
「どっちもありますよ」
「あるのか」
思わず口元が綻ぶ。
遠い異国の地で友達と出会ったような気分だ。
「旦那、私はうちみたいな宿じゃ出せないって言ったんですよ?」
「どうしてだ?」
「単純に高いんですよ。米はこの辺りでも作ってるんで出せなくもないですけどね。味噌と醤油は東国からの輸入品なんでどうしてもねぇ」
「東国?」
「大陸の東の果て……海を越えた所にある国ですよ」
「もっと東国について教えてくれねーか?」
「残念ですけど、教えるほどの情報はありませんよ。どうしても知りたければ商人から話を聞くか、本を買うかしかありませんねぇ」
マコトが身を乗り出して尋ねると、シェリーは首を左右に振った。
「そうか。まあ、暇があったら自分で調べてみるよ」
「そうして下さい」
シェリーは微笑ましいものでも見たというような表情を浮かべた。
多分、子どもが外国に憧れているとでも考えているのだろう。
「話が戻るんだが、味噌と醤油は高いのか?」
「1キログラム100Aくらいだったと思いますよ」
「高ぇな」
麻薬かよ、と心の中で突っ込む。
「なあ、俺が買ったら料理を作ってくれるか?」
「台所なら貸しますよ」
「何だよ、作ってくれねーのかよ」
「作ってあげたいのは山々ですけどね。私は味噌と醤油を使った料理を作ったことがないんですよ」
マコトがぼやくと、シェリーはムッとしたように言い返してきた。
「仕方がねーな。自分で作るよ」
「おや、旦那は料理ができるんですか?」
「雑な料理だけどな」
これでも一人暮らし歴は八年ある。
きちんと自炊したのは最初の半年くらいだが、味噌汁と唐揚げなら作れるはずだ。
「そりゃ、よかった。じゃあ、旦那が味噌と醤油を買ってくるのを気長に待ってますよ」
「気長に?」
「何しろ、遠くから運んでくるものですからねぇ。大商人の専売状態ですよ。まあ、たま~に私らが利用するような店にも入ってきますけどね」
「それを先に言ってくれよ」
マコトは深々と溜息を吐いた。
大商人とコンタクトを取る所から始めなければならないなんて面倒臭い世界だ。
「旦那、輸入品に関しちゃ常識ですよ。一体、どんな生活をしてたんです?」
「……話せば長くなるんだが」
「じゃあ、聞きません」
「聞かねーのかよ!」
「言いたくないことは誰にでもあるもんです」
「いや、そういう訳じゃねーんだが」
マコトは半眼で呻いた。
『話せば長くなる』と前置きしたせいで言いにくいことがあると早合点したのだろう。
プライベートな話題に踏み込まない大人の対応だが、人の話は最後まで聞くべきではないだろうか。
「面倒だからいいや」
「そう言えば旦那はこれからどうするつもりなんです?」
「取り敢えず、今日は武防具を買いに行くよ。ついでに下着と服もな」
「そういうことを言ってるんじゃありませんよ」
シェリーはクスクスと笑った。
「じゃあ、どういうことだ?」
「今後の身の振り方ですよ」
「……身の振り方ね」
嫌な予感がした。
これは年長者が年下に説教をするパターンではないだろうか。
もしかしたら、家出してきたと思われているのかも知れない。
「取り敢えず、アンデッドもモンスターに入るのか分からねーけど、とにかくモンスターを倒して日銭を稼いで……そこから先は決めてない」
「旦那、若い内は野望を抱かなきゃ駄目ですよ」
アラフォーなのに自分より若い娘に諭されてしまった。
「野望って言われてもな」
「旦那、今でこそうちの宿はこんな有様ですけど、昔は大勢の冒険者が泊まっていて、そりゃもう賑やかだったんです。皆、貧乏でしたけど、目を輝かせて夢を語ってたもんです。それに比べて……」
シェリーは恋する少女のような表情を浮かべていた。
きっと、大勢の冒険者が泊まっていた時代は彼女の宝物なんだろう。
「あ、すみません。言い過ぎちまいましたね」
シェリーはハッとしたように口元に手を当てた。
「いいな、それ。羨ましいよ」
「夢を語ることがですか?」
「自分で貧乏を選べることが、だよ」
自分の意思で貧乏をしているのならばさぞ楽しかろう。
実際に夢を叶えられた人間は極少数だろうが、それでも羨ましいと思う。
「旦那、本当に夢はないんですか? 将来、やりたいことでもいいんですよ」
「と言われてもな」
マコトは腕を組んだ。
ふと箱馬車の中でのどかな田舎町でスローライフを送りたいと考えたことを思い出した。
何処かの田舎町でお金の心配をせずに悠々自適の生活を送りたい。
何だか、とても素晴らしいアイディアのように思えてきた。
取り敢えず、スローライフを目的としてもよいのではないだろうか。
「……スローライフかな」
「……」
シェリーは無言だ。
不審に思って顔を上げると、軽く目を見開いていた。
「どうしたんだよ?」
「スローライフなんて、若い旦那には似つかわしくない野望ですねぇ」
「結構、デカい夢だと思うぞ?」
三十代で一生暮らせるだけの金を稼げる人間は極少数だ。
その極少数の人間になろうと言うのだから大きな夢ではないだろうか。
にもかかわらず、シェリーは呆れたように溜息を吐いた。
「どうしたんだよ?」
「普通、若い旦那ってのは不死王を倒してやるとか、ドラゴンを倒してやるとか、拐かされた美姫を助けようとか、ハー……げふんげふん」
シェリーは誤魔化すように咳払いした。
「とにかく、若い旦那ってのはそういう野望を抱くもんなんですよ」
「ドラゴンまでいるのかよ」
「ええ、ドラゴンを倒せば名前が轟きますよ」
「そういう面倒臭そーなことは昨日の三人組に任せるよ。まあ、スローライフを送れるだけの金を稼げるんなら考えなくもねーけど」
と言うか、ドラゴンを倒す手間暇を考えたら複数のダンジョンを攻略する方が儲かるのではないだろうか。
「旦那はそんなんでいいんですか?」
「それでいいんだよ。そりゃ、他人から見れば小さい夢かも知れねーけど、俺にとっちゃデカい……違うな。望むべくもなかったことなんだよ」
元の世界では実現の可能性さえなかったが、この世界では可能性があるのだ。
だったらその可能性を追求するのもありだと思う。
「旦那は若いのに苦労してるんですねぇ」
「まあ、な」
マコトは言葉を濁した。
それは愚痴るのが格好悪いと思っているからではなく、共感を得られなかった時のダメージが大きいと知っているからだ。
「で、ハーの続きは何なんだ?」
「さて、そんなこと言いましたかね?」
「言ったよ。多分、ハーレムって言おうとしたんだろうけど」
「分かってるなら聞かないで下さいよ」
恥ずかしいのか、シェリーは顔を真っ赤にして言った。
「ハーレムに魅力って感じないんだよな」
「まあ!」
「念のために言っておくけど、男が好きって意味でもねーからな」
「い、嫌ですよ、旦那。そんなこと考えちゃいませんよ」
本当かよ、と心の中で突っ込む。
「そういうの面倒臭そうだろ」
「若いのに枯れてるんですねぇ」
「そうでもねーよ」
ダンジョンを探索していた時のことを思い出しながら答える。
命の危険――性欲を増進させる状況下で隣に女子高生が寝ているのである。
「滾ってヤバかった」
「聞かなかったことにしますね」
シェリーはマコトの告白を華麗にスルーした。
「そういうシェリーはどんな夢を持ってるんだ?」
「私の夢は父さんの宿で働くことでしたからねぇ」
そう言って、悪戯っ子のように笑う。
「結婚は考えてねーの?」
「私みたいな年増を嫁に迎える物好きはいませんよ」
「十分、若いだろ」
三十路にも達していないような女を年増と呼ぶのならアラフォーのマコトはお爺ちゃんである。
「何なら熨斗を付けて差し上げますよ」
「……」
「念のために言っておきますけど、冗談ですよ、冗談」
マコトが黙っていると、シェリーは慌てふためいたように言った。
「……ちょっと無理だな」
「ちょいと傷付きますねぇ」
「いや、そういう意味じゃねーよ」
「じゃあ、どんな意味なんです?」
「今の俺には資格がない」
宿屋の若旦那――悪くない響きだが、今のマコトがそれをやったらヒモも同然だ。
経験上、男女関係は金がないと長続きしないものだ。
金がなければ未来は語れないのだ。
「やっぱり、きちんと金を稼いでからの方がいいと思うんだよ」
「……ぷ」
シェリーはポカンと口を開けていたが、やがて堪えきれなくなったように噴き出した。
「ははははッ!」
「笑うことはねーだろ」
「旦那は面白い人ですねぇ」
「そーかよ」
マコトはそっぽを向いて、パンを囓った。
※
「……ようこそ、ロジャース商会に」
マコトが店に入ると、男性店員は朗らかな笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。
歩み寄るまでにタイムラグがあったのは金を持っているように見えなかったからだろう。
「本日はどのようなご用件で?」
「『黄金の羊』亭のシェリーに紹介されてきたんだ。ロジャース商会は……武防具も扱っているって」
「……ああ、シェリー様のご紹介で」
男性店員は少し間を開けて答えた。
多分、『黄金の羊』亭にも、シェリーの名にも聞き覚えがなかったからだろう。
実際、近場で武防具を取り扱っている店として教えてもらっただけなので無理もない。
「失礼ですが、どのような武防具をお求めですか?」
「ファーストジョブが精霊術士で、セカンドジョブが格闘家なんだ」
「それでは動きやすい武防具がよろしいですね。こちらにどうぞ」
男性店員に案内されて店内を進む。
店内には数多くの商品が陳列されていた。
メインで取り扱っている商品は服飾品だ。
当然のことながら食品関係は置いていない。
「こちらが武防具のスペースになります」
「へ~、ここが」
武防具を扱うスペースは店の奥まった所にあった。
防具を身に着けたマネキンがいくつも展示され、剣や槍が壁に据え付けられている。
「武防具ってのは鍛冶屋で取り扱っているもんだと思ってたよ」
「それですと色々と問題がありますので、商会が販売を代行するようになったのですよ」
「問題? あ~、それはあるかもな」
作業スペースの確保はもちろんのこと、騒音など解決すべき問題は多い。
「けど、サイズは大丈夫なのか?」
「ええ、こちらをご覧下さい。基準となるサイズ……規格をいくつか定め、さらに」
男性店員は近くの棚から籠手を取り、裏側をマコトに見せた。
そこには革のベルトが付いていた。
「このようにベルトなどで調節できるようにしているのです」
「ふ~ん、色々と考えてるんだな」
「ありがとうございます」
男性店員は頭を下げると、籠手を棚に戻した。
「お勧めの商品は?」
「そうですね。お客様は格闘家のジョブをお持ちということですので、こちらの棚にある籠手と脚甲がよろしいのではないでしょうか」
マコトはしげしげと棚にある籠手と脚甲を見つめた。
「……鑑定」
籠手を手に取って呟くが、何も表示されない。
目を細めても同じだ。
鑑定を取得したのは間違いだったかも知れない。
後悔を噛み締めながら籠手を棚に戻す。ふとある籠手に目が吸い寄せられた。金属のプレートが重なり合うように外側を覆っている。
内側は革製だ。
「そちらはアダマンタイト合金を使用した籠手になります」
「……アダマンタイト」
思わず呟く。
アダマンタイトは様々なフィクションに登場する稀少金属だ。
ただ、合金とは言え、こんな序盤で目にしてしまうとありがたみがない。
「少々、値段が張りまして1000Aとなります」
「1000Aか」
マコトは改めて棚を見つめた。
棚にある籠手の中では割高……と言うか桁が違う。
「どうされますか? わたくしとしましてはこちらのミスリル合金製の籠手をお勧めしたいのですが……」
こちらの面子を潰さないようにという判断からか、男性店員は申し訳なさそうに籠手を差し出してきた。
値段は半額程度だが、やや見劣りする。
「いや、これにするよ。同じ職人の脚甲はあるか?」
「大丈夫ですか?」
「心配しないでくれ。金はあるんだ」
真顔で問い掛けてくる男性店員に苦笑で返す。
「そういうことでしたら、こちらの脚甲が同じ職人の作品です」
男性店員が指し示したのは金属のプレートで足の甲から膝までを覆われたブーツだ。
ベルトが足の甲と脹ら脛の部分に2カ所ずつあり、これで固定するようだ。
スキーブーツに見えなくもない。
「これも頼む。あとは鎧だな」
「お客様は格闘家ですので、こちらの……鎖帷子のように動きを阻害しない物が宜しいかと」
男性店員は手の平で鎖帷子を身に着けたマネキンを指し示す。
形状的にチェインシャツと呼ぶべき代物だが、目を引くような所はない。
「それにするよ」
「ありがとうございます。念のために注意を。こちらの鎖帷子はアダマンタイト合金製で高い耐久力を有しておりますが、素肌の上に身に着けるのはご遠慮下さい」
「分かった」
多分、汗で錆びたり、鎖に肉を挟まれたりするのだろう。
「あとは服と下着だな」
「では、こちらに」
男性店員に案内され、店内を移動する。
マコトはその途中で足を止めた。
「どうされました?」
「……このコートなんだが」
マコトはマネキンが着たコートを指差した。
艶のある黒いコートだ。
「こちらは普通のコートです。値段は100Aとなっております」
「これも頼む」
「かしこまりました」
その後、マコトは服と下着を購入して店を出た。