Quest39:王都に向かえ その11
「ユウカ、どうしたの?」
「――ッ!」
突然、声を掛けられ、ユウカは我に返った。
周囲を見回すと、そこは白い部屋だった。
凝った装飾の家具が置かれている。
そんな部屋でユウカは化粧台に向かっていた。
しかも、ウェディングドレスを着てだ。
何が起きているのだろう。
露天風呂に入った後、広間に戻って毛布の上に横たわった。
そこまでは覚えている。
だが、そこから先の記憶がない。
「ボーッとして、どうしたの?」
再び声を掛けられる。
声のした方を見ると、着物姿の母がいた。
「どうして、お母さんがここにいるの?」
「どうしてって、娘の結婚式に母親がいるのは当然でしょ?」
「結婚式!?」
思わず声を上げた次の瞬間、記憶が甦った。
ああ、そうだ。
大河学園を卒業した後、ユウカは大学に進学し、彼と出会った。
そして、六年の交際期間を経て、今日という日を迎えたのだ。
もちろん、順風満帆という訳にはいかなかった。
特に社会人になってからは気持ちが擦れ違うことが増えたように思う。
いや、別れる寸前までいったこともあるから『ように思う』ではないか。
それでも、別れなかったのは互いの存在を大切に思っていたからだろう。
高校時代の自分が今の自分を見たらどう思うだろう。
そんなことを考えて笑う。
多分、文句を言うだろう。
いや、文句なんて生やさしいものではないか。
鬼のような形相で詰め寄って、失望しただの、敗北主義者だの捲し立てるに違いない。
今更だが、もっとマイルドな生き方をしてもよかったんじゃないかと思う。
「思い出した?」
ええ、とユウカは短く応じた。
「きっと、夢見が悪かったのね」
「そうかも」
昨夜の夢を思い出して苦笑する。
何しろ、異世界に行って大冒険をするのだ。
社会人になったのにまだまだ子どもっぽい所が残っていたようだ。
それにしても今の生活に不満なんてないのにどうしてあんな夢を見たのだろう。
※
「むぅ……」
フェーネは階下から響く物音で目を覚ました。
シェリーが朝食の準備をしているのだろう。
むくりと体を起こして目を見開く。
そこが借金のカタに取られた自分の家――その自室だったからだ。
何が起きているのだろう。
露天風呂に入り、床に就いた所までは覚えている。
だとすれば夢を見ているということか。
だが、夢にしては妙にリアルだ。
今横になっているベッドの手触りも現実と変わらないように思える。
何より思考がクリアだ。
夢を見ている時はもっと思考が胡乱なはずだ。
敵の攻撃だろうか。
だとすれば脱出しなければいけない。
視線を巡らせる。
だが、武器になりそうなものはない。
当然か。
自分が敵の立場であれば手の届く範囲に武器を置くような真似はしない。
「とりあえず、情報収集ッス」
ベッドから下りて廊下に出る。
すると、芳ばしい匂いが漂っていた。
懐かしい匂いに涙が零れそうになる。
いけない。
これは敵の攻撃だ。
戦意を奪おうとしているのだ。
涙をぐっと堪えて歩き出す。
料理を作っているということはキッチンナイフがあるはずだ。
足早に廊下を通り抜け、階段を下り、食堂に入る。
「――ッ!」
フェーネは立ち止まり、息を呑んだ。
そこに両親がいた。父はイスに座り、母はテーブルに料理を並べている。
今度は堪えきれなかった。
涙が零れ落ちる。
こちらに気付いたのだろう。
父が視線を向ける。
「おはよう、フェーネ」
「――ッ!」
優しい声に息を呑む。あら? と母が声を上げる。
「どうして、泣いてるの?」
「な、何でもないッス!」
「「何でもないッス?」」
そう言って、手の甲で涙を拭う。
すると、父と母の声が重なった。
ああ、そういえば両親が生きていた頃は今のような話し方ではなかった。
どんな話し方をしていただろう。
思い出せない。
「何でもないです。じゃなくて、何でもないよ」
「そうか。まあ、フェーネも年頃だもんな。そういうこともある」
「私にはなかったわよ」
ふふ、と両親が笑う。
「すぐに朝食を持ってくるから待っててね」
うん、とフェーネは頷き、父の対面の席に座った。
母が厨房に向かう。食堂が静寂に包まれる。
何というか居心地が悪い。
もじもじしていると、父が口を開いた。
「そういえばレドはまだ寝てるのか?」
「え? うん、多分」
「仕方のないヤツだな」
父は困ったような笑みを浮かべ、カップに手を伸ばした。
フェーネは俯き、拳を握り締めた。
これは敵の攻撃だ。
武器を手に入れなければならない。
だが、武器を手に入れてどうするのか。
両親を殺すのか。
できない。
できる訳がない。
フェーネは唇を噛み締めた。
※
「お務め、ご苦労様です」
「それでは、私はこれで……」
妹が座ったまま頭を垂れると、男も頭を垂れた。
ゆっくりと頭を上げ、立ち上がる。
そして、テントから出ていく。
夢を見ているんだな、とリブは思った。
故郷を出た時、妹はまだ巫女ではなかった。
だから、これは過去の出来事を夢で追体験している訳ではない。
では、未来の夢を見ているのかと言えばそれも違うような気がする。
有り得たかも知れない現在を夢で見ている、
そんな気がする。
いや、あたいの理想か、とリブは太股を支えに頬杖を突いた。
今の生活は楽しい。
だが、こんな夢を見るということは故郷に未練があるのだろう。
あるいは妹を支えてやりたかったという後悔か。
それができりゃ苦労はねーんだよな、とリブは深々と溜息を吐いた。
リブの一族は巫女の才能を持つ者が族長を務めることになっている。
理由はよく分からないが、因習とはそういうものだと深く考えたことはなかった。
皆がリブのように考えてくれればこの夢は現実となっていただろう。
だが、そうはならなかった。
実力のある戦士が族長になるべきと主張する一派のせいだ。
ああ、いや、彼らだけに責任を押しつけるのは酷か。
これまで積み重ねてきた歴史こそが原因なのだから。
それにリブが戦士として優れた才を持っていたのもマズかった。
リブは自分でも知らない内に彼らに夢を見せてしまったのだ。
このままでは一族が割れる。
そう考えてリブは故郷を離れる決意をした。
幸い、頼れる相手はいた。
フランクだ。
彼は先代族長のみならず戦士達からも信頼されていた。
だから、真実を伏せてリブを外の世界に連れ出すのはそう難しくなかった。
いけねぇ、とリブは頭を振った。
今はこんなことを考えている場合じゃない。
何とかしてこの夢から目覚めなければならない。
どうすればいいのか見当も付かないが、リブは立ち上がった。
妹がこちらに視線を向ける。
「姉さん、どうかしたんですか?」
「ちょっくら散歩してくるぜ」
「散歩、ですか?」
ああ、とリブは短く応じて足を踏み出した。
歩き回ったくらいで状況を打開できるとは思わないが、何もしないよりはマシだろう。
※
「まんま~」
「――ッ!」
ぺちぺちと頬を叩かれて、ローラは我に返った。
視線を落とすと、赤ん坊がこちらを見上げていた。
そこで、自分が赤ん坊を抱いていることに気付く。
「ボーッとしてどうしたんじゃ?」
突然、声を掛けられる。
声のした方を見ると、テーブルを挟んだ向こうにクリスティンの姿があった。
訳が分からない。
確か自分は広間で寝ていたはずだ。
「クリス様、ここは?」
「お主、大丈夫か?」
ローラが問いかけると、クリスティンは訝しげに眉根を寄せた。
「ここはお主の家で、その子はお主の子じゃぞ?」
「私の?」
小さく呟き、視線を巡らせる。
クリスティンはローラの家と言ったが、見覚えがない。
「結婚を機に新しい家を用意してやったではないか」
「結婚を機に……」
鸚鵡返しに呟くと、記憶が甦ってきた。
ああ、そうだ。ローラは結婚をしたのだ。
それを機に護衛騎士の職を退いた。
幸い、夫は名うての冒険者だ。
そのお陰で子育てに専念できる訳だが――。
「ええ、そうでした」
「大丈夫か? 子育てで疲れているのなら乳母を紹介するぞ?」
「その時はお願いします」
ローラは小さく頷き、赤ん坊を撫でた。
その愛くるしい笑顔を見ていると、これまでの疲れが吹き飛び、頑張ろうという気になる。
でも、どうして愛しい我が子のことを忘れていたのだろう。
身籠もっていると分かった時、剣を捨て、妻として母として生きると誓ったのに。
だが、その疑問は赤ん坊を撫でている内に曖昧に解けていった。
※
風が押し寄せてきた。
生温い風だ。
ゆっくりと目を開ける。すると、そこは車の後部座席だった。
運転手のキムラが困ったような表情を浮かべてこちらを見ている。
そこで、フジカは家に着いたのだと分かった。
フジカは鞄を手に取り、車から降りた。
鞄の中にはギャルに擬態するための化粧品が入っている。
流石に開けられることはないだろうが、万が一ということもある。
あとで気まずい思いをしないためにも置き忘れるようなことがあってはいけない。
「キムラ、ご苦労様でした」
「いえ……」
労いの言葉を掛けると、キムラは短く応じた。
自分のような小娘に呼び捨てにされて腹が立たないのだろうか。
そんな疑問が湧き上がる。
もちろん、口にはしない。
そんなことを聞かれても困らせるだけだと分かっているからだ。
小さく溜息を吐き、足を踏み出す。
門を潜り抜け、飛び石の上を歩いて玄関に向かう。
わずかに顔を上げると、家が見えた。
曾祖父が昭和初期に建てた日本家屋だ。
といっても何度もリフォームをしているので中身は別物だ。
庭園も含めてメンテナンスにかなり手間が掛かる。
建て直した方が安上がりなのではないかと思い、父にそれとなく尋ねたことがある。
だが、父にその気はないようだ。
思い入れがあると言っていたが、見栄を張りたいだけのような気もする。
父にはそういう所がある。
小学校を大河学園の初等部にしたのも自分のためだったのではないかという気がする。
小さく溜息を吐く。
まだ大学進学の話はしていないが、この分だと父が進学先を決めてしまいそうだ。
思う所はあるが、口にはしない。
そんなことを言っても仕方がないし、そもそも自分が何をしたいのか分からない。
文句はあるけど、やりたいことはない。
そんな自分にうんざりする。
ふとさっき見ていた夢を思い出す。
笑みが零れる。
異世界に転移して冒険する夢だ。
夢の中の自分は楽しそうだった。
自由を満喫していた。
けれど、あれは夢だ。
自分の人生には劇的なことなど起きない。
多少の不満をどうにもできずに歳を取っていくだけなのだろう。
異世界か、とフジカは溜息交じりに呟いた。
※
マコトは玄関の扉に手を伸ばして動きを止めた。
ぼんやりと自分の手を眺める。
慣れ親しんだ自分の手だ。
だが、何故だろう。
あるべきものがないような違和感を覚えた。
何がないのだろう。
しばらく手を眺めていたが、何がないのか分からなかった。
考えるのを止めて扉を開ける。
あ、と小さく声を漏らす。
そこは安アパートの猫の額のような玄関ではなかった。
もう何年も戻っていない実家のそれなりに広い玄関だった。
すぐ目の前にリビングがある。
入り口の暖簾が掛かっているので中の様子を窺い知ることはできない。
足が動かない。
呆然と立ち尽くしていると、暖簾を潜って母が出てきた。
当然といえば当然だが、記憶よりも歳を取っている。
母が口を動かす。
何かを言っている。
だが、声は聞こえない。
いや、意味を認識できない。
手を引かれる。
革靴を脱ぎ、手を引かれるままリビングに入る。
すると、父がいた。
やはり、記憶よりも歳を取っている。
だが、そんなことは些末ごとのように思えた。
何故なら――。
兄貴がいた。
頭をぶん殴られたような衝撃を覚えた。
そのせいだろうか。
動けない。
兄貴が立ち上がる。
顔はよく見えない。
だが、へらへらと笑っているのは分かった。
どうして、こいつは家族を捨てて逃げ出したくせに臆面もなく戻ってこられたのだろう。
どうして、へらへらと笑っていられるのだろう。
兄貴は歩み寄り、何事かを口にした。
母と同じく声は聞こえるものの、意味を認識できない。
何を言っているのだろう。
しばらくして兄貴は手を顔の高さまで持ち上げた。
指はぴんと伸び、天井を向いている。
片手で謝っているのだ。
頭の中が真っ白になる。
あれだけのことをしておいて、これで済ませる気なのだ。
「――ッ!」
マコトは叫び、拳を繰り出した。
拳が顔面を捉え、兄貴がもんどり打って倒れる。
マコトはすかさず距離を詰め、体を起こそうとした兄貴の顔面に蹴りを叩き込んだ。
鈍い感触が伝わる。
母と父が何事かを叫んでいるが、マコトは再び蹴りを叩き込んだ。





