Quest39:王都に向かえ その6
突き上げるような衝撃でマコトは目を覚ました。
石にでも乗り上げたのだろう。
そんなことを考えながら視線を巡らせると、そこは箱馬車の中だった。
ユウカは対面の席に座って本を読み、ローラは座席に横たわっていた。
どうして、座席に横たわっているのだろう。
そんな疑問が脳裏を過る。
だが、そういうこともあるだろうと再び目を閉じる。
ややあって――。
「何事もなかったように目を閉じてるんじゃないわよ!」
ユウカの声が響き、臑に衝撃が走った。
ぐッという声も響く。
少しうんざりした気分で目を開けると、ユウカが足を押さえて座席に横たわっていた。
強い既視感を覚える。
またマコトの注意を引こうとして臑――脚甲を蹴り、逆にダメージを受けたのだろう。
しばらく苦痛に顔を歪めるユウカを眺め――。
「学習能力がないのか、お前は」
「あたしを怪我させたんだから謝りなさいよ!」
ユウカは呻くように言った。
よほど痛いのだろう。
涙目だ。
だが、涙目のユウカを見ているとえもいわれぬ感覚が湧き上がってくる。
「なんで、笑ってるのよ?」
「笑ってねーよ」
「嘘吐かないで! それが笑ってないなら何なのよ!?」
マコトが否定すると、ユウカはガバッと体を起こして言った。
随分、余裕がある。
そういえばユウカは物理耐性を取得していた。
攻撃力過剰な敵ばかり相手にしていたせいで今一つ実感が薄いのだが、そのせいだろうか。
溜息を吐き、両手を上げる。
「分かった。認める。確かに俺は笑ってた。馬鹿じゃねーのって――」
「そこまで言えとは言ってないわ!」
ユウカはマコトの言葉を遮って言った。
いや、叫んだ。
「話はそれでおしまいだな」
「終わってないわよ!」
マコトが目を閉じようとすると、ユウカがまたしても叫んだ。
無視して目を閉じてもよかったのだが、ユウカは鈍器――分厚い本を持っている。
普通に叩かれるのならまだしも角で叩かれては堪らない。
そんな判断が働いたのだ。
「まだ何かあるのか?」
「何事もなかったように目を閉じるんじゃないわよって言ったじゃない」
ユウカが溜息を吐くように言い、マコトは首を傾げた。
すると、彼女は窓の外を見ろと言うように顎をしゃくった。
窓の外を見る。
だが、何も見えない。
いや、窓の外が白く染まっていたのだ。
目を細め、ようやく濃密な霧が立ちこめていることに気付く。
「霧がどうかしたのか?」
「まだ寝ぼけるの?」
向き直って尋ねると、ユウカはうんざりしたような口調で問い返してきた。
そんなに騒ぐことだろうか。
全く警戒していないことが伝わったのだろう。
ユウカは苛立ったように頭を掻いた。
「雨も雪も降ってないのに霧が立ちこめてるなんておかしいでしょ?」
「といっても異世界だからな」
「ぐッ……」
マコトがぼりぼりと頭を掻きながら言うと、ユウカは顔を顰めた。
だが、すぐにハッとしたような表情を浮かべ、ローラに視線を向けた。
「じゃあ、ローラの気分が悪くなったのはどう説明するのよ?」
「単に酔ったんじゃねーの?」
「は!? 酔った?」
マコトの言葉にユウカは目を見開いた。
信じられないと言わんばかりの表情だが――。
「いや、あるんだって。霧で視界が利かない時に車を走らせてると、感覚が混乱して気分が悪くなることが。空間識失調ってヤツだな」
「空間識失調?」
「知らねーのか? 航空機の事故の原因にもなるらしいんだが……」
「あたしはパイロットじゃないもの」
ユウカは何処か拗ねた口調で言った。
これで納得してくれればと思ったが、説明が雑だったせいだろう。
訝しげな表情を浮かべている。
突然、ユウカが手を打ち鳴らす。
「どうしたんだ?」
「空間識失調については分からないけど、霧についてはローラに尋ねればいいじゃない」
ユウカは身を乗り出してローラを揺すった。
「……ユウカさん、私は気分が悪いのですが?」
「分かってるわよ。でも、緊急事態なの」
ローラが呻くように抗議するが、ユウカは何処吹く風だ。
いつの間に霧が緊急事態になったのだろうと思わないでもない。
「それで、どうなの?」
「ものすごい言葉足らずだな」
「こういうのは端的に聞くのが一番なのよ」
マコトが突っ込みを入れると、ユウカはムッとしたように言い返してきた。
再び視線を落とし、どうなの? というように首を傾げる。
「雨や雪が降っていないのに霧が出ることはあるかという意味でいいでしょうか?」
「そうよ。いえ、あとは時間ね」
ローラの言葉にユウカは頷いたが、すぐに自身の言葉を否定するように頭を振った。
「この世界って、雨や雪が降ってないのに昼過ぎまで霧が出ることってあるの?」
「あ、もう昼過ぎなのか」
マコトは声を上げ、腹を撫でた。
道理で空腹を感じるはずだ。
ユウカが溜息を吐き、恨めしそうな視線を向けてきた。
「マコト、話の腰を折らないで」
「悪ぃ」
ユウカが不満そうに言い、マコトは頭を掻きながら謝罪した。
「で、どうなの?」
「そうですね。今日みたいな天気を経験したことはありません」
「ほら! だから、言ったじゃないッ!」
ローラが横たわったまま答えると、ユウカは勝ち誇ったように言った。
「悪かったよ」
「ふふん、これからはもっとよく考えて発言することね」
ユウカは愉快そうに鼻を鳴らした。
「最初からおかしいと思ってたのよ。普通に考えて、この時間まで霧が出てるなんて有り得ないもの。それなのに異世界だからおかしくないなんて……」
「だから、悪かったよ」
「これは村長が言ってた件に関係があるわね」
ユウカは手で口元を覆い、神妙な面持ちで言った。
村長が言ってた件とは、王都から来る馬車の数が減っているという話だろう。
「ホームズばりの名推理だな」
「当然、大河学園のミス・マープルとはあたしのことよ」
皮肉を言ったつもりなのだが、ユウカは勝ち誇るように髪を掻き上げた。
名探偵というより迷探偵、何でも敵組織に結び付ける子ども向け番組の主人公という感じだ。
まあ、子ども向け番組の主人公の場合はそれで問題ないのだが――。
マコトはユウカを見つめた。
「何よ?」
「何でもねーよ」
マコトは溜息交じりに答える。
子ども向け番組の主人公という感じではない。
だが、何とも嫌な予感がする。
「何でもないって顔してないわよ?」
「嫌な予感が――」
「止めてよね!」
ユウカに言葉を遮られ、マコトは深々と溜息を吐いた。
「なんで、溜息を吐いてるのよ?」
「お前も村長の言ってた件に関係があるって言ってたじゃねーか」
「そうだけど……。それはそれ、これはこれよ」
ユウカは口籠もりつつ言った。
どうすりゃいいんだよと思ったその時、ローラが体を起こした。
どうやら回復したようだ。
「大丈夫なの?」
「はい、すっかり元通りです」
ユウカが気遣わしげに尋ねると、ローラは晴れやかな表情で答えた。
「そう、よかったわ」
「お前も他人の心配をするんだな」
「当たり前でしょ。あたしを何だと思ってるのよ」
マコトが軽口を叩くと、ユウカはムッとしたように言い返してきた。
「マコト様、気配探知は?」
「特に何も感じねーな」
マコトは首筋を撫でた。
モンスターがいると、気配探知が反応して首筋がチクッと痛むのだが、それがない。
もっとも、気配探知を無効化できるモンスターがいる可能性もあるので油断できないが。
気配探知に反応がない、とローラは呟き、思案するように腕を組んだ。
この現象に心当たりがあるのだろうか。
同じことを考えたのだろう。
ユウカは口を開く。
「もしかして、心当たりがあるの?」
「え? まあ、一応……」
やはり、この現象に心当たりがあるようだ。
反応から察するに、というか、この状況を考えると笑い話ではなさそうだ。
ユウカが居住まいを正し、おずおずと口を開く。
「どんな話?」
「……かなり昔の話ですが、行軍演習中の部隊が行方不明になったらしく」
ローラがやや間を置いて答える。
らしくということは伝聞、もしくは文献などで知ったのだろう。
嫌な予感しかしない。
「何でも演習中に霧が出て、部隊が忽然と姿を消してしまったとか」
「も、モンスターに襲われたんじゃないの?」
「いえ、それはないと思います」
ユウカがおずおずと尋ねる。
モンスターの襲撃であって欲しい。
そんな思いが伝わってくるようだ。
だが、ローラの答えはユウカの思いを裏切るものだった。
「どうして、そんなことが分かるのよ?」
「複数の部隊で編制されていたんです」
「……一列に並んで進んでいたのにいなくなった?」
「ええ、そうらしいです」
言わんとしていることが分からなかったのだろう。
ユウカはやや間を置いて尋ねた。
すると、ローラは小さく頷いた。
ユウカはぶるりと身を震わせ――。
「なんで、平然としてるのよ?」
手の平でバシバシとマコトの太股を叩いた。
「なんでって……。怖いか?」
「べ、べべ、別に怖くないわよ」
マコトの問いかけにユウカは上擦った声で答えた。
「それに、今の話ってフィラデルフィア計画みたいなもんなんじゃねーの?」
「マリー・セレスト号じゃなくて?」
「まあ、そっちでもいいけどよ。ローラの話って実際にあった事件に尾ひれが付いて都市伝説みたいになったんじゃないか?」
「フィラデルフィア計画とマリー・セレスト号が何なのか分かりませんが、実際に起きた事件が誇張された可能性はありますね。部隊単位ならともかく、一人や二人いなくなることは珍しくありませんから」
「一人や二人いなくなるって所に――ッ!」
ユウカは最後まで言い切ることができなかった。
箱馬車が大きく揺れたのだ。
馬のいななきが聞こえ、しばらくして揺れが収まった。
御者が箱馬車を止めたのだろう。
窓に視線を向け、顔を顰める。
窓の外には霧が立ちこめている。
濃密な霧だ。
空間識失調を引き起こしてもおかしくない。
仕方なく立ち上がって地面を見る。
地面は――動いていない。
想像通り、御者が箱馬車を止めたようだ。
小さく息を吐き、座席に座り直す。
待っていれば再び動き出すと考えたのだが、なかなか動き出さない。
痺れを切らしたようにユウカがマコトの太股を手の平で叩いた。
この後の展開――というかユウカの言いそうな言葉が分かる。
「何だよ?」
「マコト、見てきて」
あえて尋ねると、ユウカは予想通りの言葉を口にした。
「分かった。見に行ってくる」
「やけに素直ね」
「素直って、子どもか俺は」
「同じようなもんでしょ。大人の男と少年の違いは玩具の値段だけって言うくらいだし」
「映画の台詞か?」
「どうだったかしら? よく覚えてないけど、妙に印象に残ってるのよね」
ユウカが腕を組んで言い、マコトは座席から立ち上がった。
これで走り出したらギャグだな、とそんなことを考えながら箱馬車から降りる。
幸いというべきか、箱馬車は止まったままだ。
ホッと息を吐き、御者席の方――進行方向に視線を向ける。
数メートルほど離れた所にクリスティン達の乗っている箱馬車が止まっていた。
それで箱馬車が大きく揺れた理由が分かったような気がした。
クリスティン達の箱馬車が止まっていることに気付いて慌てて手綱を引いたのだろう。
無理もない。
濃密な霧が立ちこめている上、箱馬車にはバックライトが付いていないのだ。
追突しなかっただけで御の字だ。
もっとも、そんな風に思えるのは怪我をしなかったからだろう。
クリスティン達の箱馬車に向かって足を踏み出す。
すると、扉が開いた。
最初にリブが、次にクリスティンが箱馬車を降りて、こちらに近づいてくる。
フェーネとフジカは降りてこない。
取り敢えず、二人だけ降りてという感じか。
リブが足を止め、マコトとクリスティンも足を止めた。
クリスティンは二台の箱馬車を見比べ、ホッと息を吐いた。
危うく追突する所だったのだから当然といえば当然か。
「どうして、止まったんだ?」
「うむ、護衛とはぐれた」
「はぐれた?」
マコトは鸚鵡返しに呟き、周囲を見回した。
そこで自分の馬鹿さ加減に気付く。
霧が立ち込めているのだ。
周囲を見回して見つけられるはずがない。
そもそも視認できる距離にいるのならばと考え、ハッとして道を見る。
道は前後に伸びている。
一本道だ。
それなのにはぐれることがあるのだろうか。
「クリス、王都への道ってのは一本道なのか?」
「概ね一本道じゃ。まず迷うことはありえん」
「参ったな。ローラの話が現実味を帯びてきやがった」
「ローラの話とは何じゃ?」
「行軍演習中の部隊が行方不明になったって話だよ」
クリスティンが不思議そうに首を傾げ、マコトは大雑把に内容を説明する。
「ああ、その話か」
「知ってるのか?」
「小耳に挟んだ程度で詳細は知らん」
そんなことでいいのかと思ったが、領主は自腹を切って常備軍を維持しているのだ。
王国に所属しているものの、実情は独立国家に近い。
国家が軍事に関する情報を明らかにするはずがないのだ。
その時、リブが口を開いた。
「やっぱり、こっちにもそういう話があるんだな」
「リブの所にもあるのか?」
「まあな、つか、あたいから話を振っておいてなんだけどよ。神隠しに遭ったなんて話、何処にでもあるんじゃねーの?」
「まあ、そうだな」
リブに問い返され、マコトは頷いた。
幸いにも元の世界で知り合いが神隠しに遭ったことはない。
同僚がいきなり会社に来なくなることは割とあったが――。
「どうする? 探しに行くか?」
「そうしたいのは山々じゃが……」
マコトが問いかけると、クリスティンは口籠もった。
不都合なことがあるのだろうか。
訝しんでいると――。
「そろそろ陽が暮れるから野営の準備をしねーと」
「そういうことじゃ」
リブが代わりに発言し、クリスティンはこくこくと頷いた。
どうして、自分で――いや、それよりももっと気になることがある。
「最初から野営するつもりだった訳じゃねーよな?」
「もちろんじゃ」
マコトが尋ねると、クリスティンは胸を張って答えた。
野宿するような不手際はしないという気持ちが伝わってくるようだ。
リブに視線を向ける。
「野宿はできそうなのか?」
「ああ、問題ねーよ。雨風は箱馬車で凌げるし、フェーネもいざって時の備えがあるって言ってたからよ」
「そりゃ――」
マコトは途中で口を噤んだ。
不審に思ったのだろう。
クリスティンが首を傾げる。
「どうしたんじゃ?」
「今、明かりが見えたんだよ」
「「明かり!?」」
リブとクリスティンは口を揃えて言うと振り返った。
視線の先には濃密な霧が立ち込めている。
だが、微かに明かりのようなものが見える。
「どうする?」
「なんで、ワシに聞くんじゃ?」
マコトが尋ねると、クリスティンはこちらに向き直って言った。
「雇い主の意見は聞いておいた方がいいと思ってよ」
うむ、とクリスティンは頷き、思案するように腕を組んだ。
う~ん、う~んとしばらく唸っていたが――。
「よし、確認に行くのじゃ!」
クリスティンは拳を握り締めて言った。





