Quest6:盗賊を討伐せよ【前編】
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クリスティン・エルウェイは箱馬車から風景を眺めていた。
季節は秋。街道沿いの植物は未だに青々と茂っているが、もうしばらくすれば色鮮やかな姿を見せてくれることだろう。
季節の変化は心を潤してくれるものだ。ただ、これが自分の領地となると話が違ってきたりする。
ヴェリス王国エルウェイ伯爵領――王都の南西に位置し、神代には人間種と不死王の軍勢が死闘を繰り広げたとされる地である。
そのせいか、この地には不死王の配下たる骸王のダンジョンを始め、非常に数多くのダンジョンが存在している。
強大な軍事力――高レベルの冒険者や騎士を抱えていれば宝の山に成り得るかもしれないが、そうでない者には厄介事の多い土地でしかない。
クリスティンは対角の席に座る騎士に目を向ける。艶やかな金髪を少年のように短く切り揃えた女だ。
彼女の名前はローラ・サーベラスと言う。三代前に戦場で武勲を立てて、下級貴族の仲間入りをしたサーベラス家の当主だ。
物心付いた頃から騎士になるべく修業に励んでいたらしいが、人生の大半を修業に費やしてようやくレベル15だ。
しかも、このレベルでクリスティンに仕える他の騎士よりも強いのだ。つまり、最強の手駒ということになる。
ちなみに国王直下の騎士団は団員でレベル30~40、騎士団長であるルークはレベル50に迫る。
他の有力貴族が抱える騎士団は団員でレベル20~30、騎士団長でレベル40に到達できるかである。
要するにクリスティンの騎士団は弱兵揃いなのだ。まあ、これでも人間相手ならば何とかなる。
近隣最強とされる魔羆が出てきても入念な準備を行えば撃退できる。
しかし、数年に一度思い出したように出現するアンデッドと戦うには多大な犠牲を覚悟する必要がある。
幸い、クリスティンが領主になってからはスケルトンやゾンビ、ゴースト程度しか出現していないが、これでは人材が育ちようがない。
もう無理! と匙を投げることができれば楽だろう。だが、クリスティンにはエルウェイ伯爵として領民を守る義務がある。
今回のように王都に行き、父親のヴェリス国王や有力な貴族、大嫌いな異母兄姉に緊急時には力を貸して下さいと頭を下げねばならないのだ。
大嫌いな異母姉――シャーロットのことを思い出し、
「……ビッチ」
「どうかなさったのですか?」
思わず呟くと、ローラに声を掛けられた。
「何でもないぞ」
「……そうですか」
誤魔化せたとは思えないので、きっと聞こえなかったふりをしてくれたのだろう。
沈黙は金、雄弁は銀である。
「……はぁ」
クリスティンはこれ以上ないくらい深々と溜息を吐いた。もっと強い部下が欲しい。
もっと強い部下がいればペコペコ頭を下げずに済むのだ。
「……客人を部下にできんものか」
「クリス様、客人が召喚されることは滅多にないと聞きますが?」
「聞いておったのか」
「ええ、この距離ですから」
ローラはしれっと言った。
客人とは、唯一神の僕ペリオリスに召喚された者のことだ。彼らはジョブを授けられるばかりか、レアスキルの保有率が高く、レベル100に到達する者も少なくないと言われている。
いくら自分で招いたからって優遇しすぎじゃろーが、と思う。この世界の住人は一般人でレベル20、秀才でレベル30、天才でレベル40が精々だというのに。
「まあ、そうじゃな」
「そうです」
滅多に召喚されないという言葉に同意したものの、クリスティンは二十人ばかりの客人がヴェリス国王の庇護下に置かれていることを知っている。
いや、管理下に置かれていると言うべきか。一人くらい分けてくれてもいいじゃろーがと思うが、自分が国王であればやはり同じ対応をしただろう。
客人は軍事バランスを崩しかねない存在だ。レベル100に到達する者は殆どいないだろうが、上手く育てればこの世界の人間より強くなれる。
しかも、その子どもは幾ばくか才能を受け継いで生まれてくる。だからこそ、あのいけ好かない異母姉はアプローチをかけているのだ。
まあ、それは他の貴族も同じだったりするのだが。
「王位に就くために誰にでも股を開くビッチめ」
「……」
もう一度呟いたが、ローラは無言だった。
無言で外を見ていた。
※
マコトが目を覚ますと、木の枝が見えた。幾重にも重なり合い、頭上を覆う様はまるで天蓋のようだ。
地面に倒れたまま視線を巡らせる。最初に見えたのは木、次に見えたのも木、木ばかりが目に入ってくる。
「……森の中か」
小さく息を吐く。安堵の息ではなく、溜息である。無事にダンジョンを脱出できた。それは喜ぶべきだと思う。
しかし、ダンジョンを脱出したら森の中とはあんまりである。この圧倒的理不尽さ、ゲームならクソゲー決定だ。
「体が痛ぇ」
右腕だけではなく、全身が焼け付くように痛んだ。左手が気になって翳してみると、吹き飛ばされた左手が再生していた。
「……何だよ、これ」
呆然と呟く。左手は右腕と同じように装甲で覆われていた。立ち上がり、自分の体を見下ろす。
一体、何が自分の身に起きたのか。漆黒の装甲は全身を覆っていた。まさか、と顔に触れると、ツルリとした感触が伝わってきた。
「どうして、感触が伝わってくるんだよ」
装甲に覆われているにもかかわらず、感触が伝わってくる。それだけではない。頬を撫でる風の感触まで分かる。
「……水」
ぞっとするほどしわがれた声が漏れた。耳を澄ませると、川のせせらぎが聞こえた。音のする方に向かう。
ズル、ズルという音が後ろから付いてくる。肩越しに背後を見ると、装甲に覆われた尾があった。
どうやら、自分はモンスターになってしまったらしい。にもかかわらず、動揺はない。モンスターになるとはこういうことなのかも知れない。
しばらく歩くと、川が見えてきた。川面を覗き込んで呆然とする。顔はフルフェイスのヘルメットのようなもので覆われていた。
どうやって、水を飲めばいいのだろう。触ってみるが、口らしきものはない。わずかに段差があるが、どうやって開ければいいのか分からない。
焼け付くような痛みと喉の渇きに苛まれながら生きていかなければならないのか。モンスターらしく生きるためにはどうすればいいのか、とマコトは天を仰いだ。
すると――。
「ちょっと、起きなさいよ」
ユウカの声が聞こえ、マコトは目を覚ました。彼女は腰に手を当て、こちらを見下ろしている。
「ようやくお目覚めね」
「……夢か」
マコトは体を起こし、自分の手を見下ろした。右腕の装甲はなくなり、左手は再生している。
どうやら、あれは夢だったらしい。
「ここは何処だ?」
「森の中よ」
マコトは立ち上がり、周囲を見回した。前はもちろん、右を見ても、左を見ても木ばかりだ。
ちなみに後ろは川だった。
「何処の森だ?」
「あたしが知る訳ないじゃない」
ユウカは少しだけ不機嫌そうに答えた。頼りにならない相棒である。もちろん、口にはしないが。
「こんなことなら荷物を神殿の前に置くんじゃなかったな」
「今更、言っても仕方がないわよ」
「なあ、ダンジョンが崩壊した後のことを覚えてるか?」
「ええ、ずっと意識があったし」
「どうやって外に出たんだ?」
「目の前が真っ暗になって、次の瞬間に森の中に立ってたわ」
「ってことは俺が気絶したのはダメージを負ってたせいか」
マコトは左手を上げ、握ったり開いたりした。
「よかった。レベルが上がったのね」
「気絶してたせいで御使いの声を聞けなかったけどな」
「見てあげようか?」
「ああ、頼む」
あれだけ強かったのだ。レベル80を超えても不思議ではない。ユウカは目を細め、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
こんなにレベル差があったら襲われるとでも考えているのだろう。
「一緒に死線を乗り越えたのに警戒心を解いてくれねーのか?」
「と、解いてるわよ」
図星だったのか、ユウカは言葉を詰まらせた。この防衛意識と言うか、自意識の高さはなんなのだろう。
「で、いくつなんだよ?」
「……100」
ユウカはふて腐れたように唇を尖らせて言った。
「レベル100か。ステータスは?」
「全部255」
「何処のRPGだよ」
マコトはがっくりと肩を落とした。
「何処のRPGって?」
「ああ、ステータスの上限が255ってゲームが多いんだよ」
「ふ~ん」
不思議そうに首を傾げたので、説明したのだが、興味がなさそうだ。
「これからどうするの?」
「どうするって街を目指すしかねーだろ」
「どうやって?」
「下流に向かう」
「川を辿るのは危ないって聞いた覚えがあるんだけど?」
ユウカは訝しげに眉根を寄せた。
「それは山な」
「そうだったかしら?」
「そうだよ」
山で道に迷った時は川を辿ってはいけないと聞いた覚えがある。川沿いは大きな岩が多いため足場が悪い。
さらに滝など高低差がある場所もある。仮にロープを所持していたとしても素人が岩を伝って滝を下るのはまず無理だ。
まあ、レベル100ともなれば多少の無茶はできるような気がするが。
「それに、森を彷徨うのに比べたら人に会う確率が高そうだしな」
「それもそうね」
森を熟知した者ならばわずかな痕跡から道や集落に辿り着けるかも知れないが、マコトは素人である。
「食料も確保できそうだしな」
川を見ると、魚が泳いでいた。見た所、普通の魚である。毒を持っている可能性はあるが、そんなことを気にしていたら何もできない。
「道具がないわよ?」
「素手でいけるだろ。つか、ステータス255の相手から逃げられる魚がいたら見てみてーよ」
「スキルがないと駄目なシステムじゃなければいいけど」
「そこまでゲームっぽくないだろ」
「だといいけど」
はぁ、とユウカは溜息を吐いた。