Quest0:夜の公園から脱出せよ
※
マコトは地面に横たわり、夜空を見上げていた。
空は分厚い雲で覆われ、地上から放たれる光で白く濁っている。
汚い夜空だ、と思う。
幼い頃に見上げた夜空はもっと澄んでいた。
そんなことを考えて苦笑する。
故郷の夜空が澄んでいるのは当然だ。
百五十万を超える大都市と埼玉の田舎町を比較する方がどうかしている。
静かに息を吐く。
たったそれだけのことで痛みが走った。
視界は暗く、音はくぐもって聞こえる。
口の中に充満しているのは血の味だ。
体を動かそうとしたが、指先がわずかに震えるだけだった。
体は冷え切っている。
にもかかわらず、霜の降りた石畳と真冬の大気は足りぬとばかりに体温を奪っていく。
このままだと凍死してしまうかも知れない。
死を意識した瞬間、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を覚えた。
マコトがいるのは駅の近くにある広い公園だ。
昼はそれなりに人気があるし、夜でもジョギングしている人がいる。
ちょっと歩けば商店街と住宅街もある。
そんな所で凍死するなんて信じたくなかった。
「……なんで?」
今日はいつもと変わらない日だった。
いつものように自分のアパートで目を覚まし、公園を経由して駅に向かった。
会社では自分の仕事をこなしながら後輩のサポートをし、終電ギリギリまで粘って資料を作成した。
朝来た道を逆に辿り、何者かに背後から襲われた。
人数は三人か、四人。金属バットを手にしていた。
一発目で動けなくなり、その後は何度殴られたのか分からない。
連中が何をしたかったのかも分からない。
強盗にしては変だった。
連中は金を要求するどころか、財布を盗もうとさえしなかったのだから。
「……なんで?」
マコトは派遣会社の内勤営業だ。
採用できなかった人間から恨まれている可能性は否定できない。
しかし、対応は全て電話で行っている。
それを考えると、マコト個人を狙ったとは考えにくい。
「……なんで?」
自問を繰り返しても答えは出そうにない。
世界は理屈で動いていない。
不条理や理不尽が罷り通るものなのだ。
努力が必ずしも報われるとは限らない。
悲劇は伏線なしに襲ってくる。
結末もハッピーエンドと限らない。
マコトが初めてそれを意識したのは二十年以上前――高校生の時だった。
当時、父親が借金を背負った。
借金を背負うまでの経緯はさほど珍しいものではない。
早期退職制度を利用して大手商社を退職した父親に昔の上司が声を掛けてきた。
父親は男の下で働き、事業拡大のために退職金を貸し、借金の保証人にさえなった。
そして、会社は倒産し、父親は多額の借金を背負った。
酷い状況だったが、最悪ではなかった。
家族四人で働けばそれなりに余裕をもって返せたはずだった。
しかし、大学を卒業したばかりの兄はさっさと逃げ出した。
それで家計は破綻寸前まで追い詰められ、マコトは大学進学を諦めて働くことになった。
大卒でも就職が難しい就職氷河期と呼ばれた時代だった。
高卒で原付の免許さえ持っていなかったマコトには更に厳しかった。
何十社も面接を受け、採用してくれたのが今の会社だった。
サービス残業・休日出勤は当たり前、パワハラは酷かったし、クレームもしょっちゅうだった。
彼女はできなかった。
いや、彼女ができてもすぐに別れる羽目になった。
遊びに行く金も、プレゼントを買う金もなかった。
マコトは何度も両親と喧嘩した。
喧嘩するたびに惨めさが募った。
将来のことを考えるだけで苦しかった。
借金の返済が終わった時、マコトは二十八歳になっていた。
母親は大学に行ってもいいと言ったが、もう何かを新しく始める気力はなかった。
三十歳になろうかという頃に転勤を命じられ、それに従った。
生まれ育った土地を離れることに対して不安はあったが、兄の存在が決断を後押しした。
兄が戻ってきたのだ。
それも嫁と子どもを連れて。
両親は温かく迎えたが、マコトはそんな気分になれなかった。
マコトが借金返済のために自分の人生を浪費している間に兄は人並みの幸せを手に入れていたのだ。
許せる訳がない。
兄とその家族に対する憎しみを抑えるだけで精一杯だった。
もし、家を出ていなければ彼らを殺していただろう。
故郷を離れてから八年が過ぎた。
偶に電話で話すくらいで実家には戻っていない。
憎しみは今も胸の奥で燻っている。
雪だ、とマコトは目を細めた。
ぼた雪――大きめの雪が空から落ちてくる。
周囲が雪に覆われていく。
「……もう」
疲れた、とマコトは目を閉じた。
疲れていた。
とにかく疲れていた。
思い通りにならない人生に疲れた。
意識がゆっくりと闇に呑まれていく。
まどろみによく似た感覚だった。
覚醒と睡眠を繰り返して死ぬのだろう。
不思議と恐怖を感じなかった。
気分が凪いでいるとはこういうことを言うのかも知れない。
睡眠が徐々に長くなっていく。
覚醒を煩わしく感じたその時、心がざわついた。
小さな感情の発露だった。
それは波紋が広がるようにマコトの心を塗り替えた。
「……い、嫌だ」
マコトは目を見開き、小さく呟いた。
痛い。息が血生臭い。吐き気がする。頭が痛い。
けど、生きている。
まだ、生きているのだ。
「だれ、か」
助けを求める。
声は小さく、体は全くと言っていいほど動かない。
指先が辛うじて動く程度だ。
それでも、足掻いた。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ、死ぬのは嫌だ。どうして、俺が――」
死ななきゃいけないのか。
視界が涙で滲んだ。
雪が体を覆っていく。
どうして、こんな目に遭わなければならないのか。
どうして、自分ばかりが苦しまなければならないのか。
「……誰か、助けて」
その言葉を最後にマコトは意識を失った。
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