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最後の竜騎士と黄昏の王国  作者: 権田 浩
第一章「竜の葬儀」
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6.エリオ ―盟約暦1006年、秋、第2週―

※テストリア大陸中央部のファランティア王国から、南部のテッサニアに移動します。

 エリオが部屋に入った時、ロランドはテラスに立って南のエルシア海を見ていた。ここ数日はいつもそうしている。西陽がテラスと、そこに立つロランドを真っ赤に染めていた。


 一番暑い時期を過ぎたと言っても、部屋の中は決して涼しくはない。強い日差しを遮る物がないテラスはかなり暑いはずだ。その証拠にロランドのほとんど白髪になった坊主頭と、剥き出しの肩に、汗が光っている。それでも彼は詰襟の袖なしシャツを、きっちり首元まで絞めて襟を立たせていた。


 テッサ城内にはもっと快適な部屋があるにもかかわらず、ロランドがこの部屋を執務室に選んだ理由は本人にしか分からない。ロランドは一度下した決定を覆したことがなく、理由を問われるのが嫌いだ。

 厳格で冷酷な人物と見られていて、それがロランドの性質の全てではないにせよ、おおむね正しい。その厳格さは彼自身をも律しており、贅沢や娯楽を好まない。五〇歳を過ぎても、細身で頬はこけ、眼光は鋭かった。


「まだ戻りませんか、陛下」

 エリオが問うと、ロランドは身動ぎ一つせず、「ああ、もう戻らんだろうな」と答えた。ロランドが手塩にかけて育てていた鷹が、もう何日も戻っていなかった。

「一つは帝国から。一つはファランティアからだ」

 ロランドはテーブルの上の書簡を読むように身振りで示し、「それから陛下はよせ。私は帝国属領の執政官だ」と付け加える。

「それを言うならロランド様、この書簡が帝国から来たという言い方もおかしいでしょう。ここも帝国の一部ですよ。それにあなたがテッサ王家の現当主である事に変わりありません。でもお気になさるなら、閣下とお呼びしましょうか」


 ソファに腰掛け、書簡を手にしつつエリオは言った。もちろん軽口を叩いているのだが、顔は至って真面目だ。ロランドは冗談を言う人間のにやけた顔が嫌いなのだ。ほとんど変化のないロランドの表情が険しくなり、ちっ、と舌打ちした。

「黙って読め」

 エリオはわずかに肩をすくめ、書簡の内容に目を移した。


 ファランティア王国からの書簡はテイアラン四九世の名の下に発信されたもので、金竜ブラウスクニースの死と、その葬儀について書かれている。

 自国の守護者が失われた事をわざわざ知らせなくてもいいだろうに――と、エリオは思った。

 続いて帝国からの書簡に目を通す。その内容は、以前からロランドが予想していたものだ。

「では、計画どおりに?」

 エリオが聞くまでもないことを尋ねると、ロランドは頷いた。

「思ったより早かったですね」

 そう言うエリオの言葉には、ロランドが年老いる前で良かったという思いも含まれているが、もちろんそんな事は微塵も感じさせない。

 それにロランドが老いて衰えるというのも想像できなかった。人間である以上、いつかはそうなるはずなのだが。


 エリオ自身は自分の正しい年齢を知らない。たぶん二五歳前後だと思われるが、本人は数年前から三〇歳と公称してきた。ロランドに仕えるようになって以来、周囲は年上ばかりだったから、子供扱いされるのにうんざりしてしまったのだ。短く整えた顎鬚も、その表れである。


「明日の朝には出立せよ」と、ロランドは命じた。

「はい。では準備がありますので、失礼します」

 退出しようと扉に手をかけた時、ロランドが突然言った。

「お前は戻ってくるのだぞ」


 ロランドらしくない言葉にエリオは興味を引かれて振り返った。西日の赤い光の中に、棒を針金でつないだ人形のようなロランドの影が立っている。その表情は逆光で見えないが、どこか不気味な印象であった。

 エリオは不吉な予感を無視して、「承知しました」と答え、主の執務室を出た。


 エルシア海に面した岸壁にある城砦都市テッサの、最も高い位置にテッサ城はある。だから城下はもう影に飲まれつつある時刻でも、城内にはまだ最後の日差しが残っている。

 廊下の曲がり角で、明かりを灯して回る召使いの男と危うく衝突しかけたが、エリオはひらりと避け、驚いた召使いが瞬きしている間に通り過ぎた。軽やかに階段を駆け下り、柱の影を跨いで、自室に戻る。その頃には、頭の中で計画は出来上がっていた。

 エリオは自室に入るなり窓を開け、下にいる庭師見習いの少年の前に銅貨を投げ落とす。それは彼が個人的に使っている子供たちを呼び集めろという合図である。 複雑に入り組んだテッサの路地を知り尽くした子供たちのほうが、城の伝令人より早いのだ。


 少年は銅貨を拾い、頷いて答えた。エリオは机に向かって、彼の伝令人が集まるまでの間に何通かの手紙を書く。命令書、注文書、私信などである。書き上がったものから窓の下で待つ子供たちに渡して出発させた。


 そして最後の手紙に取り掛かり、数行書いたところで手を止める。

(一番重要なのは船の手配だ。交渉するなら直接会ったほうがいい)

 そう考え直して、羽ペンを置く。


 エリオは突発的な事態にも対処できるように、テッサを出入りする隊商や船は普段から把握するようにしていた。だから今回の任務に最適な船がテッサに寄港しているのを知っている。この幸運を掴めるかどうかの大事な初手を、手紙で済ますわけにはいかない。


 エリオは机から立ち上がり、部屋を横切ってクローゼットを開いた。

 城内で着ている貴族の服は、港へ行くには適さない。それなりに裕福な商人に見えるような、上等な生地の服を選んで着替える。いつも首から下げている小瓶は見えないようにチュニックの下へ隠した。それはお守りのようなものであり、唯一エリオの出自にかかわるものだ。引き締まった腰をベルトで締め、商人ギルドのメンバー章である羽ペンを模した飾りを付けた丸帽子を、赤茶けた髪の上に乗せる。


 最後に肩掛け(ケープ)へ手を伸ばした時、クローゼットの一番端にかけられたマントが目に入った。そのマントにはテッサニア連合王国の紋章が刺繍されている。わずか一〇日間だけ存在した王国。ロランドからは捨てるように言われていたが、エリオはまだ持っていた。


 マントから肩掛け(ケープ)に目を戻し、クローゼットから取り出して羽織る。適当な指輪を三つほど選んで指にはめた。

 よし、とエリオは自分の格好を見て思った。

 念のため、わずかに反った短刀を腰に吊るして、肩掛け(ケープ)の下にも投げナイフを忍ばせる。


 部屋を出たエリオは足早に城の裏口へ向かった。

 すでに日は落ちて、城内には明かりが灯されている。


 地下まで下って牢の前を通り過ぎる時、とある牢の壁が目に入った。一部分だけ新しい石が組み込まれていて、補修された事が分かる。エリオにとって、そこは今の人生が始まった場所であり、ここを通るたび無意識に目が行ってしまうのだった。とはいえ、今は感傷に浸っている時ではない。


 地下牢の奥にある門から外に出て狭い水堀にかかる橋を渡れば、そこはもうテッサの街中だ。門を監視する衛兵は訳知りなので、エリオを呼び止めたりしない。まるで誰も見ていないかのように無視している。門の上にある監視窓から見ている衛兵も同様である。


 街は夜の装いで、商店の並ぶ主要な通りには点々と明かりが灯り、家路に着く人や閉店前に買い物をしようと出てきた人で賑わっている。

 目的地である港は町で一番低い場所にあり、エリオのいる場所からでも一際明るくなっているのが見えた。港の人々はまだ働いているのだろう。だが街の半分は、それらの明かりが生み出す影の中に沈んでいる。


 エリオのような服装の人物は通常、明かりの中を歩くものだが、急いでいたエリオは家と家の間、細い路地の影の中へ入って行った。


 狭い路地は人間の生み出す悪臭に満ちている。家と家の間を渡された紐に干されている臭い洗濯物を屈んで通り抜けると、その向こうには干からびた魚の頭だけがぶら下がっていたりする。路地の所々に付いた《《しみ》》は、嘔吐物か糞尿か、もしくは人間の血か脂の跡だ。


 そんな路地を迷うことなく進むエリオは、一人また一人と尾行者が増えているのに気が付いていた。路地裏の子供たちだ。路地の前方に、後ろをつけてくる子供たちよりも年長の少年が壁に背を預けている。

 エリオが帽子を持ち上げて顔を見せると、その少年はエリオが誰だか分かったようだった。エリオを素通りさせて、尾行してくる子供たちとエリオの間に割って入る。背後で少年と子供たちがひそひそ話をしているのが聞こえた。エリオが適切な獲物ではないと教えているのだろう。


 エリオは城内でも路地裏でも有名だが、全員がエリオの顔を覚えているわけではない。特に新入りの子供たちは、知らなくても当然である。


 暗い路地から明るい光の中に踏み出すと、そこはもう港の一角だった。

 荷揚げに従事する人足や、安くてうまい料理屋を探す旅行者、千鳥足の酔っ払い水夫などが行き交っている。

 それらの人々の間をすり抜けて桟橋に向かうと、エリオは停泊している船を見渡した。


 目的の船〈白鯨号〉はすぐに分かる。白っぽい船体は夜の明かりでも目立つし、他の船より一際大きい。桟橋の入口には、手配した酒屋の若者がワイン樽を一つ置いて明かりを手にエリオを待っていた。小走りで近付き、若者に代金を支払う。

「上まで運んでもらえるかい?」と頼んだが、若者は顔をしかめた。〈白鯨号〉の船上では酒盛りが始まっているらしく、荒くれ者の大声がここまで聞こえてくる。答えを聞く前に、三枚の銀貨を取り出すと若者のしかめ面は笑顔に変わった。

「常連さんですから、特別ですよ?」

 若者は生意気にもそう答えた。


 下まで来ると、〈白鯨号〉は見上げるほど大きい。進水時には真っ白に輝いていたという船体は、長年の航海による劣化と塗り直しを重ねてきたせいで、全体としては白っぽいという程度の色合いになっている。最近塗り直したらしい真新しい白と、古く黄ばんだ白が混在していた。


 そんな船体を横目に桟橋を歩いていくと、渡り板のところにいる〈白鯨号〉の船員がエリオに気付き、ついでワインの樽にも気が付いて、ニッと笑う。〈白鯨号〉がテッサに寄港した時は、ほぼ毎回訪問しているので、エリオの顔は船員たちにもよく知られているのだ。


「グイド船長はおられます?」

 エリオが問うと船員は、「船長が下りたら、船が浮き上がっちまいますよ」と、いつもの冗談を言って笑いながら船上を親指で差した。


 甲板では、ちょうど酒宴が始まったところであった。

 ぎりぎり間に合ったな――と、エリオは酒宴の席を見て思う。酔いつぶれて話にならなくなる前に、大切な商談をする必要がある。


 〈白鯨号〉という名前は、大きくて白い船体に相応しいが、もっとも相応しいのは船長のグイドであると誰もが言う。グイド船長はエリオが出会った中で最も肥満した人間だ。今も特別製と思われる綿入れ(クッション)に身体を沈めているが、その姿はまるで巨大な赤ん坊である。


 船乗りにしては色白で、ぶよぶよとした脂肪の山が腹なのだろうと思われるが、どこが胸でどこから腰なのか分からない。そこから突き出た太くて短い手足と頭で人間だと分かる。頭髪はきれいに剃り上げられた禿頭で、体毛もほとんどない。口髭だけが唯一のものだ。右足首の先は無く、木の義足を取り付けている。昔は足の形に彫刻されていたらしいが、船長の体重に耐えられず、すぐ壊れてしまうので今はもうただの木の棒でしかない。


 左手首から先も無くなっていて、何種類かの義手を付け替えているが、今は鉤の義手を付けていた。大人三、四人分はありそうなその体重と体型を除けば、物語に登場する海賊のようである。

 そんなグイド船長を囲み、船員たちは酒を手に笑顔で語らっていた。


「おっ、エリオじゃねえか」

 グイドがエリオに気付いて手を振る。

「こんばんは、グイド船長」と、エリオは頭を下げて挨拶した。

「お元気そうで何よりです。良い航海だったようですね」


 多くの船乗りは港に着くと、港近くの居酒屋などで飲み食いするものだが、グイドの場合は船から下りるのが――というより下ろすのが――面倒なので逆に料理と酒を船に運ばせている。エリオのワイン樽も船員に引き渡され、酒屋の若者は荒くれ者に目を付けられる前にと退散した。


 グイドが手招きし、その隣に座っていた操舵手がエリオのために場所を空ける。エリオは酒宴の輪の中に入って、そこに腰を下ろした。グイドのすえたピクルスのような体臭が鼻をつく。


「いつもすまねぇなあ。いい話ができりゃあいいんだが」

 そう言いながらもグイドはエリオの持ち込んだワイン樽を抱え込み、鉤の義手を器用に使って栓を抜いて投げ捨てた。今晩で全て飲みきってしまうつもりなのだろう。


「今回は、パリンシャットからマラクスを経由して、テッサまで航海してきたが、トーニオって野郎の噂は聞かなかった。ネーロってやつも」

 船員がワイン樽から酒杯に注ぎ、グイドとエリオに差し出す。

「そうですか……」

 受け取ったワインに目を落として、エリオは残念そうに言った。もうほとんど、トーニオが見つかる可能性はないと諦めているが、残念なのは本当だ。

「子供の頃はあんたに瓜二つだった、ていう手がかりだけじゃなあ。トーニオなんてこの辺じゃよくある名前だしよ。ネーロなんてもろに偽名だよな」


 グイド船長はワインをガブガブと飲んだ。上物のブラッドワインが口の端から零れてむき出しの白い肌にポタポタと垂れる。

「貰えるものは遠慮しねぇのがわしの信条だがよ、毎度こんな良いワインをもらえるほどには役に立ててねえし、そろそろ諦めちゃどうかね」

「そうですね……でも、引き続きお願いします」

 グイド船長はやれやれと肩をすくめてから、鳥のもも肉を手に取ってかぶりついた。肉汁が滴り、ワインで汚れた肌をますます汚す。


 エリオはワインを一口含んで、喉を湿らせた。本題はこれからだ。

「ところで船長、実は、今日はトーニオの件で来たわけではないのです」

 グイドは鶏肉を頬張りながら言った。

「なんらあ、やっとわしの船に乗る気になったかよお」

「ええ」と頷いてから、慌てて「――あ、そういう意味ではなくてですね」とエリオは付け加える。


 エリオはなぜかグイドに気に入られていて、以前から「城勤めなんて辞めて、わしんとこに来い」と誘われていた。最初は冗談かと思っていたが、後に本気だと分かった。


「荷物を運びたいのです。〈白鯨号〉はパリンシャットに戻るのですよね。それでしたら遠回りというほどでもありませんし、もう一稼ぎしませんか」

 鶏の骨をしゃぶっていたグイドは、ペッと骨を吐き捨て突然真剣な表情になった。

「話してみなよ」

「積荷は俺と、他に〝なまもの〟が船倉一杯になるくらいあります。行き先はファランティアのホワイトハーバーです。出発は明日の朝で、急ぎますので〈魔獣の森〉の沿岸を北上します」


 〈魔獣の森〉という言葉が、思い思いに騒いでいた船員たちの注意を引き付けた。グイド船長は食事の席で仕事絡みの長話をされるのを嫌う。エリオは話を急いだ。


「〈魔獣の森〉も昔ほど魔獣はいませんし、魔獣狩りに慣れた帝国の護衛船が二隻付きます」

「ロランドはファランティアでなんかやらかす気かよ。いや、レスターか?」

 グイド船長の問いに、エリオは答えなかった。しかしその沈黙こそが答えであった。


「エリオさんよ、わしは働き者が好きだ。この船の連中はみんな働き者だし、だからこそ、あんたを気に入ったんだぜ。だけど、わしのために命を捨てるような働きをして欲しいとは思わねえ。そりゃあ、働き者が過ぎるってもんだ」

「危険な仕事になるかもしれませんが、別に死ぬつもりはありませんよ。主人のほうが高齢ですし、普通に考えたら先に逝きますよね。その後の事も考えてあるくらいです」


 グイド船長はちっと舌打ちをした。

 しまった、余計な一言だったか――と、エリオが後悔した瞬間に、グイド船長の表情が緩む。

「あーあ、ロランドより先にわしがあんたを見つけていりゃあなあ!」

 グイドは天を仰いで怒鳴った。


 確かに、トーニオと二人で〈白鯨号〉の乗組員として育てられていたら、それが一番良かったかもしれない。ネーロではなく――


「金貨三〇〇〇枚くれぇじゃやらねえぞ」

 グイドの言葉で、エリオは一瞬垣間見た幸せな夢から現実に戻って言った。

「金貨四五〇〇枚でどうです?」

「それでいい」

 エリオはほっと一息ついた。一度「やる」と言った以上、グイドほど信頼できる船長はいないという評判だ。

「その代わり、今日はこの後も付き合ってもらうからな」

 グイドは分厚い太った手でエリオの背中を叩く。

「実は、この船に来た一番の目的は船長と飲むためでして」と、エリオは屈託のない笑顔で答えた。

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