SSパッケージ 8
雑草に埋もれるように膝をつく和川は、雨にでも打たれたかのように額から汗を流していた。血が流れ続ける左肩を押さえることも出来ず、ただ奥歯を力強く噛む。
「やあ、和川。久しぶりに見た己が血はどうだい」
和川は口許に僅かばかりの笑みを浮かべた。
「鼻血以来だよ。やっぱ、そうそう見るもんじゃねえな。吐き気がしてきた」
「そうかい。正常な反応だ。平気な顔をしていたらとうとう人間を辞めたのかいとでも言うつもりだったが、安心したよ。痛みはどうだい」
「お前に燃やされるよかマシだ」
「それはよかった。僕の炎のほうがマシだと言ったら治療を数分遅らせていた」
和川は「馬鹿やろう」と言い、不知火は鼻で笑った。
その光景に、明らかに狼狽えたのが出海だ。困惑や当惑ではなく、焦燥。切羽詰まったように詰め寄る。
「あの、何笑ってるんですか。早く治療してあげないと」
出海は和川奈月の『神の守護者』を知らない。焦って当然だ。だが、和川はその傷を追う以上の痛みに日々耐えている。こんなものでどうにかなるほど、柔ではない。
然りとて、傷を放置出来るわけもない。
「頼む、大和」
「骨が折れるな。君を治すのは魚を三枚に下ろすより幾分か難しいんだ」
黒いローブのような衣服が汚れることは一切鑑みず、不知火は和川の左肩に手をかざす。その手には、赤石があった。
「痛むだろうが、少し我慢しろ。いいな」
「オッケー、痛みには慣れてる」
不知火は頷き、赤石を数粒、和川の傷口に落とした。引きちぎられたような白いカッターシャツ。抉り取られた肉。薄ら見える骨。
出海は、顔をしかめていた。闇の中に生きる魔術師でも、人体の損傷をまじまじと見ることは少ない。そう見慣れたものではないだろうから、その反応も当然だ、と和川は思った。
辺りにオレンジ色の光が灯る。不知火は医療魔術にも長けているが、こと和川に対してその効力がフルスペックで発揮されることは少ない。複数の術式を重ねて手術を行っているかのような難易度を平然とやってのける不知火がいなければ、この傷も塞がりはしないかも知れない。
失われた肉を魔術が補う。焦げるような、刺激的で苦々しい臭いが周囲に漂うと、火花がバチバチと音を立てて小さく弾ける。
鉄でも加工しているのかと思うような光景、すなわち施術は、ものの数分で終わった。
息を吐く不知火は、汗の一つもかかずに立ち上がる。
「痛みは?」
対する和川は、息を乱して言った。
「ある。けど、問題はない。この程度なら、今すぐにでも追える」
出海は感嘆した。声にはしなかったが、息を呑んだ。
「凄いですね」
素直な感想に、不知火は自嘲気味に言う。
「これくらいは出来ないと、彼の手綱は握れないからね」
「手綱ってコラ」
「まあ、痛みに耐えるのは君の本分だろう。なんとかなるさ。さて、彼らを追おうか。と、言いたいところだけどね」
不知火を見て、和川は首を傾ぐ。
「追わないのか?」
「追えないらしい。理屈は分からないが、僕ら以上に何かを知っている出海夕夏がそう言うんだから仕方がない」
視線は出海に集中する。
出海は目を逸らすが、すぐに和川たちの双眸に焦点を合わせた。潤んだ瞳が何を思うのか、和川には分からなかったが。
細い息を数秒か吐いて、出海は目を閉じた。瞳を隠すかのように、その目を、閉じた。
「実は、わたしは――」
出海の告白は、しかしここで途切れてしまった。
直後。鋭い殺気が魔術師たちを突き刺したのだ。
真っ先に察知したのは不知火だった。作間のものとは明らかに違う。倉田でも、大嶋でも、無論相沢のものでもない。
狂気と、冷酷。それは、死臭といって然るべき殺意。
「伏せろ!」
不知火が叫んだまさにその時、雑草で満たされた空き地で爆音が轟いた。
衝撃が三人の魔術師を襲う。咄嗟に伏せはしたものの、和川の肩には痛みがはしった。
砂埃が舞う。視界が灰色に染まった。
「なんだよちくしょう!」
和川が叫ぶ。
しかし、すぐ隣にいた出海はそうではなく、小さくこう呟いた。
何者かの襲撃に狼狽えるでもなく、ただ、この瞬間をこそ待っていたかのような、そんな声で。
「まさか」
――と。
次回もよろしくお願いします!




