SSパッケージ 6
「和川!」
不知火の声を聞き終えるまでもなく、身に迫る危機は和川自身の肌を駆け抜けた。
振り返りはしない。和川は相棒の声にのみ従った。
手にしたギグケースを放って横っ跳びし、背後からの何かを寸前でかわした。
鋭い音と共に、荒れた空き地から砂埃が舞う。
和川は雑草に呑み込まれるように転がりながら、足場の不安定な空き地の地面を踏みしめて体勢を立て直した。目を大きく開いて、襲撃者を視界に収めることに努めた。そこには――
「何もんだ」
とげとげした黒髪の青年は、その両手にぼろぼろの刀を携え、蛇のような目で和川を睨んでいた。
「君追手だろ? だったら、何者か、なんて訊かなくても分かるんじゃないか」
「知らねえ! 誰だ!」
男は首を傾げ、小さく舌打ちをすると、
「なんだ、君らは分所の奴らじゃないのか? しまったな。手、出して損したよ」
「お前まさかあれか。作間翔か」
「おっと、ご名答。知っているなら最初から言ってくれよ」作間翔は両手の刀を握り直す。
作間翔からは明確な戦意が伝わって来る。殺意というにはややお粗末な感があるが、脅威に値しないと断ずることはできない。油断していい戦いなど皆無だと、和川奈月は理解している。
だが、和川は意外にも冷静だった。リオウとの戦いを経験したのも大きいが、何より、作間の手にあるその刀が何なのかを、和川は知っていたからだ。
『風裂』と『波断』は術具。魔術師が扱う魔術師の為の道具。すなわち、武具でありながら魔力の塊でもあるのだ。
和川には圧倒的な魔術の耐性がある。痛みは走るだろうが、魔力が通っている時点で和川に傷が付くことはない。
過度な警戒は解き、こういう時こそ冷静さが重要なのだと、不知火からは嫌というほど聞かされている。
作間は、寒さに軽く息を吐いた。
「まあ、出海と一緒に居たってことはそういうことなんだろ。倉田、起きろ。ちゃんとポイントは抑えたんだ。とっとと工房に行くぞ」
「は、はい」倉田は声を絞り出しながらなんとか躰を起こし、ギターのギグケースには目もくれず走り出した。
和川が「待て!」と叫び出した時には、作間の両手に収められた刀が和川に牙をむいていた。
魔術による補助を受けた作間翔の動きは、やはり常人に捉えられる速さではない。
もちろん、同じく近接戦闘に特化した魔術師である和川にとっては、むしろ緩慢なものにさえ感じていた。
所詮は国内の一結社の魔術師。例のテロリストには、遠く及ばない。
***
「あれが『風裂』と『波断』です」
出海は足を止めて不知火に告げた。
「魔力の反応です。作間翔さんが魔術を使ったのでしょう。間違いなく『風裂』と『波断』が影響を受けています」
「それによる弊害は?」
「ありません。今はただの刀なので、魔力に反応こそしますが、刀身は魔術師の魔力を拒絶します」
「なるほど。それは、少し不味いね」不知火は唸るように呟く。
二人は前に進めずにいた。
地雷のようにライターが配置されている。明らかに、魔術師の用いる魔術媒体だった。
魔術結社『SSパッケージ』の魔術師は、倉田、大嶋、リーダーの作間、あと、もう一人がこの町に帯同している。
「そこをどいてください。相沢甲次さん」強い口調で出海は言った。
目の前には、一人の男が立っていた。
癖のある茶髪を肩まで伸ばした長身の男は、ベージュのロングコートのポケットに手を入れたまま、煙草を咥え、寒空を煙と息とで白く濁らせていた。
「てっきり追手はあんたの兄貴が来るかと思ってたがな。予想が外れた」
魔術結社『SSパッケージ』所属の魔術師、相沢甲次は、百円の安物ライターを二つ握り、
「どうする? 俺は今、あんたらを足止めしないといけないんだ。お互い、たかが刀二振りの為に殺し合いはしたくないだろ。退いてくんないか?」
「持ち主の側が諦めろ、とでも言うんですか」
「まあ、そうだな」
「ふざけないでください」
「兄貴の方が来たんならこっちも考えたさ。だが、妹の方なら別だ。俺は勝てる戦いも負ける戦いもしない。どちらにしても無意味だからだ。そして、今は勝てる戦いだ。だったら、傷つかず、傷付けずに済む方法を選ぶのは当然だろう」
相沢は感情どうこうと言うよりも理屈っぽかった。いかにも大学生という印象の、自分は物事を俯瞰で見ることが出来ているとでも言いたげな話口調には、些か苛立ちを覚えた。無論、不知火の感情である。
「相沢、と言ったかな。君、僕を忘れているんじゃないか。自虐の趣味はないが、こんな田舎に僕は目立って仕方ないんじゃないかと思うんだけれど」
「……誰だお前」
「憤りを覚えたからね、ここはあえて名乗ろうじゃないか。日本魔術協会中部支部、大魔術廃絶部所属、不知火オーディン大和だ。一分と持たずに忘れるだろうが、数十秒くらいはお見知り置きを頼むよ」
「何が言いたい」
「君は勝てる戦いもしないと言ったが、僕は違うということさ。勝てる戦いでも必要とあらばやるべきだろう。今ばかりは驕って見せるが、君程度なら一瞬もいらないよ」
「ほざくなよ」
「こちらのセリフだ」
相沢は咥えていた煙草を田舎道に吐き捨て、手の中のライターを二つ握りつぶし、魔力を行使した。
『弊害と成れ――〈火壁〉』
相沢の手から炎が生まれ、それは炎の壁となって協会魔術師の前に立ちはだかる。
「僕相手に炎か……幼稚な言葉で罵ろうか。――馬鹿だよ、本当に」
その直後。一瞬以上。それは、刹那を超えた。
「トラップかと逡巡したが、そこまでの力もなかったか。万が一を警戒して損をした」
爆炎とも呼ぶべき灼熱が屹立した壁を飲み込み、聳え立った火柱は巨人の姿となって敵を蹂躙する。
もはや、相沢甲次に反撃の隙もチャンスも与えられはしなかった。
「これが力の差というものだ。覚えておくといい」
その声が届くこともなく。
相沢甲次の意識は、炎の直撃を受けるまでもなく、いともたやすく消え去った。
所詮は、この程度の連中だった。烏合の衆でも幾分かマシだろうに。
しかし、この一瞬は、不知火にとっての手遅れを招いた。
いや。
和川奈月にとっての、だろうか。
次回もよろしくお願いします!




