灼熱は真実を捉えるのか 9
衝突は、サミュエル=ジョーンズと神田川の二人の力のぶつかり合いになった。
不知火は後方支援という形で、神田川を援護する。
そもそも不知火は近接戦闘に特化した魔術師ではない。戦闘となった時、不知火オーディン大和の役割は『遠距離射撃による援護』ということになる。
そして、日本魔術協会に所属する魔術師二人にとっての敵、サミュエル=ジョーンズは、間違いなく近接戦闘特化だ。
遊園地に魔術を仕掛け、特殊な空間を創り出すことによって姿を消した魔術師は、直接戦闘においてもやはり『存在を認知させない』という所に魔術の重きを置いているようだった。
焦点を強制的にズレさせる魔術、『焦点外し』などを用い、同じく近接戦闘に特化した魔術師、神田川の目を狂わせる。
一瞬と言えど、視界が眩むことは致命傷になりかねない。
神田川は、サミュエルの魔術によって生じた視界のブレに苦戦しながらも、手にした重厚な盾で隙をカバーするように体を守る。
サミュエルは息を切らしていた。魔術を使うことにもリスクはあり、コストもある。それは分かりやすく言えば体力であり、専門的には魔力となる。サミュエルは遊園地自体に大きな魔術を使っていた為、その力は大きく消費されていた。
魔術的補助を得たサミュエルの拳が何度となく神田川を襲う。
しかし盾はそれを確実に防ぐ。
不知火はその間を縫うように、遠距離から確実にサミュエルへと魔術攻撃を放つ。
魔術師における数の優位。それはある意味で絶対であり、現状はそれを物語る。
神田川の攻守に優れた盾に、不知火の遠距離攻撃。双方に対処するのは簡単ではない。魔術師といえど生身の人間。近距離からの攻撃を往なし、遠距離からの攻撃をかわし、反撃も加えなければならないとなれば、それがいかに困難で、いかに不可能に近いかが分かる筈だ。
消耗していくサミュエルに、二人は一切躊躇をしない。
視界を眩ませようが身を隠そうが、不知火の前では意味を為さず、一方的な展開に、サミュエルの体は疲弊しきっていた。
決着は、そう難しいことではなかったのだ。
不知火は魔術を放つ。神田川が盾を振るう。それだけで、サミュエル=ジョーンズの力は削がれていく。
サミュエルは二人との邂逅の前に、大きな魔術を幾つも使っていた。遊園地だけでなく、公園全体の人払いもやっていた。不知火らではない他の魔術師見習い二人との戦闘もあった。
圧倒的に不利な状況で、それでもなお、サミュエルは戦いを挑んだ。
きっと、サミュエル=ジョーンズ自身、もっとも無謀であると分かっていた筈なのに。
「めげないことは称賛しよう。だが、無意味だ誘拐犯。日本の魔術師をなめるな」神田川は自身の荒々しい呼吸を無視し、「魔術は罪を犯す為にあるのではない。裁く為にあるのだ」
「それはぬるま湯に浸かるお前達の理論だ! 俺達の世界では罪を犯さねば守れないものがある! お前達の平和と、俺達の平和は違う!」
叫びながらサミュエルは魔術的補助を掛け、拳を、脚を、弾丸のように素早く鋭い武器へと変え神田川へと放つ。が、
「だとしても、だ」神田川はそれを防ぎ、「子供をさらい、傷付けていい理由にはならない」
「そんなことは……分かりきっている!」
空気を裂くような腕の振りも重厚な盾には無駄となる。どんなに力を込めても届かなければ意味はない。分厚い盾は、拳だろうと蹴りだろうと、神田川の体に触れることを許さない。
サミュエルの拳からは血が零れる。骨のいくつかは折れた。体を支える機能を失っていた。
キッ、と神田川を睨み、サミュエル=ジョーンズは訴えるように言う。
「働けば金が得られ、教育が受けられ、治安も良く、銃声一つ聞こえないお前達には、一生かかっても分からないだろう……俺達の世界がどれだけ醜く劣悪で、子供たちのすぐそばで闇が蠢いているそんな荒んだ様を」
「ああ。分からんな。少なくとも、子供をさらった奴のセリフなど分かりたくもない」
神田川は魔術師だ。盾を生み出し、それを振るうだけの存在ではない。
盾の内側、つまりサミュエルには見えない位置から、神田川は三本の針金を地面に落とす。
『這え――〈針地獄〉』
神田川による詠唱に、サミュエルは警戒を強める。
攻撃は地面からだった。
坂になっている為不安定な足場が、波打つように小さく揺れる。
「せこい真似を……!」
「君にだけは言われたくない言葉だ」
ただ立っているだけでも、サミュエルは魔術的補助を必要としていた。それ程体は限界に近いのだ。そこにきてこの小さな足場のブレは、言ってしまえば兵糧攻めのようなもの。消耗のみを目的としていた。
いや、波打つだけならばそうなのだろう。
サミュエルは身動きが取れなかった。それは、体力の消耗のせいではない。
神田川が放った魔術、〈針地獄〉とは、ただ足下の安定を奪う者ではないのだ。
――針地獄。
『地獄』とはすなわち、痛みである。
鮮血が、鈍い音と共に、サミュエルの周囲に広がった。
鋭い針金が合わせて二本、地面から天を突くように伸び、両足の甲を貫いて、地面と体を縫いつけていたのだ。
「ぐっ……あああああああああああああああああああっ!?」
絶叫ではなく、唸るような声でサミュエルは痛みを吐きだした。
細い針金が数本絡み合うように捩じり合い、数ミリの太さを持った、貫通力の高いドリルのような形で肉と骨を貫いていた。
そして、神田川には躊躇がない。
動きを止めた人間など、ただの的に過ぎないのだ。
無言のまま、タックルを決めるように、体ごと分厚い盾をサミュエルにぶつけた。
重たい金属音に、体の骨が軋み、一部は砕ける。
もはや吐きだす空気もないサミュエルは、声すら上げることが出来なかった。
ただ砲弾のような突撃を受け切って弾き飛ばされれば、冷静に受け身を取れた可能性が僅かながらにあったかもしれない。だが、地面に縫いつけられた足は衝撃と同時に針金に抉られるような形で抜け、強引に地面から引き剥がされた為に広がった傷からは、サミュエルの思考を一瞬にして奪う激痛を与え、大量の血を失わせた。
無造作に放り投げられた人形のように、関節の可動域を無視した動きで転がる。
地面には、自身が張りめぐらせ不知火に砕かれた魔術の破片が散らばっている。体は、それらにも削られた。
全身から襲う未知の痛みに、サミュエルは、唸ることも困難な状況で、ただ血を吐きだす。
体が起き上がらない。すぐにでも体勢を整えたいのに、それが出来ない。脳からの命令が、手の先まで伝わらない。
しかし、そんな姿を見ても、同情の一つも抱かないのが、非情な闇だ。
サミュエル=ジョーンズは犯罪者。遠慮など、端からない。
不知火は赤石を手にして、詠唱を行う。
サミュエルには、聞こえなかった。
小規模な爆発が起きた。
視界は赤く染まった。
聴覚は爆音で塞がれた。
嗅覚は空気の焼ける焦げ臭さ。
味覚は血の味。
触角はジリジリとした熱さと痛み。
敗北。それを実感した。
意識が遠退いていく中で。
ここではないどこかにいるような体の軽さがあった。それは、体の重さなど感じる余裕もないからだろう。
サミュエルは、薄っすらと開けた目で夕焼けのオレンジを見た。仰向けに転がるサミュエルには、空は、大きかった。
冬の空は実に儚い。
吐く息は白い。
サミュエルの故郷には四季の感覚というものがない。だから、冬、と英語で教えられても、日本語で叩き込んでも、自分の中で理解は出来なかった。
薄弱とする意識が見上げた空。今になって、初めて冬がどういうものなのかが分かった気がする。
肌寒さは孤独の象徴。白い息は、儚い命のおぼろげな灯。
これでいいのだと、サミュエルは自分に言い聞かせるように、心で呟いた。
サミュエル=ジョーンズの仕事は、果たされたのだ、と。
***
神田川は息を切らしながら、しかし表情に明らかな疲れは見せなかった。
仰向けに倒れたサミュエルは若干の意識があるのみで、動けるような状態ではないと神田川は見たが、念の為不知火の魔術による絶対の制圧が必要と判断した。
「不知火、頼む」
離れた位置から戦闘に参加していた不知火を呼び寄せる。
不知火は神田川とは対照的で、隠すことなく、疲弊を表に出していた。
「大丈夫か、不知火」
「ええ……、少々、無理はしています」
「そうか、すまんな、俺が不器用なばっかりに」
「いえ。仕事ですから……、それより……」と言いながら不知火は通信札を取り出し、「そろそろ見つかったかい? 和川奈月」




