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寒々しい世界でも 2

 十二月二十五日。午後十五時三十分。


 青年は一人、街に佇んでいた。


 塀の中の生活がまさか年を越すことさえせずに終わるとは思わなかった。


 首謀者は千林らであって、SSパッケージの罪は軽い、とでもされたのだろうか。それとも、闇に生きる何者かの思惑がそうさせたのか。どちらにせよ癪だ、と作間翔は思った。


 名古屋の街は賑わっていた。サラリーマンと、学生たちと、老夫婦、親子連れ。今日という日を味わい尽くす者と、日常を生きる者。


 自分たちは何をしていたのだろう。


 千林に刀を奪われ、仲間を失い、死を覚悟した瞬間に自分を覆った鉄製のドーム。その中にあった暗闇が、目の前の現実を全て消し去ってくれたような気がした。もう何も見なくてもいい、何も失わずに済む、と。


 そのドームが消えたとき、自分の視界に映っていたのは眩しすぎる太陽だった。


 目的を失った作間は、その場から動くことができなかった。


 大それたことをしたつもりだった。得たかったものは恐らくほんの小さな成功体験。ただ自分たちの手で成し遂げたかった。


 だが、自分たちは小さかった。その目的も、行動さえ。別にそれで良かったのだ。大それたことだと自分たちが思い込んで、それを達成したらば、それで自分たちの革命を始められると信じ込んでいた。大義はない。単なる自己満足だ。それを今、痛感している。


 あの田舎町で繰り広げられたとてつもない魔力の衝突は、作間も肌で感じ取っていた。


 嘲笑われている――そんな気分だった。


 傲岸不遜な勘違い、愚かな自己満足、分際を弁えない夢物語。自分をどこまでも否定したくなるほど、それは常人足る自分の想像を遙かに超える強大なものだった。


 無力だ。地面に仰向けになって動けなかった自分の無力さが、心底嫌になった。


 一人では何もできない。


 狭い歩幅で歩く駅前には、クリスマスの電飾があちらこちらに取り付けられていた。灯るまであとどれくらいだろう。真冬だ。そう待たなくても、すぐ日は落ちるだろう。


 歩行者信号が赤になっていた。立ち止まり、何気なく横にあったファーストフード店を見る。店のガラスに、薄汚い自分の姿が映った。醜く思えて、すぐに目を逸らした。


 そして、信号が青になったとき。


「……つけてきたのか」


 作間はすぐ隣に立っていた男に声を掛けた。男は肩まで伸びた茶髪を掻き上げながら、包帯だらけの顔を一切変えずに返す。


「同じところから出たんだ。たまたま同じ方向へ歩いていたら、同じ信号に止まった。それだけだ。何かおかしなことがあるか」


「お前のその回りくどい話し方、ずっと嫌いだったんだよ」


「そうか。それはすまなかった」


 男は――相沢甲次は、例の如くベージュのロングコートを羽織って、気取ったように交差点に立つ。


 青信号で、二人は立ち止まったままだ。互いに歩き出そうともしていなかった。


「よく俺の前に顔を出せたじゃないか」


「他に帰る場所が思いつかなくてな」


「ふん、虫のいい話だ。先遣がなくなるからか? 寄りつくところがなくなって、都合良く俺を使おうって算段か」


 点滅し始めた歩行者信号に、慌てて走り出す人が二人の横を通り過ぎた。人波はそう多くなく、潮騒のような賑々しさはやはり聖夜のそれで、交差点は進む人と立ち止まる人とが入り交じる。


「もう一度チャンスをくれないか」


 相沢は、立ち止まったままの世界でそう口にする。


 空気は冷たかった。晒された顔から熱がなくなっていくのが分かる。作間はジャンパーのポケットに手を入れて、赤信号を一点に見つめていた。


「俺はお前を裏切った。言い訳はしない。SSパッケージのためではなく、自分がSSパッケージに残るための選択をした。結果として、お前を危険な目に遭わせてしまった。その罪は、重い。あのとき、償おうと思ったんだ。償わなければいけないと思った。だが、方法が思いつかなくてな。それで……」


 相沢が言葉を継ぐのに、少しの時間を要した。彼が何を言い淀んだのか、作間には分かった気がした。


「自称教師とやらに言われたよ。そんなことじゃ、罪ってやつは償えないって。それは償いではなく、逃避だと」


 目の前の通りを猛スピードの車が通り過ぎていく。そのたびに冷たい走行風が吹いた。


 述懐する相沢に、作間は一切の言葉も、一瞥さえもくれてやらない。


「作間。もう一度、お前の後ろを歩かせてくれないか。俺は、お前と共に歩いて行きたい。外の世界へ飛び出すきっかけを作ってくれた、作間翔という、先導者と共に」


 音は、賑やかだ。景色も華やかと言えるだろう。季節がそうさせ、人々がそれを作り出す。自分が作ったものではない。誰かが生み出した世界と、誰かが作り出した価値観に自分は生きている。今だからこそ分かることがたくさんあった。自分は先導者ではない。ただ誰かの手を引いただけだ。それしかできないのが自分という生き物だ。


 恐らく、相沢は頭でも下げているのだろう。声の揺れで、表情の一つや二つくらいは分かる。


 作間は空を見上げた。今にも雪が降り出しそうな空色鼠。息の白さと、重たい雲のもったりとした動きがまるで大海に浮かぶ船を見ているようで心地が良かった。


 視界に映るものが美しく見えた。自分ではないものだけを美しく思えた。自分だけが愚かで、自分だけが辱めを受けているような気分だった。


 あの瞬間の屈辱が、何度も何度も頭を駆け巡って、途方もなく胸が痛い。


 だからこそ。


「俺はもう、あの日の俺じゃない。お前が最も嫌っていた、つまらない人間さ」


 作間は自嘲する。


 無知故に夢を語った彼の日と、現実を知り、理想を失った今日を想う。


「それでも」


 相沢は、地面に向かって強い口調で言った。


「共にいけるなら、それでいい」


 車が止まる音がした。そろそろこの信号は青に変わるだろう。


 罪を背負う者と、愚かさを悔いる者。


 作間は、綺麗な世界に思いを馳せる。


「いつだって、未来を語る奴は眩しいな」


 そして作間翔は、相沢甲次の姿を見る。


 どうにも弱々しい、覇気のない顔をしていた。


 自分に少しだけ、似ていた。


 作間は笑う。


「好きにしたらいいさ」


 止まっていた足が一歩を踏み出した。


 横断歩道を進む。


 親子連れと、老夫婦と、学生と、サラリーマンたちと同じ道を歩いた。


 非日常を歩いてきた二人の魔術師は、ごく当たり前の世界を行く。


 世界が美しく見えた。


 その中に、自分もいた。


 信号を渡り終えると、


「なあ、作間」


 少し後ろで、相沢が呼び止める。少し笑っているのだろうか。


「もう一人増えても構わないか」


 振り返ると、相沢は今渡り終えた横断歩道の向こうを親指で差す。


 見慣れた顔が、汗塗れでそこにあった。


 走って追いかけてきたのか血眼になって捜していたのか、白い息を小刻みに吐きながら、男は深々と頭を下げる。


 作間は頭を掻きむしった。


 額に手を当てると、頬の冷たさとは対照的に、何故か火照って熱かった。


 うじうじと考えていた自分が馬鹿みたいだ。


 信じていたものを失ったつもりだったが、思っているより、孤独じゃないらしい。


「馬鹿が一人増えたところで変わんねえか」


 作間は煽るように大きく手を挙げ、


「何してんだ倉田。早くしないと置いていくぞ」


 倉田正巳は、はっとしたように顔を上げる。汗に混ざって涙と鼻水に塗れた倉田は、服の袖で顔をごしごし拭くと、青信号が点滅し始めた横断歩道を駆けだした。


 この世界は誰かが作り出したものだらけだ。世界は変えられない。変革も、創造も、自分にそんな力がないことはわかりきっている。


 それでも、進んだ先に待つ景色に思いを馳せる気持ちまでは忘れたくはないと思った。


 時間の進んだ先に見えるものを、作間翔は見たくなったのだ。


 この時間では何てことのない街路樹も、夜になれば、電飾の光で包まれるのだろう。


 昼間だけの世界では得られない輝きだ。


 停滞しては辿り着けない見えない世界。


 夜に向かって進もう。煌々と光る、魔術師たちの夜に。


 その先に希望があるかは、この際置いておこうじゃないか。


 今だけは、ほんの少し先の世界へ。


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