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終章――寒々しい世界でも 1

 雑木林の中に佇む掘っ建て小屋の前に、スーツ姿の男が立っていた。


 小屋は所々に腐食したような穴が空いており、中の仄明かりが外に漏れ出している。


 男は高級なブラウンのコートを羽織っていながら、汚れることを厭わず小屋の壁にもたれかかっていた。


「煙草って良いと思いませんか」


 男は黒縁眼鏡を指で押し上げながら、煙草の吸い殻をコーヒーの缶の中に押し込む。


「煙草には終わりがある。消えてなくなるわけじゃないが、吸えなくなるほど短くなれば、自然と皆そこで火を消す。効率的で好きですね。だらだら時間を食うことが少ない。どうです、貴方も吸いますか。あれ、やめたんでしたっけ?」


「何をしに来た」


 小屋の中から響く重低音は、威圧的なようでいて、心底呆れるような語調でもあった。


 男は肩をすくめながら、


「ご報告と、そうですね……謝意を伝えに」


「感謝される謂われはない」


「ありますよ。貴方は我々の期待通り……いえ、期待以上の成果を上げられた。何せあの名刀『須佐之男』を現代に蘇らせたのですから」


 スーツ姿の男は口許に満足げな笑みを浮かべて、森閑な真っ暗闇に降り注ぐ僅かな月明かりに、眼鏡のレンズを光らせる。


「『難攻不落』。我々が、我が国日本が、この混沌とした時代で生き残るためには必ずや復活させなければならない最後の砦。その一角を担う須佐之男。もちろん、あの一振りだけでは難攻不落『須佐之男』の復活とは言えません。あくまであれは下地ですから。しかし何一つ土台のないところに箱を建てたところで何の砦にもならない。大きな一歩ですよ」


「戦争の、準備か」


「いえ。戦争を回避するための最善策です」


 男は白息を吐く。


「まあ、貴方は関係者でもありますし、今後も協力関係でありたいですから、特別にお教えいたしますがね。先日、隣国で禁じられた大魔術の実験が行われました。ニュースはご覧に?」


「新聞だけだ」


「結構。報道では、実験は失敗に終わったとされています。が、米国並びに我が国は、実験は成功し、これまで世界にはなかった新たな禁じられた大魔術、仮称ですが、『新世代の大魔術(ニューエラ)』が創造されたとみています。しかし彼の国は使わないでしょう。国際社会が黙っていない。真っ向勝負で勝てるほどの国力を彼らは有していないですし、そもそも自らの王朝を破壊しかねない行為に及ぶような度胸はない。ですが、兵器というものは開発した者だけの物ではないのが厄介でしてね。既に買い手は付いているようです、好戦的なテロ組織なようで。日本が攻撃対象になっているということはありませんが、誰彼構わずやっていますし、何より我々にとって厄介な国との結びつきが強い。動乱が起きれば、火の粉はこちらに容易く降りかかるでしょう。ですが今の我々にはそれを防ぐ術がない。米国の禁じられた大魔術に守られているなどとのたまう者もいますが、あんなのは飾りですよ。日本人の血が幾ら流れたとて、米国が大魔術を発動することはない。周りを見渡せば敵だらけ、大魔術は常にこちらに牙を向けている。それなのに我が国は無防備だ。どうすればこの国を守ることが出来ますか。方法は一つしかないんですよ」


 白く濁った息が夜にうねる。


「随分と手間取りました。須佐之男を蘇らせるには風裂(かぜ)波断(なみ)も打ち直す必要があった。しかし我々が持ち出す訳にはいかない。あくまでも非公式に、イレギュラーな形で打ち直して貰わねば。刀を狙っている者がいることは知っていましたから、上手くたきつけられたとは思っていますけどね」


「君の手のひらの上で踊らされていたと言うことか」


「勝手に踊った連中もいます。特に、大嶋愛生を今現在飼っている連中なんかは想定外なほどに引っかき回してくれました。良い迷惑ですよ、本当に」


 男は灰を空き缶に落としながら、


「国を守るためです。多少の犠牲を払ってでも完遂しなければならないことでした。まさか、リオウ=チェルノボグなどというイレギュラーな存在がこのタイミングで来るとは思いませんでしたが、あれが我々の決意を固めることにも繋がった。日本国、最後にして唯一の防衛システム、難攻不落を必ずや復活させなければならない、と」


「犠牲、か」


 動物が木々の中をうごめく音がする。猪あたりだろう。彼らは土を掘って、餌を食らう。抗う術を持たないものを襲うのだ。進路上に落ちるドングリか、芋か、根か、はたまた蛇や土竜か。


「力なき者は食われるのみなのです。力を付けねば」


 男は息を吐きながら、囁くような声で言った。


 すると、小屋の中で金属の何かが倒れるような音がした。男は眉根を寄せる。


「大丈夫ですか?」男が訊ねると、


「私は、私の考えで刀を打った」


 小屋の中の男は、鉄のように硬く重い声で語る。


「君に踊らされなくとも、私にはあの刀を打つ理由があった。あれは、私にとって特別な刀だ。だからこそ打った。あるのは、理由だけだ、目的はない。だから、君があの刀をどうしようと構わない。だが、分かってもらいたいことが一つある」


「はあ。何でしょうか」


「あれは守りの刀だ」


 灯りと共に小屋から漏れるその声は落ち着き払っている。が、決して平坦ではない感情の波風がそこにはあった。


「船をも吞み込む大波と、建物を吹き飛ばし、樹木を砕く強風。それらは時に、大海から迫り来る兵船を追い払う嵐にもなった。偶然の奇跡だと言う者もいるが、私はそうは思わん。窮地に追い込まれようとも、決して諦めることなく戦い抜いた多くの人々がいたからこそ、神風は吹き、海は荒れた。故に、嵐は人の想いが起こす奇跡の力。神と、人の力の結晶。それをあの刀は宿している。守り抜く意思が嵐となり、刃となる。斬るためでなく、守るための刃に」


 声に宿ったただならぬ何かが山の静けさには嫌に響いた。


 男は眼鏡を押し上げながら、適当に「ええ、分かっていますとも」とでも言うつもりだったのだろう。


 だが、男の喉が声を発することはなかった。


 ガッ! と小屋の隙間から、銀色の切っ先が飛び出してきたのだ。


 射貫かんばかりの刃は、男の頬の数ミリ横を通過し、間違って動こうものなら肉の一つや二つ抉ってしまいそうなほど、輝く刀身は凶器の色をしていた。


「一人の子供を犠牲にした気分はどうだ。大義のために、未来ある子供に傷を負わせて、君はなんとも思わなかったのか」


 男は、返答をしなかった。出来なかったのだろう。


「私には刀を打ち直す理由があった。だから君に協力した。君は言ったな、北陸分所の面々に危害が加えられないよう細心の注意を払うと」


 スーツ姿の男は、顎が震えていた。平静を装ってはいるが、内心は死というものを実感したに違いない。


「平和は尊い。得がたいものだ。だが、私も親だ。親が願う平和など一つしかない。それは、愛する我が子が、何不自由なく幸せに暮らす世界のことのみを言う」


 小屋の中から刀身を伝い外へと溢れ出す静かな感情の昂ぶりは、小さな風となって木々をざわめかせたかのようだった。


「君、家族は」


 静かな調子で問う。


「妻と、子供が一人」


「……そうか」


 飛び出した刀身が小屋の中へと戻っていく。小屋の隙間から零れる僅かな火の明かりは、確かな熱を帯びて漆黒の夜を照らし出す。


「違えるな。決して」


 小屋からの声はそう言い残し、そこから一切の言葉を発しなかった。


 大きく息を吸い、男は乱れた眼鏡を直しながら小屋から逃げるように歩き始める。


 森はあまりに暗く、魔術の火なくして歩けるようなものではなかった。あまりに不安定な足場によろめきながら、男は自然と煙草に手を伸ばしていた。


 木々の間から星明かりが幾らか見える中、大木に背中を預け、肺一杯に吸い込んだ煙を吐き出しながら、


「……やめ時を失ったな」


 そう呟き、男は、霞ヶ関へと帰っていく。


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