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二人で一つ 6

 二振りの刀はなまくらだった。


 過去にどれだけ名を馳せようが、魔力のこもっていない術具などガラクタに等しかった。


 やがてそれは、北陸の倉庫に眠る骨董品になった。刀身は錆び、刃はあぜ道のように毀れ、刀と呼ぶにも不格好な、本物のなまくらになったのだ。


 そんな、所有する者さえ存在を忘れてしまうほどに埃を被った刀のなれの果てを、酷く悲しみ嘆いた男が一人いたという。


 他でもない、鉄堂光泉だ。


 恐らくは、その二振りにかつての栄光を取り戻してやりたいとの一心だったのだろう。魔術師が使うには全く以って適さない刀に、再び活躍の機会を与えたかったのだ。


 そして、その刀は打ち直された。


 稀代の名工の手はきっと、伝説通りの輝きを現代に蘇らせたのだろう。刀身は光り、刃は研ぎ澄まされ、そこに内包される魔力は一晩明けて膨大なものになったのだろう。


 だからこそ、千林高城はその刀を武器として使っているのだ。


 今やなまくらではないそれを、目の前の魔術師を黙らせるために、中部支部の若造を切り捨てるために、大きく振り下ろしたのだ。


 少年の腕を肩から斬り落とさんとする強襲。


 それは、血も肉も骨をも切断する切れ味を以って――だが。


「な、何なのだ、君の、それは……!」


 純粋なる恐怖の発露が、動揺という形で千林高城から吐き出される。


 和川奈月は確信していた。


 この勝負に於いて、自らがその真価を発揮させる瞬間を見出すとしたらどこなのか。


 考えるまでもない。自分の身体が、その刃の餌食となりかねない、その瞬間だ。


 昨夜、作間翔が刃を振り下ろしたその時、和川奈月の身体を引き裂いたなまくらは、なまくらだからこそ肩を抉ることができた――と理解できていたのは、中部支部の面々だけだった。


 では、稀代の名工の手によって復活した刃はどうなったか。


 そう。魔力を抱え込んだ、まさしく魔術的な代物になったのだ。


「俺、そういうのには強いんだよ」


 和川は痛みに耐えながら千林に向って笑って見せた。


 和川奈月の肩に乗せられた刀は、和川の身体に傷を付けることができなかった。


 千林は僅かな間に歯と顎をかたかたと振るわせていた。


 和川の特殊な体質。『神の守護者(ガーディアン)』は、魔術的な攻撃によっては一切傷がつかない。


 それがたとえ物理的に刃物を有していようとも、それを凶器たらしめているものが魔力である以上、神の守護者(ガーディアン)はその刃を和川奈月の肉体に届かせない。


 だが、相応の痛みはある。


 和川は昨夜の傷に奔った猛烈な痛みに顔を顰めながら、二振りの刀の刀身を握った。普通ならば手の平からは血が伝うだろう。この刀が術具であることを考えれば握った瞬間に手が真っ二つになるかもしれない。しかし和川の手に傷はつかない。ひたすらに、痛みが襲い続けるだけだ。


「よう徘徊老人さん。この程度かい、あんたが欲しがった刀の実力って奴はよ」


「ばっ、化け物が……!」


 千林は和川から刀を引き剥がそうと力を込めた。だが和川も離しはしない。カタカタと震える二振りの刀は、その場から動けずにただその魔力を放出し続けていた。


「ほら。このままだと刀、俺がへし折っちまうぞ。離したらどうだ。刀がまた鉄の塊になっちまうぜ?」


 和川の声も痛みに震えた。


 千林は和川の腹を蹴ろうと試みたが、踏ん張る両足の片一方を地面から離せば、その瞬間にバランスを崩すことは明白だ。和川はその隙を狙うし、千林はその隙を見せるようなヘマはしなかった。


 両者は向き合って、その双眸を睨み合う。


 和川は怒りと正義を。


 千林は、怒りと恐怖を。


「人を斬った感触はどうだったよ、爺さん。出海夕夏を斬って、あんたはなんとも思わなかったのかよ」


「若造が説教を垂れるか。図々しいことこの上ない! 我が欲望のままに生きることこそ人の本懐だ! そのために他の命が無下にされようが知ったことではない。何故なら、我々が生きてきた時代はそうであったし、須くそうであるべきと教わり年月を重ねた。それを否定することは、人間が人間足る根幹である我欲を否定し、それは己が命の存在を否定するまでになることが、何故分からぬのだ若造!」


「分かってたまるかって言ってんだよクソじじい! 欲だあ? そんなのは誰だってあるさ、否定しねえよ。だがな、それで一人の女の子を傷つけて、命の境で苦しんでるっていうのに笑ってられる欲が人間的だなんて、俺はこれっぽっちも思わねえんだよ。たかだか刀の一本や二本で、一人の人間の未来を奪って良いはずがあるかよ!」


 和川は咆吼した。


 獅子が威嚇するように、早朝の田園には怒りの爆発が響き渡った。


 握りしめた刀身にさらなる力を込める。


 千林がどうにかできる限界を超えるよう、それは和川の全力が込められていた。


「離せ若造!」


 千林が『風裂(かぜ)』と『波断(なみ)』に魔力を加える。


 その刃が本領を発揮した。


風裂(かぜ)』の刀身からは暴風が巻き起こる。


波断(なみ)』の刀身からは大津波のような水塊が溢れ出した。


 それらは二振りの刃を中心に半径一メートルの小さなハリケーンを生み出す。竜巻となって天まで届くそれは、両者を閉じ込めるように外界と内部とを遮断していた。


 かつてこの刀を振るった魔術師は、この刃を構えて二刀流の魔術師として名を馳せたという。つまり、別々の刀ではなく――兄弟刀。


 片割れの一振りにこれらの本領は一切なく、それらは両者揃ってこそ本質を顕現させる。


「君のそれが何なのかは知らんが、この圧倒的な力の前に屈服するまで、私はこの刃から魔力を放出することをやめない! 私はこの刃を手に入れるのだ。幾年月これを手にすることを願ったか。この二振りをこそ、私の魔術師としての、欲望の全てなのだ!」


 二人を囲む極小かつ高密度の竜巻が、和川の肉体に襲いかかる。


 神の守護者(ガーディアン)は魔術から和川の肉体を守る。しかし痛覚を刺激するものまでは遮断しない。


 全身が切り刻まれる感覚。肉体を雑巾絞りの要領で捻られているかのような痛み。


 髪が乱れ衣服が暴れるその中で、途方もない絶望を味わわせるこれらに、しかし和川は苦々しくも笑いかけた。


「やってみろよ」


 眼光は鋭く、言葉は刺刺しく、そして何より折れない心を見せつけた。


「骨董品マニアなのか何なのか知ったこっちゃねえけど、何度も言う、そんなもののために、女の子の命を切り捨てようなんざお天道様(てんとさん)が赦すと思うな。あんたがどんだけ魔術畑に浸かっているかは知らないが、それが赦される世界であって良かったのは、少なくともあんたの時代までだ。俺たちの時代は違う。絶対に違う。仮にまだそうだとするなら、俺たちが変える。腐った時代はこれまでだ。そのために、俺はあんたを、全力でぶっ倒す!」


 暴風が和川を襲う。巻き上げられた水飛沫が石礫のように躰に打ち付ける。


 構うものか。


 千林高城の罪を一つ一つ数えるつもりは、和川奈月には毛頭ない。刀を盗んだ。そんなことも実を言えばどうでもよかった。


 ただ一つ。


 この男は、出海結の心を、彼女の愛する人を傷つけた。


 それだけでも、和川の導火線に火を付けるのには充分だった。


 刃を握ったその手に稲妻が猛る。


『――この手に輝きを、今我は、神の力の一端を振るう――』


 老爺は顎を振るわせながら叫ぶ。


「支部のガキ風情が……!」


 目の前の少年の怒気に押されるように鼻の穴を小刻みに震わせる千林は、


『――我を貫け、悪童の神』


 まるで幼児の悪足掻きのように自身の魔力を刀に流し込み、暴発させんばかりのエネルギーで竜巻の中に闇を生み出していく。


 轟音は風のものだ。舞い上がる輝きは水飛沫が朝陽に照らされているからだろう。


 それらを軽く凌駕する爆発的魔力が、すなわち二人の魔術が、超極所的ハリケーン内で激突する。


 和川は拳に纏った雷を際限なく肥大化させ、千林は二振りの刀からどす黒いオーラのようなものを具現化する。


 和川は叫んだ。喉の限界なんてものを遥かに超えてその魂が燃え尽きるまで声にする。


 疲弊しきった躰も、途方もない痛みに苦しむ心も、全てを感情で掻き消して、和川奈月の魔術は放たれる。


『神罰執行――〈神雷(ジャッジメント)〉!』


『烈風、波動、〈悪鬼羅刹〉!』


 両者の力が地面伝わり、互いの両足に小さなクレーターができた。


 バリバリと空気を引き裂く鋭い音と、炎のように揺らめく真っ黒な風とがせめぎ合う。


 千林の和服は破れ、隠れていた皮膚も露わになって血飛沫が舞う。鮮血は竜巻に踊って。



 ――そして、和川の放つ高密度の稲妻は刀を伝い、千林高城の躰を焼いた。



 この竜巻の中で立っていられるのは、特異体質である和川奈月だけであろう。


 すなわち、千林は術者でありながら、この竜巻を飛び交う風の刃と水塊の圧力に気力で耐えていたことになる。


 その執念足るや恐ろしい。


 何がそうさせるのか。千林高城は、二振りの刀をそれでも離してはいなかった。


 竜巻が終息を見せる。


 視界が開け、朝焼けは青空へと移り変わっていた。


 和川は呟く。


「ああ。とどめは、お前が刺せよ」


 和川奈月は刀身を握る。


 千林高城は稲妻を全身で食らい、意識も絶え絶えになる状況で尚その刀を離さずにいた。


 ――その背後。


 千林の視線が和川の双眸を睨むばかりであったからこそ、それは至近距離で、彼の中心を背後から貫いた。


 ずぶりと、鈍く重たい音が静かながら彼の命を脅かす。


 千林は視線を落とす。腹部から飛び出した、赤く染まった刃を見下ろした。


「これ、は……!」



『災厄を断ち切る――〈天羽々斬(アメノハバキリ)〉』



 それは、出海結の、冷淡なる復讐の刃であった。


次回もよろしくお願いします。

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