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フェアリー・ウォー

作者: Sissy

お久しぶりです! 約五か月ぶりの更新になります。

かなり雑ですが楽しんでもらえれば幸いです。

お気に入り登録、ユーザー登録、感謝申し上げます。

 その日はいつもと変わらない朝を迎えていた。ただ、険しい表情の父と憂い顔の母、そしていなくなってしまった双子の姉を除けばいつもの日常のはずだった。


「今、何て……」

 呆然とするアストレア。父の言葉が耳に残る。

「ラーズグリースが……お前の婚約者と駆け落ちをした」



 ◆


 生まれてからずっと一緒に育ってきた双子の姉、ラーズグリース。おてんばで、じゃじゃ馬なアストレアと違って大人しく、淑女の鑑だと言われ続けてきた姉はアストレアの自慢だった。

 そんな彼女が、自分の婚約者と駆け落ちをして、姿を消すなんて考えられない。


 寝起きのまま、茫然と立ち尽くすアストレアに父は告げる。

「相手側は……言うまでもなく、お前との婚約を破棄するそうだ」

 一体、自分の身に何が起きたのか分からない。



 いつものように寝て、起きて。父と母に呼び出されて告げられた真実は、残酷なものだった。

(お姉ちゃん……)

 大好きな姉がそんなことするはずない、と思っていても隣にある寝台にラーズグリースはいない。


「お前にこんな事を言うのもあれなんだが……。実は、ラーズグリースはリリー女学院からコント・ド・フェ学院への編入が決まっているのだ。しかし、駆け落ちして行方知らずになった今、あいつを入学させることは出来ない。だからと言って、編入を断ればあっちの学院長は、何か探りを入れてくるに違いない」

「つまり、お姉ちゃんの代わりにわたしが入学する、ということですね?」

 アストレアの瞳に映る父は満足そうに頷いた。


「あなた……アストレアはシャルーシャ公のご子息に婚約破棄されているのに、ラーズグリースの代わりに入学だなんて酷じゃありませんこと? 一族の恥を知らせない為だとはいえ……」

 父の言葉に母が窘める。いつも子供達の味方をしてくれる母が、アストレアは大好きだ。

 しかし、普通の令嬢と違うのが彼女である。


「大丈夫よ、お母様。わたし、婚約破棄だなんて全然気にしていないし、コント・ド・フェ学院の入学も嫌じゃないわ。むしろ、楽しみなくらいよ。だって、大陸でも珍しい共学だし、名門校だもの」

 好奇心旺盛でタフなのがリエール公爵家の令嬢なのだ。



 ▽


「やあ、君が編入生だね? 学院長から聞いているよ、僕は治癒魔法学を担当しているアイグレ。医務室で怪我など治療するのも僕だよ。後は君みたいに編入生のサポートをする。よろしく」

「よろしくお願いします、アイグレ先生」

 学院への入学はすぐに決まった。父の迅速な行動で婚約破棄を告げられた日から1週間ほどで、編入準備を終えた。そして、今は寮に荷物を置いた後、アイグレと共に学院内を回っている所だ。

「コント・ド・フェ学院はね、共学として珍しいとも言われているけれど、授業も変わっているんだ」

「授業……ですか?」

 ぼさぼさ頭で眼鏡をかけた、いかにも“先生風”のアイグレは楽しそうに説明する。

「この学院の授業は全て生徒が選択して受講するんだよ。決められたカテゴリーで、卒業に必要な単位を修得すればどれを選んでも構わない。アストレア嬢の興味のある授業を取れるんだ」

「凄いですね! 前に通っていた学校では、時間割が勝手に決められていたから凄く新鮮です」

 前に通っていたリリー女学院では、立派な淑女を育てるという教育理念のもとで決められた授業を行っていた。そのため、この学院のように自分で好きな授業を選択できるのは、アストレアにとっても珍しく嬉しいものだ。


「加えてもう1つ、特徴があるんだよ」

 アイグレに案内されたのは、開放感溢れる部屋だった。床には柔らかく、色が綺麗な赤い絨毯が敷かれている。部屋の中の調度品はどれも古いが、高価なものだと一目で分かる。

「ここは、生徒会室。君も委員会に入るならよくお世話になるんじゃないかな?」

「委員会、ですか」

「そう。学院のもう1つの特徴である“委員会”。ここでは、ほとんどの生徒が委員会に所属しているんだ」

 何のために? と首を傾げるアストレアを見てアイグレは微笑む。彼女の反応が面白いのだろう。


「この学院では、委員会を1つの模範国家として扱っているんだ。つまり、委員会が国として考えられているということだね」

「委員会を国として……? どうしてそんなことを?」

「我が校は、4つの国に囲まれた中立地区にある。そして、それぞれの国からは王子や、貴族の令息、令嬢が集まってくる。例外として平民出身の特待生もいるけれど、彼らは卒業すれば王や、大臣といった本当の国を導いていく存在になる。学院時代から立場の重さや責任を感じてもらおうという意図で、委員会を作っているんだよ」


 アイグレ曰く、委員会をまとめるということは、この学院での1つの国家勢力をまとめるということになるらしい。委員会に所属、或いは委員長として仕事をこなすことで、将来に備えるという目的があるのだ。勿論、委員会を1つの国として見ているので委員会同士の衝突や、同盟、条約締結など認められているらしい。それを行うのに様々な規約があるらしいが、アイグレはアストレア嬢も所属すればきっと分かるよ、と言ってそれ以上は言わなかった。


「さっき言ったけど、ほとんどの生徒が委員会に所属しているんだ」

「ということは、何かメリットがあるということでしょうか?」

「おお、さすがアストレア嬢。頭の回転が速い。そうなんだ、委員会に入ると幾つかのメリットがある。委員会活動を行っていれば定期的に“クリン”が貰える。クリンというのは、学院内の通貨だね。これは、成績の結果や良い行動を行えば貰えるものだよ。クリンを使って学院内で販売されているものを買える。そして、委員会に入ることで僕たち教師とのパイプが出来る。この学院では、教師の存在が大きいんだ。就職などに関わって来るからね、貧民層出身の子達にとってはこれ以上ない出世のチャンスなんだよ」


 ただし、とアイグレは指を立てる。デメリットもあるんだよ、と。

「委員会によっては、クリンを徴収する所もあるから元々手持ちが少ない子にしてみれば、痛手になってしまうこともあるかもしれないね。後は、委員会自体が問題を起こせば、関係がなくても評価が下がる、とかね」

 黙り込むアストレアに、アイグレは笑って言う。


「まあ、この学院生活はアストレア嬢の好きなようにするといいよ。委員会に所属するなり、しないなり自由だし。困ったことがあればいつでも頼っておいで」

「ありがとうございます、アイグレ先生」

「うん、慣れないことだらけだろうけど、陰ながら応援しているよ。ちなみに僕は保健委員の顧問をやっているから、気が向いたら入ってくれると嬉しいよ」

 アイグレの言葉に頭を下げるアストレアは、部屋の扉が閉まると同時に息を吐いた。



「委員会……か」



 ▼


 アイグレに案内された中で一番気になっていたのは、図書塔である。元々、小説が好きなアストレアはどんな本があるのが気になって仕方が無かった。そっと軋む扉を開け、中に入ると埃っぽい空気と共に積み上げられた本が出迎える。


「うわっ、凄い本の数……誰かいませんか?」

 アストレアの声は、響くだけで返事はなかった。中のものを触っていいかどうか不安だったが、好奇心に勝てず近くにあった本の山から一冊手に取る。

「凄い、魔法書だ……」

 彼女が手に取ったのは、およそ100年前に書かれた魔法書だった。しかも南の国ガルードの魔法士が書いたものだ。北の国ユーリエフでは、交易ルートがまだ整備されていないガルード王国の本など滅多に手に入らない。


 夢中になって読み進めていると、頭上から声がした。


「あっ、いらっしゃい」

 声のする方を見上げると、美しい銀髪にクランベリー色の瞳を輝かせてこっちを見ている人がいた。中性的で整った顔立ちをしており、声だけで性別を判断しにくい。

「こ、こんにちは」

 慌てて立ち上がり、手に持っていた本を閉じて元に戻すと、本の山から顔を出していたその人物はくすりと笑った。

「図書塔にあるものは、誰でも読んでいいんだよ」

「ありがとう」

「ところで、君は見ない顔だね? 新入生……でもないし」

 上手に本を避け、アストレアの前に立つ。実際こうして見ると、アストレアよりも随分と背が高い。

「編入生よ。今日からこの学院に通う、アストレア・リラ・リエール」

「僕はキルケ・フォン・ジルバーン。西の国サイオン出身だよ。キルケって呼んで」

 キルケと名乗る彼は、アストレアの右手甲にそっと口づけをする。見惚れてしまうほどの美しい所作に、だらしなく見つめていると、キルケがふっと笑った。

(何て素敵な笑い方をするんだろう)

 彼の笑顔を見ると、胸がきゅっと締め付けられる感覚になる。元婚約者に会った時でさえ、こんなことは無かったのに何でなんだろう、と思わず制服の上から胸をおさえた。



「アストレア嬢、君は本が好き?」

「ええ。魔法書も好きだし、小説も好きよ。歴史書はちょっと苦手だけど」

「ふふっ、十分だよ。ところで、君は委員会にはもう入った?」

 キルケは本の山から数冊本を手に取ると、図書塔の壁にもなっている本棚へ戻していく。

「いいえ」

 アストレアがそう答えると、キルケがくるりとこちらを向いた。

「僕等を助けて欲しいんだ」



 ▽


「レオン先輩!」

 図書塔の階段を上がり、最上層へと連れてこられたアストレアは、何やら難しそうな本と睨めっこをしている人物と目が合った。

 キルケがレオン、と呼ぶ彼はアストレアの姿を見るなり、キルケとアイコンタクトで会話をし始める。

(何を話しているのか全く分からないわ……)

 苦笑を浮かべるアストレアに、レオンは勢いよく頭を下げる。


「お願いだ、図書委員を救ってくれ!!」

「えっ!? いきなりどういうことですか!? それに、どなたです!?」

「ああ、すまない。俺はレオン。図書委員の委員長を務めている。そこにいるキルケは副委員長だ」

 慌ててレオンと名乗る彼は、くしゃりと笑う。しかし、キルケの時みたいな感覚は無かった。

(彼の笑顔には胸が締め付けられないわ……キルケだけなのかな)


「俺はもう5年生で、今年から考古学者になるためのカリキュラムを受けることになっているんだ。委員長を務められるのは、4年生までで頼りない1年坊主のキルケが委員長になるなんて不安過ぎるし……、誰か任せられないかなと困っていたところだったんだ。ほとんどの学生は他の委員会に所属しているし、構成員が俺たち2人だけ、っていう最弱委員には誰も入らないし」

「それで、無所属のわたしに声がかかった、ということですね」

「そういうこと。今、図書委員は壊滅の危機に立たされているんだ」

 レオンに変わってキルケが、口を開いた。

「構成員が2人だけ、そして特に目立った活動もしていない僕等は、生徒会に傘下に入るように圧力を掛けられているんだ。もし、生徒会の傘下になれば自由に本を購入する権利が無くなって、生徒会の良いように使われるのは目に見えている。そこで、アストレア嬢の力を借りたいんだ」

「でも、わたしに出来ることなんてないわ。だって今日、この学院に来たばかりだし、委員会の知識だって無いもの。それにわたしだってまだ1年生よ?」

「そこを何とか……! 副委員長として僕も全力でサポートするから!」

 手を合わせて懇願するキルケに、アストレアは苦笑する。

(自分が委員長になるっていう選択肢はないのね)


 しかし、目の前で困っている人を見ると助けたくなる性分に加え、本好きとしてはこのピンチを乗り越えたい。迷うアストレアにキルケのとどめの一言が突き刺さる。


「図書委員になれば、自分の好きな本を買えるよ」

「やるわ」



 こうして成り行きで図書委員の委員長になったアストレアは、図書委員の危機を救うため立ち上がることになる。


 ▼


 翌日、1日の授業が終わったアストレアは図書塔でキルケと待合わせをしていた。今日は、図書委員のこれからを話し合うことになっている。図書塔に向かうと、彼女より先にキルケが待っていた。本の山を掻き分けるようにしてアストレアを迎える彼は、よほどアストレアが入ってくれたのが嬉しいのか、彼女を見るなり満面の笑みを浮かべる。


「アストレア嬢、待っていたよ!」

「お待たせ、キルケ。早速だけど本題に入るわ」

「うん」

「さっき、アイグレ先生に色々と聞いて来たのだけれど、委員会を大きくするにはまず人員の確保が必要だって聞いたの」

 キルケは真面目な顔でアストレアの言葉を聞いている。頷きながら彼女に同意するように話し始めた。


「構成員が多ければ多いほど、勢力は大きくなるからね」

「今、一番勢力として大きいのはやはり生徒会?」

「うん、そうだよ。その次に、武道委員と文化委員だね。そして、環境委員と保健委員。言わずもがな、この図書委員は最下位ってわけだ」

 それにはアストレアも苦笑を浮かべる。何せ、ここにいるのはアストレアとキルケのみ。元委員長のレオンは、考古学者になるために引退しているため、総員2名ということになる。キルケが言うには、その人数の少なさも生徒会に目をつけられている一因なので、これは早急に解決したい。

 しかし、人員確保といえばどうすれば良いのか、それが問題だ。


「やっぱり、活動アピールなのでしょうけど……図書委員の活動といえば、本の購入、整理や管理といった事よね」

「そうだね……」

「他の委員会は何かしているの?」

「うわわっ!!」

 ちゃんと前を確認していなかったのか、階段で足を踏み外しそうになっているキルケは、両手が本で塞がっており、うまくバランスを取れない。

危ない、と駆け寄った瞬間にキルケは足を踏み外した。

 咄嗟に彼の腕を掴んだものの、身長も体格もキルケに比べて随分と華奢なアストレアが止められるはずもなく、彼に引きずられるようにしてアストレアも落ちてしまう。


 反射的に目を瞑って彼の腕を握る。お腹から衝撃を感じたと思えば、背中に何度か固い物が落ちたような感触がした。

「いたた……」

 衝撃で思わずせき込みながらゆっくりと目を開ける。と、そこには――。


 もう少しで唇が当たりそうなくらいの近さでキルケの顔があった。



「わっ!? ご、ごめんなさい!!」

 そこでようやく、自分がキルケの上に乗っているということを理解したアストレアは、慌てて離れた。

 お互い赤面しながらそっぽを向きあう。何て声を掛ければいいか分からない。心臓が早鐘する。


「あの……怪我は、ない?」

 そっとキルケの方を向くとまるで熟れた果実のように真っ赤に頬を染めていた。何だかその様子が面白くて、恥ずかしさよりも面白さでアストレアはふき出す。

「ふふっ、キルケったら顔が真っ赤よ」

「なっ、そういうアストレア嬢だって真っ赤だよ!」

「わたしは赤くないわよ! 頬を擦っただけよ」

 2人して言い合いをしているうちに、それすらもおかしくなってきて、互いに顔を見合わせてくすりと笑った。


「まあ……君に怪我がないみたいで良かった」

 そう言い、キルケは微笑みアストレアに向かって手を差し伸べてくれた。

(あっ、まただわ。また胸が苦しい……)

 制服を握りしめるようにして胸を押さえるアストレアに、キルケが心配そうな顔をして、アストレアの顔を覗きこむ。思わず近くなったその距離に、アストレアの心臓が早鐘する。

「もしかして打ち所が悪かったかな? 気分が悪い?」

「あっ、いいえ。大丈夫よ、気にしないで。と、とりあえず今日はどうやって人員確保をする活動をするのか、各々で考えてきましょう」

 そう言い、足早に階段を降りていく。

「あ、アストレア嬢……!」

 背中からキルケの呼び止める声がしたが、これ以上彼の顔を見ていたらまたおかしくなりそうで怖い。この場から早く去りたかった。


(わたし……何かの病気なのかな?)



 ▽


 無我夢中で走って図書塔から出てきたアストレアは、気付くと薔薇園にいた。見ているだけでは綺麗だが、棘だらけのカーテンをくぐらないと辿り着かないため、ほとんどの人が寄りつかないとアイグレが言っていた場所だった。ここなら1人になれる、と思っていた。


「おや、珍しいね~。ここにお客人だなんて」

 誰も寄りつかないはずの薔薇園には、先客がいた。淡く輝くような金髪に、左右で青と緑の異なる瞳をこちらに向けている。楽しそうな色を浮かべるその瞳には、どこか神秘さを感じさせた。柔らかな笑みを浮かべる彼の顔立ちは、とても甘くどんな令嬢でも見惚れてしまうほどだろう。アストレアを除いて。

「あ……失礼しました」

 そっときびすを返そうとするアストレアに、彼は凛とした声で呼び止める。

「良いんだよ、ここに居てくれても~。だって、ここには誰も来ないから。キミみたいなお客人は珍しいから、大歓迎」

 こっちに座りなよ、と彼が立ち上がって自分の座っていた前の椅子をアストレアの為に引いてくれる。


 彼にお礼を言いながらアストレアは座った。


「キミとは1度会って話がしてみたかったんだ~。編入生のアストレア・リエール嬢?」

「どうしてわたしの名前を……」

 すると、彼は楽しそうにはにかむ。その微笑みは美しいが、キルケの笑みと違って胸が締め付けられる感じがしない。その違和感に首を傾げていると、彼が口を開いた。

「ボクはこの学院のことなら何でも知っているんだ」

「何でも? あなたは、どこかの委員会の委員長ですか?」

「さあね、どうだろう~? とりあえず、名乗らないでおくよ。そっちの方が面白そうだし」

 秘密の多い不思議な人だと思った。しかし、彼の纏う柔らかな雰囲気はアストレアの警戒心を解くのに十分で、いつの間にか他愛のない話で盛り上がっていた。


「なるほど~、キミは図書委員の人員確保にどんな活動アピールをすればいいか悩んでいる、と」

「ええ、他の委員会がどんなことをしているのか分からなくて」

「まあ、委員会に入る理由には色々あるだろうけど、なりたい職業によっておおかた決めている生徒が多いよ。例えば、文化委員なんかは文官を多く輩出しているし、キミが所属している図書委員は、学者を多く輩出しているし~」

 確かに元委員長のレオンも考古学者になる、と言っていた。歴代にはそうした生徒が多いのだろう。考えてみれば図書塔の中には様々な種類の本があり、学者を目指す人間からすれば絶好の場所だ。

 なりたい職業で人員を確保するというのもあるだろうが、作戦としては中々難しい。


「あとはそうだね……実技大会で好成績を出している委員長の所には、よく人が集まるかな~。委員長のカリスマ性も必要ってことだろうね」

「実技大会?」

「この学院では月に1度、実技大会といって剣と魔法の腕を試すんだ~。言ってみれば試験だよね。これには、全生徒が見るしほとんどの生徒が参加する。成績次第でクリンが貰えたり、1位になると賞金として多額のクリンが貰えたりするからね。ちなみに、ほとんどの委員長が出場しているよ。自分のところの委員会をアピールするチャンスだから」

 彼はそう言って優しく吹き付ける風に目を細める。

 どうやら実技大会は、剣を専攻している生徒の大会と魔法を専攻している生徒の大会をひっくるめたものらしい。剣を使う生徒と魔法を使う生徒同士の戦いはないそうだ。

 性能が大きく異なるから、という理由なのだとか。


「その実技大会はいつなの?」

「今月はもう終わっちゃったんだ~。来月に期待」

「今すぐに出来るわけじゃないのね……。何かないかなぁ」

 アストレアがそう呟くと、彼は楽しそうに笑った後、しばらく考え込む。そして、独り言のようにつぶやき始めた。

「この世界はさ~、読み書きが出来る人間とそうでない人間がいる。何でだと思う?」

「えっと……教えてもらっていないから?」

「正解~。教育を受けられる立場とそうじゃない立場の人間がいるんだ。ボク達は前者だね。でも、後者の人達にも教えることが出来るのは、前者であるボク達じゃないかな?」

 じっとオッドアイの彼の瞳を見つめる。アストレアの故郷、ユーリエフ王国でも識字率は高くない。他の国も似たようなものだと聞く。彼の言う通り、読み書きが出来ない人々に教えるのは出来る人間である自分達である。

 答えを出そうと考えるアストレアに、まるでヒントを出すように彼が囁いた。


「東の国シズクでは、“テラコヤ”という平民が子供たちを教える施設があるんだって~。だから、シズク国は大陸で一番識字率が高いんだとか」

「つまり、図書委員として似たような事をすれば、活動アピールになるってことね!」

 今すぐこの提案をキルケに言いたい、とアストレアは駆け出しそうになるのを堪え、名前も知らない彼にお礼を言った。


「ありがとう、おかげで助かったわ。ええと……」

「ユーリ、でいいよ~」

「ありがとう、ユーリ」

 またね、と手を振るユーリに挨拶をしてからアストレアは駆け出した。これなら、良い活動アピールになるかもしれない。そう胸が躍る。

 委員長になって初めて手ごたえのある仕事に楽しみを隠すことが出来ない。思わずスキップしながら薔薇園から出ようとすると、あちこちに薔薇の棘が制服に引っかかってしまった。それでも気にすることなく、図書塔へ向かうとキルケがまだそこに居た。男子寮に帰っていなくて良かった、とほっとしながら慌てて階段を登る。


 薔薇園から小走りに図書塔へやって来たので荒く息を切らしてしまう。ぜえぜえ、と令嬢らしからぬ有様にキルケは苦笑を浮かべてどうしたの、と聞いてくれた。


「いい案を思いついたのよ」

「いい案って?」

「シズク国のようにわたし達も、読み書き出来ない子供達に無償で教えるの!」

 正直、2人だけで上手くいくかは分からなかった。でも、この時のアストレアはキルケとなら出来ると感じていた。




 ▼


 読み書きを教えるという活動に賛成してくれたキルケは、アストレアを連れて生徒会室へ向かった。校内、校外問わず何か活動する時は生徒会の会長と副会長の許可がないと出来ない。生徒会が許可を出さなければ、どんなに準備を整えても活動をすることが出来ないのだ。それくらいに、学院内の生徒会の力というものは大きい。


「入りたまえ」

 ノックをすると同時に、扉の向こうから声が聞こえる。そっと開け、キルケに続いて中に入る。ここに来るのは、アイグレに案内してもらった日以来だ。

 中にいたのは生徒会の人間と思われる3人だった。


「図書副委員長のキルケです。今日は校外活動の許可を貰いに来ました」

 執務机で書類にサインなどしていた男がゆっくりと彼の方を見る。薄いラズベリー色の髪を後ろで束ね、濃い藍色の瞳を鋭く光らせている。見た目は女性に見えるが低く魅力的な声は男性だ。

「ヨモギ、書類を彼に渡せ」

「はい」

 ヨモギと呼ばれた黒髪の少女が、自分が座っていた机の引き出しを開け、中から1枚の書類を取り出し、キルケ達に渡した。


「それで、お前達はどんな活動をするつもりなんだ?」

 執務机に座って作業をする男性が書類に書き込んでいるキルケに話しかけた。

「外で読み書きを教えようと思っています」

 書類を書き終えたキルケは、ヨモギに紙を渡すとそう返事をする。誰がどういう人なのか分かっていないアストレアにそっと耳打ちで説明してくれる。


「執務室で作業をしているのが、副会長のオリヴィエさん。さっき、書類を渡してくれたのが書記のヨモギさん。で、部屋の隅で僕達を睨んでいるのが財務のメルクリウスさんだよ」

「何でずっとわたし達を睨んでいるのかしら……」

「さ、さあ。彼はずっとああいう感じなんだ」

 部屋に入った瞬間から彼の視線が刺さってくる。居心地が悪い、とメルクリウスの方を見ると眼鏡越しに睨まれた。


「生憎、会長は今日も失踪していて許可状を渡せるのは明日以降になるが、それでもいいか?」

「はい」

 オリヴィエがそう言って書類からキルケの方に視線を投げやる。

「某が図書塔に書類を持って行くので」

 ヨモギがそう言って姿勢正しく敬礼する。すると、彼女の後ろに立つようにしてメルクリウスが鼻にかかる声で話しかけてきた。


「ふん、大人しくさっさと生徒会の傘下に入ればいいものを……」

「メルクリウス!」

 オリヴィエが窘めると眼鏡の端を持ち上げ、彼は鼻で笑った。


 その態度に神経を逆なでさせられたが、アストレアの肩に置かれたキルケの手のぬくもりが冷静にさせられる。メルクリウスという人物はどうも苦手だ。


 苛立ちを残しながら生徒会室を出る。ふうっと息をついた。

「ねえ、キルケ。生徒会の傘下に入った委員会ってあるの?」

 図書塔へ向かいながらアストレアは隣を歩くキルケに尋ねた。彼はそっと顎に手を添え、記憶を探ると確か、と続けた。

「生徒会の傘下に入ったのは、新聞委員と飼育委員だったような……。新聞委員は僕等みたいに構成員も少なくて弱小だったから生徒会に吸収されてしまったんだ。おかげで今の学院新聞は生徒会の都合の良い事しか書かれていないものになってしまったんだよね。他の委員会の活躍をもみ消すように」

 もう1つ傘下になった飼育委員会は、学院で飼育されている幻獣の世話が出来る幻獣使いの減少が原因だったらしい。飼育委員には気難しいユニコーンを操る腕の良い幻獣使いがおらず、生徒会に幻獣使いが居たことから自然と傘下になった、とキルケは言う。


 生徒会の傘下に入る、ということは委員会そのものが生徒会の仕事の一部に組み込まれるということだと彼は説明してくれた。構成員が他よりも圧倒的に多い生徒会なら、2つ3つ弱小委員会を吸収したところで、今までとは変わらない。ただ、傘下に入った方の委員会は今までの歴史は全て無くなり、委員長、副委員長という立場もなくなり、生徒会の一構成員となる。傘下に入るということは、つまり全てを失うことなのだと険しい顔でキルケは言った。苦しそうにアストレアに説明する彼の横顔が切なくて、胸が痛い。

「大丈夫よ、キルケ。図書委員は生徒会の傘下にならないわ」

「アストレア嬢……」

「何たってこのわたしが委員長を務めるだもの。生徒会と渡り合えるくらい、強い委員会にしてみせるわ!」

「……そうだね」

 ふっと微笑んだキルケの笑顔にアストレアはまた胸がきゅうとなった。


 ▽


 数日後、キルケと共に図書塔の掃除を行っていると約束通りヨモギが書類を届けてくれた。

「これがあれば校外活動が出来る。逆に言えば、これがないと校外活動が出来ないから失くさないように」

「ありがとうございます」

 ヨモギはアストレアとキルケを一瞥するとそそくさと去って行った。何を考えているか分からないが、メルクリウスが来るよりは断然いいと心の中で思う。


「あの、アストレア嬢。僕さ、テラコヤ計画をするのに良い場所を見つけたんだ」

 テラコヤ計画、というのはキルケが名付けた図書委員の校外活動のことだ。首を傾げるアストレアにキルケが楽しそうに微笑んだ。

 掃除を終え、キルケが案内してくれた場所へ向かう事にした。


 キルケが案内してきたのは、学院を出て少し離れた場所にある貧民街の一区だった。今は誰も使っていないらしい。元々は家が建っていたのだろう、あちこちに材木だったり、さびた調理器具が落ちたりしているが掃除をすれば使えないこともない。広々としていてここなら大丈夫そうだ。

「それに、ここにある物を使って黒板だって作れちゃうしね」

「そんなことが出来るの?」

 得意げに胸を張るキルケにアストレアは驚く。大工仕事というよりは楽器を弾いていそうな風貌なので、そんなことが出来るとは予想もしていなかったのだ。早速、鞄から道具を取り出し材料を選んでいる彼が作業しやすいよう、アストレアは掃除をすることにした。

 2人が作業を行って数時間。もう太陽は沈みかけ、オレンジ色に染まっていた。


「キルケってすごいのね……」

 古くそこらに落ちている木と彼が持って来た材料で作った黒板は、小さいながらもしっかりと字が書ける。これなら2、3人程度なら十分使い物になるだろう。アストレアに褒められて嬉しいのか、ほんのり頬を染め照れ笑いを浮かべるキルケ。


「おーい、キルケ兄ちゃーん!」

 ふと、子供の声と共に走ってくる足音が聞こえてくる。音のする方へ顔を向けると、泥だらけの幼い少年がやって来た。キルケを見るなり、飛びつくように彼へと抱きついた。キルケは制服が泥で汚れるのを気にすることなく、彼を受け止める。

「バリン!」

「キルケ兄ちゃん、出来たんだな!」

 バリン、と呼ばれた少年は出来上がった黒板と綺麗に整備された辺りを見て、にっこりと笑う。きっと彼から聞いていたのだろう。2人の成果をバリンも楽しそうに見つめている。

「明日から始めるつもりだから、お友達も呼んでおいで。えっと、この子はバリン。貧民街に住んでいる子供で僕の友人」

「おう! なー、ところでこの姉ちゃんはキルケ兄ちゃんのコイビト?」

 バリンはアストレアを指差すと、キルケに向かって質問をした。彼にしてみれば、ほんの好奇心、というか純粋な疑問だったのだろう。


 だが、そういう手に慣れていないアストレアは顔を真っ赤にして「コイビト……」と、呪文のように言葉を繰り返すしかなかった。ちらり、とキルケの方を見ると同じように顔を赤くしてバリンに説明している。

「か、彼女は貴族令嬢で僕と同じ、えっと仲間なんだ!」

 しどろもどろになりながらバリンに説明するが、少年は分かっているのかいないのか、曖昧な返事をするだけだった。きちんと誤解を解いているといいけど、とアストレアは思う。


(恋人って言われただけで、何でこんなに恥ずかしいのかしら? わたし、元々婚約者いたのに)

 婚約者に対してそういった情を一切持っていなかった、ということなのだろうか。婚約者は幼馴染の令息で、仲も良かったはずだ。もちろん、婚約が決まったことは嬉しかったし、彼のことは嫌いではなかった。でも、キルケとは違う。ただ、何が違っていてアストレアがキルケに対する感情が何なのかは、まだ分からない。


(恋ではないはずよね。だって、彼とわたしは婚約していないのだし)

 上流階級では、相手の顔を知らないまま結婚することが多い。顔を知らない、性格すら知らない、何も知らない相手の元に嫁ぐのは恋でも何でもない。そこには、政略、そして家のためといった複雑な理由があるのみ。恋というのは、結婚した後、あるいは婚約した後に芽生えてくる感情だと女学院では習った。でも、それがどういうものなのか何がどう変化するのかは教えてもらっていないから、アストレアには分からない。


「おーい? アストレア嬢?」

「あ、ごめんなさい」

「どうしたの、考え事?」

「ええ、まあね。さあ帰りましょうか」

 またね、と手を振るバリンと別れて、2人は学院へと戻って行った。



 女子寮の入り口まで送る、と言うキルケに甘えて送ってもらっていると、ふと彼が聞いてくる。

「そういえば、アストレア嬢はどこの出身なの?」

「北の国ユーリエフよ。でも急にどうして?」

「いや、僕……君のこと全然知らないなって思って。委員長として図書委員の立て直しを一緒にやってもらっているのに」

 それを言えばアストレアもキルケの事を全く知らない。お互い様じゃない、と言うとそうだね、と彼は笑った。図書塔で話をしていかないか、と提案するとそれはいい考えだねとキルケは言う。

 女子寮へ向かっていた足並みは、自然に図書塔へと方向を変えた。



 図書塔の最上層で向かい合って座りながらお互いのことについて、質問し合う。それがとても楽しい時間に感じられて、アストレアは幸せだった。

「それでアストレア嬢はどんな授業を取っているの?」

 キルケは剣の腕を磨きたいらしく、戦術や武器の扱いや製造といった授業を専攻しているらしい。

「わたしは魔法学とか、魔法中心の授業を取っているわ。中でも一番面白いのが、薬草学ね。先生がとっても面白くって。シビレ草を素手で触ってはダメ、って説明しながら先生が素手で触って痺れて、そのまま授業を終えちゃったこともあるの」

 アストレアが楽しそうに話しているのをキルケも笑って聞いてくれていた。


「薬草学といえば、ディアン先生だよね。あの先生、環境委員の顧問もやっているんだけど、よく、喚き草を雑草と間違えて引き抜いちゃって委員長に注意されているんだって。先生なのにおっちょこちょいだよね」

「環境委員の委員長?」

「あ、アストレア嬢はまだ知らないかもね。このコント・ド・フェ学院の三大美女にも挙げられるほど美しい人なんだ」

 何故かズキリ、と心を抉られるような感覚になる。ただ世間話をしているだけなのに、どうしてだか不快な気持ちになった。聞きたくないのに勝手に口から言葉が飛び出る。

「キルケは、やっぱり美しい女性と結婚したい?」

 アストレアの突然の質問に困惑しているのか、目を見開きじっと彼女を見つめてくる。それがたまらなく居心地が悪くて、今すぐにこの場から逃げ出したいのに体が言う事を聞かない。足が地面に繋がれたように、凍りついたように動かない。


「僕は……どうだろう。容姿はあまり気にしないかな」

「そうなの」

 それ以上は聞けなかった。自分でも分からないくらいに、落ち込む。

(何でわたし落ち込んでいるのかな……)


「さあて、もうすぐ寮に戻らないと怒られちゃうね。今度こそ女子寮に送るよ」

「……ありがとう」

 言葉通り、今度こそ女子寮に送ってもらう。おやすみなさい、と言って寮に戻ろうとすると、キルケに腕を掴まれた。驚いて彼を見ると、必死な表情をしたキルケが何か言いたそうにアストレアを見る。


「アストレア嬢……僕、感謝しているよ。君が委員長になってくれて。心から感謝しているよ」

「キルケ……。お礼を言うのはまだ早いわ、まだ結果を出していないもの」

 図書委員が生徒会への傘下の危機が無くなるまで、責務は果たしたとはいえない。そうアストレアは思っていた。もし、傘下を免れたとしても安定するまで委員長を名乗れない。

 自分の放っておけない性格上、そして自由に本を購入する権利に釣られて委員長になったものの、今はだんだんと図書委員の委員長としての誇りが芽生えていた。

 いつか胸を張って、堂々と名乗れるようにしたい。アストレアは夜空を仰ぎながらそう思う。


 キルケに向かって笑顔を見せると、彼は哀しそうに微笑みそっと腕を離した。

 今度こそおやすみなさい、と言い残しアストレアは寮へと帰った。



 ▽


「えっと、次は魔法学の授業だから中教室ね」

 アストレアは自作の時間割を確認しながら次の授業の準備をする。授業ごとに使用する教室が決まっていて、生徒たちがそこへ移動するという仕組みだ。これもリリー女学院ではなかったことだ。

 魔法学の1年生向けの授業はそれなりに人が多い。魔法学といっても幾つか種類があり、アストレアが受けているのは“水と地の魔法学”である。水の魔法を使うアストレアにとっては、非常にためになる授業でお気に入りでもあった。

「おい、フレイ! 僕の言った通り、今月分のクリンを持って来たんだろうな?」

 魔法学の授業を受けるため、教室を移動しようとしていたアストレアの目に入ってきたのは、か弱そうな少年を何人か取り囲んでいる光景だった。どう見ても仲の良い者同士のじゃれ合いには見えない。

 少年を円状に取り囲んでいる男子生徒に向かって、アストレアは声を張り上げる。

「ちょっと! ここで何をしているのかしら?」

 すると、リーダー格と思われる少年がアストレアの前に一歩出る。癖毛の金髪に、頬骨あたりにあるそばかすが特徴的だ。

「何だよ、おまえ。僕に何か文句でもあるのか?」

 威圧してくるような目つきに負けないと少年を睨みつける。

「人を苛めているんじゃないわよ、みっともない」

「はあ? 苛めてねーよ、僕達は友達だ。友達のじゃれ合いに女が入ってくるな」

「誰がどう見てもじゃれ合いには見えないわ」

 凛として相手を見据えるアストレアに、面白そうに笑う少年。そんな彼の態度が癪に障る。

「彼に謝りなさいよ!」

「うるせえよ、女が出しゃばってくるな。それより、見たこと無い顔だな」

「あなたには関係ないわ」


 すると、彼がアストレアの肩を掴み距離を縮めてくる。その不快さに思わず背筋が凍る。悲鳴をあげないようにぐっと堪えていると、そばかすの少年は下品な笑いを浮かべた。

「あ、分かった。編入生だろ? 噂は届いているぜ、図書委員の委員長になった変わり者だって」

「変わり者で結構。あなたには関係ないもの。それより触らないでくれる? レディに失礼よ」

「そうだよ、彼女に触れないでもらえますか。コーネリアス・ド・トレモイユさん?」

 聞き慣れた声が聞こえてきた。アストレアの肩を触っていた彼の手を、白いキルケの手がはたく。怒気にはらんだその声は、笑顔を浮かべていても彼が激怒していることを示している。

「何だよ、ジルバーン侯」

「レディに対しての礼儀がなっていませんね、先輩? ああ、そっか。貴方は貴族じゃないですもんね」

 キルケがそう言うと、彼は顔を真っ赤にしてキルケを睨みあげる。何も言い返せない様子は、おそらく嫌な部分を突かれたせいだろう。取り巻きを引きつれ、彼は去って行った。


「アストレア嬢、大丈夫だった?」

 心配してくれるキルケを見ると、それだけで恐怖に支配されていた心が落着きを取り戻す。彼の顔や声を聞くだけで安心する。来てくれて良かった、と心から思う。

「ありがとう、キルケ。あなたのおかげだわ……。わたしだけじゃ、彼を追いかえせなかった」

「本当はああいう脅しは嫌いなんだけどね……」

「そこまでしてくれてありがとう。あ、そういえば! ねえあなた大丈夫?」

 先程、コーネリアスにいじめられていた少年に駆け寄る。可哀相に、彼は震えながらアストレア達を見ていた。びくびくしながら辺りを伺う様子は、まるで子ウサギのようだ。


「だ、だいじょうぶ……」

 震えながら笑みを浮かべようとするウサギ少年にアストレアの心が痛む。

(こんなくだらないことをする人がいるなんて)

 許せなかった。弱い者をいじめるのが強い者ではないはずだ。本当に正しく強い者ならば、弱い者を守ろうとするはずだ。

「初めまして。僕はキルケ。出会った瞬間に申し訳ないけど、君と先輩って何の関係があるの?」

 キルケがアストレアの隣に立ち、そっと彼に質問をした。ウサギ少年は言おうか、言うまいか逡巡したあと、おずおずと口を開く。


「お、おれと……コーネリアスさんは同じ委員会に入っていて……」

「武道委員会?」

「うん……」

「さっきの委員会としてクリンを徴収していたわけじゃなさそうだね。いつもこんなことをされているの?」

 ウサギ少年は次々と質問をしてくるキルケを不審に思ったのだろう。それ以上、口を開くつもりはないらしい。キルケはそんな彼の態度を察したのか、ごめんと謝ってそれからは何も聞かなかった。


「あなた次の授業は魔法学?」

「う、うん……」

「じゃあ、わたしと一緒に受けましょう。あ、わたしはアストレア。よろしく」

 そう言い、教科書を持っていない方の手を差し出すと、ウサギ少年はそっとはにかんで握ってくれた。小さくてとても温かかった。

「おれ、フレイ……」

「よろしく、フレイ。キルケもありがとう、授業に間に合うようにしてね」

「ありがとう、アストレア嬢。じゃあまた後で。さよなら、アストレア嬢、フレイ」

 そう言い、キルケは手を振って自分の受ける授業の教室へと向かった。小さくなる背中をずっと見ていると、フレイが入らないの? と手招いていたので慌てて教室へ入る。


「今日はそれぞれの魔法属性を司る神に愛された者“アマデウス”について勉強する。教科書を開いて……リエール嬢? 教科書を開きなさい」

「あ、は、はい」

 ぼうっと窓の向こうを眺めていると、魔法学の先生がやって来ていることに気付かなかったらしく、教科書を開いていないことを注意されてしまう。慌てて先生が指示する教科書のページを開く。

「そもそもこの世界での魔法の属性は、生まれた月によって決められている。例えば、1月だと守護神ヤヌスの属性になる。空間魔法士はみな1月生まれだろう? その中でも魔力、という個人差がある媒介が無尽蔵にある人間を神に愛された者、“アマデウス”と呼ぶのである。彼らは神と対話することができ――」

 コーネリアスのことが気になって、その日の魔法学の授業は、あまり頭に入ってこなかった。



 ▼


「あー、今日はキルケ兄ちゃんのカノジョが先生なんだなー!」

「センセー、いつケッコンするのー?」

「はいはい、恋人でもないし、結婚もしないわよ。それより前回やったところを復習するから」

 読み書きを教えるために使っているこの場所には、壁も屋根もないので、雨の日や風が強い日は出来ない。晴れた日にしか行わないのでいつしか“青空教室”と呼ぶようになった。青空教室の生徒ははじめ、キルケの友人バリンしかいなかったが、真面目に受けているバリンを見て他の子供たちも参加するようになってきた。

 今では4,5人の子供たちが集まっている。随分と賑やかになった青空教室では、キルケとアストレアが先生となって彼らに読み書きを教えた。それ以外にも、魔法が得意なアストレアは魔法学の入門を、剣が得意なキルケは木の棒を使って剣術を教えていた。子供たちを触れ合う時間はとても新鮮で、学院の授業とはまた違った面白さがある。少しずつ、賛同者が増えれば良いと思っていた。


 お互いどちらかがどうしても都合が合わない場合は、予定が空いている方が先生をしている。

 段々と子供たちと接していくうちに慣れてきて、今では子供たちのそんな冷やかしも、真に受けることなく聞き流すまで扱いに長けている。


「でもさ、お姉ちゃん。キルケ兄ちゃん、お姉ちゃんのこと褒めていたよ」

 ふと、バリンが手を挙げて言った。この青空教室では、他の学院と同じように答える時、意見を言う時は手を挙げてから発言するように言っている。初めの頃は、みんな言いたい放題で大合唱のようだった。

「え、ええ、何て言っていたの?」

 バリンの言葉に思わず動揺するアストレア。別に動揺することなんて無いはずなのに、と思いながらも心臓は正直に鼓動する。



「お姉ちゃんはとっても優しくて、正義感溢れる人だって」

 バリンはそう満面の笑みを浮かべて言う。成長真っ盛りの彼は、先日前歯が抜けたと言っていた。にか、と笑う彼の前歯はやはりない。小さなバリンもいつかは大きくなるのだ、と感じながらもアストレアは気持ちを子供たちの前で隠そうと興味のない振りをする。彼らに弱みを握られたら散々からかわれた挙句、キルケに言われるからだ。

「そ、そうなの……」

「あ、お姉ちゃん顔赤いよー!」

「ほんとだー、りんごみたーい」

「こら、みんな騒がない! 授業を始めるよ」



 ▽


 生徒会から許可を貰ってから毎日、欠かさずにキルケとアストレアは貧民街の子供たちに読み書きを教えていた。全てが順調に思えた矢先のこと。


「どういうことですか!? 僕等はそんなことしていません!!」

 いつものように放課後、図書塔へやって来たアストレアの耳に普段聞かないキルケの必死な声が聞こえた。何があったのか、と最上層へ向かうと生徒会の書記ヨモギとキルケが言い争っている。

「あっ……アストレア嬢……」

 彼女の姿を見るなり、苦しそうな表情を浮かべるキルケに不安を掻き立てられる。

「ちょうど良かった、委員長でもある貴女にも伝えておこう」

 ヨモギはキルケに見せていた書面を見せてくる。そこには、『図書委員の校外活動を禁止する』との文章が書かれていた。

「え、校外活動を禁止するって一体どういうことですか?」

 取り乱しそうになるアストレアとは対照にヨモギは至って冷静に答えた。

「貧民街で勉強会を開いている生徒が先日、剣を振り回して子供たちを脅していた、との苦情が入ってきた。生徒会としても黙って見過ごすわけにはいかない、とオリヴィエ副会長のお達しだ」

「わたし達は何もしていませんよ!?」

「証拠もないのに信用はできない。当分、図書委員には校外活動の禁止を言い渡す」

 愕然とするアストレア達に視線を投げると、ヨモギは静かに図書塔から出て行った。


 手渡された校外活動禁止の書面を握りしめ、佇むアストレア。

(わたし達はただ子供たちに教えていただけなのに……)

 理由もなく、突然『苦情が入った』と言われ、許可を取り消されたとは。突然のことで考えが追いつかない。一体、これからどうすればいいのか、考えていると今まで黙っていたキルケが口を開いた。

「アストレア嬢、一度青空教室へ行こう」


 そう言って階段を降りるキルケの背中は、どこか遠くに行ってしまいそうで怖くなる。慌てて後を追いかけるアストレア。真剣な横顔からは彼が何を思っているかは分からなかった。


 青空教室を行っていた場所に向かうと、そこには目に涙を浮かべたバリンがいた。彼の周りにはボロボロになった黒板の残骸が散らばっていた。

「キルケ兄ちゃん、アストレア姉ちゃん……」

 思わずバリンを抱きしめると、今まで堪えていたのだろう、彼は声を上げて泣いた。


 キルケは沈痛な面持ちでバリンとアストレアの方を見ると、床に散らばった黒板の残骸を手に取る。彼が作った小さな黒板。青空教室の生徒はバリンから数人に増え、この黒板の大きさでは足りないくらいの賑わいを見せていた。誰かの嫌がらせでこんなことになるとは許せなかった。


「バリン……何があったの?」

「姉ちゃん達と同じ服を着た人たちがいきなりやって来て、オレ達の目の前でめちゃくちゃにしてきたんだ……っ」

 震える小さな体をぎゅっと抱きしめる。バリンはアストレアにしがみつきながら涙を流す。


「アストレア嬢、これ見て」

 黙って地面を睨んでいたキルケが手に持っている物を見せる。それは、金色の糸で刺繍を施された獅子の紋章だった。

「これは?」

「……武道委員会の紋章だよ」

 図書委員は武道委員と全く接点を持たないはずだ。ここを荒らした犯人は高確率で武道委員会の人間だということになる。しかし、武道委員会にそうまでされる記憶がない。キルケはアストレアに、とりあえず武道委員の委員長に直接会って聞いてみようと言った。


「バリン、しばらく青空教室はお休みね」

「……もう2度と勉強できなくなる?」

 泣きはらしたバリンに、キルケが優しく頭を撫でる。

「ううん、そんなことないよ。ちょっとだけお休みするだけだよ」

「ええ、それまでちゃんと復習しておいてね」


 バリンを見送ると2人は学院へと戻った。行き先は武道委員会の委員長室だ。



 ▽


 キルケと共に武道委員会の委員長室にやって来ると、すぐに委員長を呼んでくると言われた。言われた通り、椅子に座って出された紅茶に手をつけていると、どこからか口論の声が聞こえてくる。

 委員長室の奥の扉から長身の黒髪で青い瞳をした男性と、鮮やかな赤い色の髪を紐で束ね黄色い瞳を鋭く光らせながら言い合いをしている生徒がいた。

「いい加減にしないか、ロラン! 校内でナンパをするな、と何度言えば分かる!!」

 赤い髪の生徒が黒髪の飄々とした態度の生徒に食ってかかるように怒鳴る。しかし、相手は全く気にすることなく、むしろ面白そうに目の前の生徒を見下ろすだけだ。

「フェデルタは分かってないなぁ、オレ様がナンパしたんじゃなくて、相手から来たわけよ」

「だったらなぜ、我が委員会に苦情が来るのだ!」

「さあ? 振られたのがショックでその腹いせなんだろ。って、カワイ子ちゃん発見!」

 2人の口論を黙って見ていたアストレアの方に気付いたロラン、と呼ばれた男性が一瞬で距離を縮めてくる。そっと彼女の手を取り、膝を床につけ上目使いで見つめる。


「え、えっと……」

「初めまして、オレはロラン・ド・ブルターニュ。美しい姫君よ、今夜オレとぉおおおぶ!」

 彼が最後まで言い切らないうちに、ロランと口論をしていた生徒が彼の脳天に剣の柄を押し付けていた。


「失礼した。ワタシは武道委員、副委員長を務めているフェデルタだ。そして、そこで悶絶しているゴミは同じく副委員長のロラン。以後お見知りおきを」

「ゴミって……言うな……てか、フェデルタ……オマエ、下痢ツボ押すのは止めろ……。明日、オレ様が下痢になったらどうするんだ……」

「知るか。自業自得だろう」

 目の前で繰り広げられる光景に、自己紹介をする機会を失うアストレアとキルケは2人見合って唖然とした。


「おい、お前らまた喧嘩か? 客人の前で大人しく出来ないのか」

 奥から出てきたのは、どうやら委員長らしき人物だった。先程までロランを剣の鞘で殴っていたフェデルタが彼を見た瞬間、姿勢を伸ばす。

「すまないな、こいつらが……。俺は武道委員の委員長、アレスだ。図書委員がどういう用件でここへ?」

「あの、わたし達“青空教室”って言って貧民街の子供達に読み書きを教える校外活動を行っているんです」

 アストレア達の前に座ったアレスに、フェデルタが淹れたての紅茶を差し出す。

「へえ、図書委員がそんな校外活動を」

 アレスは感心したように頷いた。後ろで控えているフェデルタも興味深そうにアストレアの言葉を聞いている。

「しかし、この間、学院の何者かに荒らされたんです。それで現場にこれが……」

 キルケが差し出した獅子の紋章を受け取ると、アレスの表情が強張った。それを後ろから覗き込むようにして確認したフェデルタも驚きを隠せない。

「これは確かに武道委員会の紋章だ……間違いない。だが、俺達は何もやっていない」

「ねえ、姫君。本当にこれ、現場に落ちていたの? 姫君達の策略じゃなく?」

 フェデルタの攻撃からいつの間にか立ち直っていたロランが、アストレアの肩を抱きながら紋章を指差す。おそらく、武道委員を陥れようと図書委員の自作自演ではないかと疑っているのだ。

 凛とした声でアストレアは否定した。ここで変に動揺してしまえば、疑われてしまう。


「いいえ。わたし達が武道委員会を敵に回すような、そんな危険なことはしません」

 アストレアの返答に肩を抱くのを止めないロランは賛同する。

「そうだな、姫君の言う通りだぜ。図書委員は学院で最も弱い委員会なんだから。生徒会の傘下に入れ、って言われているくらいだろ? それを序列2位の武道委員と渡り合おうなんてそんな難しい話にはしないよなぁ」

「口を慎め、ロラン」

「はいはい、フェデルタさんよ」

 ロランはそう言うと、アストレアの髪をいじりだす。居心地が悪くなっていると、キルケがロランの手を掴み離してくれた。


「アストレア嬢に触れないでくれませんか、ロラン先輩」

「おっと、姫君には騎士さんがいたか……」

 手をひらひらさせてアレスの後ろへ移動するロランを、じっとキルケが睨みつけていた。


「アレス様、ロランを縛りましょうか?」

 どこからともなく、縄を手に持ったフェデルタがアレスに指示を仰ぐ。

「げえっ、フェデルタ何て物騒なモン持ってんだ!!」

「ああ、フェデルタやってしまえ。……話がズレてすまない、確かにこの紋章は武道委員のものだ。だが、俺達はやっていない。そうは言ってもお前達からすれば、俺の言う事なんぞ信憑性がないだろう。だからそれを証明するために、という意味合いを含めて俺達は俺達で内部犯を探しておくよ。もし、何かあったらすぐに連絡しよう」

 アレスはそう言うと、アストレア達に握手を求める。これが委員会同士の口約束の際のしきたりだ。アレスにお礼を言い、部屋を出た。ふと、フェデルタの怒声とロランの悲鳴が聞こえてきた気がしたが、知らぬふりをしてその場を足早に去る。


「これからどうすればいいんだろう……」

 キルケの言葉にアストレアもどう返答していいか迷う。

 生徒会の許可が取り消された以上、校外活動を行うことは出来ない。実技大会は開催まで数週間あり、即座に出来る活動でもなかった。しかし、図書塔の蔵書整理を行うだけでは生徒会から傘下に入るように圧力がかかるのは明白でもある。

 アレス達が内部犯を捜しだし、見つけ出してくれるまではこちらも迂闊には手出しが出来ない。

 文字通り、八方ふさがりの状況だ。


 自然と図書塔へ向かっていると、廊下の向こう側から見慣れた生徒の姿が見える。

 癖のある金髪に特徴的なそばかす。あの時、フレイと名乗る気弱そうな少年をいじめていたコーネリアスだ。

「おやおや、最弱委員じゃないか。校外で読み書きを教えるだなんて、悪あがきをせずにさっさと生徒会の傘下に入った方が良いんじゃないか? どうせ、構成員は増えていないだろうしな」

 コーネリアスがアストレアとキルケの姿を見た瞬間、意地の悪そうな笑みを浮かべて嘲笑ってくる。彼の取り巻きがまた、フレイを小突きながら後ろをついていく。


「またあなた達……いい加減にしなさいよ!」

「おい、僕に指図をするな。行こうぜ」

 コーネリアスは彼女を一瞥すると、取り巻き達と共にその場を去る。


「……フレイは」

「え?」

 ずっと黙って険しい顔をしていたキルケは、取り巻きとコーネリアスに小突かれるフレイの後ろ姿を見ながら眉をひそめる。

「フレイはおそらく、“奴隷”なんだと思う」

「ど、奴隷……?」

「昔、どこかの委員会で密かに奴隷制度を導入していた所があったんだ。権力争いのある委員会を運営していく中で、幾つか禁止事項があるのだけど、そのうちの“人を傷付けてはならない”という禁止事項が出来上がった原因でもある事件なんだ」

 貴族の子弟が多いこの学院では、家柄があまり良くない生徒が餌食になっていた時代がある。4か国から生徒が来ているこの学院では、家柄で人を差別するのは禁じているのだが、隠れてやっていたらしい。今は全ての委員会が禁じているが、どうにも綻びは出るようだ。

 コーネリアスの場合、彼の家は豪商トレモイユ家で爵位は持たない。だが、権力として純粋に見るなら子爵クラスだという。おそらく、フレイは彼よりも逆らえない低い爵位の子か、或いは特待生として入った平民出身か、そのどちらかだろうとキルケは言った。


(何か引っかかるのよね……)

 アストレアはキルケの話を聞きながらそう思った。




 ▼


 悩んだ時はいつも薔薇園に来るようになった。

 どうすればいいか迷ったとき、星のように道を照らしてくれる彼がいる気がするからだ。

「ユーリ、こんにちは」

「やあ~、アストレア」

 風に流れる髪を押さえるようにしながらユーリは、自分の目の前に座るよう手招きしてくれる。

「今日は何かあったの~?」

 オッドアイの瞳にアストレアを映して、ユーリは微笑んだ。まるで人の心を読んでいるようだ。ユーリ、という名前の――本名かどうかも分からないが――不思議な少年は、おとぎ話に出てくる妖精のようにも思えた。実は、人間じゃなく精霊なのかもとアストレアは頭の隅で考える。


 ユーリに図書委員が陥っている危機について話すと、彼は暫く黙りこんだ。


「ユーリ……?」

「アストレアはさ~、武道委員の内部分裂って知っている?」

「内部分裂って? 武道委員にも何かあるの?」

「キルケは教えてくれなかったのかな~。まあ、いいか。今ね、武道委員では保守派と革新派の2つの派閥に分かれているんだ。革新派は、古くからのしきたりの多い今の武道委員の規約を変えようとする一派で、保守派その反対。古くからのしきたりを守ろうとしている一派なんだ。委員長であるアレスと2人の副委員長達は、保守派なんだ」

 キルケの名前が出てきて驚いたが、それよりも武道委員について気になった。保守派がアレス達だとすれば、革新派のリーダーは誰なのだろうか。そう思った瞬間、聞き慣れた名前が彼の口から出た。

「革新派の指揮者はコーネリアスだよ~」

「コーネリアスが革新派……? つまり、委員長達と対立しているってこと?」

「そういうこと~」

 ユーリは楽しそうにクスクスと笑う。

 彼の言う事を元にして考えるなら、同じ武道委員の中でも目的や思想が異なった生徒がいるということだ。そして、アレス達の言葉を信じるとすれば青空教室を壊した犯人は、彼らと敵対している革新派の仕業と考えた方が筋は通る。


 保守派の委員長アレスと、副委員長のフェデルタとロラン。そして、革新派のリーダーであるコーネリアス。

「まさか……ごめんなさい、ユーリ。わたし行くわ! ありがとう」

 ユーリにお礼を言って慌てて薔薇園を駆けだす。図書塔にキルケがいてくれることを願った。



“かわいい私のアストレア”


 ふいに聞こえてきた直接頭に入ってくるような声に、思わず振り返る。だが、そこにはもうユーリの姿は無かった。

(ユーリの声じゃないわよね……気のせいかしら)

 それよりも今は伝えなければならないことがある。アストレアは転ばないように注意しながら走った。


 ▽


「アストレア嬢……僕等を図書塔に集めてどうしたの?」

 慌てて図書塔にやって来たと思えば、武道委員長のアレスと副委員長のフェデルタ、ロランまでも呼んできたアストレアにさすがのキルケも不思議そうな表情をする。全員が揃ったことを確認すると、まずは武道委員の面々に足を運んでくれたことについてお礼を言った。


「図書塔までご足労頂き、ありがとうございます。早速ですが、青空教室を壊した犯人に目星がついたので、皆さんをお呼びさせて頂きました」

 アレスとフェデルタが驚く中、ロランだけが面白そうに眉をあげてアストレアの方を見た。


「青空教室に落ちていたのは金糸で縫われた獅子。これは、武道委員会の紋章で間違いありません。そして、武道委員会には内部分裂が起きていること。保守派である委員長さんと、革新派であるコーネリアスが対立している、と聞きました」

「あ、ああ……」

 アレスは頷いた。フェデルタも苦い顔をしている。どうやら、武道委員にとっても出来れば早急に摘んでおきたい不安の芽なのだろう。


「委員長室を訪れたあの日帰り道に、コーネリアスに会ったのです。その時、彼は言いました。“校外で読み書きを教えるだなんて、悪あがきをせずにさっさと生徒会の傘下に入った方が良いんじゃないか? どうせ、構成員は増えていないだろうしな”と。わたし達が校外活動の事を話した時、委員長さん達は初めて知った、というように思えました。おそらく、あなた方はわたし達が構成員を増やすために校外活動を行っているということを知らなかったのですよね?」

「ああ……俺やフェデルタ、ロランはもちろん、他のメンバーも知らないはずだ」

 アレスがそう言うと、キルケの目の色が変わった。これからアストレアが言おうとしていることが分かったのだろう。


「委員長であるアレスさん達でさえ知らなかったのに、何故コーネリアスは知っていたのか? それは、おそらく彼が犯人だったからでしょう」

「……フェデルタ、ロラン。今すぐコーネリアスをここに連れてこい」

 アレスが後ろで控えている2人に指示を出す。しかし、アストレアはそれを手で制すると首を横に振る。

「その必要はありません。既にここに呼んでいます」

 彼女がそう告げた瞬間だった。図書塔の扉が開く音がする。その場にいた全員が、扉の方を見つめていると外からコーネリアスが入ってくる。

「コーネリアス!」

「あっ、委員長……」

 アレスの姿を確認したコーネリアスは咄嗟に逃げようとしたが、瞬時に彼の背後を取ったフェデルタにそれを阻止されてしまう。後からやってきたロランが、彼を軽々持ち上げるとアレスとアストレアの目の前に彼を落とす。


「コーネリアス……本当のことを言ってくれ。図書委員の校外活動を阻止したのは、お前か?」

 悲しそうなアレスの声音と、厳しい顔のフェデルタと無表情のロランを見やってコーネリアスは、肩を落とした。

「はい……妨害は革新派の人間でやりました」

「何でそんなことをしたんだ!」

「キルケ……」

 取り乱しそうになるキルケに抱き着き、彼を止めようとする。悔しいのはアストレアも同じだった。だが、ここでコーネリアスをどうこうしても問題は解決しない。ここは耐えるしかないのだ。


「図書委員に生徒会への傘下を決定づけるように仕向ければ、キミが武道委員の委員長になるように力を貸そうって生徒会の人に言われて……」

「生徒会の誰なんだ?」

 拳を握り、アレスは静かに聞く。

「分からないです。手紙が寮の郵便箱に入っていただけで」

「お前という奴は……」


 コーネリアスの頬を引っぱたこうとする彼に、アストレアは1つの提案をする。

「取引、と言えば言葉が悪いですが……委員長さんには、図書委員へ戦闘の申し込みをしないという約束をして頂きたいのです」

 それに答えたのはアレスではなく、ロランだった。

「なるほど、姫君は聡明な人らしい。つまり、この事は黙っておく代わりにウチと不戦条約を結ぼうってわけだ」

「はい」

「……そうか。だが、条約を結ぶには生徒会の人間を証人として結ばなければならない」

 アレスがそう言うと、ロランが指を鳴らす。

「こういうこともあろうかと、オレ様が手を打っておいたぜ、委員長」

 自信ありげに言うロランの指差す方向を見ると、階段に座って本を読むオリヴィエの姿があった。ロランにはアストレアの考えている事を先読みされていたらしい。

(ロラン・ド・ブルターニュ……。食えない方ね……)

 オリヴィエは眉間に皺を深く刻み、ロランを睨みつけると持っていた本で彼の鼻めがけて殴りつける。


「お前が大事な用がある、と言って呼んだのがこういうことか。お前が生徒会室へ来い」

「いいじゃないか、幼馴染の頼みだろ」

「お前と幼馴染になった覚えはない」

 オリヴィエはロランにそう一喝すると、アレスとアストレアを見やった。


「お前達、条約を結ぶには1つ条件がある」

「条件?」

「図書委員がコーネリアス率いる革新派に、実技大会で勝利しないと条約は認められないと会長からの伝言だ」

 オリヴィエは副会長だ、とキルケから聞いていた。会長をいまだ見たことがないが、きっと凄い人なのだろうとアストレアは思う。オリヴィエにそう伝言を頼んでいたということは、アストレアやロランよりも先を見越していた、ということなのだからだ。


「ええ、やってやろうじゃない……」

 青空教室をボロボロにしたコーネリアス達を、全校生徒の前でタコ殴りに出来る最大のチャンスだ。そういう意味も込めて制服の袖をまくる。きっと母親が今のアストレアを見たら卒倒するだろう。

 なんて血の気の多い子になってしまったのだ、と。それでもいい。いや、むしろ今くらいの方が良い。淑女らしく、部屋の中で刺繍や楽器演奏などしているより外で魔法の打ち合いをしている方が断然好きだからだ。


(もしかしたら、わたしの婚約者はそういう性格よりも淑女らしいお姉ちゃんの方が好みだったのかもね)

 今となっては心の中で笑い話にしている婚約破棄のことを思い出しながら、アストレアは好戦的な笑みを浮かべて、コーネリアスを見やる。


「わたし達があなた達に勝ったらフレイの解放と、不戦条約の締結を求めるわ」

 アストレアの宣言にコーネリアスは歯を食いしばった。





 ▼


「ごめんなさいキルケ……わたし、思わず頭に血がのぼっちゃって……」

 アレス達が帰った後、冷静になったアストレアは自分の発言を思い返しては自己嫌悪に陥っていた。

「もし負けちゃったらどうしよう……今度こそ傘下に入れられるんじゃないかしら」

「大丈夫だよ、僕等は負けないって」

「でも……」

「僕はアストレア嬢を信じてる。アストレア嬢も僕を信じてみてくれないかい?」

 真っ直ぐと向けられるキルケの瞳。澄んだその目が美しいと感じた。


「そうね……委員長がこんな弱気だったら弱肉強食のこの学院では生きていけないわっ」

 制服の裾をはたき、立ち上がるとそうだね、とキルケが笑った。


(あっ、まただわ……胸が、苦しい)

 彼のその微笑みを見た瞬間、アストレアは何度も感じた感覚に襲われる。

(いやいや、まさかね……)

 すぐさま思い浮かんだ言葉を打ち消すように、頬を叩いた。



 ▽


 学院に来て初めての実技大会の日、当日。

 実技大会は、筆記試験の結果が近い者同士で当たるようにトーナメントを組まれているらしい。しかし、今回はコーネリアス達との約束がある。生徒会が裏で調整をしていた結果、キルケとアストレアはコーネリアス達とあたることになっていた。

 実技大会の会場は、学院内にあるコロセアム。普段は生徒たちの自主練習場で、ここで剣の稽古をしていたり、馬術の練習に使っていたりする。ちなみに、武道委員の管理下にあるために使用許可は彼らにもらわねばならない。そのため、実技大会の運営、設置などは武道委員の仕事である。

コロセアムの観覧席の一番前を陣取ったアストレアは、キルケの出番を、冷や汗をかきながら待っていた。先に剣を使う生徒たちの試合が行われる。アストレアの出番はもう少し先だ。


「おお! 麗しいオレ様の姫君! 姫君もここでキルケ坊の試合を見るんだな!」

 聞き慣れた声と肩に伝わる感触でロランもいるのだ、と反射的に思う。なんだかんだ、ロランには慣れたかもしれない。相変わらず居心地は悪いが、フェデルタがロランを叱ってくれるので何とかなっている。そう思っている間にも、フェデルタはアストレアに短い挨拶を交わした後、彼女にくっつくロランを引きはがし、剣の鞘で殴りつけていた。そんな中、倒れて動かないロランを踏みつけて、爽やかな笑顔と共にアレスが登場し、みな試合場の方へと視線をやる。


『生徒の皆様、お待たせいたしました! 実技大会剣部門の試合を始めたいと思います』

 魔法石を使って声を拡張しながら説明するのは、編入初日に学院内を案内してくれたアイグレだった。

『まずは、この2人から! 図書副委員長キルケ・フォン・ジルバーン、武道委員会所属コーネリアス・ド・トレモイユ!』

 アイグレの呼びかけと同時に、防具に身を包んだ2人が試合場へと足を踏み入れる。観覧席にいるギャラリー達は、“弱小委員会なんてぶっ潰せ”と、コーネリアスを支持する声がほとんどだ。


「キルケッ!! 頑張ってー!」

 そんな観客たちに負けないように、これでもかというほど声を張り上げてキルケを応援する。届いているかは分からないが、そうであって欲しいと切に願う。


『それでは……はじめっ』

 アイグレは魔法石に向かってそう叫ぶと、合図に銅鑼を叩いた。音が聞こえるとより一層、観客たちの歓声が大きくなる。


(キルケ……頑張って!)

 必死に祈りながらキルケを見つめた。じっとお互いを睨み合い、様子を窺っていたがしびれを切らしたのかコーネリアスがキルケに向かって斬りかかっていく。練習用なので実際には斬れないとはいえ、体に当たれば鈍器で殴られたくらいの衝撃はあるだろう。下手をすれば骨にひびが入るかもしれない。

 キルケとの間を走って縮めるコーネリアスの動きをキルケはじっと見極め、彼がそこから繰り出す剣劇を舞踏するようにかわしていく。時折、隙を見て彼に突撃を仕掛ける。剣の知識が皆無な素人のアストレアでさえも、キルケの太刀筋は美しいと直感した。

 隣でロランが息を飲む。


「あの剣術は……」

 少し離れたところでアレスが何か呟いたように聞こえたが、アストレアの意識はキルケに注がれていた。コーネリアスはキルケに比べて大振りな剣を持っており大きさの分、攻撃力も高いのだろうが攻撃を繰り出すまでのタイミングにロスがある。コーネリアスに比べて剣が細く長いキルケは、有利に事を運んでいく。


 舞い上がる蝶のように、華麗な足踏みでキルケはコーネリアスに剣撃を繰り返す。キルケの攻撃を防御するのに必死なコーネリアスはなかなか、攻撃に転じることが出来ないでいた。

「おい、そんな貧弱な奴なんかさっさと倒しちまえ!」

 観客はコーネリアスの防御の戦法に飽きたのか、キルケを倒せと野次を飛ばす。アストレアは彼らに何かされたわけでもないのに、妙にむかつきが抑えられなかった。

「キルケ!」

応援する気持ちを祈るように名前に込めて叫んだ。キルケはぐっと地面を踏みしめる。隙あり、とコーネリアスが上から下へ大剣を振り下ろす。


 一瞬、地面を蹴ったかと思うと先程立っていた場所に振り下ろされたコーネリアスの剣を足場に、彼の首へと剣先を突きつける。



 コロセアム中が静寂に包まれたかと思うと、次の瞬間には耳が千切れそうになるくらいの歓声でいっぱいだった。誰もが最弱委員会の勝利に驚いていた。




「キルケ、お疲れ様! けがはない?」

 慌てて観覧席から控室へと向かったアストレアは、息を切らしながらキルケの元へ行った。いつの間にか後ろにロランがついてきていたが、振り返ることなくキルケを労う。

「アストレア嬢のおかげだよ、ちゃんと声届いていたよ」

 ふっと微笑むキルケに涙が出そうなくらい、言葉では言い表せない色々な感情が湧き出る。

「姫君の騎士さんってばいいなぁ、オレ様も姫君に心配されたい」

「ふふっ、図書委員に入ってはどうですか、ロラン先輩」

「学者になる気はないのでね。軍人のパイプがある今の委員会がオレ様に合っている」

 何故か、ロランとキルケの間に流れるピリピリとした緊張感のある空気。


「あ、次はアストレア嬢の番だね。僕は観覧席で応援しているから、このまま控室へ行くと良いよ」

 キルケがそう言い、アストレアの背中を優しく押す。耳を澄ませばアイグレが、次の対戦相手の名前を読み上げているところだった。


「ありがとう、キルケ。行ってくるわ」

「行ってらっしゃい、気をつけて」

「頑張れ~、姫君~!!」


 優しく微笑むキルケと、手がちぎれそうなくらい振るロランに挨拶をしてアストレアは控室へと向かった。次は自分の番だ。気合いを入れようと頬を叩く。

「ひぅっ、痛っ……」

 思ったより強く叩きすぎて頬が赤くなったが、気合いが入った気がした。




「ところで、ちらりと見えたんですがロラン先輩。僕の試合中、アストレア嬢の肩、ずっと抱いていませんでしたか?」

「おお、騎士くんは目が良いなぁ。姫君は別にオマエのじゃないんだろ? だったらオレ様が何をしようと勝手だ」

「そういうわけにもいかないんですよね。僕の委員長にちょっかいをかけられると不愉快です」

「じゃあ、オレ様と剣を交えて勝負するか?」

 ロランの意地の悪い笑みを見て、キルケは嘆息する。

「どうせ、それが言いたくて来たのでしょう」

「それもあるけど、姫君の香りを辿っていたらここに来ちまった」

「先輩? いくら先輩でも容赦はしませんよ」



 ▼


 鉄製の扉の向こうには、先程見ていた試合場が広がっているのだろう。今までキルケを応援していたアストレアがいた観覧席には、どんな生徒たちが戦うのかと今か今かとその時を待ちわびるギャラリー達がいる。全校生徒がいる中で、自分の魔法の腕を披露するのはひどく緊張するものだ。

 魔法士特有の黒いローブと、大きなとんがり帽子を被りアストレアは始まりをじっと待つ。


『それでは、次の試合を発表します。図書委員長アストレア・リラ・リエール、武道委員所属フレイ・ヴァナヘイム!』

 アイグレの声と聞こえてくるギャラリーの歓声。銅鑼の音を合図に目の前の鉄製の扉が開く。


(まさか、わたしの相手がフレイだなんて……)

 きっとどこかでコーネリアスが嘲笑っているのだろう、と予測する。彼の陰湿な嫌がらせにアストレアは苛立ちを隠せない。勝利条件として提示したフレイの解放。そのフレイと試合とはいえ、傷つけ合いをしなくてはならないとは。


 向こうを見れば、同じように魔法士の戦闘服に身を包んだフレイがいた。怯えた目でアストレアを見つめてくる。


 すぐ魔法を繰り出せるよう、体内に魔力を循環させるように頭でイメージする。フレイがどんな魔法属性なのかは分からない。だが、“水と地の魔法学”を受けていた以上、アストレアと同じ水属性か、あるいは水に有利な地属性のどちらかだろう。地属性になると、圧倒的に水魔法士は不利になる。アストレアは覚悟を決めた。


 お互い魔法の射程距離に入る。出来るだけ傷付けないようにしよう、そう思った途端アストレアの踏みしめる地面がぐらりと揺れた。フレイの方を見ると彼が淡く茶色に光り輝いている。魔法発動時の現象だ。

(フレイは地魔法士なのね……)

 アストレアの足元の地面はぐらりと揺れたと思えば、渦を巻きまわりの砂を巻き込んで竜巻のように彼女の足を飲みこんでいく。その場から出ようと足掻くが、蟻地獄のように抜け出すのを許さない。

「アストレアさん……おれ、あの時嬉しかった。おれを助けようと正義感溢れる貴方は英雄のようだった。でも……」

 フレイの目に涙が浮かぶ。だんだんと視界が砂に脅かされていく。

「同時に余計なことするな、って思ったんだ。貴方がコーネリアスさんを注意すればするほど、おれへの当たりが強くなる。おれはこれ以上何も望んでいないんだ!! 平穏を守るためならおれくらい犠牲になったっていいんだ!!」

 彼の叫びにアストレアは気付く。彼を助けるにはコーネリアスを止めるだけじゃ足りないのだ、と。しかし、返事をしようとしてもアストレアの体はもう地面に埋もれていた。

 息が出来ない、目も開けられない。彼の場合、そう魔力は多くない。だが、地属性である彼にとって試合場自体が使える武器がたくさんある絶好の場所だ。


(水で勝つには……わたしには、人よりも多い魔力がある。それを生かして水で勝つには……)

 脳が酸素を求めて悲鳴を上げているようだった。段々と意識が遠くなっていく。アイグレのカウントする声が聞こえたような気がしたが、もうどうでも良くなってくる。



 このまま消えそうになる意識を手放してしまえば、心地いいのかもしれない。体がふわふわと柔らかいもので包まれているような、そんな感覚がする。


 眠ってしまいたい――。


「う! ……トレア嬢! アストレア嬢っ!!」

 はっきりとキルケの声が聞こえてきた。他のことなんてどうでもいいのに、何故か彼の声だけは鮮明に意識に刻み込まれていく。

「アストレア嬢、頑張れ!」

 必死に叫ぶキルケの声がする。ああ、そうだ。自分はここで負けられない。対戦相手のフレイを救い出すためにもここで負けるわけにはいかないのだ。


(弱気になっちゃって……お姉ちゃんと婚約者が駆け落ちしたって聞いた時だって弱気にならなかったくせに、こんなことでネガティブになっていられないわ! 前向き思考よ、わたし!!)


 内側から溢れ出てくる魔力を感じる。そしてそのまま体内を循環させるイメージを浮かべて、心の中で詠唱をする。

(地に勝つには全てを流せばいい。少ない量でも増やせば水はどんなものにも勝てる。“大波ラム・ウール”)


“私のアストレア……力を貸そう”

 薔薇園で聞いた、頭に直接語りかけてくる声が聞こえた。声が響いたと同時に、アストレアが発動した魔法が強力になるのを感じる。大きな音を立てて、アストレアを守るように波が試合場を飲みこんだ。

 地面の中から大波に乗るようにして飛び出してきたアストレアを、フレイだけでなく、観客たちも見上げていた。

 波はフレイを飛び越えるようにして試合場全体の地面を濡らした。これで地を動かそうとしても、すぐさまアストレアが反応できる。


「フレイ、確かにわたしのやり方は返ってあなたを苦しめるだけだったかもしれない。でも、自分の平穏のために自分を犠牲にするなんて、それは平穏とはいえないわ」

 水を利用してそっと彼の目の前に降り立つと、短く詠唱し泡を作り出しフレイを包み込む。フレイは自分を包む泡を割ろうとするが、アストレアの魔法で作られた泡はびくともしない。

「その泡に包まれているように、あなたは自分で自分を閉じ込めているんじゃない? 泡を壊すように、自分の殻を破ってみたらどうかしら。きっと世界は違って見えるわよ」

 アストレアの言葉に涙を流すフレイ。膝をつき、声をあげて泣いていた。

「そんなの……」

「泡から出たらわたしや、これから出会う仲間がきっと助けてくれるはずよ」


 そう言い、アストレアは魔法を解除する。泡から解き放たれたフレイはその場に泣き崩れた。彼の体内にはもう魔力はほとんどない。勝負は決まった。


『勝者は図書委員長アストレア・リラ・リエール!』

 アイグレの言葉に、観覧席の生徒たちが一斉に拍手を送る。ふと、一番前にいた銀髪の少年と目が合う。キルケがこちらに向かって手を振っていた。


(ありがとう、キルケ……)



 ▽


「いやぁ、姫君があんなに凄い水魔法士だとは思わなかったぜ……。コロセアム中を覆い尽くすような大波を生み出すなんて。しかも、媒体なしに」

 生徒会室の執務机に寝転がるロランは、作業が出来ないと怒るオリヴィエをものともせず、アストレアを褒める。

「い、いえ……あの時、無我夢中で。それにキルケの声が届かなかったらきっと負けていたと思います」

「えっ、僕の?」

 不意打ちで名前を呼ばれたキルケは、驚き自分を指差す。その2人の様子に頬を緩めるロランとアレス。


「ヒュ~、お熱いねぇ姫君と騎士さん」

「若いっていいなぁ」

「アレス様も十分若いのでは……」

 武道委員会の面々がそういうやり取りをしているなか、オリヴィエが険しい顔でさっさと調印しろと急かしてくる。これ以上、生徒会室にロランを入れておけば仕事量が増えるだけだと考えたのだろう。慌てて、オリヴィエの言う通りに書面に調印する。


 実技大会で図書委員は、会長の言う条件の通り革新派に勝利した。そして、今、武道委員とお互いに戦いをしないという不戦条約を締結しているところだ。生徒会長は今日も仕事から逃げるように失踪しているらしいが、どこかできっとこの結果を楽しんでいる気がする。

「しかし、コーネリアスの件については俺にも責任はある。これは口約束にはなるが、何かあれば力になろう。本当に今回は申し訳なかった」

 そう言い、頭をさげるアレス。ここぞとばかりに言うのも何だか気が引けるが、図書委員はたったの2名しかいない。人手は多い方が出来ることがたくさん増える。

「あの……青空教室の修繕、手伝ってくださいませんか?」

「はいはーい、オレ様やる! 姫君の手となり足となります!」

 アストレアの言葉にロランが机の上で飛び跳ねる。長身の彼が机に立って飛べば天井に頭をぶつけてしまう。案の定、天井で頭を強打した彼は気絶しフェデルタに引きずられていった。


「馬鹿のせいで書類がめちゃくちゃに……」

「す、すまない副会長……」

「アレス! お前の保護責任に問題がある!! 大体、何でロランまで連れてくる必要がある!」

「姫君に会いに行くんだ、とか言って廊下を跳ねているのを某が見ました」

 ヨモギがそう言うと、アレスは苦笑いをオリヴィエに向ける。

「と、いうわけで勝手についてきてな……」

「……部下の尻拭いは上司の役目。アレス、暫く生徒会の仕事を手伝え」

「ええ!? そんなめちゃくちゃな……」

「アレス様、ワタシは図書委員の方を手伝ってまいります」

 アレスに向かって一礼し、アストレアとキルケを連れて生徒会室を出るフェデルタに、「裏切り者~」と泣き叫ぶ委員長の声が響く。まるで何事も無かったかのように、フェデルタはアストレア達の前を歩き始めた。



「あ、あの、フェデルタさん。コーネリアスやフレイはどうなったんですか?」

 前を歩くフェデルタに、キルケがそう聞く。フェデルタは、そっと立ち止まるとこちらを振り返ることなく、感情を押し殺した声で答えた。


「コーネリアスは破門、革新派のメンバーで図書委員の妨害をした生徒は全て謹慎処分。フレイは自分から辞めた」

「……そうですか」

 キルケは、フェデルタの言葉にそう答えるしかなかった。それ以上は2人とも何も言わない。


 ふと、廊下から見える窓の外を見やると薔薇園が見えた。ユーリがそこにいる気がして、アストレアは立ち止まる。

「アストレア嬢?」

「ごめんなさい、先にフェデルタさんと図書塔へ行っていて」

 そう言うと、アストレアは薔薇園へと向かった。



 ▽


 暖かい日差しが薔薇園の緑のカーテンから差し込んでくる。今日もユーリは同じ場所にいた。

「ユーリ、こんにちは」

「あ、アストレア~。久しぶり」

 いつものように挨拶を交わすと、アストレアは問題が全て解決したことを説明しようとする。しかし、ユーリは彼女の唇の前に人差し指を立てるとウインクした。

「言わなくても分かるよ~、全部知っているよ」

「本当に?」

「武道委員と無事に不戦条約を結べたんでしょう~?」

 今まさに言おうとしていたことを先に言われ驚く。本当に人の心を読めるのかもしれない。そう思っていると、楽しそうにユーリは言った。

「顔に書いてあるよ~、分かりやすいよね。アストレアは」

「そ、そうかしら……」

「うん。それより一件落着して良かったね~」

「ええ。色々と相談に乗ってくれてありがとう、ユーリ」

 今まで何か躓いた時にここに来ると的確なアドバイスをくれたユーリ。彼のおかげで壁を乗り越えることが出来たのも事実だ。


「良いんだよ~、面白かったし」

 ユーリはそう言うと立ち上がった。

「今日はもう行かなくちゃ~。それじゃあね、アストレア」

「ええ、本当にありがとう」

 ユーリはアストレアに優雅に一礼すると、彼女がやってきた方へと去っていく。


「でも、これからなのよね。頑張らないと」

 空を見上げ、アストレアは頬を叩く。

「ひぅっ……叩きすぎた……」

 赤くなった頬をさすり、図書塔へ向かう。




 ▼


 図書塔では、キルケが何やら備品箱をいじっていた。

「何か探しもの?」

「アストレア嬢、おかえり。青空教室に使う黒板と椅子と机の材料、何かないかなって。今さっき、フェデルタさんが武道委員で使わなくなった備品を探しに行ってくれているんだ」

「なるほど。わたしもお手伝いするわ」

「ああ、良いんだよ。備品箱の中に何が入っているか分からないし、もし危ないもので指を切ってしまったら大変だろう? アストレア嬢は座っていて」

 キルケの気遣いは嬉しいが、それでもアストレアの気持ちが収まらない。キルケ達がせっせと動いているのに、何もしないで座って見ているのは申し訳なさすぎる。


「それじゃあ気がすまない、って顔しているね」

「そんなことないわ……」

 やはりユーリの言う通り、分かりやすいのだろうか。思わず頬を押さえてしまうアストレアを、キルケは面白そうに見つめる。


「それじゃあ、僕の話し相手になってくれる? アストレア嬢のお仕事」

「そんなことでいいの? ううん、そうね……あ、生徒会長ってわたしまだ見たことないのだけど、どんな人?」

 備品箱を探りながらキルケは返事する。

「1年生の時に生徒会長に就任した凄い人なんだ。炎の神マルスに愛された“炎のアマデウス”でもあり、ユーリエフ王国の第2王子でもあるんだって」

「ユーリエフ王国の……ってことは、ラジエル殿下!?」

 アストレアの出身でもある北の国ユーリエフ王国の第2王子、ラジエル・セファー・エノク・ユーリエフ。実際、会ったことも見たこともないのだが、容姿端麗で頭脳明晰、剣も魔法も使える完璧人として社交界で名高い。ユーリエフ王国の令嬢達は、みなラジエル王子との結婚を切望するほどだ。

 まさかそんな人物がこの学院の生徒会長だったとは。


 そんな時だった。

「す、すみません! アストレアさんはいますか!」

 図書塔の扉を勢いよく開ける音と共に、少年の声が聞こえてきた。最上層から下を見ると、そこにはあのフレイが息を切らして立っていた。

「フレイ!」

「あの、おれ……図書委員に入りたいです!」

 アストレアは彼に満面の笑みを浮かべた。そんなの、言う前から答えは決まっている。


「もちろん!」


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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