発見
「これはぼくがあそぶの!」
「ぼくもつかいたい!」
よくある幼稚園の、よくある日常のひと時。
「けんかはだめ!」
そこにいた三人目は、よくいる幼稚園児ではなかった。
「けんかはだめ……」
「そう。なかよくあそばないとだめだよ」
「なかよくあそぶ……」
「そう! みんなでたのしくあそぼ!」
このとき彼はまだ、自分がした事の重大さに気が付いていなかった。
***************
カレンダーの右端。多くが青く印字されていて、七日に一回訪れる、少しだけ特別な日。要するに、土曜日だった。
週休二日制の恩恵をガッツリと受けている俺は、のんびりと家で一日を過ごす予定だった。
「なあ、何でよりによってサボテンだったんだ」
「そうね。他にいい案がなかったのかしら」
人の気配が全くない公園の中央に立つ仙人掌の遊具を見ながら、俺と鏡は愚痴をこぼしていた。
なぜこんなところにいるかと言えば、昨日のゴミ拾いの後のプチ会議が発端だった。
「今日はもう遅いし、このくらいでいいんじゃないか」
大きなゴミ袋が三つほど満杯になったころ、日が半分以上沈んでいた。途中で犬に追いかけられたり、近所の子供たちが遊んでいたボールが直撃したり、なぜか落とし穴にはまったりといろいろあったが、こうして五体満足でゴミ拾いを終えることができた。
なぜ俺は、たかがゴミ拾いで命の危機に瀕しているのだろうか。
「そうね。ここはもう綺麗になったと思うわ。明日は休日ですし、余った力は他の場所で使うことにしましょう」
長かった一週間を締めくくるゴミ拾いが終わり、あとは帰ってのんびりするだけ――のはずだった。
「さて、明日の集合時間なんだけど」
明日? はて、なんのことでしょうか。明日は休日ですよ、今鏡さんがそうおっしゃいましたよ。美園さん。そんなことを言おうと思っていたのだが、鏡が美園に向けた言葉は、俺の予想とは全く別方向のものだった。
「あまり早い時間から集まっても体力的な限界もあると思うし、お昼すぎでいいと思うのだけれど、どうかしら?」
あれ、なんで話が進んでるんだろうか。そんな疑問が解消されるのは、数時間前の話を思い出させられた時だった。
「今日でこんな悲惨だったわけだし、明日もやったら俺多分死ぬぞ」
「だから、休日は有志を集って、って言ったんじゃん」
そうは言われても、自分だけ行かないというのは、精神衛生上あまり良い結果になるとは思えない。特に、俺くらい品行方正で生真面目な性格だと尚更だ。
「まあ、俺は別に行かなきゃいいだけの話だけど、鏡はそれでいいのか?」
「どういう意味かしら? 来る来ないはあなたの自由だし、自分で決めてよいことだと思うのだけれど」
俺が言いたいことは、自分だけエスケープしていいのかという確認でもなければ、人手不足の心配をしているわけでもない。もっと別の問題だ。
「昨日と同じようにゴミを拾うんだったら、常に全員が固まってってわけにはいかないと思うんだけど」
「それが何か問題でも?」
こいつ、自分がここに来る前の醜態を覚えてないな? どんだけ鳥頭だよ。まあ俺もさっきまで休日出勤のことを覚えていなかったわけだから、あまり人のことは言えないけれど。
「いや、鏡が仙人掌公園で一人ポツンと居られるって言うんだったら、俺は全然構わないんだけど」
「あー……」
どうやら美園は一瞬で理解したようだった。遅れて鏡もハッとした顔をした後、顔を真っ赤にして抗議し始めた。
「だ、だから別にその、私はそういうのは大丈夫だって言ったでしょう。あまり私を舐めないほうがいいわよ」
怯える子犬が発したその言葉を真に受けとれるほど、俺は素直な人間ではなかった。
「はぁ……仕方ねえ。明日も行くか」
「うん、お願い。かがみんのために、仕方なく来てね」
美園は、俺の意図を汲み取ったのか、仕方なく(・・・・)を強調してそう言った。結局俺は、ゴミ拾いに行く理由が欲しかっただけなんだろうと、そう気が付いたのは家に帰ってからだった。
――土曜日の昼下がり。俺は今、人が全くいない公園のブランコに座っていた。
「しかし、美園なかなか来ないな」
まだ集合時間前だから来てなくても問題はないのだが、前回が前回だっただけに少し意外だった。
「あなたみたいに、いい歳にもなってブランコで遊んでいる人のところの元へなんて、行きたくないのではないかしら?」
「お前もブランコ乗ってるだろ……」
大きくなってから遊ぶブランコは、速さが出る上に目線は高くなり、幼少期に遊んだそれよりも一層スリリングなものだった。
「お待たせー!」
公園の入り口で、活気のある少女の声がした。その子はなぜか、満杯になった大きなゴミ袋を背負っていた。
「美園、お前もしかして来る途中のゴミ拾ってきたのか」
驚く俺と鏡をよそに、美園は淡々と、それが当たり前かのように話し出す。
「バス降りてからここまでのゴミしか拾ってないけどね。やっぱこっち側は、人ほとんど来てないからあまり整備されてないみたいなんだよ。それだけゴミ捨てる人も少ないのかなと思ったけど、どうもそんなことはないみたいで」
「呆れた……それならそうと、一声かけてくれればよかったのに」
美園は軽く笑いながら「まだ集合時間前だし、これは私の生きがいみたいなものだから」だとかなんとか言い出した。聖人か何かの生まれ変わりか何かなの? マザー・テレサの生まれ変わりとか言われたら、信じちゃうよ俺。
荷物を全部持って拾いに行くのはさすがに苦行だったので、ゴミを拾いに遠洋漁業するチームと、公園のそばで荷物を見張りつつ、その辺に落ちているものを拾い集めるぼっちに別れることにした。当然俺はわざわざ遠くまでゴミを集めに行きたくなかったので、公園にスタンバイすることにした。
ゴミ拾いを始めて五分ほど経ったころだろうか、不意に後ろから視線を感じたような気がしたので振り返ってみた。そこには誰もいなかったが、なぜかブランコがかすかに揺れていた。さすがに俺がどれだけ強くブランコを漕いでいようとも、五分間も揺れ続けるとは考えにくい。しかし、この場にほかの人がいるという事実を想定することも、同じくらい難しいことだった。
「……あー、俺もしかして今日死ぬんじゃねーのこれ」
そんな独り言にまさか反応してくる人物がいるとは、予想もしていなかった。
「何言ってんの、死ぬわけないじゃん」
声のした方向を見てみると、ランドセルを背負った少女が立っていた。ランドセル、人気のいない公園……考えられることは一つしかなかった。
「やべえよ塩なんて持ってねえよ。とりあえず南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。宗派違ったら南無妙法蓮華経か」
「そんなどうでもいいこと分析しなくていいから。慌ててるのか落ち着いてるのか、はっきりしてよ」
赤いランドセルを揺らしながら、その少女はこちらに対し冷たい視線を飛ばしていた。
髪は長めで背が高く、ランドセルを背負っていないととても小学生には見えない。おまけに目が獰猛な鷹の如く鋭く光っており、正直とても怖かった。
「最初からここに小学生の家出少女がいるかもしれない、って情報があれば、驚くことはないだろ」
美園が言ってた、小学六年生の家出少女。まさか、本当にいるとは思わなかったけどな。
「そう……」
その少女は一瞬安堵の顔をした後、意識を失って倒れた。
***************
Ct>あれー? 今日はあまり人がいないですね
ハク>休日のお昼ですから、みなさんいろいろとしてるのではないでしょうか
Ct>それだと僕が暇人みたいじゃーん
ハク>実際そうですよね
Ct>そういうハクちゃんだって今いるじゃん。仲間だよ仲間、暇人仲間
ハク>私は兄に付き添って電車の中にいるので。駅に着いたらいなくなりますよ
Ct>ひどーい! せっかく今日は神様についてまとめてきたのに
ハク>この前言ってたあれですか?
Ct>そうそう。これは古い歌なんだけどね、「神の業 受け入れたるか 拒もうか 何を選ぶも 清く生くべし」っていうのがあってさ。まあ、これは現代語訳したやつなんだけど
ハク>その「神の業」ってなんのことですか?
Ct>あくまで推測だけど、これは魔法のことだと思う。ただ、この歌元々は千年以上前の歌なんだって
ハク>……何言ってるんですか、千年前ですよ? 魔法科学が形になったのなんて、それに比べたら最近ですよ
Ct>そうなんだよ。だから、もしかしたらずっと昔から魔法をつかえた人がいたんじゃないかなって。巫女とか預言者とかっていうのは、魔法を使える家系の人たちだったんじゃないかな
ハク>まさか……そうだとすると、この歌はどういう意味なんですか?
Ct>まあ、あくまで僕の推測だけどね、「神にもらった力を無下にすると、必ず報いが来るぞ」ってことかな。罰当たりとかってここから来たんじゃないのかな
ハク>ということは、Ctさんは、その報いを受けた人を見たことがあるから、神を信じるって言ったんですかね
Ct>まあ、正確には「今も報いを受けている」だけどね
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「おい、しっかりしろ。生きてるか?」
「ほーくん、落ち着いて。大丈夫、脈も息もあるから、ただ気絶してるだけだよ」
もう二度とお世話になることはないと思っていた美園の携帯電話を鳴らして、公園のベンチに気絶した少女を寝かせたところで、ちょうど二人が戻ってきた。家出を続けていた割には、特にやせ細っているわけでもなければ、過度に疲労しているようにも見えなかった。
「こいつ、ずっと家出してた割には健康そうじゃないか?」
「そうだね、どうしてだろう。ねえ、かがみんはどう思――」
美園の言葉が途中で止まったのは、鏡の現在の様子を見れば納得のいくものだった。両手で耳を塞ぎ、目を瞑って下を見て震えながら、なにやらお経を唱えている。家出少女の話をしていなかったから、本物の幽霊が出たと勘違いしたのだろう。早く誤解を解いてやらないと気の毒だ。
「なあ美園、ちょっとだけそいつ見ててもらえるか。こいつにあっちのほうで事情を説明してくる」
「うん、わかった。任せたよ」
そうして俺は、小刻みに揺れる鏡を無理やり起こし、山のほうへ進んでいった。
「というわけで、あいつは幽霊じゃなくて生きてる人間だから」
「だったらそうと、最初から言って頂戴。なぜ今まで黙っていたの」
事情をざっくりと説明するなり、鏡はご機嫌斜めになった。幽霊じゃないと分かった途端、急に強気になるのは、見ていて少し面白い。
「いや、家出とかそうそう人に言っていいもんじゃないかと思って」
「でも、私がああいうオカルトめいたものが苦手なのは、見ていればわかるでしょう」
とてつもなく理不尽に開き直って逆切れされた。今まで散々言ってたんだから、あそこで素直に苦手ですとでも言っておけば、今頃こんな目に合わなくても済んだのに。まあ俺はどんな態度を取られても、こうなることを楽しんでいたわけだが。
「でも、そうなるとあの子少し変じゃないかしら?」
「とても何週間も家出していたようには見えないよな」
「それもそうなのだけれど……いや、それこそ問題なのだけれど」
神妙そうに顔を歪めながら、必死に言葉を繋ごうとしている。いや、言ってしまっていいのだろうかと悩んでいるのかもしれない。そうこうしているうちに腹をくくった鏡は、意外なことを言ったのだった。
「考えすぎだといいのだけれど……なぜあの子は、あなたと話した後倒れたのかしら?」
「は? なんでってそりゃ……」
家出少女が倒れるケースその一、睡眠不足。まあ今回はそんな顔色悪そうでもなかったし急すぎる、却下。その二、空腹で倒れる。これもまた違うのだろう。特別やせ細っていたようには見えなかった。家出少女が久々に人と会って倒れた、という事実だけ見るとそこまで特殊なケースではないのだろうが、今回は条件が条件なのである。
「ちなみに心当たりとかあるのか?」
「そうね……ないわけじゃないのだけれど……でも、この考えは当たっていないほうがいいわ。私が想像いているのは、最悪のケースよ」
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「ん……」
「おはよう、目が覚めた?」
「あ……おせっかいお姉さんだ」
「もー! それはせめて児童館だけにして、百花ちゃん」
「はーい。ところで美園おねえちゃん、さっき私をここまで運んでくれた人はどこ行ったの?」
「あっちの山のほうに行ったけど」
「……ちょっとまずいかも? おねえちゃんついてきて」
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「で、その最悪のケースってのはなんなんだよ」
さっきから何度も聞いているが、俯いたまま黙っていて答えは返ってこない。返ってくるとすれば「まあ、そんなことはないと思って構わないわ。本当に最悪のケースだから」とはぐらかされるだけだった。まあ、特にこれといった深い理由はなく、何事も起きませんでした、となれば別にそれでいいのだ。最悪のケースを知っているのと知らないのとで、万が一のときに咄嗟に対応できるか否かというだけで、日常生活に支障が出るわけでもない。まして鏡が黙っているというのであれば、深く問い詰める必要もないのだろう。
そう思って公園に戻ろうとすると、目の前を真っ黒のミニサボテンのようなものが横切って行った。
「なんだありゃ、仙人掌公園にミニサボテンのお化けでもいたのか? もしかして中央にあるあの遊具に憑りついてるとか?」
俺の理解が追い付かない現実を目の当たりにしてもなお、鏡は冷静だった。いや、冷静を装っているが、ひどく憎悪に満ちた目をしているようだった。
「おい、鏡どうした?」
無言でミニサボテンの通って行ったほうを見つめると、ボソッと「最悪の事態よ」と呟いた。それとほぼ同時に、鏡はサボテンのほうへ走り出したのだった。
鏡を追いかけていくと、そう遠くないところに先ほどの黒いミニサボテンがいた。
「ねえ、あなたは『影』についてどのくらい知ってる?」
走ることをやめると、不意に鏡がそんなことを聞いてきた。どのくらいも何も授業で軽く触ったことくらいしか知らない。それと、あの授業で鏡が口走っていたことだけだ。
「意思を持ってるんだっけ? でもそのあたりまでしか知らないぞ」
「まあ、それも仕方ないわね……」
そうして鏡は、「影」について淡々と語りだした。
「影が現れたのは、人間が魔法科学を完成させた少しあと、というのはただの偶然ではなくてやはり大きな関係があるの。突拍子もない話をするけれど、私たちが魔法を行使する代償に、世界に負荷がかかるの。そうは言っても、日常生活で私たちが使う分にはそこまで大きな影響は出ないし、仮に影が現れたとしても人が処理できるレベルのものだわ。意思を持っている、とは言ったけれど多くの影には形があやふやでほとんど自我を持っていないわ。でも、極々稀に例外が起こるの」
ここまで説明されれば、その例外が何かということは、大体察しがついた。
「魔法の暴走か」
「そうね。魔力が暴走すると、自分だけでなく周囲を巻き込むというのは、人間だけの話ではなく環境そのものも巻き込んでしまうのよ。簡潔に言えば、周りにある負のエネルギーをかき集めてしまうということね。当然、過度に魔法を使うのだからそれ自体もかなり負を放出することになるのよ。あの影は、負の魔力の集合体といったことになるのかしら」
「ざっくり言うと、魔法を暴走させると意思と形のある影が出てくるってことでいいか?」
「そうね、ざっくり言えばそれでいいわ」
なんとも理解しがたい話だが、鏡のこの真面目な反応と、前の授業の様子から嘘だとは思えなかった。
「まあ、さすがに全世界を巻き込むほどのものなんてないわよ。精々町1つレベルね。」
しかし、それと同時に新たな疑問が湧いてくる。今までの話を鵜呑みにするのであれば、一つだけ矛盾がある。
「影が秩序結界に入ってこれないのは、要するにそいつらの本体が魔法だからってことだろ? なら、なんでここにいるんだよ」
一定以上の魔力を制御する区間の中に、魔法そのものの塊である影は入ってこれない。これなら実に論理的で納得のいく結論だ。しかし、やつは現に俺の目の前に現れたのだった。
「なんでって……なんでってあなたね!」
「え、いや……」
ここは秩序結界の外よ! なに呑気な事を言ってるの! いざと言うとき、自分を守れるのは自分なのよ!」
……まずい、この前の授業のときのように、スイッチが入ってしまった。俺はできるだけ冷静に、動揺した素振りを見せずに、慎重に言葉を選ぶ。
「いやさ、俺魔法使えねえから、あんまりそういうこと気にしたことなかったんだよ。仮にここが外だろうとなんだろうと、俺にはどっちにしろ自衛の手段なんかありゃしねえんだ」
そういうと鏡はハッとして、少し申し訳なさそうにしながら言葉を紡いだ。
「……ごめんなさい。今のは私の配慮が足りなかったわ」
「いや、お前なんか影にものすごい恨みを持ってるみたいだし、別に気にしてないけど」
鏡は暴走したことにかなり後ろめたく感じているのか、そう言ったきり黙り込んでしまった。俺もどう声をかけていいかわからず、気まずい沈黙は百秒ほど続いた。その無言の空間に耐え切れなかったのは、俺のほうだった。
「で、お前はどうするつもりだったんだ」
「消すわ。あの影を」
え、今なんておっしゃいました? 消す? あれを? マジで?
「そんなことできんのかよ。あんな実用性皆無な定理やら公式やらを暗記させずに、それを最初から学校で教えろよ」
「いえ……これは、私の魔法なの」
それはなんだ、どういうあれだ? この世から中二病な存在を消し去る魔法か? あれ、そんなことしたら俺消えちゃうよ。
そんなくだらないことを考えているうちに、鏡は更に話を続けた。
「私の魔法は、その……対象の魔力を一時的に消滅させるものなの」
え、なにそのチート。というか鏡が使うと、魔力だけじゃなくて精神力とか生命力までもぎ取りそうだけど大丈夫なの?
いろいろと聞きたいことがあったが、そこまで突っ込めるほど俺は無神経でも図太いわけでもない。さすがに一定の良識は持ち合わせている。
「そういうわけだから、そこの影を消すわ。ここまで形がはっきりしているものは、もうかなり危険よ」
そう言って影に向かって、さながら指揮者のように軽やかに手を振ると、白くて丸い光がプロ野球投手ばりの速度で飛んでいった。その光が影に当たると、一瞬にしてその黒い塊は蒸発したように消えていった。
「これで一件落着か」
「いいえ、まだよ。私の想定する最悪のケースはこれでは終わらないわ」
影を始末して安堵していたのはどうやら俺だけだったらしい。
「あの子が倒れた理由とも深く関係があるのだけれど……」
「どういうころだよ」
「あの子、魔法を何度も暴走させているわ。おそらく意図的にね」
***************
「おまえはわるいこだ。おまえはわるいこだ。じぶんのためにひとをころしたおまえはわるいこだ」
「……えは……わせになっちゃ……ない……を……たら……に…………」
***************
「なっ……」
「なに、これは……」
それを一言で表すのならば、黒い海だ。蟻の行列が秩序を守って規則正しく動いているように、寸分のずれもなくそれらはきびきびと働いている。東京ドームの大きさがわからないので何とも言えないが、高校の体育館が20個は入るだろうという畑に、案山子を立てられるほどの隙間は一つもない。ただ今回問題なのは、その働いているものの全てが、光を吸収しそうなほど黒い小さなサボテンくらいの大きさの謎の生命体だということだ。
「なに、この大きな畑に黒い影の数々は……」
「まるでブラック企業だな……」
今の大量の黒い影とかけました。うまい!
などと言っている場合ではく、この影をどう処理するかが大きな問題だ。
流石にこの量の影を鏡の消すのは、無理があるだろう。なんせ、ざっくりと数を数えるのですら困難なほど、影で埋め尽くされている。十万体と言われても信じそう。てか普通にいるんじゃね?
この影が仙人掌なのは、恐らく暴走させた少女が植物に関連する魔法の持ち主だからだろう。
その件については、鏡からも同意を得られている。
「ぉーーーぃ!」
どこからともなく声が聞こえる。まあ、背後からなんだけど。
後ろを振り返ると、美園と小学生がこっちに走ってきた。
「って倒れたばかりの人間を走らせるな!」
「ごめんごめん! 百花ちゃんが急いでって言うから」
両手を合わせて舌をペロッと出す美園とは対照的に、鏡は畑を見ながら唸っている。
「百花ちゃん、と言ったかしら。あなたがこの影を生み出したの?」
「……そうですけど、何か」
「あなた、こんなものを大量に生み出して何がしたいの!」
「こんなものって言わないでください! この子たちは私の家族なんです!」
家族……だ?
話を聞くまでは百花ちゃんがトチ狂ってしまったのではないかと思っていたが、現実は優しいのか悲しいのか確かに家族だったのだ。
「親とけんかして家出、なんてよくあることだと思うんですが、私には当てがなかったんです。どうしたらいいかわからなくて、事件が起こった場所に行ったんです。そしたら、黒い影がこっちに向かってきました。最初は襲われるかと思ったんですが、よく見ると手に種を持っていたんです。私の魔法で大きくすると、その種から育った植物は食べられるものでした」
そうして人気のない広い場所へと移動し、影に種をもらって魔法を使うというサイクルを一週間繰り返した結果、ああなったという。
種の中には、家の代わりになるものや、水を出すものもあったらしく一通り生活できるものはそろっていたのだと。ライフライン完璧かよ。
ただ、流石に謎の種をだす植物に永遠にお世話になるのもいかがなものかと思うので、今後の対策について考えることにした。
現状出た案は二つ。一つは、このあたり一帯を立ち入り禁止区域にして少しずつ駆除していく。もう一つは、一時的に結界の範囲を広げて一掃してもらう。
ただ、どちらにせよお役所に事情を話さないといけないらしく、非常にめんど――百花ちゃんの事情を事細かく話さないといけないので、さらに負担をかけることになってしまう。
「……こうなったら、全部まとめてぶっ潰すしかねえか」
「ほーくん?」
三人の頭の上にはてなマークが浮かび上がっているが、そりゃそうだろう。俺だって明確な解決法は思い浮かばない。それでも、何もしないよりは何かが起こるだろうと信じ、俺はあの黒の大群に向かって走り出した。
カッコつけてるというのは重々承知だ。だが、それでも、この小学生の笑顔が見られるのなら。鏡の気が少しでも晴れるなら。美園の荷が少しでも軽くなるのなら。
ならば喜んでやろうじゃないか。たとえ面倒だろうと、どれだけ大変だろうと。
これは偽善でもなんでもなく「俺のため」の行為だ。
だが、人間熱くなりすぎるのはよくないね。自分がすっかり不幸体質だということを忘れいていた俺は、走り出した足を止められなかった。
道路から畑に飛び出す刹那、突如大きな衝撃波がどこからともなく表れた。
正確に言えば、俺の足元から出現したらしいのだが、俺の視界では捉えられなかった。
「うわあああああ!」
思いっきりバランスを崩し、畑に頭からダイブする。下がコンクリートじゃなくて本当によかった。
このまま埋まっていれば、誰か助けに来てくれるんじゃないかと思って、しばらく大の字で地面に埋まっていたが、誰も来てくれなかった。さびしー。
頭だけを地面から起こし前を見ると、そこには地平線が見えた。
ああ、なんて空は綺麗なんだろう。青い空に白い雲、目の前に広がるのは茶色の大地に緑の植物。カラフルなコントラストのこの景色は、絵にでもしたらさぞかし素晴らしいのだろう。
青と白と茶色と緑……?
そこまで考えてようやく俺は、目の前で起こっていることの重大さに気が付いた。
「……影がいねえ?」
急な事態に頭が痛くなり、俺はその場で意識を失った。
***************
「颯さん、もう私どうしたらいいのかわからないです」
「やっぱり今のままじゃ寂しいよね。幼馴染で恋人だったのに、高校生からの記憶しかなくて……さすがにキツイよね。毎度毎度初めての時と、まったく同じように振る舞って思い出してもらうっていうのは、いい考えだったと思うけど」
「言われた通り、私の精神的に厳しいです。それでもなんとかやってきたんですけど、また無茶して魔法を暴走させたみたいなんです。これで記憶をなくしてたらもう……」
「臥竜鳳雛」
「なんですか? それ」
「四字熟語だよ。優れた人がチャンスを掴めず、世の中に隠れてしまっている、って意味だよ。まあ彼の場合自らその選択肢を潰してしまったわけなんだけど……それにしても、彼を表すのに最も適した言葉だと思わない? どう思う、美園ちゃん?」