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不幸になったその理由は  作者: 須田疾風
第二章 迷子
2/3

幽霊

「あなたは、なにをしてるの?」

「ものがたりを、かいてるんだよ」

「えー! すごーい! どんなおはなし?」

「あらそいのない、へいわなせかいの、はなしだよ」

「んー? なにそれ、むずかしいよ」

「すべてのひとがびょーどーで、こーへーなせかいではね、きょうそうもけんかもないし、ひとをうらんだり、にくんだりしないんだよ」

「よくわかんないけどすごい! もっときかせて!」

「……きみはぼくのことを、へんなひとっておもわないの? みんなは、あいつにちかづいたら、へんになるっていうけど」

「んーわからない。でもきっと、あなたはあたまがいいんだよ。あたまのいいひとは、ほかのひとにはりかいされないって、てれびでやってた」

「そうかな? じゃあもっとはなしをしよう――」


               ***************


「人生とは、大概が嘘である」

 たしか中学の頃、こんな内容の作文を書いて職員室に呼び出された。内容をきちんと練って書いたのに「こんないい加減な作文が通ると思ったのか!」と理不尽に怒られたので、「それは単に、先生がこういう普通から逸れたものをきちんと評価するのが面倒なだけですよね」などと返したら怒鳴られた。やはり世の中は嘘ばかりだ。仕方がないのでその作文は「社会は自分と相手を適度に騙し『妥協』することで成り立っている」というテーマに変更したが、それが受理されるのにもまた何度か職員室に行く羽目になったのだった。


 五月三日というゴールデンウィークのど真ん中にもかかわらず、俺は学校の図書館に来ていた。祝日だけど学校に来ていそうな人物に心当たりがあるからだ。

「委員会に入ってる人とかだったら部活にも掛け持ちできるんじゃない?」という明さんの助言をもとに、俺の数少ない知り合いの元に訪ねに来たのだ。

 ……まあ知り合いと呼べるほど関係が深いかと言われると、常識的に考えればそうでもないのだが、いかんせん俺は常識が嫌いなので自分を信じることにした。

 図書館の入り口から少し進んだところに、本を読むためのイスと机が置いてある。その一番奥にいる本がよく似合う文学少女に、緊張で声が裏返れないように話しかけた。

「よう鏡、日本中の学生が家でぐうたらしてるであろうこんな時間に何してんの」

「見ればわかると思うのだけれど。そもそも、あなたは私がここで本を読んでいると見当が付いていたから、今日わざわざここに来たのではなくて?」

 読んでた本をそっと閉じ冷たく言い放ったその顔は、少し笑っていた。そしてその表情を崩さずにまた言葉を紡ぐ。

「それで、何か私に重大な用事があって来たのでしょう? それもかなり急ぎの」

「まあこんな祝日にわざわざ押し寄せるくらいにはな。実は俺新しい部活に入ったんだけど――」

「人数が足りないのね? わかったわ。委員会があるから毎日顔を出す、というのは無理だけど週三回程度でよければ行くわ」

 事情を説明するまでもなく、課題が何なりと片付いた。

 いや、どう考えてもおかしいだろ。エスパーなの? 他人の心を覗く魔法とか、そんな魔法聞いたことないけど。

「全くもってその通りなんだけど、そんな簡単に決めちゃっていいのか?」

「だってあなたが人に頼み事するなんて、人生で雷に打たれる以上に稀な出来事だと思うのだけれど。それと、他に頼めるような知人、あなたにはいないでしょう?」

学年トップ争いを繰り広げている彼女の苦手科目がたまたま俺の得意科目だったということで、たまに二人だけの勉強会を開いたりしていた。そんなこともあり、俺の中では(・・・・・)学校中でも親しいほうだった。悲しいことに鏡は呑み込みがやたら早く、俺が勉強を教えているうちに俺より理解してしまう。どんな脳みそしてるんだよ、少し分けてくれ。

「一言多いわ。それよりなんで説明する前からわかったんだよ」

 そんなこともわからないの? と言いたげに不思議な顔をしながら首をかしげた後、凍るような微笑みでこちらを見ながら語り始める。

「新しく入った部活でいきなり人間関係の問題が生じたのなら、あなたの性格なら恐らくすぐ退部するでしょうし、お金の問題ならきっと私には言わないでしょう? それにこの時期は部活の登録期間でもうすぐ締め切るのだから、急がないといけない用事にも当てはまるでしょうし。更に言うなら、あなたはきっと人の多い部活動には――」

「わかった。もうわかったから」

 勝手に人のこと診断して結果を公表しないでほしい。何が嫌かって、百点満点の診断結果が示されてるところだ。

「あら? でもそうなるとおかしいわ。今年人数の足りていない部活動、一つしかないはずなのだけれど」

 満面の笑みでこちらを見つめながらそう言った彼女の声色は、とても楽しそうだった。

「それは遠まわしに皮肉っているのかな? 俺がこの部に入るのそんなに変かね」

「直球でバカにしたつもりだったのだけれど……よりにもよってあなたがボランティアね……」

 俺の印象ってどんだけ悪いんだよおい。特別不良ってわけでもなんでもないのに、こんなにも非難されるとさすがの俺でも傷つくぞ。

「まあそのなんだ、成行きってやつだよ」

「成行きねえ……」

 鏡がそんな曖昧な説明で納得するわけがないと思ったのだが、特に追求する素振りを見せなかった。

「そうだ。別に取引というわけではないのだけれど、私も一つお願いがあるの、いいかしら?」

「なんだ? 命を落とせとか犯罪に手を貸せとかじゃなきゃ」

「……あなた、私をどういう目で見ているのかしら」

 不機嫌そうな顔をしながら、ため息まじりにそう言われた。

「今度、数学と一緒に物理もご教授願いたいのだけれど、いいかしら?」

「別にいいけど……そこまで苦手だったか?」

 苦手というわけではないのだけれど、理数科目はあなたに教えてもらったほうが早く理解できて効率がいいわ、などと上手く乗せられた気がしなくもないが、断る理由も特にないので今後はそうすることにした。

「あなたって案外……いや、なんでもないわ」

「なんだよ、そこまで言われると気になるから最後まで言えよ」

「だって、あなたに話してもどうせ否定されるもの」

「いや、そんなことは――そうかもな」

 美園が前に言ってたように、すぐ否定する癖は直したほうがよさそうだ。案外ぼけーっとしてて鋭いなあいつ。そう思いながら俺は、適当に本を読み漁ってそのまま一日を図書館で過ごした。


               **************


ハク>それは嘘ですよ。幽霊なんて存在するわけないじゃないですか

Ct>でもー、霞ヶ丘でランドセルを背負った女の子だよ? どう考えても幽霊じゃない?

明>あんな旧市街地と廃工場跡しかないところに、女の子がいるはずないじゃん……どーせ噂でしょ

竜鳳>幽霊みたいなアイコン付けてるくせに何言ってんだか

明>こ れ は ! アザラシなの! 可愛い可愛いアザラシなんです!

竜鳳>のっぺりしてるあたり能面か何かに見えるけど

みー>初めまして! 登録してみたんだけどこれでいいのかな?

Ct>初めまして! ゆっくりとくつろいで行ってね

明>なんでそんな我が物顔なの……

ハク>可愛い花のアイコンですね。何の花ですか?

みー>エーデルワイスだよ。この花好きなんだ

竜鳳>一反木綿にゴマが付いたのとは大違いだな

Ct>迷子事件も実は一反木綿に攫われてたりしてね

ハク>幽霊も妖怪も存在しませんってば

明>だ か ら ! これはゴマフアザラシなの! 一反木綿でもゴマでもないから!


               ***************


「えー!? ほーくんが勧誘したー!?」

「人に勧誘してこいって言ったのは、どこの誰だよ」

 短かった黄金週間を終え学校が再開したその日の午後、番匠美園は叫んでいた。

「だってだって、昨日まで休みだったんだよ? えー、なんで? 誰? いつ?」

「一気に何個も質問するな。俺の頭はスパコンじゃねえんだぞ。いくら俺が有能でも、処理できる情報にも限度があるっての」

 驚く美園を軽く流しながら適当に椅子に座ると、特にノックされることもなくボランティア部のドアが開かれた。

「あら、あなたって想像以上にナルシストなのね。私じゃなければドン引きされていたわよ」

 長い黒髪を揺らしながら、今しがた自分が言ったことに対して正しい言葉であったと確信していると見て分かるくらい、堂々と部室に入ってきた。どこまで毒舌なんだ、この紫水鏡という女は。

「むしろあれだけ悲惨な生活を送っていたのに、未だ前向きなことを褒めてほしいくらいだ」

「かがみんだ! どうしたのこんなところに」

 また勝手なあだ名付けやがって。どうなっても知らねえぞ俺は。

「あら? そちらは部長さんかしら。初めまして(・・・・・)、私立七星学園特進科二年J組の紫水鏡です」

 自分の印象を壊さないように落ち着いて話された、優雅な挨拶だった。が、それは美園が望むものではなかったようだ。

「は、初めまして……?」

 体は硬直し眉を痙攣させている。少し苦笑いしながら顔も引きつっており、それに合わせて声も震えていた。

「どうした美園、その面食らった顔は。鳩が豆鉄砲を食らいながら苦笑いしてるぞ」

「んー……ほーくん、わからないかなー」

 そう言われて美園が顔を引きつらせている理由を考えてみる。この反応はおそらく、初対面でないにもかかわらず、向こうが一切覚えていない、という状況だろう。あれ? 俺その状況見たことあるぞ? 

 冷静に思考を重ねた結果、俺と鏡は二年連続で同じクラスであったという事実を思い出すことができた。つまりはそういうことだった。

「なあ鏡さんよ。去年おたくどのクラスでいらっしゃいまして」

「あなたと同じL組じゃない。それがどうかしたの?」

「……私、二年連続でL組なんだ……」

 気まずい空気が一層どんよりとしている。ここまでくると、黒い霧が見えてきそうなレベルだ。ステータスはリセットされないけど。

「あら、思い出したわ。確か、入学早々『この部活一年生私だけなんだよー一緒にやらない?』ってしつこく問い詰めてきた番匠美園さんよね? 私は何度も図書委員に入っているからと断ったのにしつこくて、あまりにも鬱陶しかったから頭の中で存在をデリートしてしまっていたわ。失礼したわ」

 感情のこもっていない謝罪を投げつけると、その辺の机から椅子を引っ張り出し、ゆっくりと腰をかけた。

「どう考えても、今のその発言のほうがよっぽど失礼だろ……少しはオブラートに包め。こいつ泣くぞ」

「泣かないよ! どっかの誰かさんのおかげで覚えられてないことにはもう慣れたからね、泣かないもん」

 相当参ったらしく、涙目になりながら訴えてきた。っていうか、ここ俺が責められる場面じゃなくね? それとも八つ当たりされてるの?

「ごめんなさい、美園さんとても話しやすくてついつい素が出てしまったわ。悪気はなかったの。本当にごめんなさい」

「やけに素直だな」

「ええ、あなたとは違うもの」

「……だから一言多いんだよ」

 やっぱり素直じゃなかった。前言撤回だよこんなの。

 美園はやや頬を膨らませながらも、しょうがないなーと言ってその件は終わった。どんだけ心広いの? 太平洋といい勝負できそうだな。

「それはそうと、その『かがみん』っていうのは、まさか私のことかしら?」

 俺このワンシーンも見覚えがあるぞ。それもかなり最近、具体的には四月の二十八日に。

 優しさ溢れる俺は、先輩としてありがたい助言を授けることにした。

「それ以外何があるんだよ。諦めて受け入れろよ、かがみん(・・・・)

「ええ、どうも抵抗しても無駄なようだからそうさせていただくわ、ほーくん(・・・・)

 俺が全力でアドバイスをしてあげると、これ以上のない笑顔で煽り返してきた。そうしたやり取りの中、一つ疑問が生まれてきた。なんでこいつ、いろんなところで慕われてるんだろう。絶対性格悪いぞ。下手したら俺以上に。

「二人とも気に入ってくれたみたいで何よりだよ」

「あまり調子に乗っていると、この男の命が危ないわよ」

「なんで俺が人質なんだよ」

「あははは……」

 なあ鏡さんや、美園さん軽く引いてますよ。とは言えず、苦笑いしている美園をただ横目で見ることしかできなかった。

「そういや、去年ボランティア部に入るの断ったんだろ? なんで今年になって入る気になったんだ?」

「あなたが色々事情があったように、私にもそれなりの出来事があったのよ。ただそれだけ」

 その出来事が何かまでは、教えてくれなかった。要するに、これ以上追及してくるな、ということを遠まわしに言ってきたのだろう。

「おっほん」

 古い映画でよくありそうな、キセルを咥えた四十代のおっさんみたいな咳払いをしたあと、部長からとんでもないことが告げられた。

「部員が全員揃ったので、今後の予定を発表します! これからは週に二回、街にゴミ拾いに出かけたいと思います」

「まあありきたりだけれど、いいのではないかしら」

「おいおい、マジで言ってんの」

 ゴミ拾いだって? 俺がそんなことのために外に出たら、雨が降ってもおかしくはない。もしくは直射日光が馬鹿みたいに強くなってまともに活動できなくなるかもしれない。

 ……それはそれでありか。雨ならゴミ拾いは中止だろうし、日差しが強くなれば休憩が多めになる上にゴミを拾ったという事実は残るわけだしな。大いにありだ、ありありだ。むしろ完璧だ。

「まあ、ボランティア部だしな、それくらいはやるか」

「よし、決定! じゃあ早速明日からね。ゴミ袋と手袋とトングはあるから、学校指定のジャージを持ってきてね」

 マジで行動がはええ。その気になれば今にでも出発できそうな勢いだった。

「やけに素直ね。意外だわ」

「誰かさんと違ってな」

「あら、美園さんは素直な人だと思うのだけれど」

「違えよ。俺が言ってるのは『私には“鏡”という名前があるのだから、“紫水”なんて呼ばないでほしいわ。自分の姓が嫌いなわけではないのだけれど、私を個人として見るのではなく、一人の人間をただ区別して扱われているように感じてしまって嫌だわ』とか言うくせに、自分は代名詞ばっかり使ってる人のことだ」

 かつて自分が言われた言葉を一文字の狂いもなく再現してやった。まあ、この考え方嫌いじゃないけどね。

「それもそうね。あなたの言うことに一理あるわ。それでは、臥竜岡君に呼びやすいあだ名を考えてあげましょう」

「さらっと自分が素直じゃないって言われたことをスルーするんじゃねえよ。あと、あだ名はこれ以上いらない」

「毎度毎度『臥竜岡君』と呼ぶのも大変なのよ。というか面倒だわ」

 いや、読み仮名が四文字の人なんてたくさんいるだろ。お前この名字手書きで書く苦労知らねえくせに、面倒とか言ってんじゃねえよ。テストとかで「全員が名前書き終わったら始めるぞ」ってやつで、俺より後に貰ったやつが先にペンを置いてるなんてよくあることだったし、小学校の頃なんか「習った漢字しか使っちゃいけません」とか言う謎の縛りでフルネーム全部ひらがなの人生だったんだぞ。まあ五年生の時に漢字解禁されたけど。ところでこれ、もし臥竜の片方だけ習ってたらどうやって書けばよかったんだろう? ちなみに「臥」と「鳳」は中学校でも出てこないけどな。

「そうね……『岡君』と呼ぶとほかの人と紛らわしいし、『臥君』と呼ぶのは言いにくいから却下ね。間をとって『竜君』にしましょう」

「物理的に間取ってんじゃねえよ」

 その名前を実際声に出して読まれると、少しだけくすぐったい気分になる。なぜか急に親しくなったような気分になって違和感があったが、そこまで嫌ではなかった。少なくとも、ほーくんよりは。

「お前も『紫ちゃん』と『(きょう)ちゃん』の間を取って『水ちゃん』とでも呼んでやろうか?」

「もし仮にその名前で呼ぶことを許可したとしても、水月先生と間違えられてしまう可能性があるから、あまりあだ名としてはよくないわね。もう少し捻りなさい」

「そこマジになって返すところじゃねえよ。冗談わかんねえのか」

「二人ってさ――」

 今まで口を閉ざしていた美園が、少しだけ笑みを浮かべながら急に声を上げた。

 なんだろうか。二人って仲いいよね! とかいう恒例のあれか? そしてそのあと「仲良くねえよ」ってハモるお決まりのあれ、絶対打ち合わせてるだろって思うやつ。いや、マジで仲良くねえよこの人とは。そういつでも反論できる心構えでいたが、現実はそう甘くはなかった。

「二人ってさ、ホントにひねくれてるよね」

 五分後にチャイムが鳴るまでの間、その声がこの部屋に響く最後の音になったのだった。


               ***************


Ct>そういえばさ、モダンスが「公共機関の電子カードの管理に魔法を用いるのは差別の助長に繋がる」とか言って抗議したらしいよ

明>結構今回は大胆に出たねー。それにしても電子カードの廃止って何、切符の時代に戻るの? バスとかもたまーに走ってる整理券式になるのかな

ハク>電子カードがない以上はそうなりますね。でもそうするとキセルなどの問題がまた出てくるのではないでしょうか

みー>でも魔法が扱えなくて電子カード使えない人からしたら、そのほうがきっと助かるよね

明>えっ、そんな人いるの?

ハク>私も魔力は弱いですけど、ほんの少しの力でも反応しますし……さすがにそこまでは

Ct>うーん、どうだろうね? 案外神様に魔法の一切を封じられてる人とかいるかもしれないよ?

明>まーた、どうせ神なんて信じてないくせに柄でもないことを

Ct>いやいや。僕はこの世界に魔法をもたらしたのは神様なんじゃないかって思ってるからね。この世の科学的根拠を超えた概念というのは必ず存在すると思うよ

明>その神様も定義さえできちゃえば、科学の仲間入りだと思うけどね

Ct>相変わらず捻くれてるなー。竜鳳君かよー

竜鳳>俺の名前を罵倒語にしないでくれませんかね……

Ct>そういえば、自殺の名所にお化けが出たって話だけど

みー>またこの前のランドセルの子?

明>そんなの気のせいに決まってるよ。どこかの誰かがデマ流してるだけでしょ。そもそもまず最初の公園なんか……


               ***************


「ではではー、そういうわけで今後のプランを発表するよ!」

 昼休みに部長から召集をかけられて部室にやってきた。机の上にやたらでかい地図が広げられると、いくつかの場所に丸が付けられているのが見えた。なんか机増えてねえか?

「……まさかとは思うが、この丸を付けた場所にゴミを拾いに行くとか言わないよな」

 地図を見て目を丸くしていたのは、俺だけでなく鏡も同じだった。

「絶対ほーくんに『こんなに回り切れない過労死する』って言われると思ったから、これでもだいぶ絞ったんだけどなー」

 相変わらず信用されていなかった。俺が珍しくやる気を見せたんだから、そんな小言を言うと思ったのかよ。まあ、あと三つ丸が多かったら文句を垂れていただろうけど。

「美園さん、問題は()じゃなくて場所(・・)なのだけれど」

「え? そっち?」

 美園は自分の想定外の意見が出て困惑しているようだが、これは問答無用で場所の問題だった。

「駅とか飲み屋街はまだわかるが……まず、ここ。仙人掌公園だ」

 そう言って、地図の外れにある丸を指差した。

「ここ、あまり人が来ないから私たちが掃除しに行かないとダメかなーって思ったんだけど」

「まず、ゴミを捨てる人すら来るかどうか怪しいレベルね。近くに人が住んでいるのかも疑わしいわ」

「次、宇宙岬」

「ここ、不良の溜まり場って聞いたからゴミが散乱してるかなって」

「それはもう二十年は前の話よ。今は自殺の名所として知れ渡っているので、今は誰も近寄らないわね」

「最後に、霞ヶ丘旧市街地」

「ここに至ってはこの半年誰も出入りしてないと断言できるわね。却下よ却下」

 どの箇所についても早口で否定をする鏡だったが、最後のは特に早かった。せめて美園に一言喋らせてやれよ。

「えー、でも霞ヶ丘には廃工場とか廃病院とか廃学校――」

「そんなところに行ったとしても意味がないでしょう! もう少し練り直してちょうだい」

 なぜか少し慌てているような鏡の態度に少し違和感を覚えたが、その正体を掴むことができなかった。わからないのなら突き詰めればいい、とは誰の言葉だっただろうか。まあきっと昔の俺だろう。

「なあ、仙人掌公園って昔になんかあったりしたか?」

「昔? 今から十年くらい前に、仙人掌の形をした遊具にロープで首から吊らされた男の子が」

「殺人事件に自殺の名所、更には廃工場やら廃病院のある旧市街地か……なるほどね」

「べ、別に私はお化けなんて怖くもなんともないわよ! 勝手な推測をしないでもらえるかしら」

 えー……俺まだ何も言ってないのに、墓穴掘っちゃったよこの人。本当なら「えー、鏡さん、そんな非科学的なこと信じてるんですかー、やだー」とでも言いたいのだが、今その言葉を発すると間違いなく俺がその墓穴に突っ込まれて生き埋めになってしまうだろう。まあ、もしそうなったら化けて出てやるけどな。苦手なものを克服させてあげるとか、俺めっちゃ優しい、仏かよ。

「美園……もしかして名前覚えて貰ってないこと根に持ってるのか」

「違うよ! 私、かがみんがそういうの苦手だってこと今まで知らなかったし」

 よかった。俺もそのうち復讐されるのかと思ったが、その心配はなさそうだ。

「わ、私は別にお化けとか幽霊とか妖怪とか、そういったものは一切信じていないのだけれど。勝手に苦手と判断しないでもらえるかしら」

 顔を真っ赤にして訴えるその姿は、どこか新鮮でちょっとだけ微笑ましいものだった。

「よ、よりにもよってここ数日で目撃情報のあった場所ばかりピックアップするなんて……」

 鏡がそう小さな声で囁く。今列挙されたこの一見よくわからない場所は、確かに最近ウィスカルでランドセルの女の子が目撃されたと噂されている場所ばかりだった。

 ……ランドセルの少女ってことは、小学生の幽霊か。まあそれが本当にこの世ならざる者だったら、の話だけど。

「目撃情報があるってことは、最近人が来たってことだよな。それならやっぱ、ゴミ拾いしないとだめだな。半年誰も出入りしてないどころか、直近一週間にだれか出入りしてるぞ」

「……す、少し体調が優れないので先に教室に戻るわね。別に私はオカルトめいた物の存在など信じていないのだから、ゴミ拾いくらい行くに決まっているわ」

などと捨て台詞を吐いた後、いつもの倍の歩行速度で教室へ帰って行った。体調崩してないのバレバレじゃん。

「美園はこの目撃情報、全部同一人物だと思うか?」

「私はそうだと思う。その子は――」

「幽霊でもなんでもなく、ただの家出少女……ってか?」

「ほーくん覚えてたんだ……公私混同はよくないと思ってるんだけど、どうしても気になっちゃって」

 先日行われた誕生会の主役だった奏音君には姉がいて、現在絶賛家出中の小学六年生だった。

「何言ってんだ、迷子さがしだって立派なボランティアだろ? よく犬とか猫とか探してるじゃん」

「それと同じにするのはどうなの……」

「命の重さはすべて平等ってどこかで聞いたことあるぞ」

 イルカは知的で可愛いから保護しなきゃダメだ、とか言ってるやつらにぶつけたらどうなるんだろうな。どうせなら全部保護しろよ差別じゃん。

 産卵直前のマンボウなんか三億個の命預かってんだぞ。命の重さとプレッシャーで潰れちゃうって。

「それ、そういう意味じゃないと思うんだけどなー……」

 最終的に、人間の命も不平等だとかそんな議論に発展したあたりで、次の授業が始まる合図の鐘が鳴るのだった。


               ***************


「せんせい、どうしてみんなは、けんかをするの?」

「そうね……みんな、自分が大事だからかな?」

「せんせい、どうしてるーるを、まもらないひとが、いるの?」

「うーん……楽をしたいから、かな」


「せんせい、みんながただしければ、いいせかいになるの?」




 その答えは返ってこなかった。


               ***************


 根っからの悪人はこの世にはいない、というのは誰が言ったことだっただろうか。この言葉は悪から改心した人のための言葉なのか、はたまた社会によって必要悪に抜擢されてしまった人のものなのか。どちらにせよ、裏を返せば人類は皆善人であり、誰にでも悪人になるチャンスがある、ということだ。

 ちなみにさっきの言葉の対偶をとると「この世に存在するすべての人は、根はいい人である」ということになるから、俺は一切信用していない。絶対根っから腐ってる奴いるだろ。


 心霊スポットへゴミ拾いに行くにあたって、ジャージを持って来いと言われていたのをすっかり忘れていた俺は、授業の終了とともに学校を飛び出し帰宅していた。

 とても整頓されているとは言えない部屋から上下真っ青のジャージを救出し、それを自転車のかごに突っ込んで学校へ戻った。登下校は制服とか面倒だろ、ジャージも可にしてくれ。


「おっそーい! あまりにも来ないから帰ったかと思ったじゃん」

 部室に入るのとほぼ同時に、美園が頬を膨らませながら叫んでいた。あれ、頬に空気ためながら声を発するのって物理的に無理じゃね?

「いやまあ、一回帰ったんだけどね」

「えー!? 帰ったの!? なんで?」

「ジャージを忘れたからだよ。近いし取りに戻っただけだ」

「……昼休み鞄に入ってなかった?」

 見てたのかよ。そうだよ、最初からジャージはちゃんと持ってきてたよ。俺は別のものを取りに帰ったんだ。

「ほら、みんなで手分けしてゴミ拾いすると俺暇じゃん? だから本を取りにだな」

「……」

 無言に加えてジト目でこちらを威圧してくる。やめて、ほんの冗談だから。本だけに。

 鏡はこちらのやり取りに興味なさそうに本を読んでいる。いつ見ても冷静なその様子はどこかのお嬢様のようだった。

……よく見ると足が震えていた。

「鏡、足震えてんぞ。そんなに幽霊が怖いのか」

「勘違いしないでもらえるかしら。これは武者震いよ」

「何と戦うんだよお前は……」

 机の上に広げた地図を見ながら何やら唸っている我らが部長さんは、少しばかり黙ったあとに二か所ほど丸を増やした。あと一個増やしてたら試合終了のゴングを鳴らしたのに。

「そこにはどんなお化けが出るんだ」

「ここは単純にゴミが多いところだよ」

 美園は「なんでそんなに楽しそうなの」とでも問うような顔で、俺を見ながらそう言った。

いやだってね、あの鏡の唯一と言っても過言ではない弱点なんじゃないかと思うものが目の前にあったら、そりゃ誰でもはしゃぐでしょって。

「真の化け物は人間の心ってか」

「そんなに巧くはないからね?」

「あなたたち、あまり騒がしくしないでもらえるかしら? 気が散るのだけれど」

「あのなぁ……」

 思わず「ボランティア部の部室で本を読むんじゃねえよ。文芸部にでも行ってろ」と言いかけたが、鏡の顔には不安の二文字が張り巡らされている上に、目にはうっすらと涙が見えたので、英国紳士バリに器量の大きい俺は黙っておくことにした。一体、どんな意志があればこの場でもなお強がれるのだろうか。

「さっさと行って、さっさと終わらせるか」

「それが一番だね。きっと」


「み、美園さん、結局私たちはどこへ向かうのかしら。ここに来るバスに乗るということでいいのかしら」

 校門目の前のバス停で、鏡が震えながら小さく呟く。どんだけ無理してんだよ。一体なんの力が彼女をここまで動かしているのか、俺には全く見当も付かなかった。

「そうだよ。もうすぐ来るはずなんだけど」

「このバスだと今日の行き先は公園か。じゃあ俺は先行ってるぞ」

「へ?」

 鏡は間抜けな声を発しながら、何を言っているのか理解できない、という表情でこちらを見つめる。

「いや、この系列のバス電子カードでしか乗車できねえから、俺乗れないんだよ」

 だから先ほど俺は、一度家へ自転車を取りに戻ったのだ。

「えっと……それは、どういう」

「単に機械が俺の魔法に反応しないだけだ。測定機にすら反映されないほど弱いからな」

「そうだったの……無神経に聞いてしまってごめんなさい」

 弱ってるとやけに素直だな。案外そういうギャップは可愛いかもしれないと、少しだけ思った。

「てっきり、私たちが二人掛けの席に座って一人になるのが寂しくて対抗したのかと思ったわ」

「夜の廃工場にぶち込むぞ」

 十秒前の俺を引っぱたきたい。ただのゲスい悪魔だった。

「あら、これだから低俗な輩は嫌いだわ。私一体何をされるのかしら」

「放置プレイなんていかがでしょう、お嬢様」

「あーもう、話が進まない……」

 美園は睨み合う俺と鏡に焦点を当てず、どこか遠くを眺めながらそうぼやいた。


「でも、竜君がバスに乗れないとなると仙人掌公園に行くのは無理ね。今日はこれで解散しましょう」

「だから自転車取ってきたんだろ。というか、お前がただ単に行きたくないだけだろ」

 鏡が神妙な顔つきで変なことを言い出した。どんだけ怖いんだよ。ここまで来ると、お化け屋敷に連れて行ってみたい。学園祭のときに、美園のクラスの出し物をお化け屋敷にしてもらうのも、ありかもしれないな。

「あなた一人を置いて先にバスで行くなんて、私の理念に反するわ」

「だったら先にゴミを拾い始めててくれ。それなら問題ないだろ」

「さすがにこの状況であなただけ自転車で行かせるとなると、いくら私でも引け目を感じるわよ」

「だったら尚更だ。俺のせいで解散になったらそれこそ俺は引きずるぞ」

「はーい、ストップストップ」

 先ほどから傍観者を徹底していた美園が、仲裁者へとジョブチェンジした。

「何かしら?」

「私は今日一度も公園に行くとは言ってないよ」

 その顔は笑ってはいないが、かといって怒ってもいない。真顔という言葉が一番近いだろうか。そんな表情だった。

 そして俺は、その言葉の真意がわからずにいた。

「どういうことだよ。あんだけ唸って地図見てたのによ」

「まあまあ、話は最後まで聞いてよ」

 そう言って一度息を吸って吐くと、いつもの表情で、それでいて真剣に話し始めた。

「私が印をつけた場所のいくつかは、ここから遠く時間がかかるので休日に行います。基本的にこの部活は平日しか行わないので、休日の活動は有志の者のみで行います。

 こんな感じでどうかな?」

 まあ誕生日会はほぼ強制的に駆り出されたけどな。それを言い出すほど空気が読めないわけではないので、黙っておくけれど。

「まあ、いいんじゃねーの。有志の参加なら周りが無理に合わせる必要はないからな」

「そうね、とてもいいと思うわ」

 この妥協案は今まで議論された全ての問題を、「有志による参加」の一点で全て解決したものだった。美園は案外アホな子を演じているだけなのではないかと、少しだけ、ほんの少しだけそう思った。

「それで、今日はどこに行くんだ?」

「私とかがみんは今からこのバスに乗って『ハマナス団地』ってところで降りるからひとまずはそこに来て。それまでは近くの公園でゴミ拾いしてるから」

あと、場所はここを道なりに真っ直ぐ行けばあるからね、と言い残し、二人はバスに乗り込んだのだった。

 美園は、俺が自分のせいで計画に支障を出したくないという意思と、鏡の弱者を放っていく罪悪感の両方を尊重し、その中間となる場所を選択したのだろうと、二人が丁度「妥協」できるスポットを選んだのだろうと、俺は勝手にそんなことを想像していた。

 自転車を漕ぎ始めて三分。俺の期待は思わぬ形で裏切られることになった。

「あ、ほーくん。早かったね」

 ハマナス団地。そう書かれたバス停は、私立七星学園前の次の停留所だったのだ。

 こんな近くだと知っていれば最初から反対したのに。そう言いかけたところで、一つの考えに辿り着く。美園はあえて俺に正確な場所を伝えなかったのではないか、俺に一度この場所にさえ連れてくれば「妥協」すると思ったから黙っていたのではないか。結局、俺は親切心の塊に騙されたのだろう。


 人生は嘘ばっかりだが、優しい嘘もたまには悪くない。むしろ誰も傷つけずに妥協させるには、嘘が必要なのかもしれない。そんなことまで考え始めていた。


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