六品目
どれ程そうしていたのだろうか。
茫洋とした砂の海にポツンと少女が一人。膝を抱えて座り、漠然と砂海を彷徨う彼女の視線は虚ろだ。
常人ならば焼石のように熱せられた大地に座ればすぐさま火傷を負うだろうし、強烈な照り返しを放つ砂海を眺めていれば数秒で眼球は焼かれるだろう。
しかしその少女は違った。
それは彼女が常人ではないから、ではなくてそもそも人ですらないからだ。
熱波だろうが光波だろうが、彼女の漆黒の体躯に傷一つつけることは敵わない。
彼女は魔神。
魔人族の魂を導く絶大な力を持っていたが、とある男に奪われてしまった間抜けな少女。
そんな彼女が遂に覚悟を決めて立ち上がった。
―――奪われた杖を取り戻さねば。
しかし杖を奪った男がどの世界に転生したのかが分からない。彼女はまずそれを知る必要があった。
―――とすると……
彼女はいそいそと、マントの裏から小さいガラス玉のような結晶を取り出しぶつぶつと呪文を唱え始める。
結晶に淡く青い光が灯る。
詠唱が進むにつれてその光はどんどんと輝きを増し、膨張していく。
膨らみ、膨らんで、膨らむと、一気に圧縮され、弾けた。
一陣の風が砂海を駆ける。
砂の海は相も変わらず茫洋として、目につくものは何も、無い。
===
パチ、と目が覚める。
満天の星空。
立ち上がって周囲を見渡すと、二週間前に初めて訪れた時と同じく広大な草原が広がっていた。
体は駒沢宗一のから自分のものに戻っていた。
ここは終焉の地――ネームドバイ僕――。
『世界』中の死人の魂はすべからくここに辿り着き、おしなべて新しい世界に転生する……らしい。
両手を頭上に、大きく伸びをしながら思う。
長なり短なり本意なり不本意なり、とにかく自分の人生を全うした死人の魂の全てがここに集うって言うのなら、視認できないだけで今も僕の周りには死者の魂が溢れかえっているのかもしれない。
「死人だけに、な。……ププッ……!」
背後から聞き覚えのある声。伸びをした状態で一瞬固まる。
フッと微笑むと、振り向きざまにモンゴリアンチョップをその男の頸動脈に叩き込む。
「ぐぎゃっ!?」と、カエルが潰れたような悲鳴を上げるとその男――タダノバカ、は首筋を両手で押さえて地面に倒れ込んだ。
「よう。出会いがしらフルスロットルな所悪いんだけど、それが遺言でいいんだな?」
「そ、そんな……私なりに久闊を叙そうと……」
タダノバカが苦しそうに喘ぐ。ちょっとやりすぎたかな。
今回僕はこいつに用があるからここを訪れたのであってストレス発散のために来たのではない。
だが今のはいきなり寒いギャグをぶっ放してきたこいつが悪い。
まだゲホゲホ咳き込んでいる。
相手の呼吸が整うのを待って、話しかける。
「さて、……おいタダノバカ、お前、さっき僕の心を読んだよな?」
「ああ、読んだ。それとそんな不名誉な呼び方を許した覚えはない」
「不名誉を恥じる相手もいないんだからいいだろ、……ってことはつまり、その読心術はおまえ個人の能力ってことなんだな?」
「まさしく。まあ私自身が持つ能力はそれだけでは無いがな」
「へえ。どんな?」
「そうだな……この世界の景観を変えることが出来るぞ。砂漠にしたり、渓流にしたり、密林にしたり、森丘にしたり……」
なんだかゲームにありそうなフィールドみたいだ。
「いや、そうゆうのじゃなくてさ……なんか前に言ってたろ? 僕を強制的に転生させてその反応を見て楽しむ、って。そういうことは出来ないの?」
言うと、タダノバカは気を落としたように、
「それは無理だ。私個人の力は基本的にこの地の全てを知り、あらゆる物に影響を及ぼせる――地形を変えたり物を生み出したりな、しかしその力はこの世界で必ず完結するため他の世界には干渉できんのだ。」
……なるほどな。
道理で僕が奪ったのに新しい衣を纏っているわけだ。ていうか今思い出した。ここの景色ってあれだ、昔のウィンドウズのデスクトップの背景にこんな感じの草原があったな。つまり今のこいつはデスクトップから開くプロパティの背景設定くらいの能力しか持ってないのか。この世界限定で。
てことは――
「その制限を取り払うのがこの衣、って訳か」
タダノバカは、恨めしそうに僕が手に握る衣を見て「そうだ」と答えた。
そうか。ならばこいつに衣を一旦渡さなければあの男の足取りを追うことは不可能、ということか。
正直渡したくない気もするが、そもそも僕のものでもないし、渡すしか選択肢が無いのだからどうしようもない。……でもさっきからずっと血走った眼で衣を睨んでる所を見ると、どうにも不安になる。また衣を使わせてくれるのだろうか。
「絶対やだ」
……じゃあ取引ならどうだろう、俺がしばらくこいつの遊びに付き合ってやるとか………………は?
「返して。もう絶対貸さない」
……この野郎……ガキみてぇなこと言い出しやがって。
一発シバいてやろうかと思ったら、
突如――
「返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して返してっ!!!!!!」
狂ったように繰り返す壊れたバカがそこにいた。こうなると、もう、哀れすぎて……何も言えない。
こいつキャラ不安定すぎだろ……
仕方ないから折れることにした。というか僕のではないのだから諦める、ことにした。
「分かった分かった、分かりましたよ。でももう少しだけ貸してほしい、どうしてもやりたいことがあるんだ。だからそれが済んだらちゃんと返すから」
そう、僕にはやらねばならないことがある。
僕を殺した男――あいつに奪われたカード。僕はそれを取り戻してから元の世界へ帰る。
復讐して殺された恨みを晴らすつもりはない。なぜなら僕は殺されたこと自体に不満はないから……いや、ある。が、それなりに面白い体験もできたし別にいいのだ。
ただ、盗られたものだけは取り返しておこうと思う。
あれは僕のものでもあの男のものでもなく、何処かの見知らぬ子供のものだからだ。なによりあの男だけ望むものを手に入れて転生だなんて腹立たしいことこの上ないからな……そう考えてみるとこれもちっぽけな復讐なのだろうけど……。
とにかく、この衣って実は空とか飛べて以外と便利だし、これがあればあの男に痛い目を見せることなんて赤子のへそをほじくるよりも簡単だろう。
……つーわけで――
「ヤダ」
「まあまあ、そう言わずお願い――」
「返して」
「あの――」
「バカ」
「……………………………………………………」
「ハゲ」
「カッチィーーーン!!!! もぉ~う怒ったぜえぇぇ俺はっ!! 殺す!殺す!もう殺す!絶対殺す! 楽には死なさねえ、祈る暇も与えねぇ、派手に殺してやんよおぉぉぉ!!!!」
ゲハハハハハハハハハハハハ!!!!! と、下品で粗野な荒くれ者のような笑い声を上げている自覚は悲しいことに全く、無かった。母が見たらさぞ嘆くことだろう。
急に太い眉毛と顔の彫りが深くなった気がするが、気のせいだな。
そんな厳つい顔に獰猛な笑みを張り付けて目の前の子供に襲い掛かる。
光景は完全に世紀末。
「下手にでてればチョーシに乗りゃあがってこの糞ガキャあぁぁぁぁ!!!! ………………あ?」
異常に気付く。
それは、子供の泣き声。
目の前には小さな男の子。
理解が追いつかず、立ち止まり、硬直してしまう。
「………………………………は?」
まだ続きます。




