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東方刃之抄  作者: ミカミ
7/11

暗躍

 鬼討伐は霊夢の手によるものとされた。

 なぜそうなったのか、鬼退治は伊織の手柄じゃないかと思う向きもあるかもしれない。

 これには深い理由とセコい思惑がある。

 一体どういうことなのか。

 まず知っておかねばならないのは、『博麗の巫女は結界管理能力だけでは務まらない』ということである。巫女が巫女であるために必要とされるもの、それは百戦無敗の実力であり、加えてそれをさとの人々に広く知られていなければならない。

 なぜか。

 誰より強い存在が上に立つ、その事実が民衆の安心を生むからである。

『一番強いやつが結界を守ってるんだから安心』――この短絡的な刷り込みこそがさとの根底に流れる平和意識のカラクリであり、そのカラクリを維持するために博麗の巫女は名実ともに最強の存在でなければならないのであった。

 が、ここに突如として現れたイレギュラー分子がこの仕組みを混ぜ返してしまった。

 ご存知志野崎伊織(しのざきいおり)である。

 絶対に負けないはずの巫女が、あまつさえ名も知れぬぽっと出の新参に命を救われたあげく妖怪退治の手柄まで奪われたという事実は、今後博麗の巫女の威信を保っていく上で非常に都合の悪い事態であった。

 やべーのである。

 否、やっべーのである。

 威厳を失った巫女の没落は早い。まず民心の不満がつのり、それはあっという間に伝播でんぱして郷を覆う不可視の暗雲に変わる。無能のレッテルを貼られた巫女は歴史の表舞台から爪弾つまはじきにされ、体制の転覆を狙う妖怪や野心家の人間、それまで地下活動を続けていたありとあらゆる勢力がここぞとばかりに水を得て暴れまわる。もはや誰にも止めることはできない。桃源郷がいつしかディストピアに変わる、その時まで。

 ここで話を戻すが、つまりはそれをさせないための偽情報なのであった。

 平和のため、秩序のため、志野崎伊織の存在は隠蔽いんぺいされる必要があったのである。

 いつ誰が流したものか、今や幻想郷の世論は霊夢礼賛(らいさん)、その一色に染まっていた。噂というのは不思議なもので、確たる根拠があるわけでもないのに、正しいのはいつだって多数派である。しかしいざ利用するとなればこれほど便利な集団心理もない。意図的に作られた多数派、それもまた正解なのだから。

「なんだか複雑だわ」

 道の端を歩きながら霊夢は深いため息をついた。傷の平癒を認め、数週間ぶりに下りた人里は前と変わらず平和だったものの、

「ありがとう霊夢ちゃん。おかげで村は安泰だよ」

「おおありがたやありがたや」

「どうかこれからも末永くさとをお守りくださいましね」

 行く先々で浴びせられるいわれのない賞賛に、霊夢は嫌気が差してしまった。立場上真実を告げることはできず、かといって嘘をまことと思い込むことも不可能であり、つまりはどこをどう歩けどどん詰まりの袋小路なのであった。

 あげくの果てには純粋無垢な村の娘に「あ、あの、その……この後お時間空いてますか?」と言い寄られる始末である。霊夢はこの、おそらくは全身の勇気を振り絞って口にしたに違いない乙女の告白を振り切らねばならなかった。それはもう大変な作業である。「あの、残念だけどそれは」と霊夢が言いかけたところで少女はすでに瞳うるうる顔まっかっかであり、それ以上先を口にしようものなら往来の真ん中で恥も知らずに泣き出してしまうものと思われた。そうなってはたまらない、霊夢は少女の手を取ると一心に物陰を探し、ようやっと酒屋の裏手まで連れ込んでことなきを得た。

「また今度、また今度だったら大丈夫だから!」

「本当……ですか?」

 頼むからそんな目で見ないでほしかった。

「本当よ、神に誓ってもいいわ! ほら私巫女だし!」

 思いつめた様子の村娘をどうにかこうにか説き伏せることで、事態は一応の解決を見た。人を真に困らせる感情とは、往々にして、まぶしいほどの純朴さなのである。

 かようなことがあったうえで、先だっての霊夢の発言、

『なんだか複雑だわ』

 である。褒められること事態は嫌いでなく、普段なら得意になったりもするのだが、しかしありもしないことで気をよくするほど霊夢も単純にできていない。誤認されることの気持ち悪さは、どこか濡れ衣に通ずるものがある。

 帰ろう。

 つのる疲労に背中を丸め、霊夢が帰路の一歩を踏み出した、まさにその時であった。


『今宵この場所にてお前を待つ』


 霊夢の足が止まった。

 すれ違いざまの声であった。

「…………」

 声はすれども姿は見えず。

 何気ない動作の合間に周囲を窺う。

 行きかう人々の一体何人がこの声に気づいたろうか。おそらくは誰も気づかなかったに違いない。でなければ、あの氷のつぶてを投げるような無遠慮で冷たい声を前に、明日の晩飯がどうの畑のカラスがどうのと話をしながら通り過ぎることなどできるはずがないからである。

「誰」

 短く霊夢は問うた。返事はない。怪しい人影もない。すべてが正常に、滞りなく流れている。表立ってはそう見える。

 しかし霊夢は、その日常に潜むわずかな非日常の痕跡を嗅ぎ取っていた。

 万物には特殊な『匂い』が存在し、俗にこれはオーラと呼ばれる。人には人の匂いがあり、河童には河童の匂いがある。妖怪退治を事とするものは、持ち前の霊感なり魔力なりを使ってこれを嗅ぎ分けるのである。

 霊夢は同業の中でも抜きん出て鋭い『鼻』を持っており、そうそうこれをごまかすことはできない。やっこさんも相当腐心して声だけを飛ばそうとしたようだが、バレバレである。相手がどこの誰であるかまではっきりとわかる。

 しかしこの場合は、わからない方が幸せだったのかもしれない。

「この匂い……」

 忘れておきたい記憶の箱に、巨大な刃物が突き立った。

 脇腹の傷がしくりと痛む。

 よりにもよってこんなところで戦おうというのか。

「今宵って言ってたわね、確か」

 人里は嘘のような昼下がりの平穏に包まれている。しかしこの平穏を辿った先に明日あすがあるという保証は、もうどこにもない。

 身体の震えを霊夢は抑えることができなかった。ふたつの命がぶつかって、ひとつが残るかあるいは道連れに散るか。身命を賭した戦いが提示するのはそのどちらかだ。痛み分けや和睦わぼくはありえない。棚上げにできない死が、そこにはある。

 かつて霊夢が経験した弾幕ごっこは、やはりどこまでも弾幕ごっこでしかなかったのだ。「勝つことで殺し、負けることで死ぬ」……真に『戦う』というのはそういうことだ。弾幕ごっこにはそれがなかった。だから死というものに鈍感でいられた。無関心でいられた。流血、悲鳴、恐怖……目を閉じ耳を塞ぐことで、それら都合の悪い事情の一切を頭上にやり過ごしていた。

 そしてその『都合の悪いもの』に唯一対抗しうる、あまりにも好都合な存在。

「志野崎、伊織……」

 まだ知り合って日の浅い、どこの誰であるかも判然としない少女の名をつぶやいた。

 彼女は強い。

 神話や伝説にはよくある話だ。絶対的な英雄サマが神の力を引っさげて、悪いやからを端から順に蹴散らしていく物語。正義の名の下に前後の文脈までもぶった切り、性急に親玉をやっつけて平然としている、比類なきことを初めから約束されたヒーロー。

 まったくもってうんざりだ。

 幼い考えだと思う。自分の後ろをついてくるうちは便利に使っていたくせに、追い抜かれたと感じるや否や心に嫉妬の種をく。あの夜の一戦を機にそれら醜い感情の動きは起こった。自分がこんなにも黒い感情を秘めていると、彼女に出会って初めて気づいた。

 先だっての声の主はあの赤鬼の仲間だ。間違いない。匂いこそ残ってはいるが、おそらくどこかで途切れているに違いない。夜を待たねば現れまい。

 だが奴の都合を飲むということはこの人里を戦場に変えるということだ。それだけは絶対に避けなければならない。不合理な死を、この郷に降らすわけにはいかない。

 伊織がいなくとも平気だ。現に今までもひとりでやってきたのだから。

 きっと死なないはずである。

 腹の底に力を込め、一息に霊夢は飛び上がる。標的の姿も知れぬまま、残されたかすかな妖怪の匂いを頼りに、真っ直ぐ北へと飛び去った。

 二羽のカラスが、その背に暗雲を引き連れるようにして後を追いかける。

 幻想郷に、雨が近い。



 カセットテープとは何か――気晴らしの音楽を伊織に与えるために、ゆかりはそこから説明しなければならなかった。

「いやいや紫さんこれはウォークマンじゃないですよ、確かにSONYって書いてありますけど書くだけなら誰にでもできます。証拠にはなりません。それに私……俺が見たことあるものとは形も仕組みもまるで違う。見えすいたパチものです」

 人に見られてはならない伊織は、現在、博麗神社の社殿に紫の監視付きで軟禁されている。勝手な行動は許されず、外を出歩けるのはわずかに夜中の数時間。食事は質素な精進料理で、酒こそ飲めるものの何だか背徳的な気がして伊織は一向飲む気にならない。当然テレビもゲームもなく、娯楽といえばわずかに天狗の新聞のみ。

 死んでしまうではないか。

 目下、砂漠の炎天に投げ出された海月くらげと化した伊織は、この燃えるような渇きを癒すため、紫に懇願したのであった。

 どんなものでもいい、何か暇を暇と感じさせないだけの娯楽を。

 そして紫は、時間を潰すに足る幻想郷最新鋭の文明を提示したのであった。

「いえ、これも立派なウォークマンよ、多少古いけれどね。あなたが生まれる十五年ほど前のモデルだからカルチャーショックを受けるのも無理からぬところだと思うけど、昔はこれが主流だったの。外の世界の話だけどね」

「はあ」

 手取り足取り十五分。

「ではこのボタンを押すことでテープが回り音楽が流れると、そういうことですか」

「ようやく理解してくれたわね」

 にわかには信じがたいことだった。ウォークマンの誕生から現在に至るまでの歴史、およびその仕組みを体系立てて説明されてもまだ、伊織は半信半疑の『半疑』の部分を完全には拭い去ることができなかった。冷静に考えればそれは猿人が今の人間に繋がっていることと同じくらい普通なことなのだ。が、急に薄汚れた頭蓋骨を見せられて「これが君の三千三十一代前のおじいちゃんだよ」と言われてもどだい実感は持てないのである。

「カルチャーショックどころじゃないですよ。俺が知ってるウォークマンはもっとこう、前衛的で近代的でスタイリッシュでコンパクトというか。こんな古くてガチャガチャした機械じゃなかったです、友達が持ってるのしか見たことないんで詳しくはわからないですけど」

 無駄に高く澄んだ声で伊織は言う。

 卓を挟んだ向こうから、紫が答える。

「それはあなたの生きる時代から見たらそうというだけで、発表当初はこれが前衛的で近代的でスタイリッシュでコンパクトだったのよ。古い機械が嫌だというなら、あなたに貸せるものはもう何もないわ」

 紫の背後に異次元が開いた。伊織の手にあったウォークマンを取り上げ、その中に放り込もうとする。

「ああいや待ってください! それは困ります! それがないと俺、死にます!」

 もはや贅沢を言う自由は残されていないのだ。道具を選り好みできないなら、あるもので我慢するしかない。不本意ながら、伊織はそう自分に言い聞かせた。

「初めからそう言えばいいのよ」

 危うく処分されかけたプレーヤーが伊織の手元に帰ってくる。紫が、手にした扇子を音もなく広げた。

 急に静かになった気がした。

 気の早いセミがどこかで鳴いている。

 二羽のスズメが視界を斜めに横切っていく。

「……紫さん、あの、俺、」

「いい加減にその一人称変えたらどう? 往生際が悪いわよ。私の前でだけ俺と言うのも不自然だわ」

 思いも寄らぬことを言われた。

 すぐには返事ができなかった。

「…………。これは、意地みたいなものです」

「意地?」

 鬼の血に赤く染め変えられたまま結局洗い落とせなかった着物の裾を、伊織は握りしめる。

「俺はいつか元の世界に帰るって決めてます。当分は妖怪退治でもなんでもやりますけど、自分が男だったってことも忘れたくないんです。だから紫さんの前では、俺は俺で通します」

 それだけ言って、言い逃げるように、伊織はあちこち銅線がむき出しになったヘッドホンを耳に当て、手間取りながらもカセットテープを差し込んで再生ボタンを押した。

 音は、すぐには聞こえなかった。

 慌てて音量を調整すると、やがて古びたメロディーが耳の奥に流れ始めた。

 昔のアニメの主題歌だった。今でもアニメソングの特番で流れるような有名な曲。主人公がヒロインとともに空飛ぶ汽車に乗り込んで、宇宙を旅する物語。確か内容はそんな感じだった気がする。アニメを見たことはなかったが、伊織は前向きなこの曲の歌詞が好きだった。そのくせサビの英語は歌えないのだから笑ってしまう。

 伊織はかれこれ三十分近く、同じ曲をリピートし続けていた。

 データ化されたファイルなら見落とすはずのノイズも音の劣化もすべて、このテープは大事に抱え込んでいた。

 音楽も年を取るのだと、そう思わずにはいられなかった。

「…………」

 静かに停止ボタンを押した。ヘッドホンを外し、

「いい曲ですね」

 紫はそれについては何も答えず、

「帰りたいなら、それもいいわ」

「え……?」

 またお得意の冗談だろうか。

「ただ今すぐ帰すわけにはいかないわね。私があなたを呼んだ理由……興味本位ばかりでもないのよ。この間の鬼、あなたが倒した鬼だけれど」

「……はい」

 紫が遠い目をした。この目をした紫は、きっと少しもふざけていない。伊織にもそれが、何となくわかるようになっていた。

「前代未聞の強さだったわ。それこそ、幻想郷の存続が危うくなるくらいのね。霊夢が負けた、それひとつ取ってみてもありえない話なのよ」

「そう、だったんですか」

「しかも私が踏んだところでは、相手はおそらく徒党を組んでいる。他にもまだ潜伏してる輩がいるってことよ。あなたが倒したあの赤鬼はおそらく下っ端に過ぎない。本人にその自覚があったかどうかは別だけれど。考える頭があったかどうかも疑問だわ」

 それは恐るべき事実だった。あの鬼が下っ端。ということはあの程度の妖怪はうじゃうじゃいて、それどころかもっと強い妖怪がこの幻想郷には潜んでいるということではないか。伊織は気が遠くなる思いだった。

「俺が何とかしなきゃってことなんですよね」

「もちろんあなただけに押しつけたりはしないわ。霊夢も単独行動が過ぎるからいけないだけで、多対一に持ち込めば倒せない相手じゃないのよ。優秀な子はうちにもたくさんいるのだから……」

 その瞬間であった。紫が何かを感じ取ったように眉を上げた。

「……って話をしている時にあの子は。本当に学習しないんだから」

「紫さん……?」

「お得意の独断専行よ。いいわ、今度こそ痛い目を見て反省すればいいのよ霊夢も」

「え、ちょっと、それって霊夢さんが危ないってことなんじゃないですか?」

「一応式を飛ばしておくわ。もしものことがあったらあなたの出番よ、覚悟しておいてね」

 紫はどこから取り出したものか二枚の札を指に挟み、縁側から外に歩み出ると、偶然通りかかった二羽のカラスに向けて投げつけた。

 カラスはもんどり打って落ちてゆくかと思われたが、地面すれすれのところで危うく体制を立て直し、大きく針路を北へと変えて飛び去った。

「……いいんですか、本当に」

 この確認にもきっと意味はない。紫は一度言ったことを曲げない。そしておそらく彼女の言っていた『もしものこと』は、起こりうる必然である。

「いいも何も、あの子が決めたことだもの。いちいち全部の面倒見てられないわよ。それに、あなたに教えたいこともあるし」

 伊織の目には、しずしずと境内を歩く紫の後ろ姿しか見えない。果たしてその顔はいかなる表情を浮かべ、その心中はいかなる思いに占められているのか。

「暗くなってきたわね」

 暗雲渦巻く幻想郷の空から、一滴のしずくがこぼれ落ちた。

「あら、雨」

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