第87話「特別訓練-4」
「くっさあああぁぁぁ!」
臭かった。とにかく臭かった。納豆臭かった。
有り得ない量の納豆臭が胃の中から食道、そして鼻の中へとを駆け上がり、嗅覚を通じて俺の脳みそに直接納豆の臭いが叩き込まれ、その臭いの強さ故に俺は床に両手をつくと、撥ね上がるように上体を逸らしつつ叫び声を上げる他なかった。
「ハル!?」
言っておくが、別に俺は納豆が嫌いと言うわけではない。
あの独特な匂いだって特に問題とはしない。
だがあらゆる物事には限度と言う物が有る。
そして、今俺が嗅ぎ取った臭いは、今まで俺が嗅いだ事のある何物よりも臭く、それが納豆の匂いだと言う事が理解できてなお耐えがたい物だったのだ。
「おい、納豆爺!ハルに何を食わせた!?」
「何って儂特製の栄養剤じゃが?」
「栄養剤って……」
俺があまりの臭さに吐き気を覚え、四肢を床についている中、サルモさんがドクターに詰め寄る。
どうやらドクターが俺に食わせた物の正体を問い詰めているらしい。
あー、少し楽になって……いやこれは、あまりの臭さに俺の鼻が馬鹿になっただけか?
「うむ。儂特製の納豆を圧縮して作った、栄養失調で今でも死にそうな病人でも、一粒で健康体になるまで回復する栄養剤じゃ」
「げほっ、ごほっ、なんで……そんな物を俺に?」
「うっ……」
「くさっ!?あ……」
「……」
と、ちょっと楽になって来たので、俺自身の口でドクターを問い詰めようとする。
が、ドクターの方を向いた途端に、ドクターの近くに居たシーザさんとサルモさんの二人が顔を顰め、鼻を覆うような仕草を見せる。
ああうん。二人の表情からしてワザとでない事は分かるんだけど、地味に傷つくな。これ。
「……。なんでそんな一歩間違えば劇物指定に入りそうな薬品を俺に?」
「何でってお主。お主が倒れかけた原因はどう考えても、【堅牢なる左】を維持するためのエネルギーが足らず、お主自身の身体からエネルギーを吸い上げはじめたからだったじゃろうが」
「?」
ドクターの言葉に俺は首をかしげる。
エネルギーが足りなかった……って、どういう事だ?
あの大量のドラム缶は、教授たちが計算して出した本来の【堅牢なる左】を発動するために必要な量の瘴気を含ませてあるんじゃなかったのか?
ん?発動?維持?
「あー、もしかしてこういう事か?学者たちが割りだしたのはあくまでも発動するだけで消費するエネルギーでしかなく、その後に発動を維持し続けるためにはまた別に大量のエネルギーが必要になる。と」
「うむ。そう言う事じゃな。今回は警告の意味も含めて、その足りない分のエネルギーをお主の身体から集めようとしたんじゃろう」
俺の言葉にドクターは水色毛玉の体を震わせる。
たぶん、頷いているんだろう。
しかし、そうなると……もしかしなくてもかなりヤバい状況だったのかもな。
俺が倒れ込み始める前に【堅牢なる左】は既に消え始めていたが、あのまま無理やり維持しようとしていたならば……うん、危なかったな。
ん?警告?どういう意味……
「まあ、そんなわけじゃからな。これ以上屋内で本来の【堅牢なる左】とやらを出す事については、医者として止めさせてもらうぞい」
「あ、はい」
が、俺がドクターにその言葉の意味を問いただす前に、ドクターストップの宣告をされてしまう。
「だが納豆爺。もしも今後屋内でアチラの【堅牢なる左】が必要になった場合はどうするつもりだ?エネルギーが足りないからと、使わないわけにはいかないだろう」
「そもそもそんな状況に陥るなと言いたい所じゃが……そうじゃな。別に何かしらのエネルギー源を用意するか、死を覚悟して使うか……後は、サイズを小さくしたり、発動する時間を極力短くしたりして、消費するエネルギー量そのものを抑えるかじゃな」
「なるほど」
「まあ、いずれにしても今日の特別訓練は此処までじゃ。儂特製の栄養剤と言えども、その即効性には限度があるからの」
そして、続けて為されたサルモさんとドクターの会話に、俺が疑問を挟む機会は完全に無くなってしまう。
まあ、大した疑問でも無かったし、別にいいか。
それにしてもエネルギー不足か……思わぬ穴だな。
「しょうがない。シーザ、余った時間でお前に稽古をつけてやるから、こっちに来い」
「分かりました!サルモ隊長!」
「ハル。お前は上で納豆爺と一緒に休んでろ」
「はい」
いずれにしても、今日の俺の訓練は此処までと言う事で、俺は少々のダルさを覚えつつも、ドクターと一緒に高台の方に移動する。
「ああそうじゃ。ハル。ついでじゃし、お主には話しておこうかの」
「話……ですか?」
と、高台に着いたところで、珍しくドクターから話を切り出してくる。
「うむ。以前にお主らがこの世界に最初来た時の位置情報をダスパたちに教えたのは儂じゃったと言うのは知っておるな」
「それはまあ、知ってますけど」
「あれからまたコネを使って、色々と調べてみての。新たに分かった事が有るんじゃ」
「!?」
ドクターの言葉に俺は思わず両目を見開く。
ドクターが言っているのは、つまり俺とトトリ以外のクラスメイトが居るかもしれない場所が分かったと言う事だからである。
「そ、それはどういう……」
「落ち着くんじゃ。分かったのは、お主らの時と同じような反応が別の場所でも有った事だけじゃ。そして、心配せんでも既に塔長会議の方に、反応が有った場所の位置情報と、その位置近くの都市については伝えておる」
その位置近くの都市……その言葉だけで俺は察する。
他のクラスメイトはダイオークスとは違うどこか別の都市に保護されているのだと言う事実に。
「この件でお主に出来る事は無い。大人しく、結果が出るまで待っておるんじゃ。今回お主に話したのも、何処からかお主にこの話が伝わって、妙な事をせんようにするためじゃ。分かるな」
「……。分かり……ました」
だがどれほどの焦燥感を感じていようとも、今の俺にはただ待つ事しか出来そうには無かった。