第54話「M1-15」
「アレが熊級ミアズマント……」
そいつは近くの家屋の中でも、比較的原形を留め、丈夫そうな建物の上から俺たちの方を紅い目で睨み付けていた。
まだ距離が有る上に対比物が少ないので正確な数字は分からないが、体高は2.5mは間違いなく超えているだろう。
そんな奴の体を覆うのは茶色いレンガと白いコンクリートの破片であり、遠目に見れば、元になった生物の毛並みを忠実に再現していると言えるだろうし、遠くから見ている限りでは優美な姿と捉える事も出来るだろう。
「全員、気を付けるでやんすよ……」
「言われなくても分かってる……」
だが、元になった生物とは大きく違う点もある。
例えば四肢。
そいつの四肢は鋼鉄の甲殻で覆われており、此処からは角度の関係で見えないが、蹄も鋼鉄で出来ているのは間違いないだろう。
例えば角。
そいつの角は元になった生物と同じように、天に向かって伸びると共に、途中で複雑に枝分かれをしていたが、同時に金属で構成された角はテレビのアンテナのようにも見えた。
例えば目。
そいつの目はカメラのレンズであり、この瘴気の中でも視界を確保するためなのか、目のすぐ横には紅い光を放つライトが付いていた。
「特異個体……見たのはアタシも初めてだな」
「実質、悪魔級の化け物だね……」
そして、そいつの目に睨まれた俺たちは、全員気後れや怯えこそなかったが、その場から動く事は出来ずにいた。
誰かが少しでも動けば、それが戦いが始まる合図になると分かっていた為に。
『デイイイィィィルウウゥゥゥ!!』
やがてそいつは……熊級ミアズマント・タイプ:ディール特異個体こと巨大な牡鹿の姿をしたそいつは、大きな嘶きを上げながら、家屋の屋上から俺たちが居る高さに一足飛びで降りる。
その一見すれば優雅にも見える跳躍に、俺たち全員の視線は一瞬奪われる。
「「「っつ!?」」」
ディールが着地すると同時に、その巨体故の質量によって周囲の地面が大きく揺れ、俺たち全員の体勢が僅かに崩れる。
すると当然、指揮官を務められる程の知性を有するディールがその隙を見逃すはずも無く……、
『デイイイィィィルウウウゥゥゥ!』
俺たちに向かって、前方に角を突き出す姿勢をとって突っ込んでくる。
「逃げるでやんす!」
「ちいっ!」
「うおい!?」
「ハル君!」
「【堅牢なる左】!」
ディールのその行動に、ライさんたちはディールの進路から逃れる様に飛び退く。
対して、俺は咄嗟に【堅牢なる左】を発動して、自分の前に向かって構えていた。
それは、俺の【堅牢なる左】の強度が瘴巨人の攻撃にも耐えうるものであると分かっていたための行動だったが、一つ失念していた事が有った。
『デイィルウゥ!』
「ぐっ……があっ!?」
「ハル!?」
ディールの角と【堅牢なる左】がぶつかって、一瞬ディールの動きが止まり、俺は自分の行動が成功したと一瞬感じた。
が、直ぐに重量差から押し込まれ始め、ディールが首を振ると俺の両足は地面から離れ、俺の身体は近くのコンクリートの壁に猛烈な勢いで叩きつけられ、衝撃によって背中が激しく痛むのと同時に、肺腑から大量の空気が抜け出ていくのを感じる。
「ぐっ……」
そう、俺が失念していたのは、ディールと俺の間にある圧倒的な重量差。
それは少し考えてみれば直ぐに分かる事ではあるが、ミアズマントとは全身が無機物で構成された化け物であり、元になった生物と同じ大きさであっても遥かに重いのだ。
それこそ、熊級ミアズマントともなれば、その重量は大型のトラックや戦車にも匹敵するかもしれないのである。
「全員。回避を最優先にして攻撃を仕掛けるでやんすよ!」
『ディル……』
立ち上がろうとする俺の目の前でライさんが指示を出しながら、短剣をディールの胴体部に投げつける。
が、短剣から電流が流れても、ディールは多少煩わしそうにするだけで、大して効いているようには見えなかった。
『ディルアァ!』
「言われなくても分かってる!」
「そんなの分かってるよ!」
コルチさんとワンスも、前足を振り下ろして攻撃を仕掛けるディールの視界外から、反撃を受けない事を第一にしつつ攻撃を仕掛け始める。
だが、コルチさんの剣も、ワンスの銛もディールの表皮を浅く傷つけているだけのようで、ディールの動きに変化は見られない。
「ちっ!やっぱり熊級の大きさになると、歩哨の攻撃じゃ陽動にしかならないっすね!」
「だったら……」
俺と同じことをライさんも感じていたのか、短剣を投げつけながらそう愚痴をこぼす。
そして、その愚痴が聞こえていたのか、今までディールの攻撃を避けることに専念していたトトリが攻勢に転じる。
「私がやる!」
『ディル!?』
『テンテスツ』が腰の短剣を抜いて、ワンスとコルチさんを始末しようと前足を上げているディールに切りかかる。
すると、ディールはその短剣の大きさに、今までの攻撃とは違って明確な脅威を感じたのか、『テンテスツ』の短剣が当たらないようにその場から大きく飛び退いて攻撃を回避し、そのまま最初に居た住居の上に駆け上がる。
「トトリ!単独で仕掛けてもまず当たらないっすよ」
「うっ……」
自身の足元で発せられるライさんの言葉にトトリは言葉を詰まらせる。
そして、この頃になって俺はようやく立ち上がることが出来る程度に回復をしていた。
なので、俺はライさんの元に駆け寄ると、再び【堅牢なる左】を出せるように構える。
「ハル。大丈夫なんすか?」
「まあ一応は。と言うわけで……」
「うん」
「今度はこっちの番です」
『…………』
そして俺はトトリと一緒にディールの顔を睨み付けた。