第35話「基礎訓練-8」
「ふうん。今の感じから察するに、何かは掴めたらしいね」
ああうん。確かに掴めた。
別な物も掴めてしまったが。
「いやー、良かった良かった」
全然良くないです。
さっきから、まるで左腕が金属になったかのようにピクリとも動かないです。
「模擬戦の再現と言う事で、出来る限り大量の殺気をぶつけてみたんだが……」
いや、そんなワンスがどうして、俺に対して拳を向けてきたのかと言う理由よりもですね。
この左手を通して伝わってくる柔らかくて、その癖妙に弾力があり、この非常にいい手触りと言うか、感触が、俺には抗いようのない魔力を有しているので、ワンスにどうにかしてもらいたいと言うかなんというか……てか、これってさ。
俺が左手で掴んでるこれってさ。
「まあ、いずれにしても上手く言って何よりだ。良かった良かった」
ワンスが話しかけてきた時に俺の後頭部に当たってたアレですよね。
アレなんですよね。
ある意味では男の夢でもあるアレなんですよね!
「ところでハル?」
それが俺の左手に!?左手の内に!?
畜生!どうして俺に左腕は微動だにしないんだ!?
逃げるにしても、それ以外にしても、何で全く動かないんだ!?
はっ!?まさか、ワンスの特異体質はアレに触れた男の動きを止める事だとでも言うのか!?いや、そんな馬鹿な事が……。
「胸を掴まれるまではアタシの行動が原因だから、とやかく言うつもりはないが、さっきからハルの左手がアタシの胸を揉んでいるのは別件だよな」
「はっ!?」
そこまで混乱した俺の思考が及んだ時だった。
ワンスの声と共に俺の思考が正常な状態に戻る。
そして、気が付けばワンスの拳は握りしめられると共に大きく引かれており、その顔は見間違えようがない程に真っ赤に染まっていた。
どうやら、俺の左手は無意識にワンスの胸を揉んでおり、混乱した頭では分からなかったが、ワンスにとっても胸を揉まれるのは恥ずかしい事だったらしい。
「何が原因で流したのかを分からないようにはしておいてやる」
「お、お手柔らかに……」
「断る!」
「ぶへっ!?」
ワンスの拳が俺の鼻先を掠めるように放たれ、振り切られた直後から鋭い痛みと共にドロッとした物が鼻から出てくるのを感じる。
そして俺が鼻の痛みから復帰する頃には、ワンスは何処かに向かって走り去っていく所だった。
何て言うか……うん。やっちゃった感が半端ない。
周囲からの、色んな感情がこもった視線も凄く痛いし。
「逃げよう」
そうして俺は逃げ出すようにその場を後にし、特別訓練の為に用意された部屋に逃げ帰るのだった。
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で、昼休みが明けて午後の特別訓練が始まったのだが……。
「ほう。何か掴んだみたいだな。模擬戦の時に比べれば二回りぐらい小さいが、しっかり出てる」
「どうもです……」
この混沌とした感情を悔しいと言うべきか、嬉しいと言うべきなのかは分からないが、ワンスの胸の感触を……じゃなかった、ワンスの殺気を受けた時の感触を思い出しながら、【堅牢なる左】を発動しようと思ったら、昼前まではまるで出来なかったのに、今は至極簡単に……それこそ自分本来の手足を扱うかのように出来てしまった。
ただ、サルモさんが言うとおり、模擬戦の時に比べると大きさは二回りぐらい小さい感じで、あの時ほどの力強さは感じない。
まあ、この辺りについては、扱い方も含めて今後の訓練次第といったところか。
「ふむ。確かに胸は掴んでおったのう」
「ふん!」
ドクターの言葉に【堅牢なる左】が太く長く伸びると共に、俺の腕の振りに合わせるように動いて、ドクターが居る位置に有るものを一様に叩き潰す。
え?わざと?ははは、まだ不慣れなんだから、誤射かもしれないじゃないか。
まさかあんなに伸びるとはなー。
「そんな、大振り当たらんのー」
が、何時の間に移動したのか、ドクターは瘴巨人のコクピットが置かれている高台に移動しており、【堅牢なる左】の下には訓練室の床が広がるだけだった。
ちっ、外したか。
「なるほど。確かにお前の感情に呼応すると言うのは正しいみたいだな」
「どうもです。【堅牢なる左】解除」
俺は【堅牢なる左】を解除すると、肩の調子を確かめるように、左腕と左肩をグルグルと回す。
うん、特に反動のような物は感じないな。
「と、そう言えば、俺自身にも【堅牢なる左】は見えないんで、気になっていたん事が有るんですけど、【堅牢なる左】ってどう言う形をしているんですか?」
と、俺は多少気になった事が有ったので、【堅牢なる左】の形を具体的に把握しているであろうサルモさんに質問をしてみる。
実際姿が見えないって言うのはなぁ……使い手である俺が形を把握していないと、便利である以上に不便だ。
「そうだな……」
と言うわけでサルモさんにその辺りを聞いてみたのだが、サルモさん曰く『指と指の間にも分厚い肉の膜が有り、指の延長線上に当たる部分からは爪のような突起物が出ている』とのこと。
アレだな。イメージとしては、クジラやイルカのヒレに爪が生えたものを思い浮かべると近いのかもしれない。
この世界でクジラやイルカが生き残っているとは思えないので、サルモさんたちに説明をしても分かってはもらえないだろうが。
「なるほど。それで無事に発動は出来ましたけど、これからは何を?」
「勿論、十全に扱えるようになるまで訓練をするに決まってる。威力、間合い、持続時間。現状を調べ、強化するべき事はたくさんあるから覚悟しておけ」
「分かりました」
で、当然のことではあるが、【堅牢なる左】を自分の意思で発動出来るようになるだけで特別訓練が終わるはずもなく、次のステップに進むことになるのだった。
ワンスは自分が重傷を負う事ぐらいまでは想定していましたが、胸揉みは想定外だったようです。
03/27誤字訂正