第26話「入隊試験-8」
観客席兼審判席として用意されたその一室は、ハルの勝利を告げる審判の声が発せられて以降、何十人と人間が居るにも関わらず、ずっと静寂に包まれていた。
だがそれはこの場に居る者たちが冷静であった為では無く、先程行われた模擬戦の最後に発生した現象がこの場に居る者たちの常識から大きく外れ、理解が追いつかなかった為であった。
「ははははは!何だい今のは!?あんな物を隠し持っているだなんて、『救世主』様も人が悪いねぇ!」
そんな空気の中で一人の女性……監督官の一人としてこの場に居たワンスが大きな笑い声を上げる。
そして彼女が発した笑い声を波源とするように、部屋の中に感情の波が行き渡り、人々の表情が変わるのと同時に部屋全体がざわめき始める。
ざわめきはやがて喧騒となり、ある者は己の考えを口に出し、またある者は敢えて己の考えを口には出さずに沈黙を保った。
そう。
「あの力はなんだ?特異体質なのか?それとも……」
ある者は眉根を寄せて、自分の中に在る知識から先程の現象の答えを出そうとした。
「なんて力だ……あれがもし、我々に向けられでもしたら……」
ある者は全身を震わせ、その力の強大さに恐れおののいた。
「(早く、我が主にこの事を伝えなければ!)」
ある者は自分の手には余る情報だと考えて、冷や汗を垂らしながらも早急に部屋を辞去し、自分が所属する塔へと駆けた。
「(うーむ……どうにかして、あの力をこちらの手中に収めることが出来ないものだろうか?)」
ある者は微かに笑みを浮かべ、どうすればその力を自分と自分が所属する塔のものに出来るかを考えた。
「学者を呼ぶぞ。早急にあの力について調べさせるのだ」
「ふふふふふ。今日は実に興味深い物が見れた」
「恐ろしい……なんと恐ろしい……」
「対策を考えなければ……このままでは……」
そうして、部屋の中に居る者たちがおおよそ所属する塔ごとに固まってそれぞれに行動をする中で、とりわけ人数が多い一団が若干駆け足混じりの歩きでもって移動を始める。
「ダ、ダスパさん!医務室は何処ですか!?」
「こっちだ!」
「ライ。トトリたちに付いて行ってやりな」
「了解でやんす」
「お嬢はどちらへ?」
「アタシは親父の方だ。変な情報が伝わらないようにアタシの口から直接話す。レッドも付いてきな」
「あいよ」
「ニースもオルガの方に付いてくれ。コルチは俺の方だ」
「分かりました」
「おう。サルモの容体も気になるしな」
集団は部屋の外に出た所で二手に分かれると、トトリたちは模擬戦が終了すると同時に気絶したために医務室に運び込まれたであろうハルの方に向かい、オルガたちは26番塔塔長であるオルク・コンダクトの元に向かって移動を始める。
「ふふふふふ……」
やがて、部屋の空気を一変させた元凶であるワンスも不気味な笑みを浮かべつつ、トトリたちに続く形で部屋を後にする。
「あーっはっはっは!」
そして、周囲に人の気配が無い場所にまで来たところで、ワンスは一際大きな笑い声を上げる。
その顔に浮かぶのは発せられた笑い声に相応しいと言えるだけの笑み。
「はぁはぁ……ああ、うん。決めた」
ただ普段の彼女とは大きく違う点があった。
そう。幸いな事に誰も見てはいなかったが、ワンスの頬は明らかに紅潮し、息遣いは荒くなり、妖艶な空気を周囲へとバラ撒いていたのである。
「絶対にアタシの物にしてやる」
それは好意的に捉えれば恋する乙女の姿に他ならなかったが、もしもこの姿のワンスを獲物が見たら、間違いなくこう言っただろう。
『アレは獲物を狙う肉食獣の目だ』と。
そして、こうなる事を女の勘で察していたがために、トトリは渡さないと言っていたのである。
「さあて、と。そうなったら早速伯父上たちと交渉してこないとなぁ。ふふふふふ……」
ワンスはそう独り言を呟くと、他の塔に繋がる通路が伸びている階に向けて移動を始めた。
この日、ハル・ハノイとトトリ・ユキトビの二人は確かに己の実力を示し、26番塔外勤部隊に入る資格を得た。
だがしかし、合否を決めるその場で二人が見せた特異体質に基づくであろう不可思議な力は、多くの者が二人に対して多大な関心を抱くと同時に、正負様々な種類の干渉をする気にさせるには十分過ぎる物だった。
それはやがてハル・ハノイ自身だけでなく、ダイオークス全体を、更にはこの世界『クラーレ』全体を揺るがすような事件へと発展していく。
だがその事実は、まだこの世界の誰も知らず、世界の外側に座す一人の神にも朧気にしか見えていなかった。
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