第235話「M4-9」
「聞きたい事……ね」
まあ、聞きたい事は色々と有る。
となれば、向こうもその気のようだし、聞けるだけ話を聞かせてもらうとするか。
「『クラーレ』と言ったな。お前は外の世界にただ居るものだったのに、どうして今はこの世界に居る?」
まず尋ねるべきは、こいつがどうしてイヴ・リブラ博士の作ったこの場所に居るかだ。
と言うのも、仮にこいつがその名の通り箱の外の世界に広がる星そのものだと言うのなら、それだけで多くの問題が起こっていると考えるべきだからだ。
「その質問への答えは少々長くなるな」
「構わない」
「分かった」
『クラーレ』は地面を隆起させ、周囲の石柱と同じ素材で出来た椅子を作り出すと、そこに腰掛ける。
「先も言ったように、私はこのこの箱の外の世界にただ居たものであり、私の事を人間……だったか、そう言う名前の私でない者たちはクラーレと呼んでいた」
「それはさっき聞いたな」
「その頃の私はただ己の理に従い、天でひたすらに舞い続けるだけの存在だった」
「まあ、星なら当然……かな」
俺たちの側にも『クラーレ』の腰かけている椅子と同じような椅子が生じているが、俺たちの側は誰もその椅子に腰かけない。
現状、『クラーレ』が信用できる存在とは思えないからだ。
「ある日の事だった。私が私の領域だと認識している場所に、外の世界から紅い星が顕れた」
「紅い星……」
『クラーレ』の言う紅い星とは、禍星とも呼ばれる、全ての始まりとなった星の事だろう。
そして、その星は最初の部屋に記されていた『箱舟』とやらの事だと考えれば通りがいいか。
「紅い星は、私の身体の何処かに墜ちると、私の身体を未知の力を以て穢し始めた」
順当に考えれば、『箱舟』の『守護者』とやらが瘴気を放ち始めたと言う事だろうな。
で、『箱舟』の『守護者』が外の世界から現れ、未知の力を使ったと言う点からして、『虚空還し』がこの世界の存在でない事は確定。と。
「穢された場所は私の身体であったにも関わらず、私の物ではなくなってしまった。この時、私は初めて死と言う物、恐怖と言う物を理解した」
「抵抗しようとは思わなかったのかい?」
「抵抗は出来なかった。奪われた身体を奪い返そうと私が手を伸ばせば、その手が穢された。穢された部分を切り捨てて逃げようにも、紅い星の力の前では時間稼ぎにしかならなかった」
「…………」
これは得れたのが嬉しい情報だな。
『箱舟』の『守護者』の力の正体が何であれ、迂闊に対策も無く手を出せば、返り討ちでは済まないと言う事だ。
「そうして、その後も私の身体は奪われ続け、直に私は消えてなくなろうと言う時だった」
まあ、対策についてはまたいずれ考えよう。
今は『クラーレ』の話に集中するべきだ。
「私を前の肉体から引き剥がしただけでなく、『もう使わないから』と言って今の肉体を。そして、敵に見つからないようにとこの世界を私に捧げた存在が居たのだ。ああ、なんという献身的な精神か」
「イクス・リープスか」
「そうだとも。奴はそんな名を名乗っていた。人間ではなかったようだが、実に素晴らしい存在だとは思わないか?」
『クラーレ』は何か感動したように、大げさな身振りを伴って言葉を発する。
うーん、初めて感情らしい感情を見せて貰ったところ悪いんだが……。
たぶん事実としては、イクス・リープスは本当にもう用済みだったから、自分の身体を『クラーレ』に与えたんだろう。
で、ついでだからと何かしらの仕事をさせるべく、この箱の中に封じたと言ったところだろうな。
なにせ、イクス・リープスと言うか、『神喰らい』エブリラ=エクリプス程の存在にしてみれば、自分の身体の複製程度は幾らでも作れるものでしかないだろうし、そんな存在が『クラーレ』と言う一つの世界に対して憐憫の感情を覚えるとは、とてもじゃないが思えない。
世界がひっくり返ったって有り得るかどうか怪しい気がするぐらいだ。
「ああ、この世界のなんと素晴らしい事か。望めば全てが手に入るにも関わらず、私を害するものは一切存在しない。この世界こそ、正しく理想の楽園とでも呼ぶべきものではないか!」
「「「……」」」
『クラーレ』はそう言うと、この上ない快感を覚えているかのような笑顔のまま両手を広げ、上気しながら天を仰ぐ。
その光景に、この世界がまるで楽園だと思えない俺たちとしては呆然とする他なかった。
「理想の楽園……ね。それで、その楽園に出口とやらはあるのか?」
一刻も早くこの空間を去りたい。
俺はそう思うと、『クラーレ』に出口について問いかける。
「出口?そんな物がなぜ必要なのだ?」
「何だと?」
だが、『クラーレ』の口から出たのはある意味予想通りの答えだった。
それでも、『クラーレ』のどこかに大切な物がイっちゃった表情を見たら、尋ね返さずにはいられなかったが。
「だってそうだろう。此処にはすべてが在るのだ。何故、わざわざ危険な外に戻る必要が有るのだ?」
「はぁ……」
『クラーレ』は心底理解できないと言う表情でそう返してくる。
こりゃあ駄目だな。
完璧に思考停止してしまっているし、これでは何を言っても『クラーレ』が聞く耳を持つ事は無いだろう。
「つまり、出口は自分で作れ……と」
ここは現実と虚構の境界線上に有る。
となれば、俺が現実に戻る出口があると強く念じれば、現実に戻るための出口を造り出す事も可能だろう。
『クラーレ』も望めば全てが手に入ると言っているしな。
「出口を作る……だと?」
「ハル君!」
「ハル!」
「ん?あー……」
そうして、俺が現実に繋がる出口を造ろうとした時だった。
「ふざけるな……外には紅い星が居るのだろう。にも関わらず出口を造ったりすれば、紅い星がこの楽園に、私の楽園に!入り込み、再び穢し始めるかもしれないではないが!」
俺の言葉を聞いた『クラーレ』は未だかつて俺が見たことが無いような憤怒の形相を浮かべると、俺の事を睨み付けていた。
「やっちまったな。こりゃあ」
「許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ。人の体表を這い回り、皮膚を穿り回すダニ共の末裔が。人の周りを飛び交い、糞尿撒き散らす小バエ共の末裔が」
『クラーレ』の肉体が地面の中にゆっくりと沈み込んでいく。
『許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ。楽園に入り込んだ異物は排除せねばならぬ。楽園を穢す悪魔は排除せねばならぬ』
「ハル君これって……」
「かなり拙い気がするんだけど……」
「二人とも掴まっていろ」
周囲の石柱群……いや、地面の中から、『クラーレ』の声が聞こえてくる。
そこから俺は地面の上は全て『クラーレ』の手中に在ると判断すると、【威風なる後】を発動。
トトリとワンスの二人を連れて空高く飛び上がる。
『『『許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ。決して許さぬ。許してはならぬ。許すことなど出来ぬ。滅べ!滅べ!!滅べ!!!』』』
「ま、どういう方法にしろ、この世界から脱出しようとしたら、こうなるようになっていたんだろうな」
「それはそうだろうけど……」
「流石にこれは拙くないかい?」
『クラーレ』の声が何重にもなって、周囲に響く。
そして、それに伴って地面が蠢き、一点に向かって収束していく。
「さて、どうしたものかな……」
『『『塵も残さず滅びてしまえ!』』』
やがて現れたのは、ウニのように無数の石柱の針を生やした巨大な目玉だった。
10/12文章校正




