第174話「事情聴取-3」
「おお、お待ちしておりました」
隔離実験室の中に入ると、中には白衣を着ていた研究者……いや、場所を考えれば教授とその助手たちと思しき人が何人も居て、教授と思しき人が両手を広げて俺たちに歓迎の意を示す。
「状況は?」
「見ての通りですよ」
隔離実験室の中は分厚いガラスの付いた壁で二つに分けられており、俺たちの居る側には教授ほか数名の人員と、数台のパソコン、マイクとスピーカーが一つずつ、後は……見知らぬ周辺機器が多数置かれていた。
なお、パソコンの画面には意味の分からない文字列が無数に並んでいるだけで、俺にはまるで意味が分からなかった。
「マイクとスピーカーは繋いでいるのか」
「ええ、そうしないとこちらの言葉を向こうに伝える事はともかく、向こうの言葉がこちらに聞こえて来る事だけは絶対にありませんから」
ガラス窓の向こうには、何処にもとっかかり一つ無い白い空間が広がっており、部屋の中心に置かれた机の上には、マイクとスピーカー、それに外付けのハードディスクのような物に繋がれた一つの球体……ロノヲニトが乗せられていた。
「ただ、万全を期して、こちらの部屋にある機器と直接繋ぐ事はしていません。なにせ、報告書が確かならば、吠竜は彼女が内部から操っていたわけですしな。ああ、勿論監視は二十四時間体制で抜かりなく行っていますので、ご心配なく」
「いやそれよりも、彼女……と言うのは?」
と、ここで気になる表現を教授がしたので、俺はロノヲニトから視線を逸らして尋ねる。
「そのままの意味ですよ。事情聴取を円滑に行うために、皆様が来られる前に我々だけで出来る限りの情報収集と翻訳ソフトの開発を行っておいたのですよ」
「で、その結果として、ロノヲニトの精神が女性型である事を突き止めたわけじゃな」
「ええ、そう言う事です。そして、トゥリエ教授。折角来てもらったところ悪いが、どうやら今回君の出番は無さそうだ。君ならば一目で分かると思うが、彼女は明らかにミアズマントとは全く別の存在だよ」
「まあ、確かにダイオークス中央塔大学教授としての吾輩については、出番が無さそうじゃな。と言うわけで、この場にはオブザーバーとして居させてもらうのじゃ。今更帰るのは、それはそれで問題が有るじゃろうしな」
「了解だ。そう言う事なら、全員の状態にはくれぐれも気を配っておいてくれよ。彼女が未知の存在であることは間違いないわけだし」
「分かったのじゃ」
えーと、今の会話からして、ロノヲニトの精神が女性……と言う事でいいのか?
後、トゥリエ教授は俺たちの監視役としてこの場に居る事にした。と。
うーん、ロノヲニトには以前の聖陽教会・自殺派の司祭みたいな、洗脳能力は無いと思うんだが……まあ、俺がそんな事を言っても証明は出来ないか。
とりあえず、ロノヲニトの精神が女性だと言うのなら、少し考えて言葉を選ばないとな。
「翻訳ソフトについては?」
「会話に必要な一般的な単語については一通り。まあ、彼女がこちらの用意した辞書ソフトだけを入れたハードディスクに接続してくれたおかげですがね」
「つまりアタシたちにも、言っている事はだいたい分かる……と」
「ええ、そう言う事です」
ワンスの言葉に対して、教授は満足そうに頷く。
ただ、日常会話が出来るであろうレベルにまで翻訳が進んでいるのに俺たちが呼ばれたと言う事は、訳せない言葉がまだあると言う事なんだろうな。
まあ、そうでなくとも、ロノヲニトの出自上、俺とロノヲニト自身以外には理解できない話が多々混ざる事だけは間違いないわけだが。
「では、そろそろよろしいですかな?」
「ああ、何時でも問題ない。ハル、まずはお前に任せるぞ」
「はい」
さて、何時までもこうして目の前の教授と話しているわけにはいかない。
俺たちの目的は、ロノヲニトの様子を見る事では無く、ロノヲニトの事情聴取なのだから。
「では、マイクを繋げます」
『……』
教授はそう言うとマイクとスピーカーのスイッチを入れる。
と同時に、ロノヲニトが居る部屋に在る機器と、こちらにある機器が繋がったような気配を俺は感じとる。
「…………」
『…………』
俺とロノヲニトの間に、まず初めに訪れたのは沈黙だった。
勿論、ロノヲニトが今起きていて、俺がマイクの前に立っている事を知覚しているのは間違いない。
それぐらいは分かる。
「あー……」
問題は第一声だ。
下手な事を言えば、第32小隊として尋ねるべき事も、俺個人として尋ねたい事を訪ねる機会も無く、黙りこむ事を決められてしまうだろう。
だが、上手い事を言えば、それだけロノヲニトは俺たちに対して、多くの情報をもたらしてくれる事だろう。
そして俺が最初に発する言葉として選んだのは……
「気分はどうだ。姉上」
ロノヲニトを自らの姉として認識している事を示す言葉だった。
「「「えっ!?」」」
『…………』
背後からトトリたちの戸惑いの声と気配が伝わってくる。
だが、ロノヲニトからの返事は無い。
失敗したか……そう俺が思った時だった。
『気付いていたのか。本命様……いや、我が弟よ』
ロノヲニトから、俺の言葉を肯定する声が返ってきたのは。
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