第109話「ナントー診療所-4」
「よし。帰ったの」
ナントウはハルたちが帰るのを確認すると、診療所の看板を休診中に変える。
そして、玄関のドアを始めとして診療所中の外に繋がる窓と扉の戸締りをしっかりと確認した上で、診療所の二階に上がる。
『チャクシンチュー、チャクシンチュー』
「分かっておるから、もうちょっと待っておれ」
ナントー診療所の二階では海月型の人形が機械的な音声を発していた。
それを見たナントウは、自身の姿を水色毛玉と称される物から若々しい物へと変え、どうして突然通信がかかって来たのかを訝しみつつも、人形の頭にゆっくり触れる。
「まったく。ネイルの方から掛けて来るとは随分と珍しい事も……」
『エイゾウヲダシマース』
すると、人形の目から光が発せられ、手近な壁に映像が映し出される。
『やあ、調子はどうかな?ナントウ君』
人形が映し出した映像の範囲内には、三人の人物が映っていた。
一人目はナントウの相棒でもあり、今は何処か怯えた様子を見せているネイル=コンプレークス。
二人目はナントウには見慣れない。けれどどこかで見た覚えのある秘書姿の女性。
そして三人目は鎖骨や脇、へそなどが見えそうで見えないと言う不思議な衣装をまとった性別不詳の青年……ナントウが所属する多次元間貿易会社の社長だった。
「ナットウ!?ナナナ……ナトウナットウ!?」
社長の姿を見たナントウの口から明らかに人間の発するものではない鳴き声のような物が発せられる。
と同時に、ナントウの身体もその輪郭の一部が歪み、光沢を得始め、更には髪の毛の何本かが海月の触手のように蠢きだす。
それは、もしもこの場をダイオークスの誰か一人にでも見られていれば、ナントウが人間でない事が一目でばれるほどの変化だった。
『ははははは。落ち着きなよナントウ君。人化の術が解けかかっているよ』
「ナットウ!?ナ……これは失礼しました。申し訳ありません社長。何分急な事でしたので……」
が、社長の言葉で落ち着きを取り戻したのか、ナントウの姿はすぐさま元に戻るのだった。
同時にナントウは思った。
事前に戸締りをしっかりしておいてよかった……と。
『いやー、急に押しかけたのは俺の方だからね。今日の事は査定とかにも影響を出さないから、安心して楽にしてくれていいよ』
「い、いえ、そう言う訳には行きませぬ!」
気が付けば、ナントウは自然に背筋を正し、直立不動の姿勢で映像の中の社長に向けて敬礼をしていた。
尤も、ナントウの立場を鑑みれば、当然の対応とも言えたが。
『そう?ならいいけど』
『社長』
『ん?ああそうだったね。とっとと本題に入ろうか』
「……」
ナントウの背筋に冷たい物が走る。
そして、これまでの自分の行動に何かミスが無かったか、どうして社長が此処に居るのか、本題とは何かと、自身の脳細胞をフルに活動させて必死に考える。
だが、ナントウが答えを導き出す前に社長の口が開かれる。
『社長命令だ。一つ、『ハルハノイとその周囲の存在に対して、我々多次元間貿易会社コンプレックスの如何なる情報も渡してはならない』。二つ、『今後、ハルハノイとその周囲が我々の正体に気づき、異世界へ渡るための助力を求めても、助力を行ってはならない』。良いな』
「分かりました。ですが……」
『それと、こちらは業務連絡だが、君が依頼したハルハノイとその周囲の人物の出身世界の調査については中止の決定を下させてもらった。今後、再調査が行われることも無いと思ってくれて構わない』
「……」
社長の口から発せられたのは命令だった。
だがナントウはその命令に疑問を抱かずにはいられなかった。
と言うのも、普段の多次元間貿易会社コンプレックスの方針からすれば、口が堅くて信頼が出来る者に対して、自分たちの正体を明かして交易を行うのはよく有る事であるし、対価さえ払ってもらえるのであれば、どんな依頼でも受けるはずである。
加えて、出来る限り交渉の際の手札を多くする意味でも、ナントウが出した調査依頼は必要な物であったはずである。
そして、この程度の事を社長ともあろうものが理解できていないなどと言う事は有り得なかった。
『理由が知りたい……。そう、顔に書いてあるね。ナントウ君』
「否定はしません。それに、この命令が理不尽かつ妙な命令であることは社長も理解しているのでは?」
『まあ、それはそうなんだけどね』
ナントウの顔色から察したのか、社長は妖し気な笑みを浮かべながら、やれやれと言ったポーズを浮かべる。
『理由は幾つかある。彼の母親からそう言う要請が有ったと言うのもそうだし、君が今居るC21-R81-R05世界に対しては迂闊な干渉が出来ないと言うのもある。そうでなくともその世界は……』
「…………」
『…………』
『社長。それ以上は』
『ん。ああ、分かっている。彼女についてはその名を口に出すのも拙い。何せ、何が彼女を揺さぶり起こすのかは誰にも分からないからね』
社長の言葉にナントウもネイルも嫌な感覚を覚える。
それは、多次元間貿易会社コンプレックスに務めているもの共通の直感とでも言えばいいのだろうか?
とにかく、自分たちが今聞いているのが、自分たちが本来知るべき情報ではなく、迂闊に漏らしたりすれば、己の生死に直結するような情報であると二人に理解させるものだった。
『さてナントウ君。分かっているとは思うが、その世界の瘴気には絶対に触れないでくれ。彼のような半端物だからこそ、誤魔化しがきくわけだしね』
「分かり……ました」
だが、ナントウの立場では頷く他に出来る事は無かった。




