第105話「M2-11」
「っつ!?全員攻撃停止!」
「奴から距離を取れ!早く!」
気が付けば、フリーの胴体部は大量に吸い込んだ空気によって大きく膨らんでいた。
その膨らみ方は凄まじく、今まで強固に胴体部を保護していた甲殻はその役目を殆ど放棄しており、今まで甲殻に守られていたフリーの吸排気機構の本体と思しき機関は、その姿を誰の目からでも見える様にしていた。
そして、その膨らみように俺の言っている事が本当だと認識したのか、他の隊員たちは攻撃を止めた上で、少しずつ距離を取り始める。
「【苛烈なる右】!」
『フグッ……!?』
俺は少しでもフリーが空気を吸い込むペースを落とそうと、【苛烈なる右】を起動。
口から洩れる酸で手が焼けるのを覚悟した上で、フリーの口に【苛烈なる右】を押し当てる。
「くっ、止まらないか!?」
「くそっ、なんてミアズマントだ……」
フリーの胴体部が膨らむスピードが明らかに落ちる。
が、フリーが空気を吸い込む事を完全に止める事は出来ておらず、フリーの胴体部は未だに少しずつ膨らみ、露わになった機関は見る物を恐怖のどん底に落とし込むような妖し気な光と律動を発している。
「ハル君!私たちも逃げるよ!」
「ハル!とっとと全員で逃げるよ!」
「駄目だ!フリーは間違いなく俺をターゲットにしてる!俺が逃げたらその時点でこいつは爆発する気だ!」
既に他の隊員たちはこの場から離れ、簡易の遮蔽物を作った上でこちらを観察する状態に入っており、俺の近くにはトトリとワンス、シーザさんにソルナの四人しか居なかった。
そんな中、トトリとワンスの二人が俺にも逃げるように言ってくる。
だが、俺が逃げるわけにはいかない。
フリーの目を見れば分かる。
フリーには他の人間たちは逃がしても、俺だけは絶対に逃がす気は無いと言う事が。
「だったら……」
「トトリ!?」
トトリが瘴巨人を降り、例の金属が付いたグローブでフリーの体に触る。
もしかしなくても、フリーの自爆機能に干渉する気か!?
「どうだいトトリ!?」
「くっ……ごめん。ハル君、ワンス。自爆そのものを止める事は出来ないみたい。でも、どうやって自爆するのかについては分かったよ」
「教えてくれ」
「うん」
トトリの口からどうやってフリーが爆発するのかが教えられる。
どうやらフリーは体内に大量の大気を取り込み、その中から酸素だけを選んで圧縮、十分な濃度に達した所で、瘴気を利用した機関でもって起爆、周囲に例の酸と自身の甲殻をバラ撒くことによって攻撃するらしい。
それはつまり、瘴巨人に乗っていても酸で全身を焼かれる事になり、生半可な遮蔽物の影に身を隠していたならば、俺の鱗並みに堅い甲殻によって容赦なく貫かれる……と言う事か。
となると、至近距離で爆発されたら、俺の【堅牢なる左】でも防ぐのは厳しいな……。
くそっ、悪魔級の名に相応しいふざけた代物だな。おい!
「つまりフリーを止めるためにアタシやシーザ隊長が攻撃するのは……」
「止めた方が良いな。電撃にしろ、熱にしろ、起爆するのには十分なはずだ」
「そして、僕の護衛対象であるハルは、ターゲットにされているから逃げることが出来ない……と」
「そんな……それじゃあどうしたら……」
「…………」
ワンスたちがどうすれば良いのかを話し合っている。
俺も、自分の手札を改めて頭の中で思い浮かべ、利用できるものが無いかと周囲を見渡し、何か打てる手が無いかを必死になって考える。
「周囲……」
「ハル君?」
周囲……そうだ。今日のダイオークスの外は瘴気密度が濃くて、視界はかなり悪かったはずだ。
なのに、こうして周囲の光景がはっきり見えているのは、今も俺の【堅牢なる左】を維持するために大量の瘴気が消費され続けているからだ。
「ハル?何か手が?」
「ハル・ハノイ?」
「ハル?どうしたんですか?」
そうだ。さっき、トトリはフリーが起爆するための条件を言っていた。
その条件からすれば、フリーが自爆するためには起爆の為の瘴気だけでなく、空気を取捨選択するためにも瘴気が必要なはずである。
となれば、一つ打てる手が有るかもしれない。
だが、この方法で上手くいく保証は何処にもない……と言うか、そもそも発動できるかも分からないか。
だったら……
「皆。一つ手を思いついた。だけど上手くいくか……」
「分かった。此処で待ってる」
「そうだね。アタシも待たせてもらうよ」
「今回の護衛部隊の責任者が、護衛対象より先に逃げる訳には行かないかと」
「私も隊長だしな。隊員を置いて一人先に逃げる訳には行かないな」
「なっ!?」
俺は皆を逃がそうとする。
が、提案を言い切る前に皆からそう言われてしまい、ワンスに至ってはその場で胡坐をかき始める。
「何を……!?」
「手が有るんだろ。ならやってくれ」
「いや、この方法で成功するだなんて一言も……」
「だから私たちに逃げろって?冗談はやめて。ハル君を置いていくなんてできないんだから」
「……」
どうやら、ワンスもトトリも逃げる気は一切ないらしく、シーザさんとソルナも同様らしい。
ああいや、逃げる気が無いどころか、この感じからして、俺が上手くいかなかった場合には、一緒に死ぬ気のようだ。
「……。分かった」
『感情値の閾値突破を確認しました。プログラム・ハルハノイOSを起動します』
こうなれば、覚悟を決めるしかなかった。
俺はフリーの口に当てていた【苛烈なる右】を解除する。
ずっと酸に焼かれていたはずだが、量が少なかったおかげか、痛みはそれほどではない。
これならば、精度の方については問題ないだろう。
『フウウゥゥ……』
『体内と周辺の魔力、物質、状況を走査します。状況把握。魔力、物質共に欠乏。低出力モードにて……』
「……」
フリーが再び猛烈な勢いで大気を吸い込み始める。
自分だけでなく、他人の命までかかる以上、失敗は絶対に出来ない。
失敗が出来ないのなら……無理矢理にでも成功をもぎ取るしかない。
だから……
『ウウウゥゥゥ……』
「(やかましい!黙って準備を整えろ!)」
『!?ユーザーからの強制オーダーを確認。受領。警告、警告、魔力、物資共に欠乏して……』
「(良いからとっとしろ!)」
無理矢理にでも呼び出す。
【堅牢なる左】の対である【苛烈なる右】を。
盾たる左に対する剣なる右を。
仲間を、己を、厄災から全てを守る左の番に相応しき、敵を、障害を、災いを全て切り払う右を。
『リイイィィィ……』
「来い……」
『……。鍵爪『竜』・『鯨』の保有を確認。【苛烈なる右】・二本指にて起動・逐次展開します』
皮破り、肉裂き、骨砕き、腸貫き、心折り、血啜り、力奪い尽くさんとする右を……。
「来い……!」
「これは……」
「ハル君……」
「ハル……」
『【苛烈なる右】・二本指……』
我が祖である『神喰らい』の名に最も近しき力を有する右を……。
「来い!【苛烈なる右】!!」
『逐次展開開始』
呼び起こす!
『ブギッ!?』
「うお……」
【苛烈なる右】・二本指を発動した瞬間。
俺の腰に収められていた二本の短剣が飛び出すと、まるでそれが本来の収まるべき位置であるかのように、俺の右手の人差し指と中指の延長線上に移動する。
二本の短剣は、俺の右腕の動きに合わせるように飛んでいくと、フリーの首の付け根に突き刺さる。
そして、突き刺さった短剣がフリーの肉体に傷をつける度に、そこを起点として、【苛烈なる右】の領域はフリーの身体を侵食していく。
装甲も、神経も、よく分からない機関も、強力な酸も、液体化していた酸素も、勿論周囲とフリーの体内に存在している瘴気も含めて、何もかもを等しく全て喰らい、飲み干し、己が力としていく。
「りゃあああぁぁぁ!!」
『イイイィィィ!?』
そうして、俺の【苛烈なる右】が【堅牢なる左】と同じように、よく見れば赤と青の二色に分けられる黒い鱗に覆われたその姿をトトリたちの前に晒す頃には……、
『ブ……ギ……ィ……』
僅かな爆発を起こす事すら許されずに、【苛烈なる右】によって体を切り開かれたフリーの残骸が転がるだけだった。
06/19誤字訂正