3.馬車で二人きりになってみました(2)
王都に向けて進む馬車の中。
しばらく悠里とアシュラムの間に会話はなく、悠里は窓を外を過ぎる景色を眺めていた。
神殿は小高い丘の上に建てられていて、馬車は神殿の敷地を出るとすぐに森の中の坂を下り始めた。
鬱蒼とした森には、時折開けた場所に果樹園もあり、昨夜の食卓に出た果物も見ることが出来た。
悠里はその景色を楽しんでいたが、やがて森を抜けると、景色は面白みのないものになってしまった。
地平線まで続く荒地に、ぽつんぽつんと民家が点在している。
何もない。そんな印象だった。
その景色に飽きて、悠里は馬車の中に顔を戻した。
「この辺りは何もないんですね?」
瞼を閉じて考え事をしていたらしいアシュラムが、その声に顔を上げた。
「ええ。そうですね……」
そう言ったアシュラムは、どことなく悲しそうだった。
「この辺りだけでなく、王都の周辺にも特に何もありません。我が国はそういう国なんです」
「……木は、たくさんありますね」
そう言うと、アシュラムは笑みを零した。
「神殿の周りの木は、何があっても枯れることがありません。あの場所だけ神の恩恵を受けているのだと、神官だけでなく、この国の誰もが思っています。この国は、作物が育たないのですよ」
「育たない?どうして?」
「極端に土地が痩せているのだとしか考えられません。それでも、なんとか小麦だけは出来て、家畜を育てたり、パンを作ることは出来るのです」
アシュラムの秀麗な顔に、憂いの色が広がる。
これは、神官である彼にとっても重大な問題なんだろう。
「だから、食事に野菜が全然なかったんですか?」
「王都には他国から輸入された野菜が流通しています。けれど、この辺りには、それも届かない。神殿は、民衆の生活に寄り添うべきですから、住民と同じような食事を心がけているんですよ。ですから王都に行けば、姫にも良い食事を差し上げられます」
「ご安心を」とにっこり笑ったアシュラムに、悠里はかぶりを振った。
「わたしは、いいです!アシュラムさんたちと同じでいいです。わたしだけ特別扱いはしないで下さいね」
「……コウメさまと同じことを仰るのですね」
「コウメさま?」
「ええ。いずれご紹介しますよ」
コウメさまと名を呼んだ時、アシュラムはとても穏やかな愛情深い目をした。
きっと彼にとってコウメさまは大切な人なのだ。
「コウメさまって、もしかして……」
ふと浮かんだある考えに、悠里は急にドキドキし始めた。
「ええ。そうです。コウメさまもこの世界に召喚された方ですよ」
さらに早まる動悸をどうすることも出来ず、悠里はアシュラムに掴みかからんばかりだった。
「コ、コ、コ、コウメさまって、いつこの世界に?」
「七十年前。その時秘術を行ったのは、私の大叔父です」
「な、七十?」
そんなに昔!?
七十年前って、何時代?
歴史学科ではあったけれど、専攻は古代。
近代史には全くと言っていいほど興味のない悠里には、未知の時代だった。
(いや。そんなこと、はっきり言ったら、教授に怒られそうだけど……)
「姫。大丈夫ですか?」
黙り込んでしまった悠里を、アシュラムが気遣わしげに見ている。
コウメさまのことはもう少し黙っておこうと思っていたのに、思わずぽろっと零してしまった。
彼には珍しい失敗だった。
やはり多大な力が必要な召喚の秘術を行って、少し疲れているのかも知れない。
アシュラムは小さく息をついて、悠里を真っ直ぐに見た。
「全ては王都に行ってからです、姫。コウメさまにもお会い出来るように致しますから。まずは、今日これからのことをお話しておかなければなりません」
出会って初めて、アシュラムの顔から微笑みが消えた。
その体から発せられる緊張感に、悠里は思わずこくりと喉を鳴らした。
「王都に行ったら、大変なんですか?」
「国王陛下に謁見しますからね」
「それは……さっき、侍女頭さんから聞きました」
「ええ。そうですね。……姫は、謁見がどのようなものか、ご存知ですか?」
「え?えっと……」
王や王族に会うことを謁見というのではなかったか。
「その通りですが、事はそう単純ではありません。特に現陛下は一筋縄ではいかない方です。姫に一言も話さないでいただくのが最も良い方法ですが、そう言う訳にもいかない場面もあるでしょうし……」
「つまり……失言は命取りだと?」
アシュラムは何も答えなかった。
だが、その薄青色の瞳がそうだと答えている。
悠里は急に回れ右して帰りたくなった。
「わ、わたし、何も話しませんから。アシュラムさん、よろしくお願いしますね!」
「姫を脅すつもりはなかったのですが、でも、その方がいいかもしれません」
この優しいアシュラムが、ここまで沈黙を要求するということは、きっと国王陛下は恐ろしい人なんだ。
悠里は我知らず、アシュラムに身を寄せていた。
華奢な体が小刻みに震えている。
ふわりと何かが掛けられた。
それは、アシュラムが羽織っていた外套だった。
「私が傍にいますから。ですから、怖がらないで下さい」
悠里は少し考えて、小さく頷いた。
頼みはアシュラムだけなのだと。ますます思った。
「姫のおられた国のことも、教えてくださいね。姫がどのように過ごされていたのかも……」
悠里の背中を擦ってやりながら、アシュラムが独り言のように呟いた。
馬車の揺れと相まって、だんだん気持ちよくなってきた悠里は、そのままアシュラムの肩に頭を乗せて眠ってしまった。
窓の外には、まだ荒涼とした景色が続いていた……。




