言葉
次の日、シュヴァルツが目を覚ますと身体中の痛みは消えていた。立ち上がって軽く体を動かしてみるが、痛みは全くない。
「凄いな」
そう呟いて感心していると、ノックもなしに、アルティミシアが部屋に入ってきた。
「おはよう。昨日は丸一日寝ていたんだよ。お腹空いたでしょ?ご飯を食べよう」
ノック位はしてほしいと言う前に、お腹の空腹が邪魔をして頷くしかなかった。
「それからシュウの服とか下着類も適当に買ってきたから、着替えてきてね。そこの机に置いてあるから」
それだけを言うとアルティミシアはパタンと扉を閉めて行ってしまう。言われた机を見ると、そこには乱雑に置かれた本はなくなっており、代わりに衣類が置いてあった。
「用意してくれていたんだ…」
考えてみれば、自分は無理に居候させてもらっている立場だ。それなのに彼女は筋肉痛になった自分の為に鎮痛薬を用意してくれたり、こうして服まで準備してくれていた。
アルティミシアの無作法に怒りを覚えた自分のみっともなさに反省をしながら、シュヴァルツは用意された衣服に着替えるのだった。
「少し大きいかな?」
それにごわごわする。そんな事を思いながら、彼は部屋を出た。こちらの世界では、こういう服が一般的なのかもしれない。
シュヴァルツが袖を通した服は、動きやすい服だったが、元の場所では見ない服だった。
首回りは四角になっており、鎖骨が見える。裾は長めで皮の腰ひものようなベルトで締めて、ズボンは元の場所でよく履いていたジーンズ系よりもしっかりしていると感じた。靴も土木作業にでも使うかのようなしっかりしたブーツだ。
この格好ならば、森の中に入っても草や木々の先などで傷を作る心配もないだろう。
直に肌が見える鎖骨部分だけは疑問に残るが。
こちらの世界では、見た目よりも実用性を重視するのだろう。そう納得して、シュヴァルツは台所に向かった。
「少し大きいけどシュウはまだ身長が伸びるだろうし我慢してね。色も外仕事をお願いするから茶色系にしちゃった」
やはり実用性重視か。そう思いながらも感謝の方が強かったので、シュヴァルツは丁寧に礼を述べた。
「早速ご飯を食べましょう。シュウは昨日一日中寝てたんだからお腹空いてるでしょう?」
「ありがとうございます」
そう言って二人は卓に用意された食事を食べ始めた。今日の食事は、野菜たっぷりのサンドイッチと、玉子をふんだんに使ったオムレツ、赤い色のジュースだった。
「この赤いジュースは何ですか?」
匂いは甘いので、ベリー系の果物だとは思うが、シュヴァルツは訊ねる。
「木苺のジュースだよ。今の季節にはないけれど、実が生るとそれを摘んで保存しておくんだよ」
言われて一口飲むと、冷たく甘酸っぱい水分が喉を潤していく。
「冷たくて美味しい」
そういえば、食べている野菜や玉子や肉類も味付けの違い以外は普通に食べられている。元の場所と食生活は似ているのかもしれないな、と今更な事を思いながら、彼は安堵の溜め息を吐いた。
「今日はお風呂の水だけ汲んできてほしいんだけどいい?大変かな?」
食事を終えて一息吐くと、アルティミシアはおずおずとシュヴァルツに問い掛ける。一昨日の出来事に彼女も反省しているらしい。
「それ位なら大丈夫ですよ。こっちこそ役に立てなくて申し訳ないです」
「ふふ…シュウは力仕事慣れてなさそうだもんね」
笑顔で返されてばつの悪い思いをするが、当たっているので言い返さない。別にアルティミシアも怒っている訳ではなさそうだ。
「そういえばアルティミシアさんはお幾つなんですか?」
「私?14だよ」
アルティミシアの言葉に内心驚く。自分と同じ位の年齢に見えるとは思っていたが、まさか同い年だったとは。
「僕と同い年だ」
こんなに若い女の子がどうして森の中で一人で暮らしているのか。家の雰囲気から両親は居ないと分かるが、狼と一緒に暮らす理由は何なのか。
色々と疑問が浮かぶがそれも、アルティミシアの「シュウ自分の年齢がわかるの!?」と言う言葉に中断させられる。
「え…うん。年だけは…わかるみたい」
「分かっている事や思い出した事は教えてね?私も記憶喪失の対応とかわからないから」
良かったバレていない。内心でほっとしながらも、「じゃあ水を汲んできます」と言い残してシュヴァルツは家の外に出て行くのだった。
『発言には気を付けないと』
自分の失言にげんなりしながら湖の水を汲む。
確かに、この世界の、この国――と呼んでいいのかもわからないが――の事を何も知らないのは記憶喪失と同じだ。だが、自身の事は全てを覚えている。ボロを出せば奴らに見つかる可能性も高くなる。今後は、もっと慎重になろうと決めてシュヴァルツはその日の労働をこなした。
朝から始めたそれは、昼前には終わったのだが、アルティミシアはそれ以上シュヴァルツに仕事を与えなかった。
ならばと、自分が間借りしている部屋の本を読ませてほしいと頼むと「読めるならいいよ」と、あっさりと了承された。本を手懸かりに記憶が戻る切っ掛けになれば、とのアルティミシアの思いからだ。
窓を開けて外の暖かな日差しを浴びながら適当な本を手に取ると、ゆっくりとページをめくる。
「嘘だろ。読めるなんて…」
どう考えても自国の語圏とはかけ離れた世界だろうに、シュヴァルツには自国の言葉のようにあっさりと読む事が出来たのである。
『言葉が通じる位だし、当然――…なのか?』
釈然としないままに、シュヴァルツは夕暮れまで一心に本を読み耽るのだった。