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筋肉痛

「シュウ早速だけど、食事が終わったら町か村に行ってみる?貴方って身なりや言葉使いが綺麗だから上流階級の子だと思うの。それなら役所か騎士団の詰所に行けば貴方の事が何かわかるかもしれないよ」


 アルティミシアの言葉にシュヴァルツは背中に嫌な汗をかく。

 自分を追っていた人物達は、人が多く住む場所にも既に、何らかの手を打っているかもしれない。何故自分が追われているかも分からないまま、罠の中に飛び込むのは避けたかった。


「アルティミシアさんお願いがあります」

「何?」


 真剣な眼差しで自分を見つめるシュヴァルツに、アルティミシアは小首を傾げる。


 本当の事は言えない。記憶を失った振りをしないといけない。慎重に、言葉を選びながらシュヴァルツは口を開く。


「僕をここに置いてくれませんか?」

「えぇ!?」


 シュヴァルツの発言にアルティミシアは目を見開いて驚く。


「何でもします。僕に出来る事なら何でも。お願いします。僕をここに置いて下さい」


 椅子から立ち上がり、深々と腰を折る。顔は見えないが、深刻さや真剣さは十分に伝わってきた。


「どうして?町へ行けばシュウの身元が分かるかもしれないんだよ?本当の名前だって――」

「よく分からないけれど、町や村に行っては駄目な気がするんです」


 アルティミシアが言い終わらぬ内に、シュヴァルツが言葉を被せる。


理由(わけ)ありか…』


 この分だと記憶喪失だと言ったシュヴァルツの発言全てを信用するのはいけない。アルティミシアは深く溜め息を吐く。

 最悪、彼に名前を付けたのは自分なのだから何とでもなる。そう考えアルティミシアはシュヴァルツに向き直る。


「分かったよ」


 その一言にシュヴァルツがあまりにも嬉しそうに笑うものだから、自分の心臓が早鐘を打っても仕方のない事だと、彼女は心の中で言い訳をしていた。






 ◇◇





 次の日から早速、アルティミシアはシュヴァルツに、家の隣にある水を汲んできてもらうように頼んだ。


 アルティミシアの家の隣にはそこそこの大きさの湖がある。水は澄んでいて美しく、周辺には野花が咲き誇っている。


「昨日は気がつかなかった…」


 アルティミシアに案内されて来た湖を見ながらシュヴァルツは小さく独り言を呟く。

 必死で人のいる場所を探していたから、この家を見つけた安堵で湖の存在ですら視角から奪われていたのかもしれない。

 そう納得すると、「庭の(かめ)に水を満たしておいて」とアルティミシアに言われた通り、桶に水を汲む。

 当の彼女は他にやる事があるとかで直ぐに家の中に消えていった。


『お…重い』


 桶に満たした水の量を減らしてから瓶に持っていく。それを数回繰り返す内に、瓶には水が溢れんばかりに貯まっていた。


 それを見て安堵の表情を浮かべるが、体はへとへとだ。シュヴァルツは元々身体を動かす事を好まない人種だったので、今後を想像するとげんなりする。


 明日は確実に筋肉痛である。


 湖の畔に座って、景色を眺めながらシュヴァルツは今後を考える。


 いつまでここに居るのか。

 元の場所に帰られるのか。

 自分を追っていた人物は何だったのか。


「何よりもこの世界について知っていかないと対処ができないよな」


 誰にともなく呟くと、その呟きは柔らかな日差しに吸い込まれていった。






「シュウ!!次はお風呂に水を運んでー!!」


 シュヴァルツの悩みはアルティミシアの怒りの籠った叫びに中断せざるをえなかった。


「家の中に居ながら僕を監視していたのか…」


 小さく溜め息を吐きつつ、この肉体労働を減らす為の案も考えないといけないな――そう思いながら、シュヴァルツは新たに桶に水を汲むのであった。





 次の日、案の定というかシュヴァルツは筋肉痛で動けなかった。


 自分が最初に目覚めた部屋を仮の部屋として使わせてもらっていたのだが、そこから台所に向かう廊下に足を動かそうとすれば、摺り足になり、痛みに壁に手を着こうと腕を動かそうとすればプルプルと震えるしまつ。


「シュウ…貴方って本当に良いとこのお坊っちゃんだったかもしれないね」


 アルティミシアは溜め息を吐きつつ、身体中を痛そうにしながら椅子に座るシュヴァルツを見ていた。


 庶民階級の人間であれば、男なら五歳児ですら水汲みは出来る。シュヴァルツ位の年頃の少年ならば、それなりに筋肉もついていて、薪割り水汲みなど日常茶飯事だ。

 そんな事すら出来ない程度には恵まれた環境に身を置いていたらしい。


「すみません」


 シュヴァルツは素直に謝る。何でもすると言っておきながら、たったの一日でこれでは先が思いやられる。


「仕方ない…ちょっとこっちに来て」


 痛む体を気にかけながらアルティミシアはシュヴァルツを空いている部屋へと連れていく。


 そこは物が何もなく、唯一シンプルな寝台が置いてあるだけの簡素な部屋だった。窓は大きく開け放たれ、外からの空気を取り入れてか花の香りも微かにしていた。


「ちょっとそこに裸になってうつ伏せに寝て」

「な…ななな…」


 いきなりの爆弾発言にシュヴァルツは呂律が上手く回らない。


「変な想像しないで。鎮痛薬を塗るだけだから。ちょっと取ってくるから脱いで待っていて」


 アルティミシアが部屋を出ていくと、シュヴァルツは安堵の溜め息を吐く。早とちりとはいえ何と不埒な想像をしたのか――自己嫌悪に陥りながら服を脱いでいた。


「服も洗わないとな…」


 二日続けて着ていたせいで汗臭い。黒の長袖は元の場所で着ていた学生服だったからまだ良いが、下履き等は不快に感じていた。

 女の子に下着や服の事を頼むのは嫌だが、背に腹は変えられない。後でそれも伝えようと心に決める。


「お待たせ」


 手にすっぽりと収まる壺を持ってアルティミシアが戻ってくる。

 シュヴァルツは上半身裸の姿で寝台に寝ていた。


「少し冷たいけど我慢してね」


 そう言ってからアルティミシアは薬壺から薬を手に取ると、背中に塗り始める。ひやりとした感触に肩を震わせてしまったが、シュヴァルツはそのまま為されるがままだ。


「今日はゆっくりしていて。この薬も効果が出てくるのは少し時間がかかるし」

「すみません」


 申し訳なさそうに謝ると、アルティミシアは小さく笑う。その声が耳に心地よかった。


「こんなに白くて細いだなんて知っていたら頼まなかったよ。少しずつ慣らして体力つけなくちゃね」

「はい」


 薬を塗り終えると「足は自分でお願いね。私はちょっと買い物があるからウルと一緒に留守番していて。誰が来ても玄関を開けちゃ駄目だよ」部屋の窓を閉めると、そう言い残して出ていった。


「ウル…あの狼か」


 かなり大きく、大抵アルティミシアの側に寄り添う銀色の毛並みの狼を思い出す。


「何となく嫌われている気がするんだけど」


 自分を見る狼の目を思い出す。


 アルティミシアの言う事を理解しているのか、彼女の言う事に従う賢い狼。


 あまり関わらないようにしよう。そう決めてシュヴァルツは薬を塗り始めた。






「助けて…」


 小さく呻くような声に、狼の耳がピクリと動く。ちらりとそちらを見ると、うなされながら寝ている少年がいる。先日アルティミシアが拾った少年だ。


「いや…だ…」


 少年は泣きながら何度も「助けて」と誰かを呼んでいた。


 狼はすっと寝台に乗り上げると、彼を守るように寄り添い、頬を舐める。

 狼の温もりに安堵したのか、少年の寝息は健やかな物になっていた。






「ウル、シュウを守ってくれていたんだね。ありがとう」


 アルティミシアが帰ってきた時に見たのは、少年に寄り添って眠るウルの姿だった。


 ウルとシュウの頭を撫でながらアルティミシアは聖母のごとき微笑みをたたえていたのだった。





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