夢の記憶
僕は、彼女が好きだ。
彼女とは十年近く一緒だ。だから、僕は彼女のことなら何でも知っているつもりだ。
彼女の仕草、癖、声、匂い、彼女の全てが好きだ。
彼女が喜ぶと、僕も嬉しくなる。
彼女が泣くと、僕も悲しくなる。
彼女が何かに怒っていると、僕も何か無性に腹が立ってくる。
「おはよう」という彼女の元気な声で、僕の一日は始まる。
「おやすみ」という彼女の眠そうな声で、僕の一日は終わる。
僕はそんな毎日が好きだ。
でも、終わりから始まりまでの、夜という時間は嫌いだ。
なぜならその時間は、僕が孤独になるからだ。一つ一つの自己主張の小さい無数の星たちが、そんな孤独な僕を嘲笑うかのように瞬き、どんどんと街の灯りが消えていき、街は静寂に包まれる。ただ、そこには無数の星たちが散りばめられた漆黒の空と、暗闇に存在をのみこまれている家やビルがあるだけだ。
そこにただ一人茫然とする僕の頬を、一筋の涙が流れた。
ある日の昼、僕は彼女と公園に行った。
秋の公園は、乾燥した葉が無数に広がっていて、それらを踏むとシャクシャクという音が立った。彼女はそれが面白いのか、あちこち駆けまわった。そんな彼女の後を僕は追うように走り、彼女に追いつくと、彼女は声をあげて笑いながら僕を抱きしめた。
家に帰った途端、彼女は疲れてしまったのか、眠ってしまった。そんな彼女を見ている僕も眠くなってきて、知らないうちに眠っていた。
彼女が動く物音で、僕は目を覚ました。
どうも彼女も今、目を覚ましたようだ。外を見ると、もう日が傾いていた。
彼女は僕に玄関までついていき、見送ってくれた。
ただ何も考えずに時間を過ごしていると、あっという間に日は沈んでしまった。そして、その太陽の代わりとでもいうように月が昇り、星が瞬く。そして、街の灯りがだんだんと消えていく。
こうして、今日も僕の嫌いな夜が巡ってくる。
次の日は、何故か動く気にならなかった。
体調が悪いのだろうか、と思いつつも僕はいつものように、彼女に会いに行く。彼女はいつもと同じように「おはよう」と言った。
その日の僕はただ、ずっと横になっていた。彼女はいつもと様子が違う僕を心配した。そんな彼女の姿を見て、僕は元気なフリをしようと思ったが、それすらできなかった。
そして、その日はいつのまにか眠ってしまっていた。
僕が、ゆっくりと目を開くと、目の前には泣きそうな彼女の顔があった。
そして、僕が急いで立ち上がろうとすると、足が言うことをきかなかった。
あたりを見回すと、そこは見慣れたいつもの場所では無かった。白い壁に白い天井……ここは病院だ。そして、僕は病院のベッドの上にいるのだ。
どうして、僕はこんな所で眠っていたのだろう。昨日眠ってからの記憶がない。
彼女は涙をポロポロと流しながら、僕を抱きしめている。
一体、何が起こっているのか僕にはよくわからなかった。
医者が言っていることもよくわからない。立とうとしても、足が震える。
そんな僕を、彼女はずっと抱きしめていた。
今、一体何が起こっているのだろう? 僕が彼女を泣かせているのか?
そんな気持ちで僕の心は一杯になる。
その日は、ずっと傍に彼女がいた。
彼女は僕の傍で本を読んでくれたり、僕との思い出話をしてくれたりした。
その日の夜は、彼女がずっと傍にいてくれた。だから、とても温かい夜だった。もしかしたら、僕にとっては今までで一番幸せな瞬間だったのかもしれない。
その夜は、彼女の体温を感じながら眠った。
けれど、どうしてか「おやすみ」と彼女は言わなかった。
けれど、それが僕の最後の「おやすみ」だった。
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今日、私の大好きなものがこの世から一つ消えた。
それは、十年間一緒だった愛犬だ。白くてふわふわしていて、とても優しい私の大好きな家族。
昨日のお昼過ぎ、痙攣していることに私のお母さんが気付いて、病院につれていくと、覚えられないような名前の病気だと言われた。老化もあって、どのくらい生きられるかわからないと言われて、私は息をのんだ。そして、入院することになったため、私は大事な愛犬の傍にいてあげることにした。今日、死んでしまうかもしれない、そんな思いが私を襲い、彼にずっと話しかけていた。
彼は、私が小学校の入学式の日の夜に我が家にやってきた。お父さんが駅前に捨てられていた彼を拾ってきたらしい。
それから、私と彼はいつも一緒だった。
私が泣いていると、彼はいつも傍に寄ってきて静かに座っていた。そんな彼を見ていると、泣いているのが申し訳なくなってよく泣きやんでいた。
けれど、そんな彼はもういない。
もう、いないんだ。
命とは、なんて儚いものなのだろう、私はそう思った。
もっと遊んでやればよかった。もっと一緒にいてあげればよかった。……そんな後悔の念ばかりが募っていく。
ふと窓から空を見ると、そこには、空に浮かんだ白い雲がゆっくりと流れていた。
それを見て、私は笑みをこぼしてしまった。
その雲の姿が、天国に行けずに、私の心配をしている彼のように思えたからだ。
あぁ、そうか。私はまだ彼に言ってないことがあったんだ。だから彼は天国に行く途中で、待っているのだ。私が、彼に告げなければいけない最後の言葉を。
「おやすみ」
私は、彼に別れを告げ、病院を後にした。
ゆっくりと空を仰ぐと、さっきの雲は無くなっていて、綺麗な秋空が広がっていた。