関係性の始まりはデートと共に訪れる(上)
のののです!
あの短編を書いたあとにビッチについて考えると、やはり付き合ってからが本番だなと気付いてしまいました。
というわけでノリと勢いで、そして初めてラノベ的に書いてみたので、感想があればどしどし書いて下さい!
彼女、敷居茜との初デートは遊園地という事になった。
しきりに何か切り出そうとする彼女に対して、そのたびに聞こえていない振りをしたら、付き合い始めてから一ヶ月過ぎで初デートという異例の純愛さが発揮されてしまった。そろそろ流石に別れを決心しそうだと思い始めた頃合に僕から告げられたそれは、彼女にとっての喜びもひとしおだろうと思う。
だがこれは決して彼女を放って置いたわけではなく、念入りに計算された会話とスキンシップの積み重ねによるものであるという事に注意されたい。何故ならビッチという物は付き合い始めてからが本番であるという言葉もあるように、一筋縄ではいかない存在である。
勝手に失望し、勝手に去っていく。何が琴線に触れるかという事すら本人の胸のうちでしか存在していない。凡そは予想がつくが、触れてはいけない点、彼女を夢から醒まさせるポイントはいったい何処なのか。その全てを洗い出す作業に費やしたのがこの一ヶ月であった。
六月も過ぎた頃になると日差しも強く、待ち合わせた駅前の公園の噴水広場では子供連れの家族が目立った。こんな記念日には雲一つ無い天気になってよかったと、性根の捻じ曲がった僕でも素直にそう思えた。それぐらいこの日を楽しみにしていたという事である。
約束の時間は11時という事だったが、僕がついたのは10時半であった。これは彼女に対して真摯である事の表現方法の一つである。六月の風に乗って深い緑と土の匂いのする中ベンチに座り、ポケットから単行本を取り出して、金枝篇と書かれたそれの王と司祭のタブーという章について読み始めた。
神聖、魂、高潔なありよう。古代から綿密に受け継がれてきた人間本来が持つそれに思考を巡らし、一つ一つ精査する。ついでに鉄は悪霊に強いなどという豆知識を得たりしながらも、読み進めていった。
ふと気づくと目の前に影が差していて顔を上げると、彼女が両の手を後ろに組んで立っていた。
「おはよう。早いんだね、待った?」
「いいや、今来たところさ」
「ふーん。何を読んでるの?」
「何でもないラブロマンスだよ」
そういいながらポケットにしまい込んだ。彼女は長い髪を流しながら、薄ピンクのTシャツに短パンの溌剌とした格好をしていて、彼女らしいなと思った。立ち上がって時計を見ると11時には少し早いみたいであったが、それが何処か気の置けない二人の関係を表しているように思えた。
休日という事で駅は少しだけ混雑していた。事前に調べておいた金額の切符を買ってホームに並ぶ。改めて思い出してみると、こうやって横に立つというのはそう無い事だった。
「学校以外の場所で会うのは初めてだね。私はこの日を楽しみにしてたんだよ? 桐谷はわかってくれないと思うけど」
「僕だって楽しみにしてたよ」
それにその服似合っているよ。と声を掛けると、少し照れたような笑顔と共にありがと。という声が返ってきた。これではまるで初々しい恋人同士という感じで、何だか少しばかり居心地の悪い気がした。
そこから先は彼女が話した。いいや、彼女が一方的に話したと言った方がいいかもしれない。世界の事、弦の為す振動によって記述される膜の話、フロベニウス構造から誘導される鏡面のような対称性の不思議。その全てが聞いたことのないような話ばかりであったので、付き合う前の連れない態度を止めて、素直に感心したり笑ったりしていた。
「全然違う所から出てきた二つのダイアモンドの配列が、綺麗な鏡面対象になるの。何だかそれって素敵な話だと思わない? 私と君は全然違う場所で生まれて、これまでまったく交友も無かった。君はこんなに捻くれ者で全然素直じゃないけど、でも私に核の部分では似ているじゃない。これは奇跡かな? それとも必然かしら?」
「わからない」
「私は多分今幸せの中にいる。君に出会えてとても今幸せだと思うの。でもその幸せを客観視している自分がいる。ページを捲る様に、ひとつひとつそれを噛み締める事だって出来るのに、もう一人の私はそれをただ見ている。何の感慨も無い瞳で、感情すら地平の外に追い出して、私と君を見ている」
「そう」
「でもね、私は今幸せなの。これは言い聞かせているわけでもない、言い続けて現実の物にしているわけでもない。私は君に会えて幸せだと思う。至上の幸福というものがあるのならば、多分これだと思う」
多分君は素直に頷かないだろうけどね? と小声で続けて、その後に電車の車輪が何かを越える音が聞こえた。
電車の座席を二人で座り、僕は窓の外を見ながら、彼女はただ前を見ながら話し続けた。ホームから入ってきたり、または出て行ったりする疎らな人間のことなんて範疇に無いという顔をしながらただ僕に話を続けた。
その車両は完全に彼女の澄んだ綺麗な声の振動と、カタンカタンとという無機質な上下の音のみが支配し、捲し立てる彼女の声色に不愉快そうな顔をする老人の顔なんかを横目で見ながら、とても居心地のいい空間だと思った。
遊園地のある奈津市まではまだ時間が掛かる。あと数十分の間、この空間に身を委ねていようと思った。
「山城君。彼女が出来たよ」
「桐谷君。どうやら例のアレらしいな」
「人の彼女に例のアレは無いよね」
「例のアレ以外だと侮辱の言葉しかないぞ。それでもいいなら言わせて貰うが」
「やめてくれ」
英語の授業が終わり背筋を伸ばす者、バスケットボールを持って体育館へ向かう者、昼飯を買いにいく者。各々が自由を満喫する昼休みの時間だった。それは晴れ晴れとした天気に気持ちのいい風が吹く日で、今の僕の心の状態を代弁してくれているみたいで、嫌に爽やかな気分だった。
「結局お前は敷居の何処が好きになったんだ? てんで悪い噂しか聞かないが。まあお前の事だから童貞を拗らせて外見の良さばかりに目をやったんだろ。わかるよ、俺もだ」
「君と一緒にするのは止めてくれ。それに俺は童貞じゃない」
「強がるなよ。震えているぞ」
「君の悲しい姿しか目に入らないけどね」
話にならない事ばかりを捲し立てる友人に辟易しながらも、弁当に手を掛けながらも華々しい馴れ初めや最近の交流なんかを話していると、山城は真剣な顔つきになった。
「冗談だと思ったけれど、本気で付き合っているのか。あれは止めといた方がいいぞ。入れ込めば入れ込むだけ悪い事になる。情を掛ければ掛けただけ不幸が襲ってくる。あれは人間の心なんてわからない生き物だ」
「知ってるよ」
「簡単に飽きて捨てられるぞ?何が彼女の地雷だか誰にもわからないし、それは長く付き合ったとしても同じ事だ。彼氏なんてすぐに替えが利くペットかなんかだと思っている。お前の周りを見てみろ、少なくともこのクラスに二人は元彼がいるぞ」
「それは違う。彼女のはひとつひとつが純愛なんだ。ただ、それが本物じゃないという事に気付いてしまうだけさ」
それに、地雷を踏まなきゃいいだけの話さ。そう言ってソーセージを口に運んだ。苦い顔をする山城の顔は咀嚼の音にとてもよくあった。談笑や歓声の音の中、山城は食べ終わった弁当箱の前で両肘をつき、何かを考えるように坊主頭に手をやっていた。
「お前は本気なのか?」
「本気さ」
「本気で敷居を好きなのか? 顔とか体とかじゃなくて、彼女という総体が」
「勘違いしないでくれ。俺が一番愛しているのは性格だよ」
深い溜息と共に匙を投げるかのような動作をされ極めて不服だったが、負け犬の遠吠えのような物だと考えることで溜飲を下げた。どうしようも無いと悟ったのか、それとも話しても無駄だと賢明な彼は思ってしまったのか、話題を変えてきた。
「ところで1組の間宮って知ってるか? あの敷居に彼氏を寝取られたあの」
「ああ知ってる。というよりこの間呼び出されて、ひとしきり敷居の悪口を聞かされたよ」
それを聞いた山城は暫く笑っていた。周囲の人間は何事かと思うぐらいに笑ったので、嗜めるとヒィヒィ言いながらも話を続けた。
「それはいいな。凄くいい話だ。お前が無駄に何かに巻き込まれるのは面白いぞ」
「やめてくれ。死ぬほど迷惑だったし、そしてそれが一回で終わったわけじゃない」
実を言うとあの後付き合った事を間宮が知ってから一回、順調であるという事を知ってから一回、一ヶ月経過記念に一回呼び出され、俺に暴言を吐き出し続けた。
毎度毎度お供につれる女子が違うのと、髪型を変えてくるのは何かの意味合いがあるのかと思ったけれども、敷居と分かれないという事を告げるな否や俺に対して誹謗中傷を繰り返すので、迷惑するにも程があった。
「そういえば間宮だけどな、元彼にもう一度付き合おうって言われたらしいんだよ」
「じゃあ元鞘か。これでもう俺の元に来ないといいんだけどな」
「ところがな、断ったんだよ。好きな人が出来たって言ってな。そして最近は周辺の女子にそいつを見せて意見を聞いているらしいんだよ。今度こそは客観的な視点から選ぼうってな」
背筋を冷たいものが流れた。男なんてもうこりごりとけたたましい声で叫び続ける間宮が、恐らく俺に会うまでに最近では原稿の用意すら始めた間宮が、毎回違うお供を引き連れた間宮が。全ての斜線が一点に向けて収束するのを否定したい気分でしようが無かった。
その言葉は聴きたくない、その事実はありえない。そういう強い願望と、目を向けないようにしていた諸々の推察は、山城の一言で残酷な観念として顕現した。
「間宮、お前の事好きなんじゃないのか?」