◇第5章 彼の地にて
「それはつまり、兄上が戻ってきた…ということなのだろうな」
腐食領域、その深淵にある魔族の王城リグヴィエナ。城の中心、謁見室の王座に男が一人座っていた。
「ゼフォン様、まだ結論は出ておりませぬ」
そして男の前に一人、人とも魔物ともつかぬ老人がいた。男の名をゼフォン、老人の名をアンガスという。
「神域の門は確かに開きました。それも計2回」
「そうだな」
「一度目の開門後に送った兵たちが城塞を奪い返したのは間違いありませぬ」
「ああ。そしてあのファーンが神域の門の研究を行っていたのも分かっている。ここ数ヶ月は小規模ながら門が開いた反応があったからな」
「ほんのわずかではありましたが、それに気付けたのは僥倖でした」
「気付けぬよりは良かったのは確かだがな。ともあれ一度目のそれは恐らく『ファーンが門に入った』という事だろう。兵どもが占拠したときあの男の姿はなかったのだからな」
「そして二度目の開門の後、兵たちの連絡が途絶えました」
「問題なのは『誰が』戻ってきたかということだ。今まで開かなかった門が2日で再度開いたんだ。普通であれば術式を解析したファーンが戻ってきたと考えるべきなのだろうが。ヤツならば一人でも城塞を奪い返すことは可能だろうアンガス?」
「そうは思いたくありませぬが。ですが問題なのは」
「ゴーンナイト」
「左様。アレの反応があったのは紛れもない事実。ご存じの通り、あの剣はラスタナシェルの直系筋でなければ使用はできませぬ。仮にファーンがミドガルド様を倒した、或いは既に死んでたあの方から奪って持ち帰ったとしても使えるはずがありませぬ」
「だが反応はあった。それも恐らくは我が軍の撃退に使用したようだと」
「はい。そしてその後にこちらに対してなんの知らせもありませぬ」
「兄上であれば私が魔王を襲名しているだろうことは推測できているだろうし、帰還すれば命を狙われることも分かってはいるだろう」
「身を守るために姿を隠した…というのは、ないとはいえませぬな。ですが」
「兄上らしからぬとは思うよ。しかしよほど消耗していたとすればまた」
「であれば神域の門を離れるなど余計にありえぬことだと思います。城塞はその後人間に奪い返されているわけでありますし」
「ふむ、確かに」
ゼフォンは考え込む。
「それと未確認ではありますがファーンは首都カイナスに向かっているという情報があります」
「…ヤツが無事だと?」
「魔王と勇者がそろって門をくぐってきたとでもいうのでしょうかね」
「分からぬ。確かに兄上があのファーンとどこか心根が通じているものがあったというのは聞いているが、しかし」
「好敵手としては憎からず思っていましたな。まあ共謀の可能性があることは無視はできますまい」
「何よりもゴーンナイトは魔王継承の証。あれがあれば余が魔族を統一し再び人間界へ侵攻することも可能となろう。故にこの世界に戻ってきているのなら是が非でも手に入れねばならん」
ゼフォンの言葉にアンガスも頷く。
「左様にございます。ミドガルド様が人間たちと共謀しているというのも、前魔王派への牽制になりましょう。仮に連中がミドガルド様を匿われていたとしても」
「反逆者としてまとめて葬り去ることも可能となろうな」
「ええ。しかし懸念するところもあります」
「兄上が本当に人間と手を組んでいたら…ということか?」
「そうです」
その言葉にゼフォンは一寸考え込み、そしてアンガスに尋ねた。
「アンガス、兄上に長年使えていたお前だ。実際のところ『ある』と思うか?」
「そうですな。ええ、これは当時の前線にいた幹部以外では知らぬ話なのですが」
「アンガス?」
「ミドガルド様の最終的な目的は世界を統一することだと」
「それが何か問題なのか?」
人間を支配し世界を統一することは元より魔族の悲願である。
「それはつまりオルドナガル大陸のみならずフィロン大陸、イシュタリア大陸、クラスタ諸島群などのすべてを傘下に治めるということ」
「ああ、それは分かっている。それがどうした?」
「兵が足りませぬ」
「…む」
それは当然の結論だった。腐食領域はオルドナガル大陸の8分の1を占めるが、魔族の領土はその中でも4分の1ほど。魔族総出で出向いても治め切れるものではない。ましてや腐食領域から離れれば離れるほど魔族の力は減退してしまう。
「ミドガルド様の試算ではオルドナガル大陸全土の統一も我々だけでは不可能。然るにどこかの段階で人間を勢力に加える必要が生じるとのことでした」
「それならば人間どもを隷属し従えれば良いだけのことではないか」
「無論その意見は幹部からも出ました。しかしミドガルド様はファーンたちブレイブを例にとり、その考えを一蹴しました」
ゼフォンが呻く。
「彼らのような存在が湧き続ける今の現状では人間どもの隷属化はどこかの段階で必ず妨げられ、手痛い反撃を食らうだろうと。そして戦力を分散した我々では一気に勢力図を逆転されかねないだろうと申されました」
「確かに今の現状を思えばな。であれば兄上はどのようにしようと考えていたのだ」
「魔族を、我等を王族、或いは信仰対象とした黒神ラスタナシェルを崇める信仰国家群。それがミドガルド様の考えられていた世界です」
「なるほどな。ラスタナシェルの神官どもの受けがいいわけだ」
「はい。幹部たちにおいてもそれ自体は悪くない感触だったと記憶しております。ですが私にはあの方の本心がそうであるとは思えなかった」
「アンガス?」
「あの方は魔族のみならず人間に対しても寛容でした。事実として部隊の一つに人間たちを加えておりましたし、魔王側近の『双牙の将』の天将エンダーが実は人間であるという情報もございます」
「何?」
人間の部隊、闇の一族カダの先頭集団のことはゼフォンも知っている。だがエンダーが人間だったという話は初めて耳にした。
「ゼフォン様が知らぬのも無理のない事です。エンダーは地将ガルゾルヴとともに我が軍最強の存在でしたからな。下手にそのような醜聞が流れては士気の低下にも繋がりましょうし、それに事実であったとしてもそれはミドガルド様は分かっていて使っていたという事でもありますしな」
アンガスは不快そうにそう言い括った。
「あの方は魔族を中心とした世界を作ると言った。しかし私にはそれが本心であるとは思えなかったのです。あの方はそもそも魔族ということにこだわりなどありませぬ。中心が自分であれば構わぬという方でしたからな」
「だから兄上が人間と共謀する可能性も否定できぬと言うわけか」
「左様です。そして共謀するからには勝算がおありのはず。ましてや勇者と手を組んだとなれば私にはどの程度の驚異となるのか想像することも恐ろしい」
「ふむ」
ゼフォンは大きく息をはいた。確かにアンガスの言うとおりならば恐ろしい結果が待ちかまえているかもしれない。しかし同時にアンガスの言葉に乗せられすぎている可能性も否定はできない。
「いずれにせよ情報が足りぬな。まずはファーンとゴーンナイトの行方の捜索を行うとしよう」
「ヴェルデはいかがいたしましょうか」
「魔導城塞については…確保はしておきたいところだが、あの場を維持するほどに我が軍の体制は整ってはおらぬ。城塞へはひとまずは監視の強化のみに留めろ。併せて前魔王派への監視も強めにしておけ。兄上との接触がないか目を光らせるんだ」
「はっ、了解いたしました」
「それとだ。例のやつはどうなった?」
ゼフォンは一息つくとアンガスにむき直し尋ねる。
「例のと申しますとルヴェイン領で発生した獣海でしょうか」
獣海、大量発生した魔物の群れ。魔獣は腐食領域内でも害獣として扱われている事実を人間は知らない。寧ろここ最近の魔獣の増殖は魔族同士の派閥争いよりも彼らにとって深刻な問題である。
「ああ、報告では里がいくつか飲まれたと聞くが」
「はい。今現在はテイマーどもに移動経路を誘導させております故、数日中には人界へ抜けると思われますが」
「その先がどこになるか分かるか?」
「人の里が2、3ありますな。それを越えるとブレイブを育成しているというシンラという街がありますが」
「…ふむ」
ゼフォンは考え込むように頭を垂れる。
「シンラの付近に監視を放っておけるか?」
「可能ではありますが。あの街は手練れがそろっております故回収は難しいかもしれませぬぞ」
「あの街には剛剣のディクスがいるのだったな」
「はっ。今回の獣海も街自体はともかくきゃつ等を始末するのには足りないでしょうな」
「まあそちらへの期待はしてないが、ただあの街はヴェルデに比較的近い」
アンガスの眉があがる。
「あれを確実に止めるのならばゴーンナイトが使われる可能性はあるのではないかな?」
「なるほど。ミドガルド様があの街に潜伏している可能性があると。しかし人間を助けますかな?」
「それは分からんが。火の粉を払うのを躊躇する人でもなかったからな」
「確かに。分かりました。監視を出しておきましょう」
「頼んだ。以上だ」
その返答にアンガスは頷くと、きびすを返し部屋から出て行った。
(ああは言ったが…)
そしてゼフォンはさきほどは口にしなかった可能性を考えていた。
(ゴーンナイト、まさか『人間に使われている』ということはないだろうか)
ゴーンナイトが魔族の王家の血筋、すなわちラスタナシェルの血統のみが扱えるのは魔族にとって周知の事実である。
だが、あの剣の本質は実は少しばかり違う。あれはただの魔剣ではなく闇の精霊の最上位の存在で、もっともラスタナシェルに近い存在であるゼフォンらの血統がそれを扱えるというだけの話。例えば人間の世界で言う『神子』と呼ばれる天性の精霊使いならば使うことは可能であるだろうとミドガルドがゼフォンに語ったことがある。
(杞憂であればいいがな)
しかし神域の門が再び開くこと自体が想定の外にあった出来事だ。最悪の状況を想定しゼフォンは一人ため息をついた。
※※※※※※※※※
「魔導城塞ヴェルデか」
ディクスはため息混じりにその名を口にした。
「近隣より人員を集い、ひとまずの補充は完了しました。さらなる人員増強のためにファーン様がカイナスに向かっておりますので、あと半月と経たぬ内に体制は整えられるかと」
レイラがディクスにそう言い含める。
「魔族どもがこれほど本格的に襲撃したのは7年前のジェスタ攻防以来のことだからな。まあファーンならば取り次いでもらえるだろうがよ」
現在、シンラの城門砦ではシンラ警護隊の幹部会議が行われていた。
「それにしても凄いものですね」
「城塞を占拠した連中をまさか1人で倒してしまうとは」
「そりゃあ、まあな」
ディクスもその言葉には同意する。もっとも本当にそうであるならば…だが。
(如何にファーンといえど1人であの城塞を落とすってのは…)
ディクスは実際に攻め込んだ経験からどうにも引っかかりを覚えていた。
(ま、元々あそこはあいつが長年居座っていたんだが)
16年前の大戦以降、ファーンはひたすらにあの場所で神域の門の研究を行っていた。だから城塞内に外から忍びいる方法も知っていたかもしれない。
(だがそれでも数の差がありすぎる。報告に寄れば明らかにファーン以外の攻撃が後に残ってるって話だしな。だとすれば共闘したであろう仲間を何故隠す必要がある?)
ディクスは戦闘を行ったのはファーン1人だとしか聞いていない。それが嘘ならばなぜそうする必要があるのか。
(何よりも何故襲撃の際にファーンは城塞にいなかった? 所用で出かけていたというのはなんなんだ? そしてファーンのいないときに都合よく魔族が攻めてきたというのはどういうことだ?)
疑問は疑念に変わる。何が正しくて何が間違っているのか、本人の前で問いつめたい衝動に襲われる。
「どういうことだファーン」
「隊長?」
「あ、いや。すまん」
レイラの声が、自分が心に思ったことを口に出ていたと気付かせた。
「まあ、なんにせよだ。増員があるまではこちらも兵を寄越すしかあるまいよ。薄くなった警備はサーヴァス学院生を起用する。レイラ、通達の方はよろしく頼む」
「はい。この後すぐに学院長へ報告に行って参ります」
「よし、ほかに何かあるか?」
ディクスの問いに特に返答はない。
「では解散」
その言葉で幹部会議は終了した。
※※※※※※※※※
カイン・ロウ暗殺未遂事件、資料にはそう表記される報告をレイラ・シェルダニアが聞いたのは会議が終わった後のことである。
「学生二人が殺されたですって!?」
ややヒステリックな叫びに伝令係がおびえながらも答える。
「は、はい。学生のカイン・ロウが犯人を捕縛し、警護隊へ連絡を入れています。さきほど犯人の確保も完了しました」
「カイン・ロウ、あのこか」
その名は知っていた。今期の一回生の中でも10番内には入るであろう剣の使い手だ。
「それで犯人は何者なの?」
「青狼騎士団二番隊隊長ゼオ・マーカスと彼の部下4名です」
「はっ?」
それには叫ぶ声も出なかった。
「何それ。なんでそんなことになるのよ?」
「カイン・ロウによればゼオ・マーカスらはカイン・ロウ殺害のためにエルガンデ騎士団所属のガルバ・キリグとザムー・イズラを使いカイン・ロウを倉庫街に誘導。そして口封じにその場で両名を殺害したそうです」
レイラは顔をしかめた。ロウ家の問題は多少耳に入っていたがここまでの状況だとは知らされてなかった。
「カイン・ロウもその場で殺されそうになりましたが救援が入り、ゼオ・マーカスの部下一名は討伐してしまったものの残りの捕縛には成功したとのこと」
「救援? よく分からないわね。ゼオ・マーカスの名は私も知っています。彼を止められるとなるとよほどの腕の持ち主でないと無理だとは思うけど」
「はい。それが救援に来たのはメイド1名だそうでして」
「ふざけてるの?」
「い、いえ」
レイラの本気の眼に恐怖を感じながらも伝令係は勇気を振り絞り報告を続けた。
「少なくともカイン・ロウからの報告ではそうなんです。ゼオ・マーカスらも同様に言っています。それ以外に言葉にしようがないということですが」
レイラは頭が痛くなってきたが、我慢をして伝令係に質問をした。
「メイドっていうからには誰かに仕えてるわけよね。それは誰?」
「はい。シドウ・アルダイムという明日からサーヴァス学院に入る生徒のメイドだそうです」
その言葉にレイラは目を見開く。
『それよりもあのメイドだ。聞いてねえぞ。あんな化け物』
朝のディクスの言葉が脳裏に蘇る。
「なるほど。あの方の言うことは確かに正しかったというわけね」
「レイラ様?」
「いや、なんでもないわ。それで今回の騒動の原因は何だっていっているの?」
「は、カイン・ロウの証言によれば父ラーディンの謀略による自身の殺害だそうです。ゼオ・マーカスは自分らの単独での行動だと言っていますが」
「厄介ね。家の騒動なんてここに持ち込まないで欲しいんだけど」
「まったくです」
「とりあえず誰が指示していようが青狼騎士団のゼオ・マーカスがエルガンデ騎士団所属の二人を殺害したことは事実。でもこの街で裁くには大きすぎる事案だしエルガンデと青狼騎士団には直接交渉で解決してもらいましょう」
「はっ」
「カイナスと青狼とエルガンデにそのように報告をお願い。隊長の承印も取り付けておいて」
「了解いたしました」
「それでカイン・ロウとそのメイド…はいまどこに?」
「それならば下の階で、今ディクス様とお会いしている途中です」
「え?」
「何か?」
伝令係が首を傾げる。
「いや、その」
レイラは自分が何を懸念したのかとっさに口にできない。ただその状況はとても危険な…そう何かとてつもなく危険なのではないかと予感した。
腐食領域は人間が生き続けられる環境ではないので、人間側からは魔王軍の状況は不明。
実態は内部分裂により国はほぼ崩壊。略奪の横行で前魔王が進めていた農業政策も後退し続けている上に魔獣被害も増加の一途を辿るという深刻な状況が続き、現魔王(仮)様は胃をシクシクさせているという感じで。




