◇第12章 セメント
「やはりこちらでは香辛料が足りませんねえ」
サーヴァス学院宿舎。シドウ・アルダイムの部屋の中で振る舞われた料理の前でアシェラドがそうぼやいた。それは夕刻前より仕込んだ料理が思った以上の出来ではなかったことへの不満だった。
「醤油もないっすからねえ。持ってくりゃ良かったなぁ」
かぶりついた骨をしゃぶりながらモナカもアシェラドに同意する。
「わたくし、料理に目覚めたのがあちらの世界なんですよね。こちらではわたくしを召喚して料理を作らせようと言う御仁もおりませんでしたからダハルの料理にはあまり詳しくなくて」
「いやいや、こんだけよくできてれば十分っすよ」
モナカはくちゃくちゃとスペアリブを頬張りながらアシェラドにそう答えた。
「左様ですか。しかし醤油ですか。漁醤ならば市場にあるかもしれませんし、明日にでも見て回ってきましょうかね」
「ああ、そういやソース、ケチャップ、マヨネーズ辺りなら自前で造れるんだっけ?」
「ええ、そうですね。さすがに製法が分からないものだと手が着けられませんがそれぐらいならば出来ますよ」
それを聞いて獅道がポンと手を叩いた。
「ああ、そうだ。だったら持ってきた端末に料理関係のデータも入ってるけど、後で見てみる?」
「それはお借りしたいですね。けどバッテリー切れとか大丈夫なんですか?」
「まあ軍用規格のリミットオフ版だから10年は余裕で使えるし大丈夫だよ」
「リミットオフ版てぇとエーテルを代用出来るタイプでしたっけ?電子書籍系も入ってます?」
「まあね。金に糸目つけずに色々入れたから十年は引きこもっていられるぐらいはあるよ」
「らじゃ。そんじゃ後であっしにも貸してくださいね坊ちゃん」
そういってモナカが再び食事に手を着けようとした時だった。扉がノックされたのは。
「はいはい。どちら様です?」
獅道は扉の前まで行き、声をかける。
「ディクス・ガイバーンだ。話がある」
「はぁ」
獅道が部屋の方を見るとモナカが笑いながら銃を取ろうとしている。
「モナカさん、止めて」
「チェッ」
「今開けます」
そしてガチャンと扉を開けた。
「こんばんは」
「ああ…」
扉の先にはムスッとした顔のディクスがいた。
「こんな時間にどうしたんですか」
「中にいるのは二人…ではなく、三人か。こんな狭い部屋にメイドに執事ってひでえバランスの暮らししてるな」
「ほっといてください」
獅道にも自覚はある。
「というかそいつ、人間の気配じゃねえな?」
ディクスは不審げにアシェラドを見る。
「どうも。対魔王連合総司令ディクス・ガイバーン様」
ディクスは顔をしかめる。
(この気配、どこかで…)
「うん? そこのおっさんてここの警護の隊長じゃねーんすか」
「兼用してんだよ。総司令ってのは御輿みてえなもんでな。実質的には優秀な参謀が代わりを務めてくれてる」
「警護隊でも同じような感じだったじゃねえっすか。あんた、普段何してるんすか?」
「何って、そりゃあこれを鍛えてるに決まってるだろう」
モナカの突っ込みに対しディクスはそう言って片腕しかない腕を突き出した。
「小難しいこと考えて書類書いてるのは性に合わねえ。だってよ。俺にはこれしかねえんだぜ。テメェならわかんだろ」
「はっ、そりゃあそうっすね」
ディクスの言葉にモナカは頷いた。そこに嘲りの色はない。
「それでなんの御用でしょう?」
会話が途切れたのを見計らって獅道が声をかける。
「そうだな。お前…」
そう言ったあと、ディクスは言葉を止めた。
「何か?」
「いや、ちょっと来てくれるか。確認したいことがあるんでな」
「確認?」
獅道は首を傾げる。
「時間がないんだ。早めに済ますから付き合えよ」
ディクスは有無をいわさぬ声色で獅道にそう言った。
※※※※※※※※※
シンラ城塞砦、副長室。ディクスと別れたゼファーはレイラに事態の状況を説明していた。
「まさか獅子翁虫とはね」
話を聞いたレイラは顔が青ざめていた。
「あなた達が見たのが本当にそいつなら確かに不味いわ」
そのレイラの危機感の迫った声にゼファーは息を飲む。
「では、すぐに市民を避難させましょうか?」
ゼファーが訪ねる。
「駄目。間に合わないわ。ディクス隊長が朝には来るだろうと判断したんならそうなんでしょう。あのひと、そういう勘の働きようが尋常じゃないから。あの虫相手じゃあ逃げる途中で襲われたらそれこそ全滅よ」
「知ってるんですか。その…獅子翁虫というのを?」
「ええ、10年前に英霊協会で対処したことがあるわ」
「それなら」
ゼファーの顔が明るくなったがレイラは首を横に振る。
「失敗したわ」
「そんなッ!?」
「あの時は高位の魔術師で纏めて広域魔術を使って対応したのだけど、まるで効かなかった。数が多すぎるのよ。あれだけいるとレジストも馬鹿にならないし逃げ遅れて全滅した隊もかなりの数に上ったわ」
「そんな大事、聞いたことがないのですが」
「記録には残ってる。ただ実際に被害にあって生き残ってる人がいないから伝聞されていないだけ」
「それじゃあ、その後どうしたんですか?」
「一週間ほどいったり来たりしながら進んでいくつかの街が飲み込まれて最終的に自滅したわ」
ゼファーが息を飲む。
「自滅ですか?」
「周囲に産卵した後があった。多分繁殖行動の一環なのよね、あれ。生んだら終わりなの。まあ腐食領域外であの手の魔獣は産まれないからその後はこちらでは発生してないけど」
「なるほど。それで対処はあるんですか?」
「戸締まりをして建物の中に閉じこもって隠れてる」
れいらの簡潔な言葉にゼファーは渋い顔をする。
「それで助かりますか?」
「難しいわね。この都市は壁で覆われてるけど、すべてをカバー出来てるわけではない上に、獅子翁虫は壁そのものを飛び越えられるわ。それに建物は木材を使用したものが多くて頑強とは言い難い」
レイラは厳しい顔でゼファーに答える。
「この砦を開放するにしてもどれだけ入れるか。取り合えずは使えそうな建物をリストアップして地区長に伝達。時間が勝負だからね。ゼファーも学生なのに悪いとは思うけど手伝ってもらうわよ」
「はい。喜んで。父さんにもそう言われてますし」
「頼んだわ」
レイラはゼファーの肩に手を乗せ微笑む。ゼファーはそれに顔を赤らめた。
「あの…」
「ああ、ところで」
「はい?」
「この非常時に息子の君に言伝を頼んで戻ってこないうちの隊長は今どこにいるのかしら」
「は、はい。俺にもよく分からないのですが、会わないといけない学生がいるそうでして」
「学生?」
レイラは脳裏に一人の生徒を思い浮かべた。
「今日転入してきたシドウ・アルダイムです」
※※※※※※※※※
「それで、なんなんですかディクスさん」
「ふん。ちょっと待て」
郊外、北側に位置した訓練場。すでに日は落ち、カンテラに灯された魔術の光だけが煌々と輝いている。そこで獅道はディクスに言われるままに練習用のプロテクターを身に付けて立っていた。その裏には執事とメイドが控えている。
「なんすかねえ。あれ」
「鍛練でしょうか。あちら、やる気のようですが。でも何故この時間帯なんでしょう」
「いびりに来たんじゃねえっすか。昼のことで頭に来て」
「それはあなたが起こした問題でしょう」
二人の会話をよそにディクスは獅道を睨み付ける。
「獲物はその小せえ刃物でいいのか?」
「ご心配なく。それより、なんだってこんな時間にこんな人気のない場所で俺がアナタと戦わないといけないんでしょうか?」
「おいおい、学院の生徒なら俺とやり合えることに感激するもんだぜ」
「飯時に問答無用で連れ出すような人間に好意的になれるわけもないでしょう」
ブスッとした声にディクスは笑う。
「まあ、俺もそう思うが時間がないんだ」
そう言ってディクスは背中の剛剣を握る。
「見込み違いなら許せ。命までは取らないさ」
そして踏み出した。
(来るッ!?)
一瞬のことだった。動作に迷いなく、速度は比類なく、まるで元より突き立てられたかのように獅道のいた位置に振り下ろされた剣が突き刺さっていた。
「殺す気はないんじゃないんですか?」
ほんのわずかな間にディクスは獅道の間合いに入り込み、剣を振るい下ろしていた。だが、そこに獅道はいない。
「だから生きてるだろう?」
わずかに横に半歩下がって避けた獅道にディクスが言う。
「見切れる程度には加減したつもりが、そこまでギリギリで避けるとはなぁ」
「目が良いんですよ。それだけです」
そういって獅道はため息をはいた。
「で、確認とやらは出来ました?」
「いやいや続行で」
ディクスが左腕に力を込める。
(魔術? いや、これは)
突き立てられた剣先から中心に衝撃が走った。
『砕流破ッ!』
爆風が巻き上がる。
(魔力を直接爆発させたか)
爆風よりも『早く』背後に飛んだ獅道だが、しかし真正面から巨大な刃が迫り来る。
「ちっ」
獅道は僅かに体を反らしそれを避けるが、だが
「ひっ叩くぞ、オラァ」
避けたハズの剛剣のヒラがそのまま真横から迫ってきた。
(馬鹿力だなぁ)
だが獅道は迫る剛剣のヒラに手を添えると
(…射出!)
剛剣の勢いと魔術による跳躍で一気に背後へと飛び下がった。
「んだと?」
ディクスは顔をしかめる。
そして距離をとる獅道を睨み付ける。
「砕流波をよけたときも妙な加速をして後ろに下がっていたが、お前それは魔術か」
「さて。戦闘中に種明かしの要求とは余裕ですね。ディクスさん」
「うるせえよ。モーションなしの魔術なんて見た事ねえぞ」
「あなたの砕流波だって同じようなもんでしょう」
「チゲえよ。俺のは魔力をそのまま破壊の波動に変えて出してるだけだ。だがお前のは魔術だ。術式を起こさずに出せるわけがねえ」
「まあ、そりゃあねえ」
それはガソリンに直接火をつけるのとストーブに入れて火をつけるのほど違う…と獅道は頭の中で思い浮かべた。ひどく微妙な例えだが。
「けど、その動き。やはり地方でくすぶってたようなヤツのもんじゃねえな。慣れすぎてる」
ディクスが獅道を睨む。
「お前、ファーンとヴェルデにいたろ?」
「…何故?」
遅かれ早かれ気付かれるだろう事実だったが、そこはバカ正直に答えず、疑問で問い返す。
「あの城塞でファーンがひとりで戦ってたってのが嘘なのは分かってるんだよ。最低3人はあの場にいた。で、そのうちの一人があのふざけたメイドだってのも調べがついてる」
「あっしで?」
モナカは自分を指さし答える。
「どんな術だか知らねえが倉庫にあった一撃目の跡が同じだったからな。すぐ分かった」
あー、とモナカは得心いった風な顔をする。
(嘘はつけない性格だなぁ)
獅道はそんなモナカを見てぼやく。もっとも、嘘をつく気もないのだろうが。
「となるとファーンとともに、いや、ファーンがサポートに回るほどの攻撃手段を持つヤツがあと一人いるはずなんだよな」
「それが俺ってわけですか?」
「俺の読みが」
ディクスが駆ける。
(間合いへの踏み込みが早い!?)
避けきれないと判断した獅道は迫る剛剣の突きをナイフを交差して受け止める。
「間違ってなければな」
「グッ」
獅道の顔から余裕が消えた。
『砕流波ッ!』
『黒曜』
「ナニィ?」
だが今度はディクスの顔色が変わる番だった。
(砕流波が発動しない。いや)
剣の先に黒い結晶が出来たのをディクスは目にする。
「俺の魔力に何をしたシドウ?」
「爆ぜろ黒曜ッ」
そして獅道が後ろに下がるのと同時に剣が爆発した。
「うぉうッ、やるなぁ坊ちゃん」
「何をしたんですかアレ? 闇の因子を感じましたが」
モナカの呟きにアシェラドが訪ねる。
「破壊の波動に変換された魔力に闇の因子を混ぜて強引に不活性の魔術に変えたんすよ。そんで存在濃度が可視領域値に達したんで結晶化したのがアレ」
「なるほど。黒の因子の結晶化ですか。確かにエルゴパレスの黒石柱によく似た感じでした」
「エルゴパレスってなんすか?」
「我々精霊の魂の在処とでもいうべき場所です。まあ私たちが井戸端会議する以外には特に何かするところじゃありませんが」
「ふーん。まあいいっすけど」
モナカは視線を獅道とディクスに移す。剣が爆発してからさらに獅道とディクスは三度、斬り合わせていた。見た目は攻撃の派手なディクス優勢。しかし実際にはどちらも大したダメージもなく、互角の対峙であることが伺えた。
「うーん、レベルは高いんだけど本気さが足りないっすねえ」
「殺さないことを暗黙のルールに、勝利条件はディクス様の確認がとれるか否か。あなたの好みの争いにはならないでしょうよ」
「殺し合いこそロマンっすよ」
(勝手なことをいってくれるよなあ)
二人の会話に耳を立てながらディクスの攻撃を受け流す獅道。本人にしてみれば十分に戦っているつもりではあるが、しかし戦闘中にモナカたちの会話までしっかり聞いている程度には余裕があるようだった。
「良い加減当たらないか。そしたらやっぱ大したことなかったって俺もあきらめるかもしれんぞ」
「いやですよ。痛いもの」
斬りつけるディクスに受けながす獅道。ディクスも黒曜を気にしてか、さきほどから砕流波を使わず剣のみで攻撃を仕掛けている。
「それよりもいい加減確認とやらはとれません?」
「思いの外苦戦しててな。どうにもうまくいかん。追いつめてみればさっさと出してくると思って…」
空気が変わる。
(来るっ!?)
ここまでで最速の踏み込み。ほぼノーモーションからの一切無駄のない動作。神速の突きが獅道に迫る。
ガキィンッと凄まじい金属音が響いた。
「いたんだけどな」
先ほど同様にクロスしたナイフで突きを止めたが如何せん威力が違う。そのまま獅道は吹き飛び、裏手の林の中にまで消えた。
「ほら、またか」
だがディクスは構えを解かず、林の中をみる。
「剣速を鈍らせる『負荷』に威力を抑えるための『反発』、それに後ろに避けて勢いを殺すための『射出』か」
ディクスは獅道が平行発動した術式の要素を並べて口にする。
「術を起動させることなく複数同時発動。予想してたものとは違うが、別の意味でとんでもねえやつだよ、お前は」
「何を言ってるんですか」
そしてまるで当然のように返答が返ってくる。
「ディクスさん、今度こそ本当にマジだったでしょ?」
獅道は平然と林の中から歩いて出てくる。
「ああ、殺す気でやったさ。だが、それでも生きてるテメェはなんなんだろうな」
「学生ですよ。あなたが護るべき街の住人です」
獅道はムスッと答える。
「ただ殺す気のある相手ならこちらも殺す気で返さないとね。だから…」
獅道は両手のナイフの柄をチンっとぶつけ合わせた。
「ここから先は『覚悟』してくださいね」
そして獅道が走り出す。
「あん。こっちは最初から覚悟あんだよ」
(加速!)
獅道の速度が加速する。
「ッ!? だが」
速度だけならばディクスにも対処のしようはある。加速することによって起きる攻撃までの到達の誤差、決闘でライカはそこに気付けずに敗北した。しかしディクスはそれを補えるだけの技量を持っている。
(速い。ただそれだけだ)
「ラァアアアアアアア!!!!」
「えらほいさっと」
銃声が響いた。それはディクスの知らない攻撃。
(な…にぃ?)
不意の何かがディクスに放たれ、そして剣に衝撃が走り、一気にその刃を弾き飛ばした。
(チッ、なんだ、こりゃあ)
浮かぶ疑問は、しかし正面からの殺気に途絶させられる。
「ぃぃいいああああああああああ!!!!!!」
気合いとともに鳩尾にナイフの柄がめり込んだ。
「がっ!?」
痛みがボディから全身を巡る。しかし虚を突かれたのは一瞬、ディクスは意識を瞬時に取り戻し
「舐めるなよぉお」
震える左手を握り、獅道に対して叩きつけようとして
左腕がないことに気付いた。
「な…」
ディクスは呆然と背後を見る。
そこには勢いのままにディクスの背後まで走り抜けた獅道がいた。そして切り取られたディクスの左腕を右腕で掴み、ディクスに突き付ける。
「マジかよ?」
直後、ディクスに焼けるような痛みが左腕に走った…ように感じた。もっとも、その痛みは幻ではあるのだが。
「どうやって切った?」
ディクスは痛みを意志で殺し、直立の姿勢を崩さず獅道に訊ねる。
「秘密です」
わざわざ切り取った右腕を降りながら獅道は答えた。
「それよりも俺の勝ちですよね」
「…くっ」
ディクスは獅道と自分の左腕の付け根を交互に見て、そしてため息をはいた。
「まあな。さすがにこりゃやれん」
そう言ってディクスはついにその場に座り込んだ。
「やりましたねえ。坊ちゃん」
そこにモナカとアシェラドが駆け寄ってくる。
「ち、お前か。さっきのは」
ディクスはモナカとその手に持つ対物ライフルを睨み付けた。
「ども。あ、苦情は坊ちゃんに言ってくださいね。今の坊ちゃんの指示っすから」
そう言われてディクスは獅道の方を向いた。
「そんな素振り見えなかったが」
「でしょうね」
視線すら合わせてはいない。獅道がしたのは支援要請の暗号を『会話』のなかに織り交ぜただけである。
「まあ決闘というわけでもないし。夜に、おっさんに人気のない場所に連れられて暴行されただけですから。ほら、正当防衛?…じゃないですかね」
「マジかよ。そんな変質的な容疑をかけられた上で俺の二本目も切り飛ばされたのか」
「あはははははは」
ディクスはがっくりとうなだれ、モナカは笑う。腕一つ無くしてもその態度を崩さぬ姿勢はさすが英雄の一角といえたが、そのうなだれ方は素直に情けないとアシェラドは思った。
「アシェラド」
「はっ」
獅道はアシェラドを呼び寄せるとディクスの左腕を投げて渡した。
「おい。俺の腕、乱暴に扱うなよ」
「こいつは勝者が手に入れたもの。負け犬に口を出す権利はありません」
「ぐっ」
「それでどういたします?」
アシェラドが訊ねる。
「断面は傷ついてないはずだけどイケる?」
「承知致しました」
アシェラドが畏まると
「失礼します」
ディクスの元にひざまづいた。
「なんだよ?」
「お繋ぎします。少々ご辛抱を」
「お前、神官か? 痛ッ」
「ご冗談を」
アシェラドはディクスの今もなお血の流れ続ける左腕の付け根に手を当てる。そして黒い光が溢れ、血が止まり始めた。
「わたくしが行うのは浸食です。もっとも元々の持ち主に浸食して繋ぎ合わせるだけですから拒絶反応も何もないでしょうが」
アシェラドは今度はディクスの左腕の断面に黒い光を発生させた。そしてディクスの肩にくっつける。
「くっ、う」
痛みとむずがゆさが襲う。ディクスは身体と腕が徐々につなぎ合わさるのを感じた。
「はい。これで完了。一週間程度安静にしてれば以前と同じか、以前以上に魔力の通りが良くなって使えるようになるでしょう」
「そいつぁ、助かるが」
「それと」
ディクスの台詞を遮り、アシェラドがディクスにボソッと呟いた。
「あなたにくっついている腕は誰の所有物か。それはよく理解しておいてください」
「む…そいつは」
勝者が手に入れたもの。獅道がそう言っていたのをディクスは思い出した。
「わたくしが働くのはただ主のためだけですので、お忘れなきように」
そう言ってアシェラドは笑顔を返した。そしてディクスは目を見開いて左腕を、そして続けてアシェラドを見て、続けて獅道を睨んだ。
「つまり俺はどうなるんだ?」
「特にどうとは。多分力を借りるときもあるだろうし、そのときには遠慮なく使わせていただく予定ですが」
マジかよ…とディクスはため息をはく。
「まさかうちのガキよりも若いやつに顎で使われる日が来るのかよ」
「こんな重大な状況の時に変な駆け引きを仕掛けたペナルティです。俺だって動いた分の報酬はもらいますよ」
「あーあ、計算高いヤツだな。つーか重要な状況ってお前『知ってる』のか?」
ディクスは目を細めて訊ねる。
「いえ。ただ…」
獅道は北を見る。
「何かが迫って来ている気配が風に乗ってここまで届いているのは分かります」
「うん。風?」
モナカも北を見る。
「アシェさん、なんか分かります?」
「ええ、この感じ。予想はつきます」
「推測するにすでに今この時点であなたの手に負えない状況が発生しているのでしょうね。対魔王連合総司令であるあなたの力と立場でも回避できないもの。だから魔導城塞で見たものからアタリを付けて、可能性のある俺から引き出そうとした」
「ホントよく分かるな。お前ってヤツは」
半ば呆れてディクスは呟いた。
「お前の言う通り、重大な状況が迫っている。獅子翁虫という魔獣が群れでこちらに迫っている」
「獅子翁虫?」
獅道の疑問にアシェラドが答える。
「大型のイナゴのような魔獣ですな」
ここでは虫類も魔獣として称されている。
「イナゴの群れというと、異常繁殖して穀物を荒らすっていう蝗害のようなもの?」
「そうですね。あちらであるような数百キロに渡ってと言うほどの規模ではありませんが、何分全長が1Mはありますし、雑食で特に肉を好むのでそれなりの被害が発生します」
「そりゃ怖いな」
「まあ飢えて苦しんで死ぬよりも直接食われる方がまだマシかもしれませんがね」
「それでもれなくシンラが『それなりの被害』を被るってぇワケだ。正直家ん中でこもる以上の対応が思いつかねえ」
ディクスの言葉にアシェラドが反応する。
「それはこの街の設備だとかなり厳しいでしょうね。気密性の高い建物があまり存在しませんし。あの虫は一匹でも中に入られたらもう止められませんよ」
「んなこたぁ分かってる。だが他に手がねえ」
「そーなると学校もなくなるんじゃないっすか」
「休校にはなるだろうな。間違いなく。まあ街が壊滅してたら運営自体無理だろうし、再開して通うにしても生徒がどんだけ生きてるかって話だが」
ディクスが冷静に語る。それに獅道が苦笑する。
「なんで転入初日から壊滅とか休校とかの話になるのかな」
獅道は頭をかきながらアシェラドに訊ねる。
「アシェラド、その虫の集団の規模は分かるか?」
「平均で幅1キロ、列の長さは5キロくらいでしょうか。いや、腐食領域を出た辺りなら規模はもっと低いかもしれません」
「なるほど。規模としては蝗害にくらべればそれほどでもないか」
「元となった生体の行動をトレースしているだけですからね。あのサイズと肉食中心の生態系ではまるで同じように行動するには無理があるんですよ。もっともこの街の人間ぐらいなら根こそぎ食べられてしまうでしょうが」
アシェラドがゾッとすることを言う。
「だろうなぁ。そんでどうしよう…うん?」
獅道が南の、街の方をみる。他の三人もそちらの方を向くと道沿いをレイラが走ってくるのが見えた。
「隊長ぉおおお!!!」
「レイラかよ」
「ちょっと隊長、こんなところで何してるんですか?」
「おう、レイラ。よくここが分かったな」
「使用申請書、ゼファーくんからもらいましたから。それよりも何なんですかこれは」
駆け寄ったレイラは、ディクスの裏にいる獅道とモナカを見た。
「この大事なときにい、一般生徒を連れ出して何をしてるかと思えば…思えば」
そこには大量出血の後のある上司がそこにいた。
「ちょっと、ホントに何したんですか。この子に何かあったらユーリ姉様に顔向け出来ないじゃないですか!?」
大激怒である。
「落ち着け。これは俺の血だ」
「え? えええーーー!?」
「それよりもおまえ、聞き捨てならねえこと言ったな。ユーリがなんだって?」
「あ、いや」
口外無用と念を押されていたレイラはモナカを、正確にはモナカの中にいるであろうユーリを見た。
「別に言っちゃってもいいっすよ。そこのおっさんもめでたく坊ちゃんに負けて下僕になったわけだし」
「下僕じゃねえよ」
「うっさい負け犬」
「負け…た。隊長が?」
信じられないものを見るようにレイラはディクスを見る。
「まあ二人掛かりだったからね」
獅道は一言付け加える。
「あーそれ言うためにあの時あっしを巻き込んだってわけっすね」
狡い手口に気付いて睨むモナカから獅道は目をそらす。
「チッ、うるせえよ。そんなことよりもソイツのこと教えろ。おまえは知ってるんだなシドウ・アルダイムの正体を」
「は、はい。ええと、モナカ、本当にいいの?」
「問題なし」
そう言われてレイラは観念したように肩をすくめる。
「了解。ええとですね隊長。驚かないでくださいよ。実は」
「彼はユーリ姉様のお子さんです」
「へぇ」
吐き出すように出た解答に対する返答は非常に淡白だった。
「あ、あれ反応が鈍い。驚きませんか?」
「別に。ユーリが生きてるってのはなんとなくだが分かってたし」
魔導城塞で聞いたファーンの様子から察するになんらしかの決着がついたのだろうとは気付いていたのだ。だからその事実はさほど驚きではなかった。
「まあ、ファーンも惚れた女救うのに16年かけて、いざ会ってみたらコブツキだったってんなら情緒不安定にもなるわな」
「え、いや。彼、ファーンとユーリのお子さんですが」
「ナニィ!?」
不意打ちの分、今度はディクスも驚いた。
「いつ出来たガキだよ。知らねえぞ」
「ああ、16年前の決戦時には腹ん中にいたらしいけど」
獅道が口を挟む。
「マジかよ。ああ、そういやアイツら毎晩のようにしてたわ」
「子供の前でそういうこと言わないでください」
レイラがディクスを怒鳴りつける。
「うるせえなあ。じゃああいつに似てんのは普通に血が繋がってるからか」
「と言っても俺にはあの人が父親って言われてもピンと来ませんけどね」
「まあそうだろうがよ」
今まであったこともないのだから無理もないだろう。
「あと俺の親父はちゃんといるし、今更言われてもという感もある」
「は?」
目を丸くするディクスに獅道は言う。
「まあ、それはそれとしてディクスさん。火龍王獄炎殺サーモバリック爆斬でいきますんでよろしくお願いします」
「なんすか。その胡散臭い技名は?」
「剛剣士究極奥義の名前だよ。俺の所有する左腕が命を燃やして行う最強の技さ」
「所有する左腕?」
そしてレイラ以外の全員の視線がディクスの腕に注がれる。
「おい、何を言って」
まるで掴めぬ獅道の言葉に何かしらのいやな予感を感じたディクスが口を挟む。しかし、その言葉は獅道から発せられる気配によって塞がれる。
「つまりはここから先に起きたことはすべてディクスさん、あんたがやったってことにしてくださいってことです」
「お前、何を企んでやがる?」
「俺はまだ目立ちたくないんですよ。普通に学園生活を送りたいのにもう始めなきゃいけない俺の残念な気持ちを分かってください」
獅道はそう言って右腕を天に掲げる。
「ま、あんたが望んだとおりにことは運ぶんだからその代償くらいは払ってもらうさ」
その言葉とともに獅道は右腕を振り下ろす。そしてガシャンッと巨大な黒剣が空より飛来し獅道の前に突き刺ささった。
「なっ」
レイラは突然の現出に目を丸くする。
「それはゴーンナイト…」
そしてディクスは呻いた。予想はしていた。まさかとは思いながらもそうだろうとも感じていた。だが実際に目の当たりにすれば、驚きが先んじる。
「じゃあおまえの親父ってのはまさか…」
「関東魔王軍総帥 蛇神巳道。ここでの名は魔王ミドガルドでしたっけ?」
獅道は親指を自分に突き立てこう告げた。
「ま、ようするに」
「俺は魔王の息子ってことでもあるわけですよね」
少し間が飽きましたが12章です。
獅道たちのいた世界では魔力の存在はエーテルという名称で公になっていますが、生体エネルギー=エーテル=新資源として各方面で使用された結果、衰弱死が相次いだため使用には大きく制限がかけられてしまいました。なお後進国においては未だに問題継続中で『人間電池』として人権団体に非難されるようになっています。




