δ THEN WIND IS BLOW
「10万……ですか」
見舞いがてらの報告に来た陸の言葉に、ベッドの上の空が深刻な顔をする。
「しかも、昨日の時点での計算数値だ。最悪、まだ他にも食ってる可能性もあるしな」
母親から見舞いの品として渡された折り詰めの中身を物色しつつ、陸が告げる。
「オマケにヤクで元々イカレてた所為か、頭の方はそれ以上イカレてないらしい。痕跡を辿るのも困難している状況だ」
「最悪だな」
空のガードに付いている茶髪の男性、ガーディアンスタッフに所属する人狼のバロン・牙神が顔をしかめながら、折り詰めの骨付き鳥唐揚げをキープする。
「早い所どうにかしないと、更に犠牲者が増えますね………」
「そういう事は怪我が治ってから考えてくれ」
五目いなり寿司を咀嚼しつつ、陸はベッド脇に置かれていたカルテの診療結果に目を通す。
そこには、出動不許可の印がしっかりと押されていた。
「瑠璃香の奴はともかく、敬一も負傷して戦力が落ちてる。Aクラスの発動も考慮した方がいいな」
「Aクラス? 2年ぶりにか?」
Aクラス戦闘態勢―ADDLの全戦闘可能人員の実戦投入―の発動の可能性に驚きながら、バロンが骨ごと唐揚げを噛み砕く。
「前は総力戦だったが、今回は相手の能力が特殊過ぎる。下手な鉄砲の数を揃えとく事が重要だ」
「数合わせかい………」
「実際、やっかいな能力ですからね。ボクも由花さんの能力が無ければどうなってたか」
「お前が本気になれば、なんとかなるだろ?」
「その可能性は高いな」
話しつつも、二つの箸が折り詰めと口の間を忙しく往復する。
「あの状況では、そうする事は不可能でしたけどね」
「相変わらず優しい奴だな」
「判断としちゃ間違っていない」
病室備え付けの冷暖一体型保管庫から缶入りのお茶を人数分取り出した陸が、それを投げ渡す。
「お、わりぃな」
「どうも」
それを受け取った空が、ようやく箸を伸ばそうとした時、病室のドアが控え目にノックされる。
「どうぞ」
「失礼します」
開いたドアから、ケーキの包みを持った由花とマリーが姿を現す。
「ケーキ買ってきたんだけど、デザートにでもどう?」
「それはどうも。ただ、デザートにするには少し問題が…………」
空が改めて折り詰めの中身―当人が箸をつける前に何故か三分の二以上が消失している―を見た。
「あんた達、何しに来てるのよ……」
「見舞いと報告」
「ボディガード」
折り詰めの中身を見たマリーが陸とバロンを睨みつけるが、二人は缶のお茶をすすりながら平然と答える。
「はいはい、それじゃあこっちはあんた達の分無しね」
「ケチ」
「別に構わん。もう帰る所だしな」
恨みがましそうな目でマリーが広げるケーキを見るバロンを尻目に、陸がその場を立ち去ろうとする。
だが、入り口付近で立ち止まると、室内に振り返った。
「マリー、由花、恐らくは数日中に奴との総力戦になるはずだ。体調を整えとけ」
「…了解」
一瞬だけ、ケーキを広げていたマリーの手が止まったのを、由花は気付いていた。
男は悩んでいた。
自分を痛い目に会わせた奴らにどう報復するかを。
街中で暴れておびき寄せるという手も有ったが、それでは面白味に欠ける。
「どうするか……だな?」
高純度のLSDを二の腕の静脈に注射しながら、男は考える。
そこで、最初に少女を襲った場所が高校の学生寮だった事を思い出す。
「そうだ……」
薬の影響で異様に興奮していく思考の中、男は今の己を最高に満たす為の計画を練り始めた。
『バトルシュミレーション、タイプ37―28計算終了。当該目標殲滅までの所要時間38分、当方の損害は重傷2名…』
(いや、それじゃダメだ。タイプ37―18の方を一部改訂、改訂内容は周辺損害の値を被害レベル4まで承認。再シュミレートを)
『イエス、マスター』
自分自身がプログラミングした世界初の擬似人格保有型第7世代AI『LINA』と自分の思考をダイレクトコネクト(直接接続)しながら、陸は無数のシュミレーションを繰り返していた。
『計算終了。所要時間は22%減、当方の人的被害は32%減です』
(それでも最低一人は病院送りか…………相手の成長予想パターンをもう少し絞り込めればいいんだが)
『現状ではこれが限度です。周辺損害の被害レベルを8まで容認可能ならばこちらの被害は0で済みますが………』
(街一区画吹っ飛ばすのか? 議会の能無し連中が許す訳ないがな)
『ですよね』
(そういうのは勝手にやって、後で適当にごまかすもんだ。貴重な人材傷つけるよりは楽だからな)
『それはそれで問題になる可能性が…』
(どうせ騒ぐのは金の問題だ。政治家なんてのは被害者よりも被害額を気にする連中だからな。取りあえずこれ以上やっても時間の無駄だ。タイプ37バトルシュミレーションを現時点で終了。現時刻のスタッフの活動状況を確認)
『現時点で活動中のスタッフのサーチを開始……………H―17エリアにて羽霧 由花のガードにエリス・リュアン、王 白遠の二名、入院中の守門 空のガードにバロン 牙神が一名。E―31エリアにて十字架 瑠璃香が当該目標H―8を散策中の模様。他スタッフはCレベル警戒態勢シフトです』
(当該目標H―8を確認次第、全スタッフをBクラス戦闘態勢に移行)
『了解』
ダイレクトコネクトを解除した陸が、ゴーグルを外しながら腰掛けていたイスを少し倒す。
首筋を鳴らしながら、先程までのシュミレーションを脳内で反芻するが、すぐに止めると、イスから立ち上がる。
「向こうが餌に食いついてくるのを待つしかない……か? 罠の中のな………」
「え、と…………」
ルーズリーフの中に書き込まれた方程式を解いている途中で、その計算の矛盾に気付いた由花が、しばし手を止めて考え込むと、計算途中の式を消して新しく計算をやり直す。
夜中と言っていい時間を示している時計と、残っている課題の量に溜息をつきながら、由花は一度計算の手を休める。
視線を横に向けると、自室のベッドの上で猫状態のエリスが大きなアクビをしている。
「陸さんにでも教えてもらった方がいいかな………」
ここ数日のハードスケジュールで溜まっている課題の処理方法を模索しながら、由花は多機能デスクの隣にある備え付けの小型冷蔵庫から飲み物を探して、冷えた紅茶とエリス用にと買っておいたミルクを取り出す。
(あの状態だと、やっぱりお皿に入れないとダメかな?)
何気無く丸くなって居眠りに入っているエリスを見た時だった。
突然、今とは別の視界が広がる。
そこでは、この部屋でエリスが何かと戦っている姿が在った。
「あ…………」
愕然とした由花の手の中から、取り落とした二つの飲み物が滑り落ちる。
感覚からいえば、それは今から五分後。
つまり、今すぐそれが始まってもおかしくはない。
(ど、どうしよう!)
パニックに陥りかける意識をなんとか静めるよう心がけながら、由花が今日教えてもらったばかりの非常事態マニュアルを思い出す。
「そ、装備の確認と連絡!」
由花はバッグを引っ繰り返して底に沈めておいたG・ホルグを引っ張り出し、何度か失敗しながらもマガジンを出して残弾を確認すると初弾を装填する。
ハンガーに架けておいた制服のポケットから支給された腕時計を出そうとした時、エリスが唸り声を上げているのに気付いた。
「もう!?」
由花は非常通信のスイッチを押し込むと、震える手でG・ホルグをエリスが唸っている虚空に向けた。
「こちら、由花! て、敵です! 敵が出ます!」
『落ち着いてください。正確に現状を報告…』
『LINA』からの返信の途中で、虚空から出現した刃が、飛び退いたエリスの下にあったベッドを切り裂く。
「あ、あいつです! あのヒューマンベースが!」
『了解。戦闘はエリスに任せて退避してください』
「よお、久しぶりだな………」
虚空からあの男の顔が現れると由花を見て陰湿な笑みを浮かべた。
「ひっ……」
「フゥアアア!!」
由花が震えながら床に尻餅をついた脇で、エリスが甲高い雄叫びを上げながら男の顔に襲い掛かる。
その姿が、途中で猫から獣の四肢と牙を持った獣人の姿へと変わり、ナイフよりも鋭利な爪が男の顔をえぐる瞬間、顔は再度虚空に消えた。
『こえー、こえー。カンフー使いの次は猫娘のボディーガードかい。まるでRPGだなぁ?』
「フウウウゥゥ………」
男の嘲笑が響く中、四肢を地に着け背を吊り上げる文字通り猫の威嚇体制を取った状態で唸り声を上げる。
『じゃあ、まずそっちの猫娘から…』
「フアアァァ!!」
虚空から刃の腕が出現するのとエリスの姿が由花の視界から消えるのは同時だった。
そして、再度エリスの姿が現れた時、エリスの口から半ばから食い千切られた刃の腕が咥えられていた。
『ヒャ、ヒャハハハ! やるじゃねえか!』
腕を食い千切られたにも関わらず哄笑を上げる男の声が響く中、エリスが咥えていた腕を放すと、それが宙にある間に爪を振るい、完全な細切れと化した肉片が床へとぶち撒けられる。
「ひっ…」
悲鳴を上げそうになるのを、由花は手で口を塞いで押し殺す。
その眼前で、口を朱に染めたエリスが普段の能天気な性格からは考えられないような獰猛な戦闘態勢を取り続ける。
『じゃあこいつはどうだ!?』
突然エリスの周囲の空間を全て覆い尽くすような無数の刃の髪が出現する。
「フウウゥ!」
エリスの姿が再度掻き消え、文字通り目にも止まらぬ超高速のスピードで巧みに刃の髪を掻い潜る。
そして。
「え?」
由花が自分の体を覆う浮遊感に気付いた時、彼女を狙って刃の腕が振り下ろされ、それに気付いたエリスが由花の襟首を咥えてそのままガラス戸を突き破って外へと飛び出す。
「ええっ?」
視界一杯に割れたガラス片と空が広がっているのを由花が認識した直後、視界から空が急激的に遠ざかる。
自分の部屋が3階だった事を思い出しながら、襟首を咥えられたままの由花はエリスと共に落下し、そのままエリスが全身のバネを利用して落下の衝撃を殺して着地すると背中で器用に由花の体を受け止める。
ころんとエリスの背中から地面に落ちた由花はしばし呆然としていたが、慌ててG・ホルグを構えようとする。
だが、すぐさま横にいたエリスに体を押し倒され、風に舞ったエリスの髪の一部を横薙ぎに振るわれた刃の腕が切り裂いた。
『ひゃははは! どこまで頑張れるかな!?』
その声と同時に、虚空から無数の刃の腕が出現し、一斉に二人へと襲い掛かった。
「ひっ!」
恐怖の為におもわず由花が目をつぶった瞬間、何かがぶつかり合う音が周囲に響いた。
「……?」
由花が恐る恐る目を開くと、自分の眼前で、刃を防いでいる黒い棒のような物が視界に飛び込んできた。
「え?」
周囲を見てみると、同じように無数の刃を同じ数の黒い棒が受け止めており、よく見るとその黒い棒は街灯の光で出来た影が不自然に伸び、その伸びた影から突き出ていた。
『なんだぁ?』
男=怪物も首を傾げる中、影から伸びていた棒は縮んで影の中へと戻り、代わりに影が突然盛り上がって人の形を取ると、その影が薄れていってそれは手に装飾を施された棍を持ち、口元に不敵な笑みを浮かべた痩せた男へと変化した。
「王!」
「よお」
エリスに片手を上げてあいさつしながら、その痩せた男―ガーディアンスタッフの王 白遠は手にした棍を構えた。
「あ、あの」
「説明は後だ! オレとエリスが相手してる間に逃げな!」
「は、はい!」
『させるか!』
走り出した由花の背に向かって先端に刃の付いたムチのような触手が無数に襲い掛かるが、王が二本の指を口に当てその隙間から吐いた息を業火と化して触手を全て焼き払う。
「これでちっとは点数稼げたかな?」
由花の姿が遠ざかっていくのを見ながら、王が含みの有る笑みを浮かべながら手にした棍で自分の足元に手早く方陣を描くと、そこでタップダンスのような足踏みをし、最後に方陣の中央に棍を突き立てる。
すると、周囲の空間が揺らめき外界とこちらを隔てる結界を構成した。
『てめえ……』
「この間のG1ですっちまってな、今金欠なんだよ」
引き抜いた棍を手元で回しながら、王が悪人のような頬を歪ませる笑みを浮かべる。
「危険手当が出ねえと今月暮らしてけねぇんだ。その分、付き合ってもらうぜ!」
『死んで金の心配なんていらなくなりな!』
「フウウアアアアァァァ!」
棍を構えた王が自分の本来の姿、白い体毛に覆われた妖猿の姿と変じ、それに続くようにエリスが唸り声を上げる。
次の瞬間に三匹の異形の死闘が、幕を開けた。
『そこの地下鉄、降りてすぐの女子トイレの奥から二番目に入ってください』
「は、はい!」
通信機からの指示に律儀に返事をしながら、由花は息を切らせつつ階段を駆け下り、指定の場所に入る。
『そこの消音機の上部のスリットにIDカードを通して、壁に出てきたスキャナに手を当ててください』
指示通りに消音機の隙間に偽造されたスリットにIDカードを通し、スキャナに手を当てる。
スキャナがIDカードのIDとスキャンした指紋、そしてそのトイレの各所に秘密裏にセットされているフレームスキャナがボディデータをそれぞれチェックしてそれが登録されたアドルスタッフの一員と判明すると、壁がスライドしてそこから基地直行のエレベーターが出現する。
慌てて由花はそれに乗り込むと扉は閉まり、同時にスキャナも壁に収納されて数秒後にはそこはただのトイレに戻った。
「はあっ………はあっ……」
由花は壁に手をつき、荒い呼吸をなんとか整えようとする。
彼女のそんな状態などお構いなしにエレベーター内部の簡易浄化システムが機動。床に六芒星のパターンが浮かび上がると同時に天井の四隅から聖水が数秒間噴霧され、由花の紅潮した頬を微かに濡らした。
『基地到着まであと287秒。到着と同時に出撃ですが、大丈夫ですか?』
「だ、大丈夫です………」
『LINA』からの伝令になんとか応えながら、由花は浄化システムの停止と同時に壁から出てきた装備に手を伸ばす。
(空さんと約束した物……自分にやれる事をやるって………)
不慣れな手付きで握ったままだったG・ホルグをホルスターに収めつつ、由花は決意を新たにした…………
「……来た」
「何が?」
ベッドに横になって医学書を読んでいた空の呟きに、バロンは手にしていたクロスワード誌からそちらへと視線を移す。
それに僅かに遅れて、緊急出動を示す警報が室内に鳴り響く。
「奴だ」
「間違いないのか?」
空の目が、普段の温和な物でなく、戦闘時の冷徹な物になっているのに気付いたバロンが、用心しながらイスから立ち上がる。
「……前よりもかなり力を増している。まずいな」
「ほう、そうか」
適当に相槌を打ちつつ、バロンはゆっくりと戦闘態勢を取る。
「あと三日はそこから動くなって言われなかったか?」
背を低くし、いつでも跳びかかれる姿勢になったバロンが、空を睨むように見据える。
そのうなじに波打つように獣毛が生えてきつつあるのを見た空も、手にしていた医学書を枕元に置いて全身の筋肉を緊張させていく。
「どいてくれ、行かなければならない」
「どけないな。お前を行かすとオレがここにいる意味が無くなる」
二人の間に、緊迫した空気が充満していく。
周囲の空間その物が硬質化したような時間がその場に留まり、互いに微動だにしようとしない。
だが、バロンの視界から逃れるようにして空の手が枕の下に潜ると、そこから取り出した何かをバロンへと放り投げた。
「?」
それが何かバロンが知るよりも、空の手が宙に浮かんだそれを両手で叩く方が速かった。
バロンの眼前で音を立てて閉じられた両手が瞬時に開かれ、その間に挟まれた物―この間の折り詰めに入っていたデザートのオレンジの皮と点滴を受けた後に貼り付けられた脱脂綿―が再度宙に踊り出す。圧力によってそれは宙にその内容物を微かに振り撒いた。
「ぐっ!?」
自分の鼻を突如として襲った違和感にバロンが思わず顔を背ける。
鼻腔内一杯に広がる柑橘系の芳香と、消毒用アルコールの鼻をつく匂いが野生の狼以上の能力を誇る彼の鼻を瞬時に麻痺させていく。
「そんな手に乗るか!」
目尻から涙をこぼしつつ、ベッドから脱兎の勢いで逃げ出そうとした空の腕をバロンが掴む。
だが、掴むと同時にその腕は霞のように掻き消え、空の体その物が一枚の呪符となって消えた。
「馬鹿な!? 何時の間に!」
バロンが慌てて室内を見回し、人影が無いのを確認するとそのまま廊下へと空の姿を探して飛び出す。
慌しい足音が遠ざかっていき、室内に静寂が訪れると、それまで黙っていたダイダロスが一声鳴いた。
「上手くいきましたね」
誰もいないはずの室内に空の穏やかな声が響き、誰もいないはずのベッドから消えたはずの空が姿を現す。
「少し悪い事しましたけど………」
バロンが一番頼りにしている嗅覚を麻痺させた隙に、隠行符(気配を完全に断って姿を隠す符)を額に貼り付けて幻術符とすり替わった空が、下半身を縛り付けているワイヤーを解いている間にダイダロスがその肩に止まる。
「さて、行きますか」
空が廊下へと飛び出し、階下に繋がるエレベーターへと走り寄る。
エレベーターに入ろうとIDカードをスロットに通すが、出撃許可が降りていないため、IDが拒否されたのを見た空が他の手を考えようとした所で、突然エレベーターが開く。
「案の定か」
「兄さん………」
エレベーターの中で待っていた完全武装の陸に、空の表情が一瞬硬くなる。
が、陸は無言で一つのアタッシュケースを空へと手渡してエレベーターに乗るよう促す。
空が無言でそれを受け取り、エレベーターの中へと乗り込む。
予め行き先を押してあったのか、扉が閉まってエレベーターが動き出すのと、陸が口を開くのは同時だった。
「奴の成長は予想以上だ。今エリスと王が相手してるが、逃がさないようにするのが精一杯だろう」
「ADDL最速のエリスさんと、ADDL一の幻術使いの王さんならやられる可能性は低いでしょうが………」
空が返答しながらアタッシュケースを開くと、そこから自分の装備一式が出てきたのに微かに驚く。
「上空衛星からの観測で出された奴のオーラ量は17万、最悪さらに増える。最早普通の対応じゃ処理出来ない」
「ええ………」
手早く装備に身を固めていく空の声に緊張が走る。
「……お前の力が必要だ。空」
「ボクは最初からそのつもりですよ」
呪符の枚数を確認してジャケットのポケットと腰のパウチに戻し、双縄鏢の収まったホルスターを腰に巻いた空が、アタッシュケースの一番底に有った物に手を伸ばし、しばしそこで黙考する。
「議会にはすでに第二種警戒態勢を通告している。多少派手にやっても問題は無い」
「派手に、ですか」
空は手に握られた物、赤黒い色で染め上げられた柄を持った一振りの日本刀をしばし見つめた後、それをベルトの腰の後ろ部分に有る留め金にセットする。
「久しぶりのA級相手だ。遠慮してやる義理は無いしな」
「遠慮なんて、最初からしてはいませんよ」
戦闘準備を整えた空が、穏やかな、それでいて気迫の篭った声で応える。
「『LINA』、現時点を持ってADDL総員にBクラス戦闘態勢を発令。当該目標をA級M‘sに認定。アビリティ、ガーディアン両スタッフに戦闘準備。状況いかんによっては即時出動可能状態に」
『イエス、マスター』
『LINA』の返答に、エレベーターの到着を告げる電子音が軽やかに響いた。
「さて、派手に行くか」
「ええ」
二人の声に賛同するように、空の肩にいるダイダロスが小さく鳴いた。
扉が開くと同時に、二人は走り出す。
「レックス、現準備状況は?」
『デュポンの発進可能臨界に今到達しました! 瑠璃香さんとマリーさんはすでに搭乗済み…今、敬一と由花ちゃんも来ました!』
「『LINA』、全サポートAIにコネクト。バトルシュミレーション37―13をダウンロード」
『イエス、マスター』
手早く通信で指示を出しながら、陸は格納庫へと抜ける。
その前を走っていた空がいち早くデュポンへと搭乗するのを見ながら、自らもその後に続いた。
「空、ガルーダの出撃準備を。上がったら直ぐに出てくれ」
「了解」
「レックス、《キサラギ》のサポート準備。いつでも撃てるようにしておけ」
「了解。整備員退避完了、リフトアップ!」
指示を出しながら陸はブリッジに駆け込み、手早く指揮席についた。
「時間が無いから手早く作戦を説明する。当該目標をA級M‘sと設定した」
「A級なんて久しぶりね」
「現状データから想定される奴の能力をシュミレートしたが、奴の能力が変位空間への潜航及び転移だとすれば、一つ矛盾が生じる」
「矛盾?」
『簡単だ。変位空間に潜れば、向こうからもこちらが見える訳が無い』
「空さん大丈夫なんですか!?」
『なんとか』
由花の心配そうな声に応え、空は通信越しに続ける。
『変位空間に潜るとなれば、完全に次元からは隔離されます。気配くらいは分かるかも知れませんが、だとしたらあいつの攻撃の正確性の説明が出来ません』
「透視能力なんかの可能性は?」
「それなら、あたいや空が気付かない訳ないだろ? 前に戦った時、視線は感じたけど、場所までは分かんなかったな」
敬一の問いに答えつつ、瑠璃香は首を傾げた。
「じゃあ、どうやって?」
「簡単だ。あいつの能力が空間自体への干渉だとすれば…」
「リフト地表面に到達」
言葉の途中で、レックスの報告を聞いた陸の目が鋭くなる。
「発進」
陸の号令で、デュポンの巨体が夜の闇へと飛び立った。
『空、作戦は『CAIN』にダウンロードした通りだ』
「了解」
デュポン格納庫のハッチが開いていくのを見ながら、空が超々高速戦闘機の操縦桿を握り締める。
『あくまでこれは予想される奴の能力から導きだしたシュミレーションにしか過ぎない。最悪、全く違う可能性も有りうる』
「完璧なんて有り得ない、ってのは兄さんの口癖でしょう?」
返答の代わりに、空の耳に通信機越しの苦笑が伝わってくる。
『その通りだ。お前の役割はあくまで時間稼ぎだ。こちらの準備が整うまで生き延びろ。それが最優先だ』
「了…」
『空さん!』
突然、由花の声が響く。
「なにか?」
『……あの、気をつけて………』
「ええ」
由花に心配させまいと優しく声を掛けながら、空は眼鏡を外す。
そこには浄眼に冷徹な光を宿した、バトルスタッフ《イーグル・オブ・ウインド》がいた。
「イーグル・オブ・ウインド、出撃する」
座席の背もたれに止まっているダイダロスの泣き声と共に、通常の戦闘機を小型化したような姿を持つガルーダが、夜空を切り裂いて飛び立った。
夜の公園を照らす役割を持っていた街灯が、斜めに切断されて地面へと滑り落ちる。
「はずれ」
『くそがあぁ!!』
王の馬鹿にした声と、《ジャンキー・エッジ》の怒声が同じように虚空から響き、刃の腕と髪が相手の姿を求めて無茶苦茶に振り回される。
「フウアアァァ!!」
虚空から出現した一瞬を逃さず、エリスの牙がジャンキー・エッジの腕を噛み千切り、エリスの爪が刃の髪を千切り飛ばす。
『このネコモドキが!!』
エリスを狙って無数の刃が繰り出されるが、瞬時にしてエリスの姿は霞み、瞬間移動にも思える位のスピードでその攻撃を掻い潜る。
『逃げるか! この卑怯者が!』
「てめえが言える筋合いかい?」
背後の建物から漏れる光で出来ている植え込みの影の中から頭だけ出した王が低く笑う。
『そこかあっ!』
「お?」
地面をえぐり飛ばしながら振るわれた刃の腕が、王の首を切断して首を虚空へと舞わせる。
「痛ぇじゃねえか、オイ」
宙を飛んだはずの首が文句を言いながら、地面へと転げ落ち、その首をエリスが咥え上げる。
「オレが言われた命令はあの嬢ちゃんのガードと、お前を逃がさないようにする事。お前はまんまと罠にはまったって訳だ」
『うるせぇ!』
奇怪な喋る生首に向けて全方向から刃の髪が襲い掛かり、エリスごと王の生首を貫くが、次の瞬間に二つとも破裂してただの煙と化す。
『またか!?』
「だから言っただろ。逃がさないようにするだけだって。オレは痛いのと面倒なのはゴメンなんだよ。化け物だって金より命が大事だろ?」
『ふざけるなあぁー!』
出たら目に振り回される刃が、致死性の暴風雨と化して公園にある物全てを切り裂いていく。
「キャウ!」
「エリス!」
その内の幾つかを、かわしきれなかったエリスをかすめた。
『そこか!』
「ちっ!」
一瞬動きが鈍ったエリスに攻撃が集中し、それを守るように無数の棍が彼女の周囲を囲んで刃を防ぐ。
「こいつに怪我させると、家で一番凶暴な奴に怒られるんでな。悪いがそろそろおいとまさせてもらうぜ」
『させるか、死ね!』
「分からねえのか? オレの仕事は終わってんだよ」
「救急如律令! 勅!」
王の声に、別の声の呪文が重なる。
上空から飛来した無数の双縄標が、その刃に呪符を突き刺したまま虚空を切り裂いて降り注ぎ、そして呪文と同時に呪符が全て同時に爆発する。
『こいつはぁ!』
空中に出現していた刃の髪と腕が、呪符の爆発に巻き込まれる。
爆炎と肉片が舞い散る中、一つの人影が上空から舞い降りる。
「大丈夫か」
エリスを背後に匿いながら、舞い降りた人物―空がワイヤーを操って双縄標を手元に戻す。
「うん、大丈夫」
「悪いが、後は任せたぜ」
ちょうど上空から自動操縦で降りてきたガルーダのコクピットに、影から姿を現した王がエリスを抱えて中へと潜り込む。
「『CAIN』、二人を連れて本部に退避」
『了解』
サポートAI『CAIN』が無感情な声で返答を返し、そのまま再度上空へと舞い上がっていく。
『久しぶりだなぁ、あんちゃんよお…………』
「……………」
虚空から響く声に空は無言で構える。
『傷はもういいのかい? 確かめてやるぜ!』
「八門の法を持ちて基を拒む!」
空の手が素早く呪符を無数に取り出して八方に浮かべ、瞬時に形成された障壁に無数の刃が突き刺さる。
『下がお留守だぜ!』
その障壁を無視するかのように、空の真下の地面から突然刃の腕が突き出される。
前に戦った時よりも遥かに長大に成長した刃が、空の腹に突き刺さり、背中へと貫ける。
『へっ!』
ジャンキーエッジが密かに頬を歪ませた瞬間、刃に貫かれていた空の体が霞のように消え去り、代わりに一枚の呪符が刃に貫かれて四散した。
『!?』
そこへ、どこからともなく無数の双縄標が飛来し、獲物を見失った刃の腕に次々と突き刺さる。
「氷気を持ちて在を禁ず! 急々如律令!」
口訣と同時に双縄鏢に縫い止められていた呪符が次々と発動し、刃の腕が瞬時に呪符が変じた氷によって封じられた。
『なにっ!?』
慌てて腕を再び空間の狭間に戻そうとしたジャンキーエッジは、その腕が予想以上に重くなっている事に気付き、そこでようやく空の狙いに気付いた。
『腕一本くらい使えなくしたくらいで、いい気になるんじゃねえぞ!』
「そう思うか?」
闇の中からゆらりと姿を現した空の片手に、双縄標のワイヤーが握られている。
「これはお前に続いている」
それが自らの腕に突き刺さったまま氷でさらに固定された双縄標の物だとジャンキーエッジが悟った時には、空の空いた手が無数の呪符をワイヤーに叩きつけていた。
「雷気を持ちて汝が在を禁ず!」
呪符から変じた雷が、ワイヤーを伝ってジャンキーエッジの腕に、さらにそれを伝ってジャンキーエッジの本体に流れ込んだ。
『ぐぎゃあああぁぁ!』
「ぐっ………」
余剰分の雷が自らに流れ込んでくるのも構わず、空はワイヤーから手を離そうとしない。
『うがああぁぁ!』
奇怪な声と共に、突然ワイヤーが緩む。それに続いて、虚空から突き刺さった双縄標ごと切り落とされた腕が出現し、地面へと落ちた。
『このクソがっ!! くたばりやがれえぇ!』
虚空から雷の残滓と焦げた匂いをまとった刃の髪が、空の全方位から一斉に襲い掛かった。
「八門の…」
呪符を取り出しながら空が口訣を唱えるよりも早く、おびただしい数の刃の髪が空を襲う。
しかし、それらは空を貫く寸前で何かによって切り刻まれ、千切れ飛んだ。
「無茶しすぎよ」
「余裕を持って対処出来る相手じゃない」
宙から降ってきた声に、空は悪びれもせず応える。
空の頭上、宙に浮かんでいるマリーが、ため息をつきながら、風の精霊の力をさらに強める。
空の周囲で小型、高密度の竜巻の障壁と化していた風の精霊が、その範囲をさらに広げていき、その風に煽られた周囲の植え込みや街灯が軒並み引き抜かれ、宙へと舞っていく。
『何のつもりだ! このアマッ!』
「こちらで特設リングを用意してるの、全力で行くわよ!!」
(風よ! 風よ! 激しく吹き荒ぶ風よ! 力を!)
力を強めていくマリーの周囲で、まるでその風を無視するかのように淡い蛍のような光が彼女の周囲に一つ、また一つと現れ、マリーと戯れるように回り始める。
『なんだこんな風!』
最早本物の竜巻と化していく風を貫くように、巨大な剣と化した刃の腕の一本が弾丸のごとき勢いでマリーを狙う。
しかし、その刃がマリーの周囲の光の一つに触れた途端、その光は炎と化して刃の腕を焼いた。
『がっ!?』
突然の事にジャンキーエッジが思わず腕を止めるが、虚空に出現したままの腕に光が次々と襲い掛かる。
一つは小さな水の弾丸となって肉を穿ち、一つは石の刃となって刃を砕こうとし、一つは旋風と化して腕を捕らえようとする。
「無駄よ、この子達が守ってくれるから」
マリーが光の一つを手に取って微笑む。
その光、正確には光の形を取って現れた無数の精霊が、マリーの周りでダンスを踊るかのように回り続ける。
「言ったでしょ、全力で行くって」
精霊達の光の一部が、マリーの背後で何かをなぞるように集っていく。そしてそれは、マリーの背中に生える半透明のカゲロウを思わせる羽根を浮かび上がらせた。
『! てめえも化け物か!』
「半分ね。けど、あなたと一緒にされたくはないわ!」
マリーの周囲を舞っていた精霊達が、一斉に竜巻の中へと舞い散る。
それらが全てあるべき姿、土や火へと姿を変じていき、土石流や業火の混じった凶悪な竜巻が空間を荒れ狂う。
『そんなもん、出ていかなきゃなんの意味もねえな!』
「………そう思う?」
マリーの顔に、怪しげな微笑が浮かぶ。
その時、マリーの更に上空から甲高い猛禽類の泣き声が響いた。
『空間歪曲場測定終了! 観察点特定出来ました!』
火、水、土の混じった竜巻が、空間の不自然な歪み、正確には空間を湾曲させて作り出されたレンズを克明に浮かび上がらせる。
「なるほど、覗きながらシテたって訳か」
「空間の歪みに潜めば、向こうからもこちらが見える訳ないからな」
光学迷彩を施して上空に待機していたデュポンの乗降ハッチから、瑠璃香は空間歪曲レンズが繋ぐ先、ジャンキーエッジの目が浮かぶ一点に向かってG・ホルグを構える。
「アーメン!」
呪文と共に、瑠璃香の力を込めた純銀の退魔用弾丸は、竜巻から逃れるために風の及ばない範囲に移動していた相手の隻眼を、正確に撃ち抜いた。
『ぎぃやあああぁぁぁぁ!!』
虚空を、凄まじいまでの絶叫が満たす。
『目が、オレの目がぁ!!』
「そこか」
ジャンキーエッジの絶叫が響く中、竜巻の中心で結界を張りつつ、浄眼で周囲を観察していた空が、浄眼で空間の揺らぎを捕らえると、腰のパウチから取り出した呪符を、結界から外へと投じる。
「天后、貴人、青竜、六合、勾陳、朱雀、騰蛇、大常、太陰、天空、玄武! 我、十二神の助を得、八門の法を持ちて遁行を解かん! 急々如律令!」
風に舞って上空へと舞った呪符が、空の口訣に応じて力を放ち、光り輝きながら風に乗って旋回を続ける。
そして、呪符が一際強く輝いたかと思うと、まるではめ込まれたジグソーパズルを外すがごとく、空間の一部が剥がれ落ちる。
「見えたあ!」
その一瞬をデュポンの格納部ハッチから待っていた敬一が、そこから一気に飛び降りながら、手にした刀を大上段に構えた。
「光背一刀流《雷光斬》!」
敬一の白刃が、剥がれ落ちた空間の歪みに潜り込み、そこから一気に空間その物を両断する。
一瞬、剥がれ落ちた歪みを基点として空間に一本の線が走り、次の瞬間には空間その物がガラスのように砕け落ちた。
そして、その中に、それはいた。
「目ぇ!! オレの目ぇー!!」
雷を伴った暗雲を思わせる奇怪な色合いで満たされた空間の中に、それはいた。
「うわっ…………」
腰のベルトに装着された降下用特殊伸縮繊維が落下の勢いを完全に殺した所で自動的に外れ、地面に降り立つと同時にそれを一番間近で見てしまった敬一は思わずうめきを漏らす。
「ここまで成長していたのか…………」
あまりに異様なその姿に、空は低く呟く。
それは、前に見たよりも遥かに巨大な肉の塊だった。
「痛え! 見えねぇ! どこだあああぁぁぁ!」
奇怪な肉隗の小山の胴体から無数の刃の触手が伸び、その上に立つ肉の搭からは何本もの刃の腕が蠢いている。
「ちくしょう! 殺す! 皆殺しだあ!」
肉の搭の中心に、それだけは人のままの顔が埋め込まれており、その隻眼から血がとめどなく溢れ出してきていた。
「殺す! ころす! コロスウウウ!!」
その奇怪な姿をさらけ出したジャンキーエッジの腕の一つが、突然無造作に自分の体を切り裂く。
「なんだ?」
「あれは!」
切り裂かれた体の内部から、大量の注射器や粉末が出てきたのを見た陸が、それが何かを一瞬にして気付いた。
「コロスウウゥゥゥゥ!!!」
ジャンキーエッジは自分の体内から取り出したそれ、末端価格測定不能の膨大な麻薬を、自らの体に次々と注射し、また自らを傷付けてそこに流し込んでいく。
「マリー!」
「了解!」
陸の言わんとする事を察したマリーが、竜巻を一点に収束、四台元素で構成された巨大な槍と化して、ジャンキーエッジへと繰り出す。
数多の精霊で構成された槍は、巨大なドリルとなって肉の小山を大きく穿つ。
「コオォォォロオオォォォスウゥゥゥ!!」
だが、体の三分の一近くが抉られながらも、ジャンキーエッジは空間の狭間から身を乗り出すように顔の埋め込まれた肉の搭を前へと倒れ込ませる。
そして、それに続くかのように抉られた断面から血と肉を撒き散らしながら肉の小山がそれ自体が蠢き、そしてそれは肉その物が内部からせりだし、また収まっていく事を繰り返す奇怪な肉のキャタピラとなって次元の狭間からその身をせり出してくる。
「我が守護天使ハナエルよ! 汝が御手に掲げし聖銃の雷火、我が前に撃ち放たん事を!」
「オン インダラヤ ソワカ!」
(土よ、水よ、力を!)
「オン アビラウンケン、召鬼顕現!」
「夏気を持ちて火気と成し、火気を持ちて汝が在を禁ず! 急々如律令!」
瑠璃香の《ハナエルの銃火》の術が、
陸の《雷帝インドラ》の力を込めて投じられた独鈷杵が、
マリーが地面から呼び出した土の槍と崩壊しかかった水道から呼び出した水の渦が、
敬一の召還した式神が
空の火気の禁呪とが一斉にジャンキーエッジへと襲い掛かる。
「死! し! シ! 死死死死死しししししシシシシシィイイネエエェェ!!」
次元の狭間から出ようとするジャンキーエッジの全身を攻撃が覆い尽くすが、それにかまわず、最早完全に正気を失った声で喚き散らしながら刃の触手と刃の腕が出たら目に繰り出される。
「キャアァ!」
「おわっ!」
「くっ!」
空間内を縦横かつ出たら目に繰り出される刃の嵐に、マリーが宙を舞いながらそれをかわし続け、敬一は必死に手にした刀を振るってそれを叩き落し、空は口訣を唱える暇すら見出せぬため、護身符をばら撒いて攻撃を防ぎつつ、驚異的な速度で防ぎ切れない刃を見切ってかわしていく。
「完全にキレやがった!」
「『LINA』! 全武装をBレベルオートガード! 下の三人のサポートを最優先!」
『イエス、マスター』
空間を縫うように渡りつつ届いてくる刃に、瑠璃香がG・ホルグを連射してそれに応戦し、陸は舌打ちしつつ次に取るべき手段を無数に脳内で考える。
「そ、そ、そそソソソこおおぉぉ!」
不気味な声で喚きながら、ジャンキーエッジは刃の腕を大きく振りかぶる。
そして、そこから千切れた刃が巨大なブーメランとなって上空の瑠璃香と陸に襲い掛かってくる。
「なっ!」
「そう来るか!」
正面から飛んできた血肉のこびりついた奇怪なブーメランを陸は錫杖戟を振るって叩き落すが、他のブーメランの何割かはデュポンの機銃に阻まれ、防ぎ切れない物はデュポンの表面装甲へと突き刺さる。
「見えてねえんじゃなかったのか!?」
「ドラッグのフラッシュオーバーで異常鋭敏化した聴覚か、お前と同じ直感のどっちかだ! まだ来るぞ!」
「いいいいる、イいルルるるルル!!」
刃が千切れた腕から、更なる刃が生えてくる。それをまた投じると、さらに刃が生える。生え変わる度に、刃は長く、禍禍しい形へと変化していった。
「ダメだ! 防ぎきれねえ!」
「こっちも限界!」
「もう持ちませ、ぐっ!」
「敬一!」
「……………」
バトルスタッフ全員の悲鳴を聞きながら、陸は脳内で無数の手段をシュミレートしていく。
「レックス! 《キサラギ》からダイレクトサポート! 由花! デカイのが来るからその後を見てくれ!」
『了解!』
『は、はい!』
「は、はい!」
デュポンのブリッジから、ヘッドマウントデゥスプレイ越しに壮絶な激闘を呆然と見ていた由花が、陸の一言で慌てて未来を見ようと精神を集中させる。
「きっかり15秒後、上空衛星から衛星砲を発射するから」
「分かりました」
レックスからの指示を聞きながら、由花の視界にもう一つの視界が広がっていった。
最初に見えたのは眩いばかりの光だった。
それが晴れると、もうもうたる土煙が周囲を覆う。
そこで、空がためらいもなくその土煙の中枢へと突進してトドメをさそうとし………土煙から繰り出されたとんでもなく巨大な刃が、空の胸を、貫いた。
「!!??」
「座標固定終了。エネルギー転化OK」
「まっ…」
「発射!」
由花の声より一瞬早く、レックスの指はエンターキーを押し、由花の声は直後の轟音にかき消されていった…………
「来るぞ!」
陸の声と同時に、上空から眩い光の柱が落ちてきた。
有事に備えてチャージ状態で待機していた上空衛星から発射された高精度狙撃レーザー砲が、寸分の狂いもなく、ジャンキーエッジの体をレーザーで覆い尽くす。
「きゃあ…」
「うわあぁ…」
「くっ…」
砲撃の余波が周囲に荒れ狂う中、空の浄眼だけが、目を反らさずに相手を見続ける。
「やったか!?」
「まだだ!」
レーザーのイオン臭と、肉の焦げる嫌な匂いが立ち込める中、空の浄眼は土煙の中にいまだ残る敵を捕らえていた。
「我、雷気を持ちて…」
『駄目ええぇぇぇぇ!!』
トドメを刺そうとした空の耳に、通信機から響く由花の絶叫が飛び込む。
刹那、土煙の中から今までとは比べ物にならない巨大な刃が、弾丸のような勢いで空の胸へと向けて飛んできた。
「!!」
切っ先が空の胸に突き刺さろうとする瞬間、由花はおもわず目を閉じた。
だが、HMDに内臓されたスピーカーから、鋭い金属音が響いてきた事に疑問を感じ、恐る恐る目を開く。
そこには、見えた未来と違い、いつの間にか腰の後ろから抜いた日本刀で、その巨大な刃を受け止めている空の姿が有った。
「はず……れた?」
今まで能力で見えた未来と、実際の未来が食い違った事など無かったはず、と由花は自問する。
最悪の未来が来なかった事を、安堵する暇も無く、由花の全身を強烈な不快感を襲った。
「な…うっ!?」
不快感と共に猛烈な悪寒、嘔吐感が一遍に由花を襲う。
『あの馬鹿、抜きやがった!』
『く、うう……』
『主よ、我に加護を……』
『おぶっ!』
通信に、同じように不快感を堪える皆の声が響いてくる。
『妖刀《赤滅》抜刀を確認。イーグル・オブ・ウインドの生体オーラ量急速増大を確認。戦闘フィールド内属性、急激的にマイナスに移行』
『LINA』が淡々と状況を報告する。
嘔吐感を堪えて由花が改めてヘッドマウンドディスプレイに映る映像を見直した。
そこには、赤黒い色で染め上げられた柄を持ち、片刃ではなく諸刃となっている奇怪な日本刀を構えた空と、それと対峙する肉体のほとんどを吹き飛ばされ、残った体を巨大な剣その物の姿へと変じたジャンキーエッジの姿があった。
心無しか、その日本刀から何かが揺らめいているのが由花の目には見えた。
すると、由花の視界にその刀の過去が突然,見え始める。
憎悪の表情で刀を打ち続ける老刀匠。
その周囲に積み重ねられた、引き千切られ、食い千切られた無残な死体の山。
老刀匠がその死体を無造作に炉にくべ、その火で鉄を炙る。
打ち鍛え、それを今度は死体から搾り取ったらしい血に浸して焼きを入れる。
そして、また死体をくべ、鉄を炙り、打ち鍛え、血に浸し…………
やがて、その刃は、血で染め上げれた柄にはめられた。
『滅ぶべし…………滅ぶべし!』
老刀匠の壮絶な呪詛が聞こえた気がした所で、由花の視界が現在に戻る。
(死体で………作られた刀!?)
『由花、精神を集中させろ。赤滅の妖気は能力者にはキツイぞ』
「り、了解」
陸の声に我に返った由花は、慌てて再度精神を集中させた。
「シシシシしししししsisisisi……………」
「終わりだ」
空が壮絶な妖気を放ち続ける妖刀、《赤滅》を肩越しに構える中国拳法式の構えを取る。
「由花、サポートを」
『は、はい!』
空からの声に由花は慌てて返答する。
それを聞きながら、空は突撃を掛けた。
「しぃiiiiii!!!!」
巨大な剣となったジャンキーエッジの全身から、刃の枝が急激的に生えてきて、それ自体が刃の鋭利さを伴ったまま触手のようにしなって空を襲う。
空は手にした赤滅で正面から来たそれを振り落とし、即座に手首を返して左から来た物を跳ね上げ、そのまま切っ先を下に向けて真下に突き下ろし、下から来た物を受け止める。
だが、弾かれたはずの刃の枝が突然その先端を虚空へと潜り込ませる。
『来ます! 後頭部!』
由花の声に即座に空は赤滅を後ろに回し、そこから出現した刃を受け止める。
『右前下から、あと左から横殴りに!』
同じように空間を渡ってくる刃の出現位置を由花は指摘し、空は上に跳んで攻撃をかわし、横殴りに来た刃の腹に片手を添えて小さくトンボを切って着地する。
『真上から複数、まっすぐ下に!』
(土よ………)
真上から振ってくる刃を、マリーが土の精霊の力で地面の土から屋根を作り出し、それを阻む。
『一斉に飛ばしてきます!』
「天空に在りし大天使ミカエルよ! 汝が盾にて我らを守らん事を!」
刃の枝自体が分裂して無数の刃となって飛び交うのを、瑠璃香の《ミカエルの盾》の術が障壁を作り出してそれらを防ぐ。
『左右同時に!』
「ふっ!」
「はあっ!」
空が中国式の柔軟な剣術で右から来た物を弾き、敬一が日本式の裂帛の居合で左から来た物を半ばから斬り飛ばす。
『正面から突っ込んできます!』
「オン マリシエイ ソワカ!」
ジャンキーエッジが自らの全身を強烈な刺突と化して突撃してくるのを、陸が摩利支天の力を込めた錫杖戟を瞬時に算出した力点に投げつけ、その軌道を大きく狂わせる。
『シシシしししし………』
「…………」
自らの脇を通り過ぎようとした巨大な剣の中央、そこに浮かんだ顔に空は無言で赤滅を突き刺す。
「しいいいぁぁぁぁ」
「ふうぅうううう」
顔面に赤滅を突き刺したまま、暴れ回るジャンキーエッジを前に、空は呼吸を通じて外気を取り入れ、内気へと変換させてそれを練り上げていく。
それに応じて、ゆらりと両手を広げ拳法の型を舞って気を最大限に高めていく。
そしてそれが最大限に達した瞬間、空は練り上げた気を右手に収束させ、それを発勁として一気に解き放った。
「はあああぁぁぁぁ!!」
練り上げ、高められた気が込められた掌底は、狙い違わず赤滅の柄尻に炸裂し、そこから赤滅を通じて気は強力な滅びの力となって、一気に相手の体内に解き放たれた。
「い、ア……………」
ジャンキーエッジの全身に、無数のヒビが生じていく。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……………」
断末魔の絶叫を上げながら、ジャンキーエッジの体が無数の破片となって砕け落ちる。
煌く破片が周囲に降り注ぎ、それも地面に落ちる前に雪のように消える。
最後の一片が消えると、ただそこには地面に突き立った妖刀だけが残っていた。
『残存オーラ量、急激に消失。目標“ジャンキーエッジ”の完全消失と断定』
「………交戦終了。現時点を持ってケース37に対する全体勢を解除する」
「だああ、疲れたああぁぁぁ………」
「まったく…………」
「もうダメ…………」
「あたいはもうけえって寝る………」
陸の声を聞いた全員が、疲れ果てた声を上げながらその場に崩れ落ちる。
「終わった…………んですか?」
『聞いての通りだ。入隊早々ご苦労だったな』
「ご苦労さん」
陸とレックス双方の声を聞いた由花が、ゆっくりと息を吐いて全身から力を抜いた。
酷い疲労感を感じつつ、ヘッドマウントディスプレイを外そうとした所で、ふと空が無言で立っているのが見える。
空は静かに佇みながら、墓標のように突き刺さった剣を、無言で見つめていた………………
エピローグ
「………で、結果がこれか?」
「ええ、まあ…………」
前と同じ病室で、ベッドに横になった空がカルテを手にしたメディカルスタッフの男性医師の微妙に震える声に、恐る恐る応える。
「外傷はたいして増えてない。増えてはいないが…………」
元軍医である事を自慢と誇りと生きがいにしている中年の男性医師が、怒気どころか殺気と言っていい視線で空を見た。
「治りかけてた傷が全部開いているのはどういう事だ?」
「いや、そのかなり無理をしましたから」
「ほほう……………」
その場を、気まずい沈黙が流れる。
「この大馬鹿者!!!」
直後、その階全体を揺るがすかのような大怒声が響き渡った。
「かりにも自分が医者になろうとしている奴が、自分の体の管理も出来んとは何事だ!!」
「いや、あの、加減してどうにかなる相手でもなかった物で………」
「やはり、貴様を入院させるにはこれしかないか?」
男性医師が、無言で懐から軍医時代から愛用しているベレッタM9を取り出すと、スライドを引いて空の足を狙う。
「……冗談になってないと思うんですけど?」
「無論、冗談じゃない。戦場じゃ同じ手で何人かベッドに縛りつけた」
1gの虚偽も感じられない声と目と顔で、男性医師はトリガーに指を掛ける。
思わず空がベッドから逃げ出そうとした時、ドアからノックの音が響いた。
「ちっ」
舌打ちしながら男性医師が懐にM9を収めるのを見た空が、胸を撫で下ろしながら声を掛けた。
「どうぞ」
「失礼します」
扉が開くと、手に見舞いの品と思われる物を持った由花が、足元に猫モードのエリスを連れて病室へと入ってくる。
「空さん、傷は大丈夫ですか?」
「ええ、由花さんのお陰で」
「だが、こいつはすでに全治の見込みが無い」
「えっ……」
男性医師の声に、一瞬由花の顔が沈む。
「何せ、死ななきゃ治らない病気に掛かってるからな。しかも付ける薬も無い」
「…………あの、それは………」
しばらく思い悩んだ後、男性医師が言わんとしている事がようやく分かった由花は、少し困った表情をしながら、室内に有ったイスに腰掛けた。
「ところで、由花さん」
「なんですか?」
「その物々しい格好は?」
空が、由花の格好、出撃時のジャケットに腰にG・ホルグまでぶら下げているのを見て首を傾げる。
「あ、陸さんから今事後処理で忙しくて人手が足りないから、エリスさんと一緒に空さんのガードに当たってくれって言われまして…………」
「…………………」
空が無言でその場に硬直する。
「じゃあ、お大事にな」
そのまま病室から去ろうとした男性医師が、ドアをくぐる寸前に思い出したかのように足を止めた。
「ついでに言っとくが、逃げたらその責任は彼女に行くからな」
「ちょっと…」
そういう手が有ったか、という呟きと共に、ドアが閉まる。
後には、硬直した空と見舞いの品を広げる由花、そして早くもうたた寝に入ろうとしているエリス(猫モード)が残された。
「お店から、空さんのいつものメニュー持って来ましたけど、食べます?」
「あ〜………いただきます」
しばし放心していた空が、由花が差し出してきたココアとパイをおとなしく受け取る。
「傷の方、本当に大丈夫ですか? 一週間は絶対安静って聞いたんですけど…………」
「大丈夫ですよ。これくらい、いつもの事ですから」
「あの、それで………その、陸さんからその間、学校が終わったらここでガード任務に付いてくれって言われてまして……………」
赤面しながらの由花の小さな声に、空は今までで最大級の難関に、内心頭を抱え込んだ。
2029年9月26日
慌しい日々がようやく終わった。
いや、正確にはこれから始まるのだ。
でも、もう迷わない。
自分の力で、自分に出来る事を精一杯やっていこうと思う。
これからが、私の本当の人生の始まりなのだから…………………
END