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 γ DUAL LIFE

「…つまり、この文の訳はその事によって彼はそうせざるをえなくなった、となる。また、ここの文法の使い方次第では…」


 教壇で行われている説明を、由花は上の空で聞いていた。

 今こうして授業を普通に受けている事事体が、どこか信じられなかった。

 こうやって普段と変わらない時間が過ぎていくとまるで昨日の事が嘘のように思えてくるが、今腕にはめられている特製の腕時計と、バッグの一番下に隠して持ってきたG・ホルグがその事を否定しているように感じられてならなかった。

 朝目が覚めた時に見たのは、遅刻寸前の時間を指している時計と、隣で人間の姿に戻って全裸で寝ているエリスの姿だった。

 二重の意味で出た悲鳴はその後の慌ただしさで周囲から忘れられ、何とか遅刻せずに学校に着いてからは何一つ変わらない日常が待っていた。

 猫の姿になって通学の後を追ってきたはずのエリスの姿は何処かに消えていた。

 たまに校庭にそれらしい猫が見えたが、すぐに見えなくなる。

 疲労と寝不足も残っている為か、何かを考えようとしてもすぐに浮かんだ考えは淡雪のように消えていった。


「…ぎり、羽霧。おい、羽霧!」

「は、はい!」

「どうした、考え事か?」

「あ、あの、その…」

「それとも寝不足か? お前の事だから夜遊びって事はないだろうが」

「いや、あの…」

「58ページの8行目からだ。読んでみろ」

「はい、He is going to…」


 クラスメートから失笑が漏れる中、由花は教科書を読み上げる。

 何故か、そんな日常が貴重な物に思いながら。




 昼下がり、お昼の客も一段落して客足の空いたある喫茶店に、一人の客が訪れた。


「いらっしゃい」


 洗い物を片付けていたやや年かさの女店長が気さくに声を架けた所で、それが見覚えのある人物だという事に気付いた。


「あら、今日は弟さんは?」

「ちょっと野暮用でな。それに、誰もいない方が都合が良かったんでな」


 その客、陸は店長の前のカウンター席に座る。


「都合? お茶でも飲みに来たんじゃないのかしら?」

「由花の事と、あんたの事についてだ」


 グラスに注いだ冷水を陸へと進めた店長に、陸は一息で水をあおると続ける。


「由花ちゃんに、何かあったの?」

「ちょっとばかり面倒な事に巻き込まれている。だが、その件はオレと弟が責任を持つ。彼女に危険は及ばせない」

「信用できるのかしら?」

「少なくても、あんたの経歴よりはな」


 陸の一言に、店長の手が止まる。


「悪いが、彼女の身辺調査の都合上、あんたの事も調べた。IDは完全な偽造、しかもここに店を出す六年前より前の事は一切不明。極めつけがこれだ」


 陸は懐から一枚の写真を取り出す。

 画像データを印刷した物らしく、そこでは小料理屋の紹介と共に、今と変わらない店長の姿が映っている。

 だが、日付は40年前の物だった。


「………どうするつもり?」

「どうもしないさ。生憎この程度じゃ驚いてちゃ勤まらない仕事してるからな」

「…………」

「無理に事情を聞くつもりは無い。あんたがこっちに気付いてたように、こっちもあんたがただ者じゃない事はとうの昔に気付いていた」

「じゃあ、なぜ?」

「由花を保護してる事も気付いてたからだ。しかし、最早あんたの手に負える事態じゃなくなっている」

「あんた達ならどうにかできる、という保証は?」

「絶対、とは言えない。だが最大限の善処はする。オレは信用出来ないかもしれないが、弟は信じてやってほしい」

「……彼、純粋な人ね。そして優しいわ。誰かのために身を投げ出す事をためらいもしない。ちょっとだけ、あの子がうらやましいわ」


 微笑を浮かべる店長に、陸は無言。


「お姫様を守るのはナイトの役目よ。魔女の役目じゃないわ。魔女に出来るのは水晶玉を覗いて、お告げを告げるだけ」

「だったらオレは、さしずめ堅物の将軍か。つまらなくて堅苦しい事ばかり口にして、その実、部下のナイトのまっすぐな生き様を羨望しているような………」

「ままならない物ね、お互いに」

「そういう事だ」

「あまり、あの子に無理はさせないでね。全てを諦められるような子じゃないから」

「あいつがいる限り、そんな事は絶対させないだろう。させる気もないがな」


 店長が出してきたコーヒーにミルクと砂糖をたっぷり入れ、陸はそれをゆっくりと飲み干した。


「オレ達は、彼女の行ける道を照らしてみる。あんたは、彼女の戻れる場所を照らしておく。どちらに進むかは、彼女が決める事だ」

「そうね…………」


 静かな沈黙が、コーヒーの香りと共にその場に流れていた。




『次はアークノア前、アークノア前。お降りの方はボタンを押してください』

「お、降ります。降ります」


 いつの間にかバスの中で眠っていたのを、猫のままのエリスが頬を舐める感触で目を覚ました由花は慌ててボタンを押した。

 昨夜陸に言われた通り、学校が終わるとまた何処からともなく出てきたエリスを連れて、由花はARK NOAHの前までやってきた。


「ここ、だよね………」


 腕に抱いたエリスが肯定の意味か一声鳴いた。

 巨大地下生態系保護施設、ARK NOAHの前で、由花は足を止めた。

 何気に側にある説明の看板を見てみる。


『当施設は、自然破壊による生態系の消失を防ぐ為、世界最大のジオフロント内に生態系その物を完全に再現、移植する事により、生態系に生きる生物全てを保護する事を目的に2025年に杉本財団が中心になって建造されました。内部は地球のありとあらゆる自然環境を再現したエリアに分けられ…』


 由花はそこまで読んで視線を地下施設入り口に戻した。

 世界的にも有名で、学校遠足の見学先にも選ばれるような所があの秘密基地の隠れ蓑だと言われてもすぐにはピンとこなかった。

 しばらく迷った後、由花は思い切って受付へと向かった。


「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」

「あの、特殊保護処置について聞きたいんですけど……」

「分かりました。そちらの従業員用出入り口から…」

「由花ちゃんじゃない!」


 受付の女性の言葉の途中で、聞き覚えの在る声がした方向に由花が振り向くと、そこにはARK NOAHの飼育員の緑色の制服に身を包んだマリーの姿が在った。


「マリーさん!」

「やあ、昨夜はよく眠れた?」

「あ、少し寝不足気味ですけど……」

「ちゃんと寝とかないとダメよ。ここは」

「その子が今朝言ってた新人?」


 マリーと由花の会話に、受付の女性が割って入った。


「そうよ、詳しくはここでは、ね」


 由花がキョトンとしていると、受付に目配せしながら由花を従業員出入り口まで連れていった。

 ドアをくぐり、通路をある程度進んで地下に続いているエレベーターの前で立ち止まる。


「このエレベーターで、スタッフ専用のIDカード通せば勝手に本部に行けるの。他にも街のあちこちにあるけど、それは後でね。由花ちゃんのも登録されてるはずだからやってみて」

「はい」


 由花は制服のポケットからIDカードを取り出してエレベーター脇のコンソールに通した。

 短い電子音の後に、扉が開く。


「本部の全部のエレベーターがこのシステムだから、IDカード忘れない様にね」

「普通の人は絶対持って歩くんじゃないですか?」

「前に一人無くした挙げ句に強引に降りてきて盛大に警報鳴らした馬鹿がいるのよ」


 エレベーターに乗りながら、由花は昨夜陸が言っていた事を思い出した。

 だとしたら、マリーが言っているのが誰の事か薄々予想出来たが、あえて口には出さないで置いた。


「あの、さっきの受付の人…」

「あ、彼女もアドルのスタッフよ。あたしも含めて、アークノアの従業員は全員アドルのスタッフなのよ。世を忍ぶ仮の姿って奴ね」

「彼女も…ですか?」

「まあね」


 由花が腕の中にいるエリスを撫でながら聞くと、マリーは薄く笑いながら階を示すボタンを押した。


「アドル本部はARK NOAHの施設の下にあるから都合地下6階からだけど、一番上から格納庫、次がトレーニングルームや医務室、その下が研究室や資料室、一番下が動力室になってるから。結構広いから覚えるまではあちこちにあるコンソールからマップ見て歩いた方がいいから」

「分かりました」


 マリーはエレベーターの中のコンソールを操作して、そこで由花が来た旨を伝えると、これからの指示が返ってきた。


「取り敢えず、着替えて健康診断だって。あたしもちょうど上がった所だから更衣室まで案内してあげる」

「どうもありがとうございます」

「いいのよ、なんたって今日から仲間なんだからね」


 仲間。

 その言葉が、由花にはすごく新鮮な響きを持って聞こえた。




「循環器系、呼吸器系、消化器系、泌尿器系、生殖系、神経系、特に目立つ異常は無し。筋肉系は全体的に未発達、運動能力は低めと思われる。五感の感覚器官はすべて平常値、能力に応じての変化等は後日に検査予定。性的経験も無し、と。もう服を着てもいいぞ」

「はあ……」


 メディカルスタッフの年増の女医に文字通り隅々まで検査を受けた由花は、顔を赤らめながらも服を着始めた。

 学校の健康診断では絶対に調べられないような所まで検査され、少し嫌悪感もあったがあくまで検査に立ち会っているのが女性だけという話なので文句は言わなかった。


「それじゃあ次は精神カウンセリングやるから、カウンセリングルームに。マリー案内を」

「OK」


 服を着た由花は、マリーの後に続きながら通路を歩き始め、その足元を未だ猫のままのエリスが続く。


「変なとこまで調べられてビックリしたでしょ」

「ええ、ちょっと……」

「でも、次のカウンセリングの方がある意味危ないわよ。何せ担当が…」

「やあ、君が由花ちゃんかい?」


 マリーの言葉を、後ろから聞こえてきた男性の声が遮る。


「あ、あなたは…」

「オレはメディカルスタッフの精神科担当にして、アドル一の夢使い、麗夢れむ・モーガン。よろしく」


 それは、前に空と一緒にお店に来て、いきなり由花を口説き始めたあのくすんだ金髪の男性だった。


「羽霧 由花です。よろしくお願いします」

「いやあ、若い女性なら誰でも大歓迎だよ」

「本当に誰でもいいからね」


 マリーが麗夢の言葉に寸鉄を突き刺す。


「気を付けてね。アドルで一番の女垂らしだから」

「酷いなあ。別に責任問題起こした訳じゃないし」

「ある意味もっとやばいわよ。どさくさに紛れて変な事しないようにあたしが見張ってるから、ちゃんとやるように」

「はいはい……」


 カウンセリングルームと書かれた表札の付いた部屋に三人と一匹は入る。

 グリーンを基調とした落ち着いた色合いの壁紙が張られた室内に、デスクとイス、そして壁際に何故か簡易型のベッドが備え付けられていた。

 イスの一つを由花にうやうやしく進めると、麗夢はデスクをはさんで向かい合うようにして腰をおろす。


「さてと、まず最初に言っとくけど、カウンセリングと言っても、質疑応答だけって訳じゃない。一通り質問した後、オレが直に由花ちゃんの夢の中に潜らせてもらう」

「夢の中?」

「そう、オレも一応妖怪って奴でね。相手の夢から精神状態を調べたり、場合によっちゃ夢の中で戦ったりするのがここでのオレの仕事って訳だ」

「………はぁ」


 夢の中に入る、と言われてもイマイチ理解出来ず由花は首を傾げるが、麗夢は構わず続ける。


「まあ、ちょっとばかりプライバシーの侵害になるかもしれないけど、これもキマリでね。大丈夫、オレ口は堅いから」

「女性口説く時は軽いけどね」


 マリーが睨むのを受け流しながら、麗夢は用意しておいたカウンセリング用レポートを広げてペンを取り出す。


「さて、まずは自分をなるべく詳しく自己紹介でもしてももらおうかな?」

「あ、はい。名前は羽霧 由花、年齢は18、都市立Mシティ高校普通科三年生で………」



 一通り質問が終わり、手元のレポートにあれこれ書き込みながら、麗夢が少し考えこむ。


「さてと、質問は以上で終わり。悪いけど、ちょっとそこのベッドに横になってもらえるかな?」

「はい」

「押し倒したりしないようにね」

「押し倒すのは口説いた後、常識だろ?」


 肯定か否定か、足元のエリスが一声鳴く。

 由花はリアクションにとまどいながらも、簡易ベッドに横になった。


「これからちょっとした暗示を架けて眠ってもらうから。懐かしい夢を見たり、少し嫌な思い出を思い出せたりするかも知れないけど、大丈夫。目覚めは悪いようにはしないから。体から力を抜いて、ゆっくりと目を閉じて」


 言われたように力を抜いて、由花は目を閉じた。


「息もゆっくりと、そうゆっくりと。段々体が楽になってきたら、頭の中もゆっくりと………」



 小さな自分がいるのが見えた。


(これって……確か施設にいた頃の……)


 小学校に入る前の自分が、洗濯物を干している寮母さんに近づいていく。


『先生、雨が降ってきて洗濯物濡れちゃうよ』

『そう? でも由花ちゃん、天気予報は晴れるって言ってたけど?』

『でも、降ってくるの』


 洗濯物を干す手を休めて、寮母さんが小さな自分の方を向いた。


『う〜ん、確かに最近雨が多いけど、今日はよく晴れてるよ?』

『でも、降ってくるの』


 同じ事を言う小さな自分に、寮母さんは首を傾げる。


『じゃあ、由花ちゃん降ってきたらお洗濯物入れるの手伝ってくれる?』

『うん』


 洗濯物を干し終えた寮母さんに手を引かれて、建物の中へと小さな自分が入っていく。


(あの時は、雨の降る少し前から洗濯物入れようとしたけど、結局全部濡らしちゃったっけ………)



 シーンが変わる。

 真新しい制服に身を包んだ自分が、クラスメートの男子生徒を必死になって説得していた。


(中学校入ったばっかの頃………)


『行っちゃダメ! 行ったらミリアン君大怪我しちゃう!』

『あのな〜、何でたかだか釣りに行くのに大怪我すんだよ?』

『それは………』


 休日に海釣りに行くと行っていたクラスメートが、波にさらわれて大怪我するのが見えたのを必死にどう伝えるべきか迷っている自分を、同級生は胡散臭そうな顔で見ていた。


『海に行って怪我するんだったら、誰も海水浴に行かねえよ』

『でも、危ないの!』

『へいへい、気をつけますって………』


 呆れ顔の男子生徒がバッグ片手に教室を出ていき、後には説得出来なかった事を悔やむ自分と、それを見て何か囁き合っているクラスメート達が残った。


(この後本当にミリアン君が大怪我して、それ以来クラスメートに気味悪がられるようになったんだっけ…………)



 またシーンが変わる。

 ベッドで半身を起こしている空に向かって、真剣な顔で何かをしゃべっている自分の姿が有った。


(これって、昨夜の……)


『もし、私の力が誰かの役に立つんだったら、誰かの助けになるんだったら、やってみたいんです。危険なのは分かります。ひょっとしたらもっと危ない目に会うかもしれないのも分かります。それでも、やってみたいんです!』


 お互い真剣な眼差しで見詰め合った所で、空の瞳が穏やかな物へと変わる。


『分かりました。どうやら本気のようですね。ボクはもう止めません。そして約束します。もし由花さんが危険な目に会ったら、ボクが全力で由花さんを守ります』

『え……』


(うわ〜…………)


 思い出しても赤面するようなシーンをリアルに見せられ、気恥ずかしさでいたたまれなくなっていた時、記憶の中の自分の手をいきなり空が握り締める。


(え?)


 記憶と違う展開に、疑問符を浮かべている間に、記憶の中の自分が空にいきなり抱きしめられる。


『そう、守ります。ずっと………』

『あ………』


(ええ?)


 記憶の中の自分と、それを見ている自分が完全に硬直する。

 空の腕の中で赤面状態で完全に硬直している自分の顔に、空の顔がゆっくりと近付いてきて………


(ええええ????)




 体を急に起こす。

 そこが横になったベッドの上だという事を認識した由花の耳に、甲高い警報が響いた。


「これって……」


 由花が戸惑う中、麗夢とマリーが真剣な顔で室内の壁にあったコンソールを見ている。


『D―22エリアにてM‘sの出現を確認。Cクラス戦闘態勢が発令されました。バトルスタッフは至急出動態勢。繰り返します、Cクラス戦闘態勢が発令…』

「これって………」

「出撃よ」

 コンソールの画面に映っている女性のアナウンスに、マリーが部屋から飛び出そうとする。

 だが、マリーがドアを開けようとした時、彼女のと由花の腕時計が同時に鳴った。


「なに?」

「え、えと」


 二人が同時に通信ボタンを押すと、そこから陸の声が響いてくる。


『マリー、由花と一緒にいるな? 彼女に見学も兼ねて実際の仕事を見てもらう。連れて来てくれ』

「OK」

「見学?」


 首を傾げる由花の手を取ると、マリーが急いで通路へと飛び出す。


「説明は行きながら! 急いで!」

「気を付けて」


 室内から手を振る麗夢と鳴くエリスに見送られながら、マリーは由花の手を引いて猛ダッシュでエレベーターに近寄り、IDカードをスロットに通した。


「あ、あの……」

「そこのスロットにIDカード入れて! 装備が出てくるから!」


 即座に開いたエレベーター内部に連れ込まれてまだ困惑してる由花に、壁のスロットを指差しながら、マリーも反対側のスロットに自分のIDカードを入れると、壁の一部が開いて、そこから彼女が昨夜着ていたジャケットと装備一式が出てきた。

 由花も真似をしてIDカードを通すと、IDカードに先程登録された身体データに会わせたジャケットが選別され、エレベーター内部の装備ハンガーに自動的に送り込まれて壁から迫り出してきた。


「それに着替えて! 武器も忘れないで!」

「は、はい!」


 由花が慌てて上着を脱ぐのを見ながら、マリーは下着姿になると耐熱、耐毒、ショック緩和性を重視して作られたアンダースーツを纏い、チャックを閉める。


「あ、あとさっきは惜しい所だったけど、あれは麗夢のイタズラみたいな物だから、気にしなくていいわ」

「…そう、なんですか………」


 アンダースーツ無しのジャケットだけを羽織りながら、由花が小声で呟く。


「あいつ、夢を自在に操れる能力をたまにそんなしょうもない事に使うのよ。ま、続き見たかったら頼んでみたら?」

「け、結構です」


 真っ赤になっている由花に意味ありげな微笑を送りながら、マリーは防弾、防刃性の特殊繊維と耐魔術性を持った絶縁繊維を重ね合わせたバトルスタッフ専用のバトルジャケットとスカートを身に纏う。

 ホルスターやマグパウチ、救急医療キッドや万能ツールが入ったポーチがずらりと付いたピストルベルトを締めた所で、ちょうどエレベーターが開いた。


「こっち!」

「はい!」


 そこは格納庫へと直結している通路で、通路の向こう側には発進準備を忙しく進める整備員達の姿が見て取れた。

 通路を駆け抜けて格納庫内に入り、そこにアイドリング状態に入っている巨大な飛行機、ADDL指揮旗艦デュポンの搭乗用ハッチに飛び込む。


「ブリッジへ!」


 マリーの後に続いて、由花もブリッジへと続く扉を潜る。


「現在状況は?」

「発生地域周辺の民間人の避難率は60%。現在、警察の特殊機動隊第3小隊が交戦中!」


 マリーのと同じ素材で出来た男性用のバトルジャケットを着て、昨夜首から掛けていたごついゴーグルを架け、それから伸びるコードをコンソールに繋げている陸と、由花と同じアンダースーツ無しのガードジャケットを着たレックスが忙しそうにブリッジで発進準備を進める中、マリーはシートの一つに腰掛けると、シートベルトを締めた。


「あの、私は…」

「そっちのシートに座ってくれ。もう直発進する」


 陸に指差されたシートに腰掛けた所で、バトルジャケットに袖を通しかけの瑠璃香と、その後にガードジャケットを着て手に日本刀を持った20歳位の若い男性が続いてブリッジに飛び込んでくる。


「くそっ! 人が気持ちよく寝てる所叩き起こしやがって!」

「ここんとこ連続っすね」


 由花の隣の席に座った男性が、ふと由花を見る。


「あの、彼女は?」

「昨夜入った新人」

「あ、羽霧 由花です」


 陸の短い説明に、由花は隣の席の男性に自己紹介しながら頭を下げる。


「オレは御神渡おみわたり 敬一、バトルスタッフ研修生の陰陽師。ま、よろしく。」

「手っ取り早く言えば見習いで空の補欠代わりって奴だな」


 自己紹介しながら片手を差し出した敬一が、瑠璃香の説明で顔が引きつる。


「せ、せめて期待のホープとか………」

「見習いは見習いだろ」


 容赦ない瑠璃香の一言に、敬一が暗い顔で自分の膝にのの字など書き始める。


『デュポン発進可能臨界まであと3分』

「おしゃべりは終わりだ。もう直発進するぞ」


 警報と同じ女性の声のアナウンスと陸の警告に慌てて敬一が自分のシートベルトを締める中、ジェット機とも違う独特の起動音が少しずつ大きくなっていく。


「昨夜に続いて連続か……昨日の奴か?」

「いや、衛星からのオーラ量からじゃ、せいぜいC級、それが二体」

「妙ね? 一辺発生すればそうそうすぐには………」

「下手したら、拾った可能性もある。十分注意しろ」

「整備員退避完了、リフトアップ!」


 レックスの操作で、デュポンの真上のハッチが次々と開いていき、そこをデュポンを乗せた巨大なリフトが上がっていく。


「上部ハッチ、完全解放確認、リフト地表面まで到達!」

『デュポン発進可能臨界に到達!』

「発進」


 陸の号令と同時に、全長50mはある巨体が、宙へと飛び立つ。


「ポイントセット、事件現場に設定、第二戦速にてオートクルーズ」

『了解、到着は12分後の予定』


 脳波同調システムを組み込んだゴーグルから直接指令をデュポンの航行システムに送ると、陸はバトルスタッフ達の方へとイスごと振り返る。


「警察からの情報によれば、目標は18分前、D―22エリアの路地裏にて通行人によって発見されたらしい。今の所死者は出ていないが、第一発見者を含む4名が負傷、現在特殊機動隊第3小隊が交戦しつつ、目標を足止めしている。作戦は、目標エリア上空にてマリーと敬一はユニコーンにて降下、機動隊と代わって戦闘に突入。瑠璃香はその隙に向かいのビル屋上にスレイプニルで降下、結界を張って目標を封じ込めた後に、戦闘に参加。以上質問は?」

「ないね」

「了解と」

「特になし」

『到着まであと7分』

「全員降下用意、『LINA』各サポートAIに作戦と周辺状況をダウンロード」

『了解、ダウンロードします』


 サポートAI『LINA』が各バトルスタッフ専用に設計、製作されたサポートマシンに搭載されているサポートAIに周辺状況と作戦概要をダウンロードしていく。


「第一降下予定ポイントまであと700m!」

「特殊機動隊に至急戦闘を停止して撤退するよう連絡」

『了解』

「行くわよ!」

「おっしゃあ!」

「了解!」


 出撃の為にブリッジを三人が走り出て行く中、由花は半ば呆然とその背中を見送る。

 まるでテレビのヒーロー番組でも見ているかのような展開に、自分が何をどうすればいいのかすら分からない状態でただ呆然とするしかなかった。


「由花」

「は、はい!」


 陸に呼ばれて思わず上ずった声で返答した由花に、陸は大きめのヘッドマウントディスプレイを手渡す。


「それを被っておけ。全方位投影型だ。何か見えたら至急報告」

「は、はい!」


 慌てて由花がそれを被ると、途端に内部に周辺一体の映像が微妙な微調整を施され、無理なく見れるよう調整された映像として視界に広がっていく。

 その視界の中の一点で、体を構成する肉が始終変化し続ける奇怪な怪物が見えた。


(あれが……M‘s………)


 思わず生唾を飲み込む由花の視界に、小さな映像が別ウィンドウで表示された。


「第一降下予定ポイント到達!」

『サイレント・ネィチャー、出ます!』


 ヘッドマウントディスプレイの通信機に、中央に巨大な80mmリコレイス・キャノンを装備した純白の戦闘用ホバークラフト、《ユニコーン》のオープンキャノビーの中で操縦桿を握ったマリーの声が響いた。




格納庫のハッチから、純白の機体が飛び出す。

空中に踊るユニコーンの機体が、重力制御システムとマリーの操る風とを受けて、落下速度を調整しながら、地面へと舞い降りる。


「先制!」

「オン アビラウンケン!召鬼顕現!」


 着地と同時に、ユニコーンの操縦席のマリーが80mmリコレイスキャノンのトリガーを引き、後部座席の敬一が印を切りつつ呪文を唱えて呪符を投じる。

 発射された80mm榴弾がM‘sの半身を吹き飛ばし、呪符から変じた鳥―陰陽道で使われる式神という使い魔―が残った半身に襲い掛かる。


『当該目標Aの残存オーラ量70%! まだ来るわよ!』


 ユニコーンのコクピットディスプレイに映し出された紅髪の女性―サポートAI『MEIL』の警告が響く。


「『MEIL』! ダイレクトサポート! 直接戦闘に移行するわ!」

『OK!』




『第二降下予定ポイント到達!』

「ダーティエンジェル、行くぜ!」


 右側のサイドカーにプラズマランチャー、左側のサイドカーに多目的ミサイルポッドを装備した重武装戦闘用バイク《スレイプニル》の漆黒の機体が宙へと踊り出し、すぐ真下のビル屋上に降り立つ。


「降りるぞ!」

『グラビティグリップ(人工重力接地)システム起動』


 サポートAI『ARES』がシステムが起動させるかどうかの暇も無く、スレイプニルがビルの端から飛び出すと、その反対側のビルの壁面に垂直に着地する。


「いっくぜ〜〜!!」


 機体を壁面でスピンさせて真下に向けながら、瑠璃香がスロットルをフルに回しこむ。

 壁面を猛スピードで滑走しながら、スレイプニルが落下するよりも早く地面へと近づいていく。


『おい! 任務を忘れるなよ!』

「分かってる! サークルポッド射出!」


 スレイプニルの左側のサイドカーのミサイルポッドから後ろ向き―方角的に見れば真上―に一発の特殊ミサイルが発射され、空中まで上がったそれは外部カバーが外れて、自動的に内部システムが方角を修正、北を頂点とした五芒星の頂点の位置にそれぞれ小型の楔を撃ち出した。


「我が前方にガブリエル、我が後方にウリエル、我が右手にラファエル、我が左手にミカエル! 我が四囲に五芒星在りて魔を阻まん!」


 片手でスロットルを握りながら、瑠璃香が十字を切りながら《四大天使の守り》の術の聖句を唱える。

 聖句の終わりと同時に五つの楔が共鳴し、それぞれの結ぶ光線を発してそれが壁となって結界を形成する。


「おうし、ぶちかますぞ!」


 地面に前輪が接地すると同時に、スレイプニルを数回スピンさせて反動を消した瑠璃香が、壮絶な笑みを浮かべて戦場へとスレイプニルを走らせた。




(スゴイ…………)


 ヘッドマウントディスプレイに映し出されるあまりにも非日常的な戦いに、由花は圧倒される。

 マリーの呼んだ火の精霊が業火となってM‘sに襲い掛かり、それを喰らったM’sが自分の体の肉その物を砲弾のように飛ばしてくる。

 敬一が肉弾を潜り抜けながら間合いを詰め、繰り出された居合抜きがM‘sの体を大きく斬り割く。

 瑠璃香がスレイプニルでもう一体のM‘sの周囲を旋回しながらG・ホルグを連射し、さらにスレイプニルのプラズマランチャーを撃ち込む。


「これならすぐに片がつくか………」


 陸が指揮官席でぼそりと呟くのが聞こえた時、突如として由花の視界に別の光景が広がっていく。


「あ…………」

「どうした!?」


 由花の視界に、今とは別の時間の映像が映っていく。

 そこに、今戦闘が行われていくのとは別の場所に、肉が盛り上がっていき、そして異形の怪物を形作っていく光景が映し出されていった。


「もう一体現れます!」

「何!? 何分後だ!」

「今から……5分後!」

「結界外に高オーラ量反応が急激に増大中!多分これです!」

「オレが出る! 『LINA』! 全操作を移行! 搭乗ハッチを開け!」

『了解!』


 ゴーグルからコードを引き抜きながら、陸が自分の足元から、自分の身長よりも更に長い巨大な錫杖を取り出す。

 よく見ると、錫杖の反対側は三叉戟さんさげき―槍の両脇に三日月状の刃が取り付けられた武器―となっている。


「レックス! 後は任せた!」

「り、了解!」


 ブリッジから走り出しながら、陸は懐から数珠を取り出し、精神を集中させる。


「黄泉に巣食いし邪鬼よ、闇に在し悪鬼よ!我が盟に従い、その姿を現さん! オン!」


 乗降ハッチの前に辿り着くと、陸はブリッジからの遠隔操作で開けておいたハッチから淡く輝き始めた数珠を握った手を宙に突き出す。

「来たれ、愚竜ぐりゅう!」


 数珠の一つが光を放ち、そこから全長5mくらいの小型の竜、正確には竜の前身であるみずちが現れる。


「行くぞ」


 陸が自らの使い魔、蛟の愚竜に飛び乗り、由花が見た発生ポイントに急ぐ。


(この狭い範囲にほぼ同時に三体、考えたくは無い事態が予想できるな………)


 ゴーグルに転送されてくるデータを脳内で整理しながら、陸が僅かに表情を硬くする。

 ちょうど地面に到達する寸前に、彼の眼前の空中に突如として肉が湧き出し始める。


「オン マリシエイ ソワカ!」


 愚竜から飛び降りつつ、陸は真言を唱えて手にした錫杖戟をその肉へと向けて振り下ろした。




「もう一匹だと!?」

『今陸さんが相手してます!』

「三体も同時なんて………」


 瑠璃香が《ミカエルの盾》の術を使ってM‘sが吐き出してきた瘴気を防ぎつつそれぞれのサポートAIからの報告に舌打ちし、マリーが消火栓から呼び出した水の精霊を高圧で圧縮した水の槍と化してM’sを貫く。


「早いとこ片付けないと!」


 敬一が刃を鞘に収め、居合の構えを取る。


『目標A、B共に残存オーラ量2000以下に低下!』

『一気に片付けて!』


『ARES』『MEIL』両AIの報告に、三人は目配せして頷く。


「たたむぞ! 敬一そいつをそこに止めとけ! あたいがこいつをそっちにまとめる!」

「了解!」


 敬一がM‘sの攻撃を掻い潜りつつ、居合の間合いに近付く。


「主よ! 汝全ての罪を背負いし時の戒め、我に現し聖なる血潮流さん事を!」


 瑠璃香が聖句を唱え、両手にキリストが処刑された時の傷―聖痕を両手に浮かび上がらせる。


「おらぁ!」

「はあああぁぁぁ!!」


 瑠璃香が聖痕の力を乗せた拳でM‘sを殴り飛ばし、敬一が最下段から旋回しつつ上昇する変形居合―御神渡家伝来退魔用剣術、光背一刀流《光螺旋ひかりらせん》でM’sを無数に斬りつける。

 だが、旋回の止まった一瞬の隙に、全身を切り刻まれたM‘sが腕とも触手とも取れる肉隗を振るい、敬一の腹を殴りつけた。


「ぐっ!」

「敬一君!」


 殴り飛ばされた敬一がとっさに受身を取って体を回転させ、即座に起き上がって戦闘態勢を取る。


「いくぞ!」


 敬一の安全を確認したマリーが、瑠璃香の声で敵へと向き直る。


(風よ………)


 マリーが風の精霊に呼びかけ、その呼びかけに答えた風の精霊が二体のM‘sの周囲に小型の竜巻を形勢していく。


「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前! 縛!」


 敬一が片手で腹を押さえながら、刀を縦と横に交互に振る印―早九字という物―を結び、術を発動させる。


「ノウマク サーマンダー バーサラダー センダンマーカロシャーダー……」

「汝、彷徨える魂よ。暗闇にその身を委ねし哀れなる子らよ………」


 敬一が緊縛呪で相手の動きを更に押さえ込む中、瑠璃香は十字を切って聖句を唱える。


「神と子と聖霊の御名の元、我、十字架とじか 瑠璃香が汝の魂に救いをもたらさん事を! イエヒー・オール!」


 浄化用の聖句の詠唱を終えると同時に、瑠璃香が両手を前に突き出す。

 聖句の詠唱と同時に竜巻に捕らえられたM‘sの周囲が光が溢れ出し、聖句の終わりと同時に眩いばかりの閃光が周囲を満たす。

 それが消えると、皆が警戒しながらそれぞれの術を解いていく。

 竜巻の消えた後には、僅かな肉片のような物が宙にあったが、やがてそれは地面に落ちるとゆっくりと風化していった。


『残存オーラ量、10未満にまで低下』

『当該目標の完全浄化を確認』


 サポートAIの報告を聞いた三人が警戒を解くが、すぐにその顔は引き締まる。


「まだ残ってるぞ!」

「陸の方に行かないと! 敬一君は残って」

「へ〜い」


 気の抜けた返事をしながら、殴られた腹の具合を確かめつつ敬一がその場に座り込む。


「見習い卒業はまだ先だな!」


 瑠璃香が敬一に嫌味を言いながら、スレイプニルに飛び乗ってアクセルを吹かせる。


「待って!」


 それを追って、マリーもユニコーンのコクピットに滑り込んで操縦桿を握り締めた。




 連射された50AE弾が、M‘sの胴体に突き刺さる。

 陸は手早くシリンダーラッチを操作してシリンダーをスライド、空薬莢を路面に落とすと、手にした巨大なリボルバー拳銃―S&W(スミス&ウェッソン)社IMI社技術提携記念モデル、S&W50マグナムにスピードローダーを使って次弾を装填する。


(当該目標のオーラ量、12%減。質量、再増大を再開。目標へのダメージは極めて軽微)


 ゴーグルを通じてデュポンから送られてくるデータを脳内で整理すると、陸は50マグナムを一度懐のショルダーホルスターに戻し、錫杖戟を両手で構える。

 それに対して、B級ホラー映画のゾンビか、子供が作り損ねたマネキンのような姿をしたM‘sは、崩れてるのか溶けてきているのか判然としない足で陸に向けて歩を進めようとする。


(グールタイプか……近くで量産されたか?)

『グ、おアァあうウゥうう………』

『キュコー!』


 陸が思考する中、悲鳴とも呪詛ともつかない声を上げながらM‘sがそのあざとを開いた瞬間、上空に浮かんでいた愚竜が甲高い泣き声を上げつつ雷を浴びせる。


『おオおあアああ!!』


 雷をまともに喰らったM‘sが多少体制を崩しながらも、絶叫と共に口から瘴気の塊を吐き出す。


(形勢オーラ量、1800。危険!)

「オン マリシエイ ソワカ!」


 吐き出された瘴気の塊を危険と判断した陸が、摩利支天の真言を唱えながら錫杖戟を振るう。

 力の込められた錫杖の先端が、瘴気の塊を明後日の方向に弾き飛ばす中、陸は更に錫杖戟を振るって三叉戟の先端をM‘sへと向け、手元のスイッチを押し込んだ。

 穂先の根元部分にセットされたリニアカタパルトが作動し、発射された穂先がM‘sの胴体に突き刺さる。


「オン アビラウンケン バザラ ダドバン!」


 穂先と柄を繋ぐ特殊鋼製のチェーンを手繰り寄せつつ、陸は錫杖戟を中間で分離。錫杖部分を握り締めつつM‘sとの間合いを一気に詰め、大日如来の真言と共にその胴体に錫杖を叩き付ける。

 錫杖から溢れ出した光がM‘sを閃光に染め、それが晴れるとそこには胴体が大きくえぐれたM‘sの姿があらわとなった。


(当該目標のオーラ量、2000にまで低下。未だ具現可能レベル。ダーティエンジェル、サイレント・ネィチャーの到着まであと94秒)

「それまで片は………つかないか」


 陸が呟きながら、三叉戟のスイッチを操作して穂先を巻き戻す。

 二つに分かれた錫杖戟を一つに戻すと、陸はそれを再度M‘sへと向けて構えた。


「行くぞ!」


 陸の声に呼応して、愚竜が無数の雷を発する。

 豪雨の如く襲い掛かる雷にM‘sの体が覆い尽くされ、更に陸が50マグナムを抜いて、雷の合間から的確に50AE弾を叩き込む。


『おゥああァぁ!!』


 雷に全身を焦がされながらも、M‘sが陸へと襲いかかろうとするが、伸ばされた腕を高周波振動を付与された錫杖戟の穂先が斬り飛ばす。


『どけっ!』

『どいてっ!』


 通信機から同時に響いた瑠璃香とマリーの声に、陸が後ろに跳び退る。

 その後を追おうとしたM‘sの頭部と胴体に、プラズマ弾と80mm榴弾が炸裂した。


(当該目標、物理具現最低限界を突破)

「『LINA』! タイプHポッド投下!」

『イエス、マスター』


 陸がM‘sの肉体がダメージ限界に達してのを見ると、『LINA』に浄化用サークルポッド―科学的に製造された魔方陣形成用の楔―の投下を命令、それを受けた『LINA』が即座にデュポンからポッドを投下、空中で五つに分かれたポッドが、M’sの周囲を囲むように突き刺さる。


「オン マカラギャ バザラシュニシャ バザラサトバ ジャク ウン バン コク!」


 陸が手印を組んで五大明王の一つ、愛染明王あいぜんみょうおうの真言を唱えると、それに反応したサークルポッドの一つの表面カバーがスライド、梵字の掘り込まれた胴体が淡い光を放ちながら回転し、陸の術を増強させていく。


「オン ソンバニソンバ ウン バザラウンパッタ!」


 続けて手印を組み替え、降三世明王こうざんせみょうおうの真言を唱えると、別のポッドのカバーがスライドして胴体部の旋回を始め、先程のポッドと共鳴して光が増していく。


「オン アミリティ ウンパッタ!」

「神と子と聖霊の御名において、土は土に、チリはチリに、闇は闇へと帰れ!」


 陸が続けて唱えた軍茶利明王ぐんだりみょうおうの真言を唱えている所に、その場に到着した瑠璃香が聖句を唱えながら指先で宙に五芒星を描き出す。

 瑠璃香の術にも共鳴したサークルポッドが、瑠璃香の指先が描き出す五芒星の軌跡をなぞる様に光の線で結ばれ、再度具現化しようとするM‘sを押さえ込んでいく。


「いける!」


 ユニコーンを横滑りさせながら停止させたマリーが、用心のために腰のG・ホルグに手をかけたまま、光を増していく魔方陣を見守る。


「オン シュチリキャラ ロハ ウンケンソワカ! オン バザラ…」

「アテー・マルクト・ウェ・ゲブラー…」


 二つの浄化術が同調し、具現化しようとする闇が、浄化しようとする光に覆われていく。


「ヤキシャ ウン!」

「ラ・ルオラム・アーメン!」


 真言と聖句が終わると同時に、閃光が周囲を満たす。

 閃光が晴れた後には、戦闘の痕跡だけが残されていた。


(残存オーラ量、自然値。完全浄化を確認)

「ふぅ……」


 陸が息を吐き出しながら、戦闘態勢を解く。


「由花」

『は、はい!』

「これがオレ達の仕事だ。大体分かったか?」

『た、多分………』


 由花の自信なさ気な声に、その場にいる皆が含み笑いを漏らす。


「交戦終了。ただし警察の現状封鎖は解くな。周辺調査に移る」

『了解』




『先程、MシティD―22エリアで発生したテロ事件ですが、警察当局の発表によると、犯行グループは遺伝子管理法違反の生物兵器を使用した疑いが有りと見て、警戒を高めています。ここ数年の内に世界中で増えてきた遺伝子管理法違反による各種犯罪の増加は、警察も頭を悩ませている所です。これに伴い、ICPOは世界各国の警察首脳陣を集めて特別対策局の開設を検討中との情報も………』


 街頭テレビのニュースをぼんやりと見ながら、由花は目の前の状況を見直す。

 ADDLのサイエンスタッフと思われる白衣を着た者達や、戦闘を終えたばかりのバトルスタッフ、更には人の姿に戻って尻尾を振りながらそこいら辺を嗅ぎ回っているエリス等が調査の真っ最中だった。


「発見しました!」


 路地裏から上がった声に、その場にいた全員がそちらを振り向く。

 路地裏へと皆が駆け寄る中、先頭にいた何人かが突然足を止める。


「?」


 遅れてそちらに向かった由花が首を傾げる中、路地裏を向いている雑居ビルの扉を開けてその中を見た者達が青い顔をして顔を背けている。


「こいつは………」

「予想以上だな………」

「うっ…………」


 その中を覗いたバトルスタッフ達も顔色を変え、呆然と扉の向こう側を覗いていた。


「あの……」


 そちらに近寄ろうとした由花が、足元が濡れているのに気付く。

 だが、それは水溜りでなく、赤黒い血溜まりだと気付くと顔色を変えた。


「ひっ………」

「それでその状態なら、こっちは見ない方がいいぞ」


 陸の声に、由花が無言で頷きながら後ろに下がる。


「『LINA』、警察の鑑識を呼んでくれ。この数はウチだけじゃ無理だ」

『了解』


 通信機に呼びかけながら、陸が室内に一歩入る。

 中はバーか何かだったらしく、薄暗い割には広い店内が広がっていた。

 だが、今その店内にいるのは元客や元ホステスと思われる、無数の屍だった。

 普通の人間ならば匂いだけで嘔吐しそうな血臭の中、陸が店内を進む。

 そのむせ返るような血臭の中に、違う匂いが漂っているのを陸は気付いていた。


(マリファナか………非合法のドラックバーといった所か?)


 陸がしゃがみ込んで死体の一つを検死し始める。


(死亡原因は異常なまでに鋭い刃物による刀傷、しかもどれを見ても刃の疲労損傷による傷口の変化は認められず。そして………)


 陸が、苦悶の表情を浮かべて腹ばいで絶命している別の死体を裏返す。


(腹部が内部から外側に向けて貫かれている。やはり奴か………)

「いるいる、やべえのがいっぱい」


 瑠璃香がスケッチブック片手に、陸のそばに近寄ってくる。


「どうだ?」

「こんだけの死体があるにしちゃ、そこいら辺のは大した怨念も持っちゃいねえな。多分食われてる」

「呼べるか?」

「それは大丈夫。活きがいいからな」


 瑠璃香はスケッチブックを開くと、ポケットからサインペンを取り出して口でキャップを外して手に持った。

 そして、目を閉じて精神を集中させ、その惨状の犠牲者となった者達の魂へと呼びかける。


(知らせたいんだろ………来いよ……)


 己自信の体に、瑠璃香は故意に彷徨っている魂を呼び寄せ、憑依させる。

 途端に、瑠璃香の手が凄まじいスピードで動き、スケッチブックに何かを描いていく。

 自動筆記、と呼ばれる能力を使って瑠璃香の手が、魂の持っているデータを描いていく。

 やがて、手が止まった所でゆっくりと目を開きながら十字を切って、憑依していた魂を祓う。

 スケッチブックには、逃げ惑う犠牲者と腕を刃に変じてそれを惨殺していく男、そしてその男に集まっていく黒い霧のような物を描いた絵があった。


「間違いねえ、あいつだ」

「さっき相手した奴は、あいつが殺して食ったこいつらの怨念の残りカスが奴の瘴気を浴びて具現化したのか………やばいな」


 陸が苦々しげに顔を歪める。

 残りカスだけで三体ものM‘sが発生したとなれば、その大元がどれだけの力を蓄えているかは予想もしたくない気分だった。


「瑠璃香、念入りに祓っといてくれ」

「了解」


 瑠璃香が腰のポーチから聖水と聖書を取り出すのを横目で見つつ、陸は入り口から顔だけ出すと青い顔をしながら立っている由花を手招きする。


「由花、扉付近の過去を見てみてくれ」

「は、はい」


 路地の入り口からこちらを伺っていた由花が陸の指示に慌てて能力を発動させる。


「……!いました! あの男が1時間前にここに!」

「1時間か…………」

「エリスにでも追わせてみる?」

「う?」


 マリーの指摘に、周囲の匂いを探っていたエリスが反応するが、陸は出入り口付近に転がっていた金属製のシガレットケースを手に取ると、首を横に振った。


「止めといた方がいいな。野郎、殺ってくだけじゃ飽きたらず、ここにあったヤク全部がめてってるみたいだ」


 陸が手にしたシガレットケースの匂いを嗅いでみて、明らかに煙草以外の匂いが付いているのを確かめる。


「エリスにこれ以上嗅がせるのは止めさせろ。下手にヤクでも吸ったらひっくり返るぞ」

「エリス! ストップ! ストップ!」


 マリーが慌ててエリスへと駆け寄る中、陸は無造作にシガレットケースを投げ捨てる。


「殺されたのが14人、全員の怨念の予想総合量からさっきの三体分を引いて、それがまんま奴に食われたとして、それから想定される奴の成長比率は…………」


 陸が懐から煙草を取り出して、それに火をつけながら脳内で下手なパソコンより複雑なシュミレーションを計算していく。


「予想オーラ量、約10万。±15%といった所か…………」

『こちらの計算もそう出ました』


『LINA』からの返答に、陸が紫煙をゆっくりと吐き出す。


「バトルスタッフの平均数値と同じ、か。厄介な事になってきたな………」

「何時もの事だろ」


 聖水を撒きながらの瑠璃香の茶々に、陸は低く苦笑した。




同時刻 地下下水管理室内


「ふうぅ………」


 男は、手にしたマリファナ煙草を胸一杯に吸い込む。

 紫煙と共に広がっていく陶酔感を味わいながら、男は足元に転がっている下水管理人の死体を無造作に踏みつけながら、室内をゆっくりと歩き回る。

 今まで財布の都合で手に入れられなかった上質な麻薬の数々を次々と味わってみるが、麻薬特有の陶酔感は有っても、これだけ一度に服用すれば必ずあるはずのフラッシュオーバー等の悪影響は全く起きてこない。


「こいつはいい………」


 何本目になるか分からないマリファナ煙草に火をつけると、男は死体をソファー代わりにして座り込む。


「だが、最高じゃあない………」


 火をつけたばかりの煙草を投げ捨て、男は再生したばかりの腕を刃に変えると、尻の下の死体に突き刺した。

 そして、刃をゆっくりと引き抜くと、それに付いている血をやけに長くなっている舌で舐め取る。


「こいつだ………だが、鮮度がイマイチだな………」


 わざと残した隻眼以外は、最早傷らしい傷も残っていない顔を歪めるようにしながら、男は低く笑った。


「どうせなら、鮮度のいい最高級の奴を……だな」


 血臭と麻薬臭の立ち込める地下の一室に、いつまでも低い笑いが響いていた。




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