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 カチリ、と小さな音を立ててアナログ式の腕時計が夜中の11時を指した。

 それを見ながら、由花は不安げにため息を尽いた。

 あれから、彼らに連れられて不思議な形をした飛行機(間近で見たそれは、前にテレビで見たかなり昔に製作された国際レスキュー隊を描いた人形劇に出てきた物に似ていた)に乗せられ、ここに来たのは1時間位前の事だった。

 飛行機から降りた彼女が見たのは、文字通りの秘密基地だった。

 見た事の無いような乗り物や機械が立ち並ぶ格納庫から、素人目にも分かるような厳重なセキュリティの敷かれたまるでSF映画にでも出てきそうなメカニックな通路を通り、途中でボロボロになった服を着替え、(一緒にいた宙を浮かんでいた金髪の女性が自分と同じサイズの服が似合う事を何故か妙に喜んでいたが)この部屋で待っているように言われてから大分時間が過ぎた。

 通された部屋は、中央に大きなテーブルとその両側にソファーが置かれている以外は、装飾品一つ無い妙に殺風景な部屋で、唯一壁に埋め込まれている大型のディスプレイが部屋を飾っていた。

 一応テーブルの上にディスプレイの物と思われるリモコンが置いてあったが、何かを見る気にもなれず、ただまんじりと時間だけが過ぎていった。

 ソファーに座ったまま、また時間を確認しようとした時、入り口の自動ドアが音を立てて開き、二人の人物が部屋へと入ってきた。

 一人は前にバイト先のお店に来た事がある、確か彼が兄さんと呼んでいた20代中盤位の男性だった。

 2m近くある身長にプロレスラーの様な筋肉質の体を何故か白衣で包み、首から妙にメカニックでごついゴーグルを掛けている。

 その後ろから入ってきたのは、あの金髪の女性で、私服に着替えて湯気を立てている三つのカップを乗せたトレイを持っていた。


「あ、あの…!」

「まず落ち着く事だ」


 ソファーから立ち上がった由花をまた座るように促しながら、男性が向かいのソファーに座る。


「お互い聞きたい事は色々と在るが、一度にそれに応える事は不可能だ。そこでお互い一つづつ交代に質問し、それに答える形にしたい。いいか?」

「…はい……」


 落ち着き払った男性の声に気圧される形で、由花は再びソファーへと座り直す。

 その前に女性が香ばしい香りを立てるコーヒーの入ったカップを置き、男性の前へも置くと、その隣に一つだけあった紅茶を取ると、男性の隣へと腰掛ける。

 由花は改めて目の前に腰掛けている男女を観察した。

 男性の方はよく見れば確かに彼にどことなく似ているようだが、彼が普段優しい顔をしているのに比べ、目の前の男性は落ち着き払った冷静その物の顔をしている。

 筋肉質な体に比べ、その顔には粗暴さの欠片も無く、どこかしら知性の感じられる瞳をし、一見アンバランスのようなそれらが一体となって、ある種独特な雰囲気を醸し出していた。

 女性の方は室内灯の下でもくすみを見せない程の鮮やかな色合いと、天然らしい緩やかなウェーブの掛かった金髪を持ち、澄み切った空のような澄んだ碧眼をしている。

 こちらに向けて穏やかに微笑んでいるその姿は、童話の中の妖精のような幻想的な雰囲気をどこか漂わせていた。


「まず、お互い自己紹介を済ませておこうか。

オレの名前は守門もりかど りく、職業は一応科学者という事になっている」

「科学者さん、ですか?」


 由花が今まで漠然と浮かべていた科学者のイメージを目の前にいる人物と重ねてみる。

 確かに白衣を着て、どこか知的な顔はしているが、その異常に逞しい体から発する雰囲気は、彼女のイメージする―暗い実験室で黙々と研究に勤しむ科学者―とはとても重ならない。


「信じていないみたいだな」

「あ、そんな事は…」

「まあ、学会じゃ史上最強のマッドサイエンティストなんて呼ばれているからな」

「事実でしょ」


 少しだけ憮然とした表情の陸に、自分専用の蜂蜜を入れたミルクティーを口に運びながら女性が追い討ちを掛ける。


「民間人誘拐して人体実験したり、怪人作ったりした覚えは無いが」

「その代わり学会でマグナムぶっ放したり、研究所爆破したりしてるんでしょうが」


 横目で女性を冷ややかな視線で見ながら、陸が自分の分のコーヒーに膨大な量のミルクと砂糖をぶち込み、かき混ぜている。

 由花は数ヶ月前、どこかの外国の大学で手榴弾片手に講義を行って問題になった科学者がいたという記事が新聞に載っていたのを思い出していた。

 そういえばその記事に載っていた顔写真が彼の物だったような気が…………


「あたしの名前はマテリア、マテリア・イデリュースよ。マリーって呼んで」

「あ、羽霧 由花です」


 微笑みながら女性―マリーが差し出した手を、少し気が引いていた由花が慌てて握り返す。


「由花ちゃん、ね。よろしく」

「いえ、こちらこそ」

「自己紹介が済んだ所で本題に移ろうか」


 自分の分のコーヒーをほぼ一息で飲み終えた陸がそう切り出しながら、空になったカップをテーブルに戻す。


「あ、あの、あの人は無事なんですか?」


 相手が何かを聞くよりも速く、由花が一番気にしていた事を聞いた。


「ああ、あの馬鹿の事か。気にするな。あれ位ならあいつにとってはかすり傷みたいなもんだ」


 陸は平然とそう言い放つ。心なしか、その声には少し呆れた感じが混じっていた。


「確かにね〜。彼、切り落とした自分の手足平然とくっ付けたりするから」

「切り落とした手足を………ですか?」


 ふに落ちない表情をしている由花に、陸が説明を続ける。


「正確には、あいつは気孔術における内気の制御、すなわち生体エネルギーをコントロールして細胞組織をある程度変化させる事が出来る。それを応用して、あいつは傷口の癒着を早め、実質常人の五倍から七倍の速度で傷を治す事が可能だ」

「はあ………」

「もっとも、実際あいつが自分で足切り落とした挙げ句、その場で繋いでみせた時には呆れたがな」


 由花の脳裏に、彼が切り落とした足をいそいそとくっ付ける光景が浮かぶ。実際そんな事が現実に可能だとはとても思えないが。


「あれ位なら一週間もすれば完治するだろ。今度はこっちから質問だが、あの怪物に狙われるような覚えは在るか?」

「……さあ……」

「どんな些細な事でもいい。思い出せる事は無いか?」


 陸からの質問に、由花は必死に色々な事を思い出すが、その中であのような感じの怪物とも人間とも関わった記憶は無かった。


「……在りません」

「となると、やはりあいつは無差別に相手を襲っている事になるな」

「やはり?」

「『LINA』。データF―352を」

『分かりました、マスター』


 陸の言葉に反応して、先程まで何も映っていなかったディスプレイに突然栗色の髪をした若い女性の姿が映り、次にある一点が点滅している地図が映し出される。


「今から五日前、D―20エリアで男性四人の惨殺死体が発見された。死因は全員鋭利な刃物による刀傷、中には胴体が両断された物まであった」


 画面が推理ドラマによく出てくる死体の在った場所を示すテープがあちこちにある廃ビルの映像に変わる。確かにその中にはちょうど上下半分に分かれているシルエットの物も有った。


「彼らはこの廃ビルを根城にしていた窃盗団のメンバーで、血液から麻薬反応などが出た事により、当初は麻薬関係の揉め事による犯行と思われていた。ところが、警察が調査を進める内におかしな所が出てきた」

「おかしな所、ですか?」

「ああ」


 画面がまた変わり、そこに大きさを示す目盛りと共に5cm位の小さな破片の映像が映し出される。


「これは死体の切断面から発見された物だが、主にカルシウムと酸化鉄、そして蛋白質を中心とした有機物から形成されている。警察の調査では、その蛋白質から被害者の物ではないDNAが検出されたが、こんな物は人間の体内には存在しない。もう一つはこれだ」


 画面がまた変わり、今度は周囲に血の飛び散った通路の映像が映し出される。


「これは死体のあった場所の一つだが、その死体は背中から突き刺されて死亡していたにも関わらず、なぜかその背後にあったドアの表面にまで血が飛び散っていた」

「それって………」

「そう、犯人はドア越しにドアを開けず突き通さずに相手を後ろから刺し殺した事になる。そしてこれはついさっき分かった事だが、その死体から発見された破片と、先程改修されたあの怪物の腕の一部が同じ物である事が判明した」

「!」

「すなわち、この殺人事件の犯人と君を襲った怪物は同一犯という事になる」


 画面がまた変わり、そこに見覚えがある男の顔が映し出された。


「この人です! 襲ってきたのは!」

「やはりか。こいつの名前はレイ 夏山。殺された窃盗団のメンバーの一人だったが、事件の後に行方をくらましている。この事件の一番の容疑者だった訳だが、たった今容疑者から犯人に確定したわけだ」

「あの怪物が人間だっていうんですか……」

「正確には人間だった、というのが正しい」


 驚く由花に、陸は多少の変化を加えてそれを肯定する。


「あなた達は一体何者なんです? 不思議な力を持っていたり、凄い飛行機を乗り回したり、あまつさえこんな秘密基地まで在るなんて………」

「そいつを説明するには少し長い説明をしなくちゃならないな」


 陸は白衣の下から煙草を取り出すと、(由花の目には白衣の下にチラッとホルスターのような物も見えたが)それを口に咥え火を付ける。


「幽霊と妖怪の違いが分かるか?」

「幽霊と妖怪、ですか?」


 いきなり出された変な質問に、由花は戸惑いながらも持っている知識を総動員させる。


「え〜と、幽霊っていうのは死んだ人間のお化けで、妖怪っていうのはそうじゃない物のお化けというところでしょうか………」

「あながちハズレじゃない」


 自信無さげに言った由花の言葉を、陸が肯定しながら続ける。


「正確には、一般的に幽霊と呼ばれるのは死んだ人間に限らず、人間の残留思念や時には個人の思念その物が具現化した物だ。それに対し、一般的に妖怪と呼ばれるのは動物、植物、器物等の意思が具現、変貌した物を指す」

「器物、というと、物……ですか?」

「まあ、科学者が言うには非科学的な事を言っているように聞こえるかもしれんが聞いてくれ。極希に、そのどちら共取れない存在が生まれる事がある。『LINA』、データA―15を」

『はい、マスター』


 画面に奇怪な肉の塊のような物から、まるで闇その物が実体化したような物など、様々な怪物の姿が映し出された。

 それは、由花が出会ったあの怪物によく似ていた。


「これらは、不特定多数の人間の思念、主に憎悪や怨念といったマイナス方面の代物が凝縮し、物理的に具現化、変貌した物だ。中には、君が出会ったような人間その物がこういった存在へと変化してしまう事もある。妖魔、邪霊、ダークスピリット、ブータ、他にも色々と呼び方はあるが、オレ達はこれをMind Metamorphosis、通称M'エムズと呼んでいる」

「エムズ……」

「そう、特に君が出会ったような、人間その物を母体として具現、変貌した物をヒューマンベースと呼び、特に手強い相手となっている」


 ヒューマンベース、彼もあの怪物を見た時にそう言っていたのを由花は思い出した。


「もっとも、存在自体は珍しいとはいえ、昔から世界中で確認されていたし、それなりの対処も出来ていた。一昔前までは」

「一昔前までは?」


 由花の疑問に陸が、無言で頷く。

 すると、画面にあるグラフが映し出される。


「今から30年位前、ちょうど東京戦争が勃発して日本が都市国家連合になった辺りから、このエムズを中心とした超常現象的事件が日本全国で増加、特にここ10年間で異常なまでの伸びを見せた」

 グラフは確かに2000年まで緩やかな伸びを示していたのが、2000年を境に急激的に上昇し、つい最近の物は30年前の20倍近い数字を示していた。

「事ここにいたり、従来の宗教団体、魔術結社、もしくは能力者個人による対処では、増加の一途を辿る状況に対処しきれなくなり、その状況を打開する為にある人物が一つの革新的提案を出した」

「革新的提案?」

「そう、その提案とは宗教、思想、科学、魔法、民族、種族、そういった物を超越して各分野のエキスパートを集め、全く新しい対魔機関を作り上げる事だった。ところが、この提案は各組織からの反感を買い、数少ない賛同者を集め、五年前ようやくこのMシティに試験的にその組織は設立された。組織の名称はAnti Darkness Defence Life members、頭文字を取ってADDL、通称アドル。それがその組織、そしてオレ達の事だ」

「それじゃあ、あの人も!」

「ああ、あいつは対魔戦闘を任務とするバトルスタッフの一人、イーグル・オブ・ウインドのコードネームを持つ戦士、それがあいつのもう一つの姿だ」


 とても信じられる話ではなかったが、実際に見た後では嫌でも信じざるを得ない。

 呆然とした表情の由花を見ながら、陸は吸っていた煙草を携帯灰皿にもみ消した。


「さて、多分お互いにとって一番重要な質問をする事になるが」

「は、はい、何でしょうか?」


 まだどこか呆然としている由花を、陸は真剣な眼差しで見つめた。


「報告によれば、君はあのヒューマンベースの動きを予測出来たらしいが、それはなんでだ? ひょっとして君は何らかの特殊能力を持っているんじゃないか?」

「えっ………」


 いきなり核心を突いた質問に、由花が返答に詰まる。

 今まで怖がられるのを恐れて、自分の能力の事を誰かに話した事はほとんど無い。

 それを、さほど面識の無い人物に話していいものだろうか。

 由花はそう自問した。


「気にする事は無いわよ」


 今までのやり取りをずっと脇で聞いていたマリーが、空になったカップをテーブルに戻しながら口を挟んだ。


「陸は能力研究に関してはおそらく世界一の研究者だし、一応彼も能力者よ」

「悪かったな、一応で」


 横目でそちらを見ている陸を無視して、マリーは更に続ける。


「それに、由花ちゃんが見たように、あたしにも特殊な力が在るわ。正確に言えば、アドルの構成人員の内、約四割が何らかの能力を持っている事になるの。だから何も心配する必要は無いわ」

「…そうなんですか?」

「数値上はな。もっとも、精々マジックのトリックに使えるかどうかのC級能力者から、バトルスタッフの様なAからS級の実力者に至るまで様々だがな」


 由花の疑問に、陸が答える。

 それでも、由花はまだ迷っていた。


「心配しないで。たとえどんな力を持っていてとしても、あたし達はあなたを卑下したり差別したりはしないから」

「…………分かりました」


 意を決した由花が、小さな声で返答し、そしてゆっくりと喋り始めた。


「私には、人や物の過去や未来が見えるんです」

「具体的には?」

「え〜と、その、何かを見ている時に、突然今見えている物とは違う物が見えてくるんです。それが、その見ている物の今まで起きた事か、これから起きる事なんです」

「例えば、目の前にいる人物がいつ何処で食事したとか、止まっている車が何処に行くかとか分かる訳か?」

「あの、いつかまでは分かるんですけど、場所までは………」

「具体的な時間まで分かるの?」

「はい」


 マリーが驚いた表情で由花を見つめ、その脇で陸が少し首を傾げて考え事をしていた。

 少なくとも、その動作の中に恐れや嫌悪は感じられないのが由花には嬉しかった。


「その力は自分の意志で制御出来るか?」

「勝手に見えるのは止める事は出来ませんけど、見ようとすれば見えるみたいなんです。もっとも、自分の意志で力を使ったのは今日が初めてですけど……」

「初めてで能力を使いこなせた、か。何らかのデメリットや反作用は無いのか?」

「デメリットですか? さっきも言ったみたいに、意識しなくても勝手に見える事が有って…」

「それ以外は? たとえば妙に衰弱するとかいうことは?」

「勝手に見える事意外は特には……」


 口篭もっている由花を見ながら、陸とマリーは由花に分からない専門用語の混じった相談を始める。

 しばらく話し合った後、陸がおもむろに由花へと問い掛けた。


「少しテストをしてみていいか?」

「テスト?」

「そう、例えば」


 陸が目の前のカップを指差す。


「このカップを、オレの前に誰が使ったか分かるか?」

「やってみます」


 由花は目の前のカップに意識を集中させる。

 思っていたよりも簡単に、もう一つの視界が開けた。


「20歳位の、灰色の髪でロングパーマを掛けた女性がミルクを飲むのに使ったみたいです」

「そういえば出動する前にエリスが使ってたっけ」


 自信無げに言った由花の言葉を、マリーが肯定する。


「その女性にはある人目で分かる身体的特徴が有るが、それは分かるか?」

「身体的特徴ですか?」


 由花が再び意識を集中させてカップの過去を見るが、見えるのはあくまでカップの過去であって、その女性は肩くらいまでしか見えない。


「すみません、分かりません……」

「君の能力を調べる為のテストだから謝る必要は無い」

「まあ、確かに見れば一発だけど………」


 表情のあまり変わらない陸に対し、マリーは苦笑を浮かべている。

 どうやら随分と目立つ特徴らしいが、由花にそれを知る事は出来ない。


「そんなに目立つんですか?」

「機会が有れば会わせてあげるわ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべながらマリーが答える。

 頭に疑問符を浮かべている由花に陸はテストを続けた。


「オレがさっき吸う以前に煙草を吸ったのはいつだ?」

「3時間位前です」

「マリーが4時間前にしていた事は?」

「なんか凄いいっぱいの犬猫達と一緒にシャワー浴びてますけど………」

「そういえばみんなとお風呂入ってたっけ」

「マリーさんて、動物の飼育員さんなんですか?」

「本職はね。その子達は全部あたしが飼ってるんだけど」

「……………」


 由花が見たマリーの過去には、少なくとも20匹以上の犬猫がいたように見えた。

 笑ってそれが全部ペットだというマリーに、由花は素直に驚いた。


「『LINA』、S―2カメラの映像を」

『はいマスター』


 女性の声と共に、ディスプレイにこの秘密基地の何処かと思われる通路が映し出される。

 よく見ると、画面に映っているドアの脇に男性用トイレの看板が付いていた。


「ここをこの後一番最初に利用するのはどんな人物だ?」

「なんて物見さすのよ!」

「施設において不特定多数の人間が一番利用する場所がここなだけだ」


 マリーの突っ込みを陸が極めて冷静に返す。

 由花が赤面しながらも未来を見通した。


「あ、あの、すぐに作業着を着て帽子を前後逆にかぶった少し小柄な人が…」


 由花が言い終えるよりも早く、その通りの若い男性がズボンの前を押さえながらトイレへと入っていった。


「全問正解、か」


 それを見ながら陸が呟く。

 それから少し間を置いて陸は話し始めた。


「今のテストだけではハッキリとした事は言えないが、自分で能力を発動、制御出来る、能力を完全に理解、把握出来る、そして予知としては異常なまでの適中率を誇っている。これらから、君は少なくともB級、もしくはA級の能力者である可能性がある」

「A級……ですか?」


 先程までの話から総合すれば、それは自分がバトルスタッフと呼ばれる自分の目の前で戦っていた人達とほぼ同等の能力を持っている事になる。

 由花は彼らが使っていた能力と、自分の能力を頭の中で比較してみたが、とても自分がそれ程の力を持っているとは思えなかった。


「そして、これから君は重大な選択をしなけらばならない」


 相変わらずあまり表情の変わらない、それでいながら少しだけ目つきを険しくした陸がそう言いながら指を一本立てる。


「一つ目は、その能力及び今回の事件に関する記憶を含めた全てを封印し、一市民として平穏に生きていく」

「出来るんですか?」

「アドルの技術力を持ってすれば難しくない事だ。そして二つ目はその能力を活かし、アドルの協力者になる」


 二本目の指が立ち上がりながら内容を告げる。それは由花が考えた事も無かった能力の活用について。


「三つ目は、アドルのメンバーとなってその能力を更に開発し、それを最大限に活かして我々と共に闇と戦うか。この三つだ」

「彼女をスタッフ入りさせるの!?」


 三本目の指と共に、驚くべき選択肢が告げられる。

 それを聞いたマリーが驚いて陸の方を見ながら立ち上がる。


「恐らくは今まででもっとも強力な時空透視能力者だ。これを逃す手は無い。が、あくまで本人が拒めば無理強いさせる気は無い」


 驚いて声も出ない由花に、陸は詳しく選択の内容を説明し始める。


「二つ目の協力者ならば、リスクは少な目だし、いつ協力するかも自由だ。だが、アドルの正規スタッフともなれば話は違う。有事の際、恐らくは君の能力を最大限に活かせるであろう戦闘のダイレクトサポートが任務となる。無論これには身体、最悪の場合には魂や存在といったレベルまでのリスクが伴う。もっとも、それなりの装備と報酬は約束される。どれを選ぶかはあくまで君の自由だ」

「あの、あたしは………」


 突然の選択に由花は戸惑った。今までの人生の中で最大の選択に、どう考えても思考は空回りを繰り返した。

 その様子を見ながら、陸はふと自分の腕の妙にごつい腕時計を見た。


「別に返答は今すぐでなくても構わない。時間も時間だ。色々あって疲れたろうから、今日はもう休んだ方がいいだろう。何なら部屋を用意しようか?」


 由花が自分の腕時計を見ると、すでに12時を大きく過ぎていた。

 普段ならもう寝ている時間だが、色々な事が有りすぎた所為か、少しも眠気は感じなかった。


「結構です。寮に帰りますから」

「それじゃあその前に少し見学していきましょう」


 立ち上がった由花の腕を、マリーが強引に引っ張る。


「あの、ちょっと」

「いいからいいから」


 有無を言わさずマリーが由花を引きずりながら部屋から出ていく。

 その様子を座ったまま呆れを含んだ瞳で見ていた陸は、おもむろに立ち上がると全く減らずに冷めてしまったコーヒーの入ったカップと、二つの空のカップを手に彼女たちの歩いていった方向とは逆方向の通路へと歩き始めた。




「ここって、勝手に見て回っていいんですか?」

「ま、ホントは駄目なんだけどね」


 エレベーターの手前で掴んでいた腕を離したマリーが、エレベーターのコンソールにIDカードを通しながら質問に応じる。

 コンソールから短い電子音が響き、エレベーターの場所を示すランプがゆっくりと降りてくる。


「実を言うと、女同士で話がしたかったの」

「女同士、ですか?」


 ちょうどその時、エレベーターの到着を示す電子音が鳴り、妙に分厚い扉が開く。

 その中には先客が居た。


「お、そっち終わったのか」

「なんて格好してんのよ……」


 エレベーターの中に居た長い黒髪の女性―瑠璃香がこっちを見て声を掛ける。

 その格好を見て由花は絶句してしまった。

 古びたスニーカーに少し大き目のジーンズを履いているのはいいとして、上は前を閉じていない男物のYシャツ一枚、その下は豊満な胸に巻いてあるサラシと首から掛けている古めかしいロザリオだけ、という余りにもラフ過ぎる格好だった。


「寒くねえからどんな格好でもいいじゃねえか。それに女の体は見せる為に有るんだからよ」

「見てるこっちが寒い上に恥ずかしいのよ………」


 大きな湿布が張られている肩をすくめながらの瑠璃香の返答に、マリーが顔に手を当てて呆れ果てる。

 そんなマリーから由花へと瑠璃香が視線を移した。


「で、そいつどうするって?」

「陸はスタッフ入りさせる気みたい。何でもA級の時空透視能力者だって」

「ふーん」


 瑠璃香がまじまじと由花の顔を覗き込む。 

 自分とは全く逆の大人びた女性の視線に、由花は思わず一歩退いた。


「別に取って食やしないよ。あたいの名は瑠璃香、バトルスタッフの一人さ」

「あ、羽霧由花です」


 そう言いながら由花が差し出した手を瑠璃香が握った瞬間、由花の腕が180度捻られ、突き出された瑠璃香の左の肘が由花の顔の数cm手前で止まる。


「で、どこがA級能力者だって?」

「誰もA級戦闘能力者なんて行ってないでしょ!」


 何が起きたのか理解できないでいる由花が目を瞬かせる。

 数秒間の思考の後、ようやく自分が試されたらしい事を理解した。


「でもこいつ、敵の動きは分かってたみてえだけど?」

「あの、あくまで見えている物の過去や未来が見えるだけで、自分の事とか、見えない位速く動かれたりすると分からないみたいなんです」

「使えねえな、そりゃ」


 掴んでいた手を離しながらきっぱりと断言する瑠璃香に、由花は二の句を続ける事が出来なかった。


「何も戦闘に直接参加する訳じゃないんだからいいでしょ。後先考えず周囲ごと破壊しまくる誰かさんよりは」

「悪かったな、あたいは口と手と足が同時に出ちまうんだよ」


 そう言いながら瑠璃香が自分の顔の高さまで持ってきた手を振ってみせる。

 よく見ると、その手の裏表両側にはっきりとタコ―拳ダコと掴みダコの両方―が出来ていた。


「ま、てめえもくたばんねぇてえどに頑張るこったな。色々と教えてやっからよ」


 由花の肩へと腕を回しながら、その肩を痛い位の勢いで瑠璃香が叩く。

 色々と、の辺りで瑠璃香の目が意味有り気に細められ、叩くのを止めた手がゆっくりと下の方へと………


「それじゃああたし達は行くから!」


 その時点でマリーが慌てて由花をエレベーター中へと引きずり込み、扉を閉めた。


「…ちっ」


 閉じた扉へと向けて舌打ちを一度すると、瑠璃香はその場を離れた。




「あ、あぶないところだった…………」


 エレベーターの壁に頭を押し付けながら、マリーが肩で大きく息をしていた。

 さっきの会話に何か危険なとこが有っただろうか、由花は少し痛む肩―瑠璃香は軽く叩いたつもりだったが、筋力が違い過ぎた―を押さえながら考えた。

 その答えが出るよりも、息を整えたマリーが向き直る方が速かった。


「いい、由花ちゃん。今後何が有っても絶対に瑠璃香と二人っきりになっちゃ駄目よ」

「何でです?」


 明らかに理解出来ていない由花に、マリーは慎重に言葉を選びながら説明を始めた。

「あのね、瑠璃香って確かにバトルスタッフとして見れば文句の付け様の無い程強いんだけど、その…性格というか、人間性にかなり問題が有るの」

「はあ……」

「例えば喧嘩好きだとかスピード狂だとか羞恥心が無いとかいうのはまだいいとして」


 それだけそろっていればすでに十分な問題では? と由花は思ったが、口には出さずに続きを聞いた。


「一番困るのはその性癖なの」

「性癖、というと?」

「瑠璃香って、顔さえ可愛ければ男でも女でも構わないのよ」

「あの……それって……」


 男女関係についてはかなり疎い由花だったが、その貧困な知識から言われた事の意味を探り当てると、顔面を蒼白にした。


「ウソかホントは知らないけど、聞いた所によれば中学生押し倒しただとか、入っていたレディースランナーチームのメンバーの半分は肉体関係が在ったとか、警察に補導された時罪状に強姦罪を入れるかどうかでもめただとか、ろくでもない話は山の様に在るらしいから」


 自分の理解を超えるような話に、由花の思考が停止寸前に陥る。

 が、次に言われた事は由花の思考を完全に停止させるのに十分だった。


「それに由花ちゃんもう好きな人いるしね」

「えっ?」


 明らかに虚を衝かれた表情の由花に、マリーが意外そうな顔をする。


「ひょっとして……気付いてなかった?」

「えっ? ええっ?」


 由花の思考が完全停止から混乱状態へと移行。今まで自分の能力を知られない様にする為に、いつも他人とは距離を置くようにしてきた由花に親しいと呼べる友人は一人もいなかった。

 ましてや、誰かを好きになった事なぞ一度も無いはずだった。

 それを、今日会ったばかりの人物にいきなり指摘されても困惑するばかりだった。


「そっか、まだ気付いてなかったんだ」

「な、何でそんな事分かるんです!?」

「それがあたしの能力なの」


 困惑する由花に、マリーが微笑を浮かべながら答える。


「あたしの力は動物、植物を含めたあらゆる生物や精霊にまで感応出来るテレパス能力なの。この力を使えば、周りにいる人間だけじゃなく、ありとあらゆる動植物の思考を知る事も出来るし、さっきの戦いみたいに精霊達に呼びかけて攻撃する事も防御する事も出来るの」

「それじゃあ、私の考えている事も全部分かるんですか?」

「その気になればね。もっとも、普段は力をセーブしているから、全部が全部分かるって訳じゃないの。ついでだから言っちゃうけど、実はさっき陸と一緒に由花ちゃんの話聞いてたのは、由花ちゃんがホントの事言っているかどうか密かに調べて陸に教える為だったの」


 口調こそ軽いが、その内容は由花にとって衝撃だった。

 すなわち、彼女の知らない内にウソ発見器に掛けられていたような物だ。


「もっとも必要無かったみたいだけどね。由花ちゃん全然ウソついてなかったし、それにず〜っと彼の事ばっか考えてたし」


 ゆっくりと由花の顔が赤く染まっていく。

 まさかそこまで知られていたとは思いもしなかった。


「大丈夫、あいつ今んとこフリーだから、あたしが応援したげる」

「あの、でも…」


 由花が口篭もっていると、ちょうどエレベーターの到着を示す電子音が短く響いた。


「それじゃ行きましょ」

「どこにですか?」

「お見舞いよ」


 扉の開いた先には、さっきまで歩いていた通路に比べれば幾分近代的な通路が続いていた。

 言われてみれば、それは病院の通路に見えなくも無い。


「さ、こっちよ」


 歩き出したマリーの後ろに続いて、由花も歩き出した。

 歩きながら、通路側に開いた窓から薄暗い部屋の中を見てみると、そこには沢山の医療機器と無人のベットが一つだけ置いてあるのが見えた。

 四つほどそういった病室を過ぎた所で、ようやく明かりの点いている病室へと辿り着いた。

 マリーがその病室の扉をノックすると、どうぞ。という彼の声と共に扉が開いた。


「おとなしくしてる?」

「今んとこはな」


 病室に入りながらのマリーの問いに、彼とは違う若い男の声が答えた。

 病室の中には、患者着を着てベッドから半身を起こしている彼と、ベッドの脇の椅子に腰掛けて雑誌を読んでいる茶色の髪をした20代半ば位の男性、そして点滴架を止まり木代わりにしている包帯だらけのダイダロスがいた。


「おや、二人してお見舞いに来てくれたんですか?」

「まあね」


 マリーの後に続いて入ってきた由花に意外そうな顔をしながら、普段と同じ穏やかな口調で彼が声を掛ける。


「怪我の方、大丈夫ですか?」

「ご心配なく。これ位ならすぐに治りますよ」


 笑顔で答える彼を見て、由花は胸の支えが降りるのを感じた。それと同時に、病室に入った時から気になっていた疑問を持ち出した。


「ところで、それなんですか?」


 由花は彼が寝ているベッドの下半分―何故かしめ飾りの付いた太いワイヤーで布団ごとグルグル巻きにされている―を指差す。


「ああ、これか。こいつは脱走の常習犯でな、今まで何度も怪我で出動停止を食らっているにも関わらず勝手に出動しては怪我悪化させるもんだから、こんな風にしとくんだ。もっともこれでもこいつがその気になれば簡単に抜け出せるんだろうがな」


 ベッドの脇に座っていた男性が呆れたような口調で由花の問いに答える。

 隣でマリーがそれを笑いながら聞いている所を見ると、どうやら本当の事らしい。

 が、次に男性が言った事はその場の雰囲気を一変させた。


「どうせこの怪我もこいつがまた自分を囮にでもして付けたもんだろ」

「ちょっと!」


 マリーの声でこちらを見た男性が、由花の顔が青ざめているのに気付いた。


「……ひょっとして、言っちゃまずかったか?」

「一遍ちょっとこっちに来る!」

「おい待て、負傷者には四六時中のガードがきまり…」

「いいから!」


 どこか気まずい雰囲気の中から、マリーが強引に男性を引きずって病室から出る。

 病室の扉が閉まったのを確認してから、マリーは男性へと向き直った。


「どうしてアンタはいっつもそう変なとこで鈍いの!」

「何の事だ? オレは空が助けたとかいう女が見舞いに来ただけだと思って…」


 マリーの周囲に彼女の感情の高ぶりに反応した精霊達の暴走―本当に飛び散っている火花や屋内なのに吹いている風―に気付いた男性がそこでようやく自分の失態を自覚した。

 無論、自覚した程度でマリーの怒りが収まる訳が無かった。


「よく聞きなさい! あのね、あの子も能力者なの! それで彼女は空の事が好きなの! 

あたし達みたいなのが人を好きになるのがどんだけ苦しい事かアンタにだって分かるでしょ!」

「分かった! 分かったから落ち着いてくれ!」


 耳の側で起こる火花だの突然凍る髪だのを必死に払いながら男性が謝罪する。

 それを見たマリーが、怒りの表情はそのままに周囲の精霊達を元へと戻していく。

 一通り精霊達の暴走が収まったのを確認してから、男性が大きく息を吐いた。ふと、思い付いた疑問を聞いてみる。


「お前、何でそんなに彼女に肩入れするんだ?」


 マリーは病室の窓を横目で見ながらこう呟いた。


「似てるのよ、彼女。アドルに入る前のあたしと」



「その怪我…私の……せい…なんですか……」


 蒼白な顔をして、消え入りそうな声で由花は呟いた。


「気にしなくていいですよ。これ位の怪我はしょっちゅうですから。それにボクも助けてもらいましたからね」


 穏やかな声で彼が宥める。幾分由花の表情が和らいだのを見てから彼は言葉を続けた。


「由花さん、でしたね。兄さんから話は聞いてます。あなたがA級以上の可能性を秘めた能力者だって」


 あなたにくらべれば私なんて、と言おうとして、由花は気付いた。まだ彼の名前も知らない事に。


「そう言えばこちらの自己紹介がまだでしたね。ボクの名前は守門 空。守る門に空って字を書いてもりかど くう。Mシティ大学医学科四年生にしてイーグルオブウインドのコードネームを持つアドルのバトルスタッフ。それがボクです」


 医学生にしてバトルスタッフ。空の口からその言葉が出ると、由花は改めて昨日まで知らなかった彼の二面性を認識した。

 それでも、目の前に居る普段通りの優しい目をした彼と、蒼く輝く冷たい目をして傷だらけになりながら戦っていた彼とが今一つ繋がらず少し呆然としていると、ふと空から声を掛けられる。


「所で、兄さんからアドルのスタッフ入りを進められたって本当ですか?」

「え、ええ。まだ悩んでるんですけど」


 少しうつむきながら答えた由花が、ふと顔を上げる。


「空さんはどうしてアドルに入ったんですか?」


 それを聞いた空の表情が急に真剣な物に変わり、突然着ていた患者着をはだけた。


「な、なにを……!」


 初めて見る男性の生の肌に、由花が赤面しながら顔を背けようとする。

 が、ある一点に目が行った途端そこに視線が釘付けになった。

 空の左肩から斜めに走る、巨大な爪痕に。


「これは、七年前ボクが生まれて初めて魔と戦った時に付けられた物です。その時まだ魔と戦う術を知らなかったボクは、目の前で先生が殺されるのをただ見ているだけしか出来なかったんです」


 爪痕に手を当てながら、寂しげに言う空の衝撃の告白に、由花はただ沈黙して聞く事しか出来なかった。


「先生はボクに拳法と医学、そして―力は守る為に使う物―という心構えを教えてくれました。それなのに、ボクは先生を守れなかった。だから今度こそ誰かを守る為に、ボクはその魔を追っていた道士に弟子入りしたんです。魔と戦う術を身に付け、今度こそ誰かを守れるようにする為に。アドルに入ったのは、この力を一番活かせる場所だと思ったからです」


 そこまで一息で言った空が、視線を由花の方へと向け、鋭い口調で問い質した。


「由花さん、あなたにアドルのスタッフになる気が在るのならば、ボクが道術を教えてくれた師匠に一番最初に聞かれた事と同じ事を聞きます」

「は、はい」

「あなたに、死、以上の恐怖に立ち向かう勇気は在りますか?」


 真剣その物の空の問いに、すぐに答えられない由花に空は更に続ける。


「魔と戦うという事は、常人の考える以上に厳しい物なんです。もし戦いに敗れれば、最悪の場合魂までもが魔に捕らわれ、死以上の苦痛に苛まれる事すら有り得るんです。それでも、あなたにそれに立ち向かう勇気が在りますか?」


 しばらくの沈黙の後、由花はゆっくりと口を開いた。


「……正直、まだ分かりません……でも」

「でも?」

「もし、私の力が誰かの役に立つんだったら、誰かの助けになるんだったら、やってみたいんです。危険なのは分かります。ひょっとしたらもっと危ない目に会うかもしれないのも分かります。それでも、やってみたいんです!」


 真剣な眼差しで問い掛ける空に、今までの人生の中で一番の気持ちを込めた瞳で由花は見つめ返した。

 しばらくそのままの状態が続いた後、ふと穏やかな瞳に戻った空が視線を外した。


「分かりました。どうやら本気のようですね。ボクはもう止めません。そして約束します。もし由花さんが危険な目に会ったら、ボクが全力で由花さんを守ります」

「え……」


 まるでプロポーズの様な(空自身に自覚はまるで無かったが)セリフに、由花が赤面して硬直する。

 ちょうどその時、壁に飾ってあった時計が午前1時を示すチャイムを鳴らした。


「あ、あの、もうこんな時間なんで、私もう帰りますから」

「引き止めちゃいましたか?」

「い、いえ。そんな事ないですから」

「それじゃ廊下に居る皆さんによろしく」

「はい、そ、それじゃあおやすみなさい」


 赤くなっている顔を隠すようにそそくさと由花が病室から一歩出ると、ちょうど通路の窓から死角になる位置に鈴なりに固まっている人達と目が合った。


『あ………』


 小さなパラボナアンテナを病室側に向けている白衣を着た人達や、小さなカメラを窓の端から向けている作業着を来た人達(その中に病室にいた男性やマリー、それに瑠璃香や陸までもが混じっていた)総勢15人位が気まずそうな顔(若干呆れ顔や残念そうな顔)をした後、全員が口々に言い訳を出し始めた。


「いやこれは新型の集音機の実験を」

「ちょっとした好奇心という奴で」

「ちっ。てっきりあのまま濡れ場になると」

「べ、別に覗きとか盗聴とかでは」

「お前が言い出したんだろうが」

「てめえだって乗ったじゃねえか」

「だから他意が有った訳では」


 てんでんばらばらに言い訳を口にする中から一人の作業着をきた男性―さっきトイレに駆け込む所を見た人―が由花の目の前に進む。


「しっつれいしました〜!」


 その掛け声と共に、ほとんどの人物が蜘蛛の子を散らすようにその場を離れる。


「さ〜てと、警備任務の続行を…」


 病室に居た男性がわざとらしい事を言いながら病室へと入っていく。

 後には、何だったのか理解出来ずポカンとしている由花と、困った顔をしているマリーと残念そうな顔をしている瑠璃香、それに何処か呆れている陸が残った。


「あの、今の人達は?」

「あ〜、一応今居たのは全員アドルのスタッフなんだけど、何でか残ってたスタッフに、由花ちゃんが空の彼女だって噂が広がってて、今二人っきりだって知ったら、その、皆して覗きに……」

「音声付でな」


 渋面で乾いた笑いを浮かべながら説明をするマリーに、陸が極めて冷静に補足を加える。


「……どこら辺りからです?」

「今度こそ誰かを、の辺りからだ」


 陸の説明からすると、自分の言った事はほとんど聞かれていた事になる事に気付き、由花は赤面した。

 二人きりだと思っていたからこそあんな思い切った事を言えたが、それを誰かに(しかも大勢に)聞かれていたとなると話は別だ。


「由花ちゃん?」


 赤面したまま硬直している由花に、マリーは何かフォローを入れようとするよりも速く、瑠璃香が由花に近寄ってポンと両肩に手を置いた。


「ああいう時は勢いに乗せてそのまま犯っちまった方がいいぞ」

「はい?」

「瑠璃香!」


 マリーの怒号を無視して、意味の分かっていない由花に瑠璃香は更に続ける。


「空みてえな責任感が妙に強い奴は、一遍言わせちまえばこっちのもんだ。後はそれをちらつかせて押し倒しちまえばどう料理しようが思いのまま」

「一理有るな」

「二人共何考えてんのよ! 由花ちゃんはあんた達みたいにひねた性格してないわよ!」


 瑠璃香のかなり無理のある助言と、それに賛同している陸にマリーが大声でわめき散らす。

 それをうるさそうに横目で見ながら、瑠璃香は更なる助言(?)を続ける。


「取り敢えず初めてだってんならそれをネタにしてこちらがイニシアチブを握るか、手前まで焦らして…」

「い・い・か・げ・ん・にしなさい!」


 言葉の途中で、瑠璃香の後頭部に突然虚空に現れた野球ボール位の水の塊がぶつかる。


「何しやがる!」

「純真な子にろくでもない事そそのかすんじゃないの!」

「ただアドバイスしてるだけじゃねえか!」

「あんたのスレまくったアドバイスが由花ちゃんみたいな子の役に立つ訳ないじゃないの!」

「やかましい! そんなんだからてめえは男の一人も出来ねえんだ!」

「そ、それとこれとは関係無いでしょ! それにあんたみたいに無差別よりはいいでしょ!」

「あの、お二人とも…」

「誰が無差別だ! あたいにだって好みは有るぞ!」

「顔さえ可愛ければ男だろうが女だろうがいいくせに! あたしだって何度危ない目に会ったか!」

「それくらいに…」

「そのたんびに精霊暴走させたのはどこのどいつだ! あん時は死ぬかと思ったぞ!」

「それなら少しは懲りたらどうなの! さっきだって由花ちゃんのとこ狙ってたんじゃない?」

「別にいいじゃねえか! それともあたいに喧嘩売ろうってのか? それならいつでも買って…」


 エキサイトしていく一方の口論を、突然爆音の様な音が中断させる。

 その音に仲裁を試みていた由花は体を硬直させ、口論していたはずの二入は一瞬にして表情を真剣な物へと変えて音のした方向へと向き直った。

 その視線の先には、巨大なリボルバー式拳銃を上へと向けている陸の姿が有った。


「それ位にしておけ。バトルスタッフ同士の喧嘩なぞシャレにならんからな」


 陸は拳銃を上に向けたまま平然とそう言い放つと、拳銃を白衣の下のホルスターへと戻した。


「何事だ!」

「ただの空砲だ。気にするな」


 銃声を聞きつけた空のガードをしていた男性が慌てて病室から出て来るが、陸の返答を聞くとまたか、と渋い表情になった。


「陸、頼むからそんな化け物銃夜中にポンポン撃つなよ………」

「必要が有ったから撃った。それだけだ」


 相変わらず表情のあまり変わらない陸に、由花を除いたその場に居る人間全員が脱力する。


「……疲れたからけえって寝る………」

「…あたしも……」


 瑠璃香とマリーの二人が脱力したままトボトボトと歩いてその場を離れた。


「このガンクレイジーめ……」


 男性がぶつぶつと愚痴りながら病室の中へと(中から微かに空の笑い声が聞こえてきたが)引っ込む。

 後には、陸と由花だけが残った。


「さてと、最終確認を取りたいんだが」

「え?」


 突然話を振られた由花が驚くが、陸はそちらへと向き直って続けた。


「さっきまでの会話から、アドルのスタッフとなる意思が有る、と判断していいか?」

「は、はい! よろしくお願いします!」


 そう言いながら頭を深く下げた由花を見ながら、陸は表情を満足そうな物へとしながら(もっとも身近の人間にしか分からない程微弱な変化だが)宣言した。


「いいだろう。副総帥権限により、現時刻を持って羽霧 由花をアドル・アビリティスタッフの一員として登録する」

「ふ、副総帥?」


 由花が驚いて陸を見る。まさか陸がそんなに偉い人だとは思ってもいなかった。


「驚く事は無い。オレのアドルでの地位は副総帥兼サイエンススタッフチーフ兼バトルスタッフチーフだ。他に出来る奴がいないんでな」

「はあ……」


 唖然としている由花を差し置いて、陸が上を向いてそこにあるセキュリティカメラを見た。


「レックス、聞いてるんだろ。彼女のID登録を頼む。あと、『LINA』にガーディアンスタッフの標準装備の用意を」

『り、了解』


 スピーカーから慌てた男性の声が響いてくる。


「今のは?」

「メカニックスタッフの一人でな、元ハッカーだけにたまに覗きをやらかすんだ。安心しろ、更衣室だのトイレだのまでは覗かん。覗いたら女性陣に八つ裂きにされるからな」

「はあ…」


 釈然としない由花を伴って、陸は下へと降りていった。




『EQUIPMENT ROOM 装備管理室』

 そう書かれた扉の脇で、陸が自分のIDカードを脇のコンソールに通し、短いシーク音の後にコンソールから出てきた小さいジェラルミンケースを受け取る。


「後はIDカードだが…」

「あ、いたいた」


 通路の向こうから、少し不健康そうな顔をした若い男性がこちらへと近付いて来た。


「君が由花ちゃんだね。オレはメカニックスタッフのアレックス・ライル。レックスでいいよ」

「あ、羽霧 由花です。これからよろしくお願いします」


 差し出された男性の物にしては細い手を、由花が握って握手すると、レックスは懐から一枚のIDカードを取り出した。


「それじゃこれ、大事な物だから無くさないようにね」

「無くしたのは今の所お前と瑠璃香だけじゃなかったか?」


 陸の突っ込みにレックスの顔が一瞬凍る。


「いや、その、それじゃあ!」


 レックスが慌ててその場から離れる。


「あいつもコンピューター以外はずぼらな奴だからな」

「そうなんですか?」


 由花が首を傾げながら、渡されたIDカードを見た。

 それは、一般的に使われている身分証明類を全て登録できるIDカードと全く同じ物に見えた。


「カードの右端、ちょうど顔写真の辺りに親指を当てて3秒ほど待て」

「こうですか?」


 由花が言われた通りにしてみると、IDカードから短い電子音が響いた。


「それで指紋が登録された。カードの右端を端から端まで登録した指でこすってみろ」

「?」


 由花が取り敢えず言われた通りにしてみると、IDカードの表面が一瞬にして、八角形と五芒星を組み合わせたマークの入った物へと変わる。


「これって?」

「それがアドル専用のIDカードだ。有事の際はそれを見せればMシティの全ての公的機関が支援する。他のシティじゃ普通のIDカードとしてしか使えないから気を付けろ」


 陸は更に小さいジェラルミンケースを由花へと手渡した。


「これがアドルスタッフの標準装備だ。詳しい事は送りながら説明しよう」

「あ、はい」


 見た目よりも少し重いジェラルミンケースを持ちながら、歩き始めた陸の後ろに続いた。




「取り敢えず、今回の事件が片付くまで君にはボディガードが付く事になる」

「ボディガード?」

「そう、いつあいつに襲われるか分からないからな。ガード専門のガーディアンスタッフの一人が四六時中君の側に付く事になる」

「はあ…」

「心配無い。多分必要以上君のプライベートには干渉しないはずだ」


 多分、という所が少し気になったが、由花は敢えて深く考えない事にした。

 乗っていたエレベーターが到着を示す電子音を鳴らし、二人は着いた先、大きな車庫へと降りた。


「さてと、もう来ているはずなんだが」

「あ、お〜い」


 声のした方向に二人が振り向くと、そこには由花がカップの過去で見たあの女性がいた。

 女性はこちらの方へと走って来ると、由花を見て人懐っこい笑顔を浮かべた。


「紹介しよう、ガーディアンスタッフの一人、エリス・リュアンだ」

「エリスだよ、よろしく」

「羽霧 由花です。よろしく」


 由花はエリスが差し出した何故か妙に爪の尖っている手を握ると、エリスはブンブンと勢いよく手を振った。


「しばらくの間、彼女が君のガードを勤める事になる」

「うん、つとめるつとめる」


 妙にテンションの高いエリスに多少気圧されながら、由花は彼女をよく見てみた。

 着ている服の上からでも分かるような豊満な胸に比べ、手足は細い。それに妙に鋭い爪が生えた手に………

 そこまで行って、彼女はふと本来人間に無いある物が彼女に有る事に気付いた。


「あの…」

「何だ?」

「あれって……」


 由花は恐る恐るそれを指差した。

 彼女の腰から生えている、灰色の髪と同じ色合いのしなやかな尻尾に。


「言っただろ、人目で分かる外見的特徴が有るって」

「でも、普通の人間は尻尾なんて…」

「当たり前だ。そいつは人間じゃないからな」

「!」


 驚いて硬直している由花に、状況を理解していないのかエリスはキョトンとした表情をしている。それに応じて、腰の尻尾も元気に動いていた。


「説明するより見せた方が早いだろ。エリス」

「なあに?」

「ちょっと戻ってみせろ」

「うん、わかった!」


 言うや否や、エリスの姿が由花の視界から消える。

 正確には、彼女の衣服だけがその場に残り、体の方が消えた。


「ええっ!」


 驚く由花に、崩れ落ちた衣服の中から、一匹の猫が現れ、由花の足にじゃれ付いてくる。

 よく見ると、その猫は消えたエリスの髪と同じ灰色の毛並みをしていた。


「あの、ひょっとして…」

「そいつがエリスのもう一つの姿だ。一般的には獣人、ライカンスロープと呼ばれる種族だな。まあ俗的にはワーキャットだの猫又だのと言った方が分かるか」


 完全に絶句している由花に、陸が説明する。 

 ちなみに猫―エリスの方は由花の靴紐にじゃれ付いていた。


「詳しい説明は車内でしよう」


 陸は落ちているエリスの衣服を手早く集めると、それを持って駐車場の奥に止めてある自分の車へと近付いた。


「キーロックオープン、エンジンスタート、サブシートをノーマルにチェンジ」


 陸が声を掛けると、止まっていた車の一台が突然始動し、車内から何か機械音のような物が聞こえると、ドアが勝手に開いた。


「さあ、乗るといい」

「この車って……フェラーリって奴じゃ…」

「フェラーリ456GT、もっとも中身は完全に別物だがな」


 陸が運転席と言うよりは操縦席に近い異常にスイッチや計器が多いシートにその体を押し込み、由花は多少たじろぎながらも助手席へと座る。エリスは助手席側から後部座席に入り込んだ。


「ポイントセット、Mシティ学園女子寮に設定、定速にてオートドライブスタート」


 ドアが閉まると、陸の声に応じて小型のディスプレイに地図が映し出され、そこに指定のポイントがセットされるとハンドルが勝手に動き、赤の456GTは走り出した。


「すごい……」


 由花が完全自動で動いているフェラーリに驚いているのを見ながら、陸は説明を始めた。


「まず、アドルの構成から教えておこう。アドルは性質上六つのスタッフから構成されている」

「六つ?」

「そう、戦闘専門のバトル、準戦闘兼ガード専門のガーディアン、非戦闘でありながら能力によるサポートを行うアビリティ、サポートマシンの設計、開発、整備を行うメカニック、能力の科学的研究、開発を行うサイエンス、医療専門のメディカル、この六つから構成されている。他にも協力者や予備役なんかもあるが、全体の構成人員は君も含めて72名だ」

「結構いるんですね」

「生憎とこれでも人手不足だがな」


 陸が手元のキーボードを叩くと、フロントガラスの一部に組織構成の概要図が現れる。


「各スタッフにはそれぞれチーフがいて、その上に副総帥と総帥がいる。主な事はこの幹部達で決められる訳だが、例外として能力者の発言は重視される。まあ君はその役になる訳だがな」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。ちなみにバトルスタッフは他のスタッフに個人的な装備なんかも依頼出来るが、メディカルスタッフからのドクターストップだけはどうしても拒否する事が出来ない。今の誰かさんみたいにな。そしてスタッフ全員に最低限の装備としてそれが配られる」


 陸が由花の膝の上にあるケースを指差した。


「開けてみるといい」


 由花がケースを開けて中を見た途端、目が見開かれたまま停止した。


「これ……!」


 そこには、一つの腕時計と、瑠璃香が使っていたのと同じ変わった形の拳銃が入っていた。


「対魔用多用途拳銃、G・ホルグ。口径は6mm、普通の拳銃より口径は小さいが威力は強い」

「わ、私ピストルなんて…!」

「今から撃ち方を教える」


 慌てふためく由花に、陸はG・ホルグを手に取って見せた。


「形式はケースレスオートマチック、装弾数は15発。リコレイス(無反動)システムが組み込まれているから反動はほとんど無い。弾丸はAからGまで七種類、Aは対魔用純銀製弾頭、Bは炸裂弾頭、Cは冷凍ガス弾頭、Dは徹甲弾頭、Eは対機械用ダイナモ弾頭、Fは焼夷弾頭、Gは対人用粘着麻酔弾頭になっている。一応弾頭の色とマガジンの底で見分ける様になってるが、慣れない間はAブレッドだけ使うといいだろう」

「はあ…」


 説明の半分も理解出来ていない由花に、陸が実際に弾を込めてみせる。


「ここを押せばマガジンが外れる、弾丸の入ったマガジンを入れたらここを引けば弾丸が装填されるから、あとはトリガーを引けばいい。撃たない時はここでセーフティが掛かる。射撃練習は明日以降行うからそのつもりで」

「はい……」


 由花は弾丸が込められたG・ホルグを持ってその重量を確かめる。何故かそれが異常に重い物に感じてならなかった。


「こっちの腕時計は普通の電話機能付きの腕時計としても使えるが、時刻合わせと発光ボタンを同時に押せば緊急通信用として使える。通常通信は111をダイヤルすれば本部に繋がる。見た目以上に頑丈に出来ているからなるべく四六時中身に付ける様にしておくといい。次にあれについてだが」


 陸が後部座席で丸くなっているエリスを指差す。


「アドルの戦闘要員の内、実に7割が人間以外の連中で構成されている。その多くが保護を条件に協力してくれてる連中だがな」

「そうなんですか?」

「端的に見れば、生まれつき能力を持っている人間は少ないし、それを活かせる人間はもっと少ない。君みたいに生まれつきの能力を何の修行も無しに完全に制御出来るのは非常に希なケースだ。それに対し、妖怪は生まれつき強力な能力を持っているのが多いし、物理的にも人間より頑丈な事が多い。主に長期の活動になるガーディアンスタッフのほとんどは以上の理由から妖怪達によって占められている。まあ多少変わっている連中が多いが、悪い奴等じゃないから必要以上に気にする必要は無い」

「そうですか……」


 由花は後部座席にいるエリスをチラリと見る。ひょっとして他のガーディアンスタッフとやらもこういう人達なんだろうか、と少し不安に思ったが、口には出さないでおいた。


「ま、それ以上詳しい事はまた今度だな」


 完全なオートドライブで走っていた車が停止し、寮のすぐ前でドアを開いた。


「すっかり遅くなったが、今日の学校はどうする? 一日休みたいならこっちで手を回しておくが」

「あ、結構です」

「そうか、それなら授業が終わった後、詳しい諸手続きをやるから一度今日来た本部に来るように。アークノアは知っているな?」

「あの、この街の地下にある巨大な動物園の事ですか?」

「正確には生態系保護施設だ。そこがアドル本部の隠れ蓑になっているから、そこの事務所に特殊保護処置に付いて、と言えば通じるはずだ」

「はい、分かりました」

「あとは余計な事は考えず休むといい。何か有ったらエリスが守ってくれるはずだ」

「はあ……」


 由花は何時の間にか目を覚まして、こちらを見ているエリスを見た。

 どう見ても強そうには見えないが、陸がそう言うのなら大丈夫だろうと思う事にした。


「それじゃ、おやすみ」

「あ、おやすみなさい」


 由花が車から降りて自分の部屋へと向かい、その後をエリスが追いかけて行った。


「……いい子じゃねえか」


 由花の姿が見えなくなると同時に、車内に陸の物とは違う低い男性の声が響いた。

 すると、シートの影から影が別れ、そのまま車内に出るとそれは盛り上がり、やがて少し人相の悪い痩せた男となった。


「だが、ガードを二人も付ける必要が有るか?」

「念の為だ。相手の能力は未知の点が多いし、下手したらエリスの鼻でも感知出来ない可能性が在る。あれだけの能力者だ、そう簡単に失う訳にはいかない」

「へいへい、相変わらずガキにはお優しいこって」

「彼女は18だ。ガキという年じゃあるまい」

「オレの基準じゃガキなんだがな。ついでに聞くが中で見張ってていいか?」

「別に構わんが、他の連中にばれたら確実に誤解されるぞ。何せここは女子寮だからな」


 男は低く舌打ちすると、側の電灯の光で出来ている影へと近付く。

 そして、現れた時を逆回しするようにまた影へと姿を変えると、その影へと吸い込まれていった。


「明朝には交代人員が来る。それまで妙な事するなよ」

「信用されてねえなあ……」

「お前の場合前科があるからな。また切り裂かれたくなかったらちゃんと仕事しろ」

「ちょっと覗いただけでフクロにしやがって、あのクソアマども……」


 影から聞こえてくる愚痴を無視して、陸はハンドルを握った。


「オートドライブオフ、マニュアルに移行」


 そのまま、陸は来る時とは比べ物にならないスピードを出しながらその場を去った。




 2029年9月23日

 今日は本当に色々な事が有った。

 でも、敢えて書くべき事は、初めて自分の事を認めてくれる人達と会えた事と、どうやら、私は恋をしているらしい事。

 これからどうなるかまでは分からない。

 けれど、今までよりは、少し明るく生きる事が出来るかもしれない。

 今は、自分の力を必要にしてくれている人達がいる事を思いつつ、眠りに着こうと思う。

 すでにベッドには先客がいるけれど………



「はぁっ……はぁっ………」


 狭い路地裏で、全身から何か焦げた匂いを漂わせている男が荒い息をしながら座り込んでいた。

 よく見ると、男の顔の半面はケロイドで覆われ、片腕が半ばから無くなっていた。

 男を見つけた野良犬が、猛烈な勢いで吠えたが、男はそちらを睨むと、残っている片腕を振るった。

 次の瞬間には、斜めに両断された野良犬が路地裏へと転がる。

 その死体から流れ出した血に、男は片手を付いた。

 力在る者がその場を見たならば、男が血から精気をすするのが見えたであろうが、路地裏には男以外の影は何一つ無かった。


「ちくしょう、あんな連中がいるとは……」


 男は、昔誰からか聞いた事を思い出していた。


(この街には、化け物退治専門の組織があるらしいぜ……)


 男は血塗れの手を見ながら、これからどうするべきかを考えた。

 傷付いた体は、野良犬の精気程度ではとても癒し切れない。


「殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる…………」


 男が呟く呪詛が、周囲に漂う瘴気を集め、その体へと吸い込まれて行く。

 ミチリ。

 男の体が、音を立てて更に深い闇の物へと変わっていった。





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