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α THE NIGHT OF………

オーガゲートキーパーズ


 プロローグ


それは、今まで感じた事の無い感覚だった。

それまでおぼろげにしか見えなかった視界が急激的に晴れ渡っていき、それと同時に意識もはっきりしてくる。


(切れやがったか……………?)


そう思いながら周囲を見渡すと、先程までの自分と同じ、虚ろな目をした惚けた表情の男達が思い思いの姿勢でいた。


(オレだけかよ、何が今までの倍の新型だ、くそったれ)


心の中で悪態を尽きながら立ち上がろうとした時、ふいにまたそれは起きた。

今まで感じた事の無い感覚が、先程とは比べ物にならない程強く彼を襲った。


「な、なん、ああああぁぁぁ!!」


 自分の中にある何かが、周りにある何かを取り込み、どんどんと大きくなっていく。そして、それが自分を侵食、いや自分と融合していくその奇怪な感覚に、彼はただ声にもならない声をあげるしかなかった。

 そして、変化は訪れた。


「なんだあ、いっちまったか?」


 彼の隣にいた男が、焦点の定まらない目で彼の方を覗き込む。肺にあった全ての空気を絶叫として放出した彼は、荒い呼吸でそれを取り戻しつつ、ゆっくりと男の方を向いた。


「な、何だよ、それ…………」


 それを見た男の顔が、ゆっくりと恐怖を含んだ物へと変わっていく。彼はその表情に怒りを覚えた。


(何でオレを見てそんな顔をしやがるんだ、そんなにオレが嫌いなのか? いや、元々こいつは気に食わなかったんだ)


 少しでも男を遠ざけようと、彼が右腕を振るった瞬間、男から表情を作っていた部分が消失した。そして、次の瞬間には顔の上半分を失った男の体が、細かくケイレンしながら、ホコリの溜まった床へと崩れ落ちた。

 何が起きたか理解できずに、彼はそれを起こした自分の右腕を見つめた。そこには、赤い血が付いた奇怪な腕が在った。もっとも、その金属の様な光沢を持った刃と、赤茶けた肉とで形作られたそれが腕と呼べるのであれば………………


「う、うわあああああーーーーー!!」

「ひいいいいいいいーーーーーーーー!!」


 ようやく、それがクスリによる幻覚で無い事に気付いた男達が悲鳴をあげながらもつれる足を必死に前後させながら、彼から逃げ出そうとする。それは、彼の怒りを買うだけの効果しか生まなかった。

 彼は無造作に手近にいた男に向けて右腕を振るう。次の瞬間にはその男は胴体の半ばから両断された死体へと変わり果てる。

 続けて、反対側に逃げようとしていた男へ向けて左腕を振るう。右腕と同じ奇怪な物へと変貌しつつあったそれは男の体を斜めに切

り裂いた。

 その時、彼から一番離れた所にいた男がドアまで辿り着き、必死の思いでそれをくぐった。


「逃げるなよ」


 ドアの向こう側に逃げようとする男に向けて彼が腕を向けると、突如その腕が伸び、その先が空気中に霞むように消える。が、その腕にはしっかりした手応えが帰ってくる。

 ドアの向こう側から何かが倒れる音が響いてくるのを聞きながら、彼は低い声で笑い始めた。

 先程までの感覚は最早無く、体が変貌していく不快感は何故か感じなかった。

 ただ、彼は何故か酷く愉快だった



 2029年4月9日

 今日はクラス替えの発表が有った。みんなは誰かと一緒になった、分かれたと騒いでいた。でも、私にとってはどうでもいい事だ。どうせ、誰も私の言う事なんて信じてくれないのだから………


 2029年4月25日

 見えてしまった、クラスメイトの里中君が車の中で血塗れになっているのが。感じからいえば、連休中に起こる事だと思う。悩んだ末に、事故には気をつけてとだけ伝えておいた。本当の事を言っても信じてくれないか、中学時代みたいに気味悪がられるだけだから。


 2029年5月7日

 連休中に里中君が交通事故に遭ったという話がクラス中で持ち切りだった。幸い怪我はたいした事がなかったらしい。よかった………


 2029年6月18日

 今日は進路希望調査があった。白紙で出したら、担任の宗先生に再提出を言い渡された。

 どんなに悩んでも、どうせ答えは変わらないのだろうけど…………


 2029年7月10日

 三者面談の日だった。家族のいない私だけが二者面談の形になった。未だに進路を決めていないのはクラスで私と加山君だけらしい。

 夏休み中に進学か就職かだけでも決めておくように言われた。どうしたらいいんだろう。


 2029年7月22日

 何故か、行き付けにしている喫茶店で夏休み中にアルバイトをする事になってしまった。

やたらと気さくな女店長さんにうっかり夏休み中に何もする予定が無いと言ってしまったのが原因だった。

 特に断る理由も無かった為、引き受けるはめになってしまった。果たして私に勤まるんだろうか…………


 2029年7月29日

 すごく変わったお客が来た。このお店はペット同伴は許可されているけれど、大きな鷲を連れてくるなんて人は初めてだった。

 少し背の高い、眼鏡を掛けた優しそうな若い男の人で、店長さんが言うには何でも医大生さんらしい。

 けれど、注文を取りに行った時に不思議な物が見えた。今より少し幼く見えるその人が、暗闇の中で血塗れになりながら何かと戦っているらしい所だった。あれは一体…………


 2029年8月3日

 またあの人が来た。今日は鷲だけでなく、白衣を着た少しくすんだ金髪をした男の人と一緒だった。

 注文を取りに行ったら、いきなりその白衣を着た人に手を取られて口説かれたのは驚いたけれど、それ以上に注文の品を持って行こうとして転んだ私を、あの人が片手で支えてくれただけでなく、もう片方の手で宙を飛んでいたトレイを乗っていた飲み物を一滴もこぼさずに受け止めてみせた事にはもっと驚いた。何でも、中国拳法をやっているとかでそういった事が出来るらしい。

 それじゃあ、前に見えた物はその修行か何かだったのだろうか。


 2029年8月11日

 今日、店長さんに卒業後の進路をまだ決めていないと言ったら、それじゃあここで働いてみないかと言われた。

 返事はよく考えてみてからにしますと言っておいたけど、果たして彼女は私の力の事を知っても、そう言ってくれるのだろうか…………


 2029年8月14日

 あれから色々考えてみたけれど、取り敢えず力の事は隠して就職の話は受けてみる事にした。店長さんは喜んでいたが、いつまで力の事を隠しておけるだろうか………


 2029年8月27日

 始業式早々、進路指導室に呼び出された。

 夏休み中に進路を決めたかどうかの確認だった。一応知り合いの喫茶店に就職の話が有りますと言ったら、それもいいだろうと言われた。

 ちなみに、一緒に呼び出された加山君は何と警察のSATに入りたいと言って先生を驚かせたそうだ。けれど、私と入れ違いに出てきた加山君に、少し大人びた彼がSATの制服に身を包んで真剣な顔で銃を構えているのが見えた。

彼は夢を適えられるようだ。見えるのがいつもこんなのばかりだったらいいだろうに……


 2029年9月1日

 夏休み明けも土日はバイトをする事になった。しかも今日は店長さんは用があるとかで、午後からは一人で店番をしていたら、またあの人が来た。

 しかも今度は2mはあるプロレスラーみたいな男の人と一緒だった。

 その人の事を兄さんと呼んでいたからどうやら二人は兄弟らしいけど、その割にはあまり似ていない。

 けれど、その二人が帰る時にまた不思議な物が見えた。同じ深い藍色のジャケットを着た二人が、何かと戦っている所だ。感じから言えば多分3日前の事だろう。一体あの人は何者なのだろう。


 2029年9月22日

 今まで見た中で一番とんでもない物が見えてしまった。いつも通りに店に来たあの人が帰り際に声を掛けてくれた時に見えたのだが、あの人が私を庇って血塗れになりながら何かと必死に戦っている所だった。

 しかも感じから言えば明日それは起きるらしい。この力は今まで一度も外れた事は無かった。一体私はどうすればいいんだろう……………



 α THE NIGHT OF………


「そこの君、ちょっといいかね」


 振り向いた少女の顔が、余りにも脅えていた為、少し戸惑いながらも鳥井巡査長は自分の仕事を始める。


「この時間に一人で何をしているのかね?」

「あ、はい、あ、あのアルバイトで遅くなりまして……」


 ともすれば聞き逃しそうな程小さな声で喋る少女を、よく観察しながら鳥井巡査長は仕事を続ける。10年以上も警察官をやっている彼の経験からいえば、ここまで脅えている人物はやましい所が在るか、あるいは本当に小心者かどっちかのはずだ。


「済まないけど、IDカードを見せてくれないかな」

「は、はい」


 ポケットを幾つかまさぐった後、その中の一つからIDカードを探し出した少女は、震える手でそれを警官に手渡した。

 慣れた手つきで鳥井巡査長がそれをリーダーに通すと、短いサーチ音の後に、少女のパーソナルデータがシティのメインコンピュータから送られてくる。


 姓名   羽霧はぎり 由花ゆか

 性別   女性   

 生年月日 2011年8月3日

 髪色 黒   瞳色 黒

 都市立Mシティ高校3年在籍

 家族構成  無し


 次々と送られてくるデータが、目の前の少女と一致するかどうかを確認する。履歴までは確認しようが無いが、ボディデータ位は確認しなくてはならない。

 送られてきたデータと同じ色の髪と瞳を確認、ついでに髪型までデータと同じポニーテールになっているので、確認は容易だった。

 これが髪型を変えるだけならまだしも、最近は髪だけでなく瞳の色までも簡単に変えられる為、確認に手間取る事も多い。

 続いて送られてきた体型も確認。服の上からスリーサイズを確認出来るような特技を彼は持っていなかったが、それでも相手が送られてきたデータと同じ、小柄で随分控えめな体をしている事位は確認出来た。

 前科等はまったく無し、ついでに精神病関係の診察暦も無し、これらから完全に通りすがりの小心者の一般人と彼は判断した。


「ここいら辺は最近物騒だよ。何なら家まで送ろうか?」

「い、いえ、結構です」

「あ、ちょっと君!」


 いきなり背を向けて走り出した少女を追うべきかどうか彼は悩んだが、先程のデータに有った彼女の住んでいる学園寮が文字通り目と鼻の先に在ったのを思い出し、取り敢えずその背中を見送る事にした。

 それに彼女が走っていった方向はさっき自分がパトロールしてきたばかりのはずだ、別に不審人物は見かけなかったし、大丈夫だろう。彼はそう判断した。

 その判断は必ずしも間違いではなかった。

 そう、彼女に危害を加えようとするのが普通の人間だったならば。




 彼は飢えていた。空腹とはまた違う何かに飢えていた。

 この異様な体になって数日が過ぎたが、その間食事らしい食事を取らなくても、別に空腹は感じなかった。

 その数日を掛けて、体と能力の使い方を彼は覚えた。

 その気になれば普通の人間の姿になれる事、周りの人間から自分を感じさせないように出来る事、それとは逆に自分の周りに人間を近寄れないように出来る事、そしてそれらの力をどう使うかを彼は考えた。

 取り敢えず、今はこの飢えを満たす事にした。その異様なまでの血と殺戮への飢えを………




(どうしよう……)


 羽霧由花は悩んでいた。

 これから自分の身に何かが起きる、その事を知ってしまった。

 その何かまでは分からないが、その為にある人が傷付く事も同時に知ってしまった。

 その後どうなるかまでは分からない。その人も自分も助かるのか、あるいは死んでしまうのか。

 死ぬのは恐くない、と言えば嘘になる。だが、自分の為に誰かが傷付き、死んでいくのだけは避けなくてはならない。

 だが、その為に何をすればいいのかは見当もつかない。

 今はただ、その悪夢のような未来から逃げるように走り続けるしかなかった。




「あれにするか……………」


 彼は飢えを満たす為の獲物に、こちらに近付いてくる少女を選んだ。

 女として見ればまだまだだが、それでも楽しめない事は無いだろう。

 それに、あの少女からは何か不思議な力を感じる。ひょっとしたら自分と同じような力を持っているのかもしれない。

 が、それならそれで別の楽しみ方も出来るかもしれない。

 そんな事を考えつつ、彼は力を使い、少女と自分の周囲を何者も近寄らないようにした。

 これで邪魔者は入らない。ほくそえみながら、彼は獲物の調理に取り掛かる事にした。




 その男が現れたのは、由花が寮のすぐ手前の公園に差し掛かった時だった。

 薄汚れた服装のその男は、何をするでもなくただ彼女の方をじっと見詰めている。僅かに街灯に照らし出されたその目には、異様な光が宿っているのが見て取れた。


(ひょっとして、この人が……)


 男に何か危険な物を感じた由花がとっさに先程の警官の所に戻ろうときびすを返した瞬間、男は小さく片手を振った。


「きゃあっ!」


 今まで来た方向と反対側に走り出そうとした途端、由花は何かに足を取られ転倒した。

 慌てて立ち上がろうとして、いつの間にか履いている靴の片方のヒモが、全て切れている事に気付いた。


「人のところを見ていきなり逃げ出すってのはよくねえな」


 男は残忍な笑みを浮かべながら、ゆっくりと由花に近付きながら右腕を振り上げる。

 すると、突然由花の履いていたスカートの裾から腰の近くまでが奇麗に切断される。


「!」


 切断された場所から覗いている下着を慌てて隠しながら、由花は男の方に脅えた視線を向けた。

 男は、顔に浮かんだ笑みを更に深い物へと変えながら更に近付いて来ていた。


「そういった事をするような悪い子にはお仕置きが必要だな」


 目前にまで来た男はその歩みを止め、ゆっくりと由花の方へと手を伸ばした。

 最早恐怖の為に逃げ出す事はおろか立ち上がる事すら出来なくなった由花は、ただ脅え切った視線を男に向けるしかなかった。




「これはっ!」


 それを見つけたのは偶然だった。

 帰宅途中に、何気に数日前起きたある殺人事件の現場に立ち寄った後の事だった。

 その事件は明らかに普通の人間が起こした物ではないと断定され、自分の所属する《組織》の管轄になっていた。

 今、目の前に在るのは、そのような事件を起こす犯人が使う能力の一つ《結界》に違いなかった。

 それほど上位の結界ではないが、普通の人間ならばこの中で何が起きようが気付く事はおろか、近付く事すら出来ないだろう。

たとえそれがどんなに常識を逸脱した事であろうと。

 軽く息を吸いながら、指を唇に当て、短く指笛を吹く。上空を飛んでいた一つの影がそれを聞きつけ、そばへと降下してくるのを待ちながら、呼吸を整える。

 呼吸を通じて大気中に満ちる外気のエネルギーを体内に取り入れ、体内のエネルギーの内気へと変換しながら巡らせ、臨戦体勢へと体を移行。


「行くぞダイダロス」


 上空から降りてきた影、自分の片腕的存在の一羽の大鷲に声を掛けながら、結界の中へと突入する。

 中で起きている事を確かめる為に。




 最初に響いたのは甲高い猛禽類の泣き声だった。


「ぎゃっ!」


 次に響いたのは鈍い男の悲鳴。何故か異常なまでに冷たい手で由花の服に手を掛けていた男が、その悲鳴と共に手を離した。


「こんな所で何をしているんです?」


 穏やかな、それでいて強い意志を感じさせる口調の若い男の声が由花の耳に届いた。

 彼女はその声の持ち主を知っていた。その人物がこの場に来る事も。


「てめえ、どうやってここに!」

「それはこっちのセリフですよ。結界を張ってまで女性に危害を加えるような事は感心出来ませんね」


 口調はそのままに、彼は応える。

 彼の掛けている眼鏡の奥の瞳には、由花の見た事の無い鋭い光が宿っていた。


「生憎と人に感心されるような事はやった事が無いんでね」


 最初にダイダロスの鈎爪で切り裂かれた首筋に片手を当てながら、男がゆっくりと彼の方に向き直る。

 その顔には、またあの笑みが浮かびつつあった。


「それに、どうすれば他人が感心してくれるかなんて知らないもんでね」

「そうですね、今すぐ彼女から離れてくれれば、少しは感心されるんじゃないですか」

「そいつは出来ねえ話だな」


 男は、首筋に当てていた片手をゆっくりと降ろしながら、唇の片端を釣り上げ、その顔をより残忍な笑みへと変える。

 それは、由花から離れる意志が全く無い事の証明でもあった。


「それでは、こちらで離れさせてもらう事にしましょうか」


 最後のか、の音が消えるかどうかのタイミングで、彼の姿が由花の視界から消えた。それから由花には同時としか感じられないような極僅かなタイムラグを置いて、彼女のすぐ側から複数の音が響く。

 地面を強く踏みしめる音、短く鋭い呼気の音、そして鈍い打撃音。

それらが一緒に聞こえてきた方向へと由花が顔を向けると、ついさっきまでそこにいたはずの男の姿は無く、代わりに彼が右の手の平を前に突き出した姿勢でそこに立っていた。


「怪我は有りませんか?」


 突き出した右手を降ろし、由花の方に向き直りながら、彼は由花が見慣れた優しい笑みを浮かべる。

 よく見ると、彼が今まで向いていた方向から5m程離れた所に男は倒れていた。

 彼が中国拳法を使えると言っていた事と、その技を使って男を攻撃したらしい事に由花はようやく気付いた。

 が、彼のその笑顔に由花は安堵ではなく、不安を覚えた。彼にこれから何が起こるかを知っていたが為に。


「…て……」

「え?」

「逃げてください!」


 由花の声と、上空を旋回していた大鷲―ダイダロスが甲高い泣き声を上げたのはほぼ同時だった。

 それを聞いた彼の表情が笑みから怪訝、そして緊迫した表情へと瞬く間に変わる。

 最後の緊迫した表情へと変わると同時に、彼は由花を抱き抱え水平方向へと跳んだ。

 空中で器用に前後を変えながら、最初に彼が立っていたのとほぼ同じ場所に着陸すると同時に、彼は自分の背後へと由花を匿う。

 その背中はいつの間にか切り裂かれ、血が流れ出していた。


「やるじゃねえか、にいちゃんよお……」


 腰から上だけを起き上がらせ、何故か右腕を横に広げていた男が、さも愉快そうな、それでいて侮蔑と皮肉を込めた笑みで二人を見つめながら立ち上がった。


「オレもちょっと本気って奴にならせてもらうぜ」


 突然、肩まで持ち上げていた男の右腕が膨れ上がる。

 着ていた上着の袖を内側から弾け飛ばし、男の腕は赤茶けた肉と公園の街灯を受けて鈍く光る金属質の刃を兼ね備えた、奇怪な物へと変わっていく。

 変化は右腕だけでは留まらず、急激的に全身へと及んだ。

 右腕と同じように、左腕も奇怪な刃を持った物へと変じ、体は腕と同じ、赤茶けた不気味に蠢く肉塊へと成り果てる。

 下半身もまた衣服を弾き飛ばしながら軟体生物を思わせる短い触手の生えたまるで丸太のような太い足へと変わり、髪と背中が融合しながら腕と同じような刃を持った細い触手へと変わり果てる。

 肩と首から盛り上がった肉が頭を飲み込みながら、より高い位置へと男の顔を運んだ。

 不思議と顔だけは他の部分と同じ赤茶けた色に変わりながらも、その不気味な笑みを浮かべた表情そのままだった。


「!」


 人が人でなくなっていく、その様を見た由花は声にならない悲鳴を上げた。

 何かが起こるという事は分かっていたが、ここまで非現実的な事が起こるとは思ってもいなかった。


「ヒューマンベース………」


 目前にいる彼がそう呟くのが由花の耳に届いた。

 手早く彼ははめていた腕時計のボタンを押す。赤い点滅表示を始めたそれを口元に寄せると、それに向けて先程とは打って変わった鋭い声で喋り始めた。


「こちらイーグル・オブ・ウインド、H―17エリアにてヒューマンベースと遭遇。これより交戦に入る。なお、現場には民間人が1名、至急増援を」

『了解』


 腕時計からの返事を聞きながら、彼は掛けていた眼鏡を外す。

 その眼差しが今まで見た事の無い鋭く冷たい物へと、そして右の瞳が蒼く輝く物へと変わっていくのを由花は見てしまった。




『緊急シグナルを受信! H―17エリアにてイーグル・オブ・ウインドがヒューマンベースと遭遇、交戦状態に突入した模様! 現場には民間人1名がいるとの報告ですが、結界が張られている為、上空衛星からの詳細確認は不可能!』

「Cクラス戦闘態勢を発令。バトルスタッフ全員にスクランブルを」

「サポートマシン全部のエンジン掛けろ! 兵装の確認急げ! モタモタすんな!」

「相手はこの間のやつの犯人か?」

「まだ不明だ。今、空が相手している」

「また獲物一人占めしてねえだろうな」

「そういう問題じゃないでしょ!」

『デュポン発進可能臨界まであと6分』

「スレイプニルでG―17エリアのゲートから向かった方が速いな。先に出動しろ、民間人の保護を最優先だ」

「相手ぶちのめしゃいいんだろうが」

「だからそういう問題じゃないでしょ!」

「もう行っちゃいましたけど………」

「ゲート開け! 周りにいる連中は待避しろ!」

『デュポン発進可能臨界に到達!』

「発進」




「急々如律令、勅!」


 彼が懐から取り出した四角い紙切れ―道教で使われる呪符と呼ばれる物―が一直線に怪物へと変化した男へと飛んでいき、普段とはまるで違う冷静な口調で呪文―こちらは口訣こうけつと呼ばれる―を唱えると、それは突然雷へと変化する。


「ぐがあっ!」


 それを食らった男=怪物が、軋んだ響きを持った悲鳴を上げながらも、刃と化した腕を彼へと振るう。

 彼はその刃を巧みに避けながら、懐から今度はワイヤーの両端に大きさの違う二つの四角錐を組み合わせた形の刃の付いた武器―双縄標そうじょうひょうという名の古代中国の武器―を取り出すとそれを相手へと向けて投じた。

 二つ並んで飛ぶ刃が相手に当たる瞬間、彼は手元のワイヤーを微かに引く。途端に刃はそれぞれ左右に弧を描き、相手の両脇へと突き刺さる。


「痛えじゃねえか!」


 突き刺さった刃を物ともせず、男=怪物が刃の生えた無数の触手となった髪を振るう。

 彼はワイヤーを掴んでいない方の手で懐からもう一つ双縄標を取り出すと、それを指の間に挟み、襲ってくる刃の髪のある物は切り落とし、ある物はかわす。

 それでも幾つかの刃が彼の体をかすめ、筋のような傷を彼の体に刻んだ。



 今、目の前で繰り広げられている戦いは現実の物なのだろうか、由花はそんな思いに捕らわれていた。

 先程から起きている事全てが余りにも自分の知りうる限りの常識から逸脱しすぎている。

 が、あらかじめ知っていた様に彼が傷付いていく様子が、嫌でもそれが現実なのだという事を彼女に知らしめていた。


(これ以上、一体何が起きるんだろう……)


 そう思った途端に、それは来た。

 今見ているのとは別に、もう一つの視界が開けていく。

 それは、今まで起きた事、もしくはこれから起こる事を映し出す彼女自身にしか見えない時を超えたビジョン。

 見えたのは男=怪物が突然消え、腕だけが彼を襲う映像だった。



「ハッ!」


 彼は呼気と共に、最初に放った物とは比べ物にならない程強力な掌底打を男=怪物の腹部(だった部分)へと放つ。

 マンホールのフタより一回り程小さく(それでも普通の人間の胴体程の幅はあったが)腹部(だった部分)を陥没させながら男=怪物が後方へと吹っ飛ぶ。


「がふっ、てめえ、ころ、ぎゃあぁ!」


 血反吐を吐きながらも、何とか転ばずに踏み止まった男=怪物の顔面に上空にいたダイダロスが鈎爪を振るう。

 悲鳴を上げながらも、男=怪物が離れようとするダイダロスに腕と刃の髪を振るうが、ダイダロスは地面スレスレを飛びながら巧みに刃の隙間を掻い潜り、再び上空へと舞い上がる。


「ひ、ひへへへへへへ…」


 突然、男=怪物が先程までの激昂した表情から、打って変わって静かな笑いを浮かべ始めた。

 彼はそれを怪訝そうに見つめながら、片手で相手に突き刺さったままの双縄標のワイヤーを手繰り寄せ、もう片方の手で懐から呪符を取り出しながら油断無く構える。


「やっぱりよ……疲れるからって、出し惜しみするのはよくねえよな!」


 男=怪物は喋りながらも両腕を持ち上げ、突然それを思い切り振り下ろした。

 自分自身の体を狙って。


「え?」

「!?」


 傷口から人と変わらない赤い鮮血を滴らせながら、男=怪物は笑みを浮かべる。その足元に、周辺の組織ごと切り落とした双縄鏢の刃が落ちる。


「奥の手ってのを使わせてもらうぜ」


 そう言うや否や、突然男=怪物の姿が掻き消える。


「何だ……?」


 地面に落ちた双縄標を手元に戻しながら、彼は周囲を見渡す。

 蒼く輝く右の瞳―浄眼と呼ばれる魔を見透かす力を持った目―が周囲のあらゆる物を見通すが、それを持ってしても相手の姿は捉えられなかった。


『ぶっ殺してやるぜ! てめえも、あのクソ鳥も、そこの女もまとめてぶっ殺してやる!』

「危ない!」


 どこかから、男=怪物の声だけが響いてきた途端、突然彼の背後に刃の腕だけが現れる。

 彼は由花の声が聞こえると同時に、とっさに前に跳んでいた為に、辛くもその腕からの一撃を逃れたが、その跳んだ先に別の腕が現れる。


「急きゅう…」


 彼は身をよじりながら持っていた呪符を突き出すが、口訣を唱えるよりも速く、その腕が彼の胸を掠めながら呪符を両断する。

 切り裂かれた胸から血を滴らせながら、素早くその場から動こうとした彼の今度は足元から無数の刃の髪が現れる。


「くっ!」


 彼は慌てて上へと跳び上がるが、足に絡みつこうとしていた刃の髪の内の何本かが彼の足を切り裂く。

 助走も無しに数m程もジャンプした彼は、ちょうど真上を飛んでいたダイダロスの足を掴むと、下降しながらグライダーのように滑空し、離れた所に着地する。


「どうしたい、あんちゃんよお。逃げてばっかりかい?」


 背後から聞こえてきた声に彼が振り向くと、そこに男=怪物の不気味な笑みを浮かべた顔が浮かんでいた。

 振り向く勢いをそのままに、その顔へと放った彼の回し蹴りが命中する瞬間、その顔は虚空へと消えた。


『そんなに離れてていいのかい?』


 その声が響くと同時に、今度は由花の目の前に全身で現れ、片腕を振るって彼女の上着だけを切り裂いた。


「きゃああぁぁ!」


 由花が悲鳴を上げながら、切り裂かれた上着の隙間から覗いている下着を慌てて隠しながらその場にしゃがみ込む。

 それを満足そうに見下ろしながら、男=怪物が彼の方を見ようとした途端、その周囲に八つの刃が突き刺さる。


「何っ!」


 ちょうど男=怪物を中心とした八角形の頂点の位置に双縄標は突き刺さり、対角線を結ぶワイヤーが檻のように男を囲む。その刃には一枚ずつ呪符が貫かれていた。


「我、八門の法を持ちて遁行と成し、杜門へと汝を導く!」

「しまっ…」


 男=怪物が逃げるよりも一瞬速く、彼の口訣が終わり、術が発動する。

 八枚の呪符が光り、それぞれの位置から光で形成された扉が現れる。その内の一つ、男=怪物から見て右側の扉が開いた。

 すると、その呪符で囲まれた内部が無数の透明な直線で切り刻まれたように歪む。


「ぎゃああぁぁ!」


 無数の透明な直線で歪んだ空間の中から、その直線によって切り刻まれた男=怪物の絶叫が響いた。

 が、光の扉と共に歪みが晴れた後のその場所には、血溜まりと無数の肉片が散らばっていたが、肝心の相手の姿は消えていた。


『ひ、ひへへ、油断したぜ……やっぱりお楽しみは取っておいた方がいいみてえだな……まずはてめえからぶっ殺す!』


 またしても声だけが響いてきたと思った途端、それぞれ違う場所から血塗れの腕とほとんど傷を負っていない腕、そして無数の刃の髪が彼を襲った。

 刃の髪を手にした双縄標で切り落としながらかわし、傷を負っていない腕はダイダロスの攻撃によってその起動を逸らす。が、血塗れの腕だけは防ぐ事もかわす事も適わず、彼の体に新たな傷を刻む。



(どうしよう…………)


 羞恥よりも、恐怖の為にうずくまりながら、由花は、目の前の戦いを呆然と見ていた。

 フィクションの世界でしか戦いという物を知らない彼女の目から見ても、彼が劣勢なのは分かった。

 相手は何も無い所から突然現れ、攻撃してきたと思えば、またすぐに消える。その内の何回かに一回は彼の体に傷を刻む。

 そして、次に攻撃がどこから来るのか彼は知る事が出来ない…………

 そこまで考えた時に気付いた。

 自分ならば次に何が起こるかを知る事が出来るという事に。


(でも………)


 由花の心に迷いが生まれる。自分の意志で力を使った事は今まで一度も無い。

 そして、もし使えば彼にそんな力が在る事を知られる事になる。

 そうしたら、彼は今まで通りに自分に優しくしてくれるだろうか………

 が、その迷いも彼の体に新たな傷が刻まれると同時に消えた。

 恐怖と焦りに彩られた心を奮い立たせ、強く願う。未来が見たいと。

 そして、彼女にとっては見慣れたもう一つの視界が広がってくる。

 生まれて初めて、由花は自分の意志で能力を発動させた。



「来ます! 右後ろ!」


 由花の声と同時に、彼は左へと跳ぶ。

 その脇を彼を襲い損ねた刃の髪が空しく通り過ぎ、再び虚空へと消える。


「次は正面! 下の方から!」


 彼女の言葉より一瞬遅れて、彼の足元から血塗れの腕が飛び出す。その事に多少怪訝な表情を浮かべながらも、彼は真上へと大きく跳んだ。


「真後ろ! 背中に向けてまっすぐ!」


 その声に反応した彼が虚空へと向けて右足を蹴り上げ、その反動を利用して空中で倒立する。そして、その下を通り過ぎようとする腕に懐から取り出した呪符を指先で突き刺した。


『何ぃっ!』

「爆気を持ちて在を禁ず!」


 腕が虚空に消えるよりも速く、突き刺された呪符が爆発し、肉片を撒き散らしながら腕を大きくえぐる。


「次は地面に降りてから、前と左右同時に来ます!」


 由花の言葉通りの攻撃に対し、彼は正面から襲ってきた腕を斜め前に進みながら真横への掌底でその軌道を逸らしながらかわし、そのまま体を反転させて虚空に消えかかっている腕の根元に肘を打ち込む。

 右から襲ってきた腕にはダイダロスが鈎爪でそれを大きく切り裂き、左から襲ってきた刃の髪が彼らを狙って大きく広がるが果たせず消える。


『女、てめえまさか!』

「次は…え?」


 次の指示を出そうとした由花のもう一つの視界に映ったのは、驚きと焦りを浮かべながらこちらに向かおうとする彼の姿。

 その頭上に、鈍く光る刃の腕が出現している事に彼女は気付いてなかった。


『死ねえぇぇ!』

「アーメン!」


 声と共にその刃が振り下ろされるのと同時に、力強い女性の声と、鈍い破裂音のような音が響いた

 それは、由花が生まれて初めて聞いた本物の銃声だった。

 一体何が起きたのか由花が理解するよりも速く、その体を彼が抱き抱えその場を飛び退く。


「怪我は無いか」

「あ、はい……」


 冷静な口調のまま彼から掛けられた声に返事をしながら地面に降ろされた時に、ようやく何時の間にかその場に現れた、変わったバイクに跨って銃を構えている女性がいる事に気付いた。


「苦戦してるみてえだな」

「ああ、気を付けろ、奴は空間を渡るぞ」

「そうかい」


 軽口を叩きながら、その女性は先程まで由花がいた場所(正確にはその真上)に向けていた銃口を突然自分の真後ろに向けてトリガーを引いた。


『ぐあっ!』


 発射された弾丸は、ちょうど女性の真後ろに出現した腕へと突き刺さる。奇怪な悲鳴を残しながら、その腕はまた虚空へと消えた。


「一人でスルみてえにコソコソするのが得意って訳か」


 銃を構え直しながら、女性はバイクのスロットルを捻る。内燃機関ともモーターとも違う変わったエンジン音を立てながら、凄い勢いで車体をドリフトさせてバイクは彼と由花の隣へと並んだ。

 隣に来た女性を由花は改めて観察した。

 深い藍色で半袖のジャケットと、両脇に大胆過ぎるスリットの入った同色のスカートを履き、黒いボディスーツをその下に着込んだ、腰まである長い黒髪を垂らした20代位の女性だった。

 腰のベルトにはホルスターとスペアマガジン、そして幾つかのパウチと特殊警棒の様な物がぶら下がっている。そして、着ている服の上からでも分かる豊満な胸に、古びたロザリオが揺れていた。

 女性の跨っているバイクもまた変わっている物で、黒地に赤のラインが入ったボディに、両脇に大きなサイドカーが付いている。

 サイドカーの右側には長い砲身が、左側には四角いミサイルポッドの様な物が付いているまるでSF映画にでも出てきそうなごつい戦闘用バイクである。


『デュポン到着まであと3分15秒! それまで持ち堪えろ!』

「持ち堪える? 逃がすなの間違いじゃねえのか?」


 バイクのメーター類の中にあるディスプレイからの報告を聞きながら、その顔に楽しげな笑みを浮かべ、女性がホルスターに銃を戻しながらバイクから飛び降りる。


「油断はするな。手強いぞ」

「てめえ見りゃそれくらいは分かるよ」


 取り出した呪符を構えながらの彼からの警告に応えながら、女性の顔が真剣な物へと変わる。


「主よ、我に邪悪なる魂戒めん為の力を与えん事を」


 女性が聖句を唱えながら十字を切り、周囲を油断無く見渡す。

 彼もまた油断無く構えながら周囲を見渡すが、相手の姿は見当たらない。


『仲間がいやがったのか! そいつもまとめてぶっ殺してやる!』

「天空に在りし大天使ミカエルよ! その御手に掲げし盾を持ちて我らを守らん事を!」


 男=怪物の言葉が終わるよりも速く、女性が聖句を唱えながら右の方を向いて両手を前に突き出す。

 ちょうどその方向から現れた無数の刃の髪が、女性の目の前に現れた淡く光る障壁に阻まれる。


『なんだとっ!』


 驚愕の声が響く中、彼が構えていた呪符を刃の髪の中に投じ、口訣を唱える。


「雷気、火気を持ちて在を禁ず! 急々如律令!」

『く、ぐあっ!』


 光の障壁に阻まれた刃の髪が虚空に消えるよりも速く、投げ込まれた2枚の呪符が雷と炎に変わり、その大部分を千切り飛ばす。


『くそたれえぇぇぇ!!!』

「危ねえ!」


 女性が叫びながらその場に屈み込み、それを聞いた彼が由花を抱えて何も無い横手へと跳ぶ。

 ちょうど先程まで由花がいた空間の後ろから突き出された血塗れの腕が、女性の上を通り過ぎようとした瞬間、突然立ち上がった女性がその腕を両腕で掴み、捻りを加えて肩に担いだ。


「おらあっ!」


 気合いと共に、突き出された勢いを利用して女性はその腕を思いっきり引いた。関節を極めた柔術式の投げ技が見事に決まる。

 投げられた勢いで、腕に続く体が虚空から引きずり出され、地面へと叩き付けられた。


「がはっ!」


 何が起きたか理解できずにいる男=怪物の視界に、上空から迫ってくる影が映った。それが何かを認識する間も無く、視界の半分が激痛と共に閉ざされる。

 上空から隙を伺っていたダイダロスが、男=怪物が地面に叩き付けられると同時に、急降下してその右目にくちばしを突き刺したのだった。


「ぎいやああぁぁぁぁぁぁ!!」


 悲鳴を上げながら、男=怪物が目茶苦茶に手足を振り回す。振り回した右腕がその場を離れようとしていたダイダロスをかすめ、左腕が女性の左肩へと当たり、その体を弾き飛ばす。


「ぐっ!」

『瑠璃香!』


 弾き飛ばされた勢いで、女性が止まっていたバイクへとしたたかに体を打ち付けた。バイクのディスプレイから女性の名前らしき物を叫ぶ声が響く。


「ちっ、油断したぜ……」


 その声に応えず、女性―瑠璃香という名らしい―が立ち上がりながら、肩を押さえて顔をしかめる。


『あと1分以内にデュポンが到着する。それまで…』

「その前にぶっ倒す!!」


 叫びながら、瑠璃香がホルスターから一瞬にして銃を抜き、未だに暴れている男=怪物へと次々と弾丸を叩き込んだ。


『やっぱこうなるのか………』


 諦めたような声と共に、バイクからも次々と小型ミサイルが発射される。


「ぎぃ…」


 小型ミサイルの爆発音に、男=怪物の悲鳴がかき消される。それでもなお、その爆音の中にミサイルと弾丸が叩き込まれ、弾丸が尽きた所でようやく攻撃の手が止まる。


「倒し…た………?」

「いや……」


 爆炎が晴れ、焦げた肉片が転がっているのを見て由花が呟いた言葉を、傷付いたダイダロスを腕に止まらせながら彼が否定する。

 瑠璃香の方も手早くマガジンを交換しながら、周囲を警戒していた。


『そうか…分かったぞ……てめえもそこの女みてえに、オレのしようとする事が分かるんだな』

「てめえ、も?」


 虚空から聞こえてきた声に、瑠璃香が疑問符を浮かべ、その視線が由花へと向けられる。


「ひょっとして、そいつ…」

『これならどうだ!』


 疑問を言い終えるより速く、瑠璃香の前から焦げてだいぶ少なくなった刃の髪が、左右の斜め後ろから刃のあちこちが欠け落ちた腕が極至近距離から突き出された。


「ちっ!」


 瑠璃香が舌打ちしながら、とっさに横へと転がる。避け切れなかった刃が彼女を掠めるが、ジャケットとボディスーツの表面に僅かに傷を残しただけに終わる。


「しぶてえんだよ!」


 転がった状態から片膝をついて立ち止まった瑠璃香が、消えようとする腕へと向けてトリガーを引くが、肩の痛みの為に狙いが逸れ、向こう側に有ったベンチへと当たる。


『ハズレだ!』


 嘲笑が虚空から響いた。



(不死身の…怪物………)


 そんな言葉が由花の頭に浮かんだ、

 あれだけの攻撃をくらいながら、男=怪物は未だに生きている。彼女の知識では、あれ程の攻撃を食らって生きていられるような生物は存在しない。

 それ以前に、変身したり突然消えたり現れたり出来るような物が生物であるかどうかすらも疑わしい。


(ひょっとして、このままみんな………)

「…が分かるか」


 段々と暗黒方面へと移っていく由花の思考が、彼の言葉で中断される。


「え…?」

「相手の動きが分かるか?」


 虚空を鋭い目で見ていた彼の言葉が、自分に対する質問である事に由花はようやく気付いた。


「……はい……」

「もうじき仲間が到着する。それまでの間、手伝ってほしい」

「……分かりました………」


 ためらいながらの由花の返事に、彼が冷静な口調のまま言葉を続ける。

 明らかに自分の能力を言っている事に、由花は戸惑いを感じながらも了承する。


「頼む」


 彼は短くそう言いながら、腕に止まっていたダイダロスを飛立たせ、前へと走り出した。


「前から来ます!」

「八門の法にてを拒む!」


 彼が口訣を唱えると同時に呪符を前へと突き出す。

すると、呪符は光で形成された扉へと変わり、ちょうど彼の前に出現した腕を受け止める。


「次は右から!」

「ハレルヤ!」


 彼が右を向くのと、虚空からの腕の出現、そして瑠璃香が聖句と共に弾丸を撃ち込むのはほぼ同時だった。


『ぐがあっ!』


 聖句と共に撃ち込まれた弾丸が腕を大きくえぐり、血と炭化した肉片を撒き散らしながら腕は虚空へと消えた。


「またかこのメスガキが!」

「えっ?」


 真後ろから突然聞こえてきた声に由花が振り向くと、そこには半面を血に染めた顔が浮かんでいた。


「てめえから死ね!」


 叫びながら男=怪物が両腕を由花へと振り下ろす。

 そこへダイダロスが甲高く泣きながら由花へと飛び掛かってその体を押し倒した。

 振り下ろされた刃は空中に残っていたダイダロスの羽の1枚を切っただけに終わった。


「この…」

「我が守護天使ハナエルよ! 汝が御手に掲げし聖銃の雷火我が前に撃ち放たん事を!」

「春気を持ちて雷気と成し、雷気を持ちて汝が在を禁ず! 急々如律令!」


 男=怪物の悪態を二つの呪文が遮る。

 それに男=怪物が気付いた時には、大きなプラズマの塊と呪符から変じた雷が回避不可能な距離にまで迫っていた。


「!」


 悲鳴は盛大なスパーク音と肉が弾け飛ぶ音にかき消され、弾け飛んだ腕の刃が風切り音を立てながら宙を舞い、地面へと突き刺さる。

 肉の焦げた匂いと電子臭の入り交じった煙が晴れていくと、そこには無残な姿となった男=怪物の姿が在った。

 とっさに防御したらしく両腕を顔の前で交差せていたが、右腕は途中から消失し、左腕はほとんどが炭化していた。

 右腕が消失した為か、顔の半分は無残に焼け爛れ、虚空に潜んでいた部分からラインを引いたように前だけが著しく傷付いていた。


「……まだだ………」


 腕を降ろしつつ、煙の混じった息を吐きながら男=怪物は呻いた。


「まだだーーー!!!」


 叫びながら最早ほとんど炭化している腕を一番手近にいた由花へと振り下ろそうとした時、突然周囲が光に照らし出された。

 驚いた由花が上空を見上げると、そこに巨大な機影が在った。

 余りの大きさに全体のシルエットすら把握できないようなその巨大な機影から、強力なサーチライトが公園一帯を照らし出している。

 それだけ巨大な物が空中に静止しているにも関わらず、驚くべき事にその機影からは駆動音のような物はほとんどせず、それだけ目立つ物にも関わらず周囲の人家が気付いた様子も無かった。


「な、なんだあれは………」


 攻撃する事すら忘れ、男=怪物も呆然とその機影を見つめていた。

 すると、その機影のハッチが開き、そこから何かが投下される。ドラム缶を一回り大きくしたようなそれは、空中で四つに分かれ、公園の東西南北の四方に突き刺さる。

 ちょうどガスボンベ位の大きさの四つの楔と化したそれの表面のカバースライドし、中から円周状に梵字が浮き出た胴体が現れる。


『オン』


 四つの楔から同時に低い男性の声が漏れる。

 それと同時に、楔の表面が低い唸り音と共に回転を始める。


『オン アボギャ ベイロシャノウ マカ ボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤウン!』


 声が古代インド語の呪文―密教、陰陽道などで使われる真言と呼ばれる物―を朗々と唱える。

 それと同時に楔の表面も回転速度を増しながら徐々に光り始め、声が最後の一句を唱え終わると同時に一瞬だけ閃光を発する。

 途端に楔で囲まれた周囲の景色がまるで水面に写った景色の様に揺らぎ始める。


「こいつは!」

『最早逃げ場は無い』


 男=怪物の驚愕の声を、上から聞こえてきた真言を唱えていたのと同じ声が遮る。冷静その物の声は更に言葉を続けた。


『もしお前が罪を悔い改め、おとなしくするというのならば、それなりの対処を約束しよう。だが、これいじょ…』

「う・る・せ・え!」


 最後まで聞かず、男=怪物は由花へと向けて刃の髪を伸ばす。

 恐怖の為に目をつむった由花の耳に、刃の髪が何かに突き刺さる鈍い音が響いた。

 恐る恐る目を開いた彼女が見たのは、地面から生えた無数の杭のような物だった。

 よく見ると、それは地面その物が無数の杭となって由花を守ったのだった。


「レディに乱暴するなんて最低ね」


 突然澄んだ女性の声が響く。

 由花がそちらを向くと、そこに緩やかなウェーブの掛かった金髪の女性が宙に浮かんでいた。

 驚いた由花が目を凝らして見ても、瑠璃香と似たような格好を(もっとも、長袖とタイトスカートという違いがあったが)したその女性が、何らかの機械を使って飛んでいる様子は全く無い。


「てめえの仕業か!」


 叫びながら男=怪物が腕を突き出す。

 その先端が虚空へと消え、金髪の女性の目前へと出現するが、彼女のほんの数cm手前でそれは止まる。

 よく見ると、彼女の髪が前へとなびき、それは前へ行けば行くほど強風にあおられたように強くなびいている。

 そして、耳を澄ますと確かに大きな風音が聞こえるが、由花の周囲には音を立てる程の風は吹いていなかった。


「むだよ」


 金髪の女性がそう言うと同時に、凄まじく強力な突風が男=怪物にだけ吹き付け、その体を弾き飛ばした。


「がっ!」


 弾き飛ばされた男=怪物の体は楔が形成した結界に当たり、地面へとずり落ちた。


「観念する事だ」


 彼が呪符と双縄標を構えながら言う。


「神の御許に送ってやるよ」


 瑠璃香が十字を切りながら銃を構える。


「これ以上、罪も無い人々を傷付けるなら容赦はしないわ」


 金髪の女性がそう言いながら由花の側へと降り立つ。その周囲の地面がざわめき、風が渦巻いている。


「殺れるものなら殺ってみやがれ!」


 男=怪物の姿がかき消え、楔の一つの側に現れると、それを破壊するべくありったけの攻撃を加える。

 が、予想以上に頑丈なそれは、多少表面が削れる程度でその働きを止める事は無かった。


「勅!」

「アーメン!」


 楔を攻撃し続ける男=怪物に向けて、呪符が突き刺さった双縄標が、聖句と共に放たれた弾丸が、風の刃と大地の槍が放たれる。

 それを背後に感じた男=怪物の焼け残った顔に、笑みが浮かんだ事に気付いた者はいなかった。

 攻撃が当たる瞬間、男=怪物の姿がまたしても虚空へと消え、攻撃はそのまま背後の楔へと向かった。


「くっ!」


 彼がとっさに手元のワイヤーを引く。双縄標は楔の手前で止まった。


「しまっ…!」


 金髪の女性が放った力を慌てて消去する。   

 風の刃と大地の槍は楔の表面を軽く傷付けるだけに終わった。


「やば………」


 放たれた弾丸だけは止めようが無く、楔に大穴を穿った。

 楔はそれでも回転を続けようとしたが、ゆっくりと回転は遅くなり、やがて止まった。

 途端に揺らいでいた景色が元に戻り、結界が消えた事をいやでも知らしめた。


「覚えてやがれ! お前ら皆殺しにしてやる!」


 半面しか残っていない顔だけを虚空に出し、男=怪物はそう言い放つと再び虚空へと消える。


『半径200m範囲内に反応は無い。どうやら本気で逃げたようだな』


 上から聞こえてきた報告に、しばらく用心深く構えていた彼らがようやく緊張を解いた。


『現場の処理及びサンプルの回収の後、総員撤収する』


 彼が無言で双縄標を手元に戻し、あちこち切り裂けている上着の隠しポケットへと仕舞う。その肩に傷付いたダイダロスが止まった。


「くそっ!」


 悪態を尽きながら瑠璃香が銃をホルスターに戻し、バイクを殴り付ける。


『八つ当たりするなよ………』


 バイクのディスプレイに呆れた顔の男性が映っている。


「大丈夫? 変な事とかされなかった?」


 金髪の女性が自分の着ているジャケットを由花に架けながら心配そうに聞いてくる。

 その時になって、由花はようやく今の自分の格好を思い出し、酷く赤面した。


『総員、撤収する』



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― 新着の感想 ―
異能と現実が交錯する世界観がめちゃくちゃ魅力的!由花の葛藤や、戦闘描写の熱量もすごくて引き込まれた。まだ序盤なのに、ここまで重厚な展開とは……続きが気になります!
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