broken life
蓮花という人は、どんな人かと考えて綴っていたら、こんな世界が出来てしまった。
始めに見えたのは薔薇だった。
目の前で金色の薔薇が揺れていて、とげすら美しく見えた。
次に気付いたのは、自分が何かに掴まれていること。硬い金属が腕に食い込んでいること。
最後に見えたのは、泣き叫ぶ男。
叫び声の中で聞こえたのは、守りたかったの一言。
蓮花は重い頭を机から起こした。二日酔いに似た頭痛が走る。
大学の構内、人気の少ない図書館にいる。そう言えば、レポートの資料を探しに来たんだった。
ふと、手元の湯気の立つコーヒーが目に入る。見た目で解るが、ブラックだ。ミルクと砂糖がなければ飲めない自分が、これを持ってくるはずはない。
隣の学生の物かと思うと、自分の周辺には誰もいない。
仕方なく、図書館を出てカフェに向かった。本に囲まれた空間から出るのはものさびしい。
カフェは人でいっぱいだった。教授も来ているし、学生は講座の種類について話を交わしている。
知り合いがいなさそうなので、ミルクや砂糖の並ぶカウンターへ進んだ。そこで、それぞれ三つほどつかみ取り、泡立つのも気にせず、トポトポとコーヒーに注ぐ。
口を付けると、少し甘すぎた。もともと微糖程度だったのだろうか。今となってはわからない。
「蓮花、ここにいたのか」
瑞樹の声がした。確か寮の隣人だ。
彼女はシックなシャツと、体に合わせた黒いズボンをはきこなしていた。モデル体型と言う言葉のふさわしい、ラインがきれいなスタイルをしている。
髪はワインレッドに染められ、肩のあたりで揺れていた。
「今日なんかあったっけ?」
私はその質問の意図にしばらく気付かなかった。
「蓮花、今日講座取ってないでしょ?」
「そうだっけ? 今日は何曜日?」
瑞樹がチャッと腕時計を見る。髪の色に合わせた赤の革時計だ。
「水曜」
蓮花はそれを聞いて、自分がなぜ大学に来たのか忘れてしまった。腕にかかる重みでかすかに記憶がよみがえる。
「あ、そうだった。レポートが金曜に提出だから、資料を見に来たの」
瑞樹は呆れた顔をする。
「それ、提出先週でしょ? 大丈夫なの、あんた」
不自然だ。自分は提出期限を破ったことがない。それに、日にちを間違えることもない。
蓮花はふらふらと席へ向かった。
瑞樹が後から、ドーナツの載ったトレイを持ちやってくる。
「圭護にふられたからおかしくなったの?」
「誰、それ?」
「あんたが先週告白した男だろうが、まじで大丈夫?」
「駄目かも」
蓮花はコーヒーを飲み干すと、御馳走さまと呟いて、カフェをあとにした。
瑞樹はその後ろ姿を心配げに見つめる。
「また暴走しなきゃいいけど…」
大学の構内をどう出たのか覚えていない。気が付くと大きな駅にいた。随分と都会的だ。
駅名も目に入らず、よろめきながらホームに辿りつく。路線を頭に描きながら、やってきた列車に乗った。
「……駅行きー……駅行きー」
肝心な部分が聞き取れない。しかしどうでもよくなった。
財布を持っているかも知らないし、なかったらどうなるかも興味がない。
ただ、乗って辿りついたら下りるだけだ。
窓際の席が空いていたから、そこに腰を掛けた。トンと、頭を窓に預ける。過ぎてく景色が光みたいに速くて、何もわからなくなった。
「あー、あー、誰か来て」
小さな声で言ってみた。誰も来ないと知っていながら。
「蓮花、お前何してんの?」
肩に置かれた手からして、低い声から判断して、男だ。聞き覚えのある声。
「圭護…?」
振り向くと、見慣れた顔があった。ジャケットと、流行りのズボンをはいてる圭護がいた。尖っている髪は、自由に伸びていて、それが余計に魅力的だ。
「お前、今日平日だし。何で県外に行こうとしてんだよ」
「え、これどこ行き?」
「…行きだけど」
やっぱり聞き取れなかった。
「ふーん」
「様子が変だな、お前。何かあった…ってオレが訊くのは野暮か」
何のことだろうか。瑞樹が言っていたような気もするが、圭護に何をしたか覚えていない。
「とにかく、ぼうっとしてんなよ。オレ、バンドの仲間と来てるから戻るわ」
そう言うと、圭護は列車の無機質なドアに消えた。
「そう、じゃあね」
聞こえてないと知りながらも、言葉を贈った。
うでがむずむずする。何かが湧きでてくる感じがする。
「あ」
次に目を開けたら、列車は壊れていた。
脱線したような跡もあるが、音も衝撃もなかった。
自分が廃墟と化した、列車の一角にいることは分かっている。
周りは焦げくさく、多分火が回っているのだろうと見当が付く。人の体はどこにも見当たらない。もう、みんな退避した後なのだろうか。自分だけ眠っていたから気付かなかったのだろうか。
怪我は何処にもしていない。割れたガラスの上に立っているのに、何処にも切り傷がない。
ただ、腕がむずむずしていたのが消えただけ。
「あー、あー、誰か来て」
今度こそ誰も来ないと思った。だから、ふらふら歩き出した。
「蓮花、まだそこにいたの?」
瑞樹だ。いつの間に此処まで来たのだろう。さっきと服装が違う。
「ちょっと、ちょっと。探したのよ。まさか一週間も行方不明になるなんて」
一週間。それはどのくらいだ、と思った。自分はずっと同じGパンをはいてるし、靴も大学で見たのと同じだ。何故私以外だけが変わったんだろうか。
列車事故はいつ起こったんだろうか。
「ねえ、蓮花。病院に行きましょうよ。見たところ大丈夫そうだけど、骨とか折っているかもよ。全くどれだけ心配したことか。無事で…よかったわよ」
無事か。自分は無事なのか。蓮花はぼうっと空を見た。
ぼうっとしちゃいけないと判っていた。こうしている間にまた世界が自分を置いていってしまうはずだ。判っていても、動けなかった。うでがむずむずした。
次に気付いた時、瑞樹はいなくなっていた。
列車の残骸には、錆びがこびりつき焦げくささもなかった。
さっきは山中だったのに、今はどうやら荒地の真ん中みたいだ。また、世界に置いていかれてしまった。くるくるとまわりを見るが、音もしないし、風すら吹かない。
「あー、あー、誰か来て」
地震が来た。立っていられない位強い揺れが来た。それなのに、蓮花は悠然と立ち尽くしていた。誰も来てくれないのか、その喪失感が大きくて何も感じなかった。
足元が割れる。列車の残骸が悲鳴を上げる。砂が飛ぶ。
蓮花はぼうっとそれを見ていた。自分に何が出来るのか。立っていれば世界にしがみつけるとばかりに、立つだけだ。
「ああー、ああー、誰か来て」
夜が来た。
見慣れない研究室の中だ。自分はやっぱり立っていて、空気の味が変わっていた。
手に持っている物は、自分の皮だけ。頭に着いているのは、髪だけ。
「蓮花、無事でよかった」
白衣を着た瑞樹がいた。髪の色は紫になっている。それでも何の違和感もない。
自分はGパンを履いていて、見慣れた靴が下にある。
「ねえ、瑞樹。私は世界に着いていけないよ」
「大丈夫よ、蓮花。だから、落ち着いて」
落ち着く。何を落ちつければいいのだろうか。うでがむずむずする。
「瑞樹ぃ…」
音が響いている間に世界が暗くなった。研究室が無くなった。
瑞樹の最後の声がした。
「ごめんね、蓮花ー。止められなかった」
何を謝られているのかさっぱり分からない。ただ、世界が出発してしまったのは判った。
自分が立つのは、虚空の上。
ざわざわ風が吹いている。誰もいない。
「あああああ! ああああ! 誰か来て」
誰もいない。空気が止まる。誰もいない。
圭護も瑞樹も同級生も誰もいない。
肩に重みがかかる。誰かの手だ。
振り返ると、手の形をした白いものが肩に乗っていた。骨と気付くのに時間はかからなかった。時間がかかったのは、骨に着いている指輪を何処で見たかと言うこと。
これは瑞樹のだ。
金色のおどろおどろしいハートが彫られている。
「だめじゃん、瑞樹ぃ。無くしちゃ」
肩の手に、触れてみる。ごつごつしているけど、瑞樹の手だ。
「あれ、何で瑞樹の手が此処に骨になっているの?」
世界は応えてくれなかった。
目を閉じる。世界に追い付くために、歩いてみる。
感触の悪い地面を超えて、海みたいに音がする地面を超えて、草が柔らかい地面を超えた。何歩歩いたのか考えてみたが、千まで数えて飽きてしまった。
辿りついたのは、世界の端。
「ここが最後尾かぁ」
目の前の切り取られた空間から出ないよう、そっと立ち止った。見渡す限り闇だ。
ざわっと風が吹く。うでがむずむずする。
「誰か、来て」
瞬きの後に見えたのは、金色の薔薇だった。
口付けしたくなるくらい、綺麗な薔薇が揺れていた。
自分の体が自由に動かせない。もがく気も起きない。
声が降ってきた。
「ごめん、蓮花。もう止まってくれ」
何のことだろうと思った。動けない自分に対して誰が言っているのだ。
蓮花は、目を閉じた。
ここが、どこかはどうでもいい。
世界に着いていかなきゃ。間に合わなくなってしまう。
「待ってくれ、蓮花!」
待つのは世界だ。
うでがむずむずした。
強制的に腕を掴まれる。
「これ以上世界を巻き込むな」
何のことだろう。誰の声だろう。
「圭護かぁ」
目を開けると、圭護がいた。涙にぬれた目をしている。
必死な顔をしてる。
「蓮花、自分がしていることに気付け。お前の力は大きすぎるんだ」
「なんのこと?」
「世界を巻き込むな。腕に支配されるな」
うでがむずむずする。ぼうっとしなきゃ。
カシンと音がした。腕が何かに拘束された。
振りほどかなければならない。ぼうっとすればいいのか。
「あー、あー、誰か来て」
圭護が消えた。
最後に一言。
「守りたかった」
世界が消えた。
やっときづいた。
私が世界だったんだ。
誰もいない。
私は私と言う世界だった。
私が速かったんだ。
誰もいない。
みんなごめんね。
追いつきたかったのに、一人先行っちゃった。
自分の人生が世界と知らず。
誰もいない。
皆が消えて、やっととまれた。
誰もいない。
薔薇が枯れた。
「あー、あー、誰か来て」
誰も来ない。




