絶対に魅了されたくない令息と七人の陰キャ
「エーリクごめん、俺はもうだめだ」
そう言って友人は悲しそうに笑った。
好きな女子からもらったクッキーがそれだったらしい。
「……なあ。エーリクも諦めないか。逃げ場がないのはつらいだろ。嫌かもしれないけど、こっち側に来たほうが気持ちは楽だぞ。悪いことは言わないからさ」
変わり果てた友人の言動に、エーリクは悲しさと悔しさで胸がいっぱいになった。最後まで抗おうと約束をしていた仲間が敵側へ渡った。絶対に嫌悪すべき友人の提案に、ほんの少しだけすがりたくなる。日を追うごとに居場所がなくなっていく不安や焦燥に心が疲弊しないわけがない。いっそ諦めた方が楽なのだろう。けれどエーリクはここで堕ちるわけにはいかなかった。
「冗談、じゃないんだよな」
「ああ」
叫びたい気持ちをこらえ、エーリクは友人へ背を向けて歩きだす。これ以上の会話は危険だった。正気を保つために強く握りしめていた拳にいっそう力が入る。
「――こっちに来たくなったら言ってくれ。おまえのこと、待ってるから」
背後からの切実な声に思わず涙がでそうになる。けれど今はだめだ。にじむ視界を必死で抑え、エーリクが学園の廊下をひとり駆けていった。
通り過ぎる生徒たちはみんな楽しそうで、あははうふふと世間話をしている。平和だ。とんでもなく平和だ。本来であれば集団生活なんて多少の波乱があって当然。みんな仲良しなんて無理な話だ。なのに、今はそれがまかり通っている。
(俺は、絶対そっち側には行かない)
あの人への気持ちを失いたくない。
目元を乱暴に拭い、言葉にならない声を呻きながらエーリクは走る。
そんな彼を建物の影から密かに見ている一団がいた。
◇
ソフィアという名の令嬢は、素朴でかわいらしい人だったと思う。
普通に気のいいお嬢さんという感じで、特段目立っている感じではなかった。それなのに、いつのまにか学園中の人間がソフィアへ好意を抱いていた。
熱量が高いわけじゃなく、ふんわりとした好意。
「ソフィア嬢っていい子だよね」「ほんとね」と頬を染めるくらいのものだ。
けれどそのふんわりに釣られているのか、学園全体の雰囲気もふんわりしていった。ふわふわほわほわ、あははうふふ。穏やかに笑いあうこの状況は異様のひとことに尽きる。孤高だったやさぐれ先輩もふんわり。下ネタが大好きだった同級生もはんなり。陰険で嫌味な教師もあららうふふとほほ笑んでくる。まるで別人となってしまった彼らを見て、エーリクはとてつもない恐怖を抱いた。
「吾輩は……恋をしたのだろうか……」
五十過ぎの厳めしい男がぽっと頬を赤らめそこらの花をつんで花占いしているメルヘンな姿なんて見たくなかった。硬派な姿にさすが武術教師だとエーリクは密かに憧れていたのに。
困惑は疑念、そして確認に変わった。
この学園には魅了がはびこっている。
媒体はおそらくクッキーで、これを食べたものは魅了されてしまうのだ。最初こそ何が原因かわからなかったが、みな一様にクッキーをかじっていたら誰だって怪しいと思う。だからエーリクは身の回りに注意した。危機を共有し、友人とはげましあってきた。けれどそれも敵の手に堕ちた。
(まさか第三者を経由しているだなんて……くそっ)
好きな子から「一緒にクッキー食べない?」と誘われて断れるやつがいるのか。いやいるはずがない。仲がいい友だちからは? 大好きな先輩からは? 毒とわかってても手を伸ばす瞬間があるだろう。
おそるべしソフィア嬢。
おそるべし魅了クッキー。
教師や高位貴族の生徒などの要所を先に攻め込む。そして彼らを介し同時多発的に魅了テロを起こせばあっという間だろう。あとは友だちから次の友だちへとつたってけば学園の末端まで網羅できるのだ。そこからあぶれたものが異変に気付き声を上げたとしても、もうどうにもならない。
午後の授業が始まるまでひとけのない図書室で時間をつぶす。
適当に本をとってぱらぱらめくっていると、頭上にぬっと影がかかった。
「失敬失敬、ちょっとよろしいですかな?」
いったい誰だと顔を上げる。
警戒心はマックスだ。
しかし想像とは逆に、そこにいたのは「冴えない」が具現化したような男子生徒だった。
「おっとこれは失礼つかまつる。拙者スヴェン・アーベルクと申す者で、少しお話よろしいか。あ、いや無理にとは言わないのだができればこの不可解極まりない状況について比較的正気と見える貴殿と情報を共有していたほうがよいかと思いそれで――」
視線をずらしたままスヴェンと名乗った生徒が早口で告げる。
せわしなくメガネをくいくいと上げ、ちらりとエーリクを見るもまた視線は明後日の方向へ。
「……俺になんか用か?」
「そうですそうです」
よくわからないけれど彼はエーリクに用があるらしい。本を脇に置いて話を聞く姿勢をとると、スヴェンの後ろにも数人の生徒がいることに気が付いた。
「感謝しますぞ。我々のことを不審がるのはごもっとも。普段は教室の隅にじっと集まっているタイプなので存じないのも無理はないが、それゆえに今回難を逃れたと言って過言でない。貴殿も数少ない生き残りであるならば、いくら住む世界が違うとはいえ手を取り合った方がよいかと思ったしだいで」
スヴェンの背後にいる男子生徒もエーリクの様子をうかがっていた。いったいなんなんだと視線をやっても、彼らはさっと顔をそらす。四方八方に散った彼らの横顔は六つ。
スヴェンはよくしゃべるから、情報がどっとやってきてどこをメインに拾っていいか分かりづらい。先ほどの会話をざっと思い出す。彼らはこの状況に気付いており、その上で協力を申し出ているとやっと理解できた。
「きみらもこの学園にはびこる魅了に気が付いているんだな」
「左様左様、その通りでござる」
ワンテンポ遅れた会話の進行がもどかしい。
スヴェンは自分の後ろにいる生徒へ並ぶように言うと、ひとりずつ紹介をはじめた。
「こちら手前から魔術オタクのアンダース氏」
長身痩躯で猫背の男が無言でぺこりと頭を下げる。このひょろ長さ、見たことがあるような気がした。たしか合同クラスの授業で魔術を使用した球技をやったとき、開始早々ボールが直撃し養護室へ運ばれたのがこの男ではなかったか。
エーリクが言葉を挟む余地なく紹介は次々と進む。
「馬に全てを捧げる男、オラフ氏」
「うす」
こちらは逆に日に焼けてがっしりした男だ。小柄だが肩幅がでかく、腕も太い。タックルされたら鳩尾に入りそうで痛そうだ。しかし何を言っても「うす」としか返ってこなさそうなコミュ力の不安を感じる。
「夢はロマンス小説家のフレデリク氏」
「ど、どうもです」
小さくてかわいらしい生徒が恐縮したように頭を下げる。見かけだけなら男子なのか一瞬迷うが、ロマンス小説家志望のひとことに納得する。
「歴史大好きシグルド氏」
「ベルイェルク朝こそ至高」
メガネをくいっと持ち上げながら強めの思想を披露する男。
「玩具コレクターで同志のマヌグス」
「…………」
声が小さすぎで何を言っているか分からない。
「考察オタクのマッツ氏」
「くふふ」
笑いが独特。
全員クセがありすぎないだろうか。もうだいぶ脳が情報過多なんだが、とエーリクは小さく唸る。
「そして拙者が、エリザベト嬢ファンクラブ会員ナンバー003のスヴェンでござる」
視線をはずしながらもドヤ顔を披露するという器用さを見せながら、スヴェンも自己紹介をしてくれた。もう頭が情報でぱんぱんだ。もはや自分がこの場にいる理由もよくわからなくなってきた。
「俺はエーリクだ。趣味は筋トレ」
ひとまず自己紹介で返せばいいだろう。
どこからか舌打ちが聞えた気がしないでもない。全員が軽く会釈を返して、その後なんとも言えない静寂が漂った。
「……ええと、それで俺に何の用があったんだっけ」
「ソフィア嬢の魅了クッキーについてですぞ、エーリク殿」
そうだ、それだった。
エーリクは改めて彼らを見渡す。彼らの言うことを信じるのならば、ここにいる全員が魅了の魔の手から逃げのびた仲間だということになる。
「まずはこの状況のおかしさについて語らねばなりますまい。我らが姫エリザベト嬢という至高の存在がいながら、多くがソフィア嬢の魅力に憑りつかれているこの現状はまずもって異様のひと言。他の人ならともかく、なぜ同志であるファンクラブ会員がソフィア嬢へ傾倒するのか。絶対に理由があると思ったのが発端でござる」
エリザベト嬢というのは学園でもトップレベルの高位令嬢で、氷のように冷たい眼差しと圧倒的な美貌で歩く青バラともよばれる女生徒だ。スヴェンは彼女のファンで、熱量も高い。そして同じエリザベト嬢のファンである会員が、なぜかソフィア嬢に頬を染めるこの状況におかしいと感じた。
「拙者はすぐに状況を探りました。そしてマッツ氏に相談したのです」
「くふっ」
笑いかた怖い。
「マッツ氏とシグルド氏によると、現在の状態はやはりソフィア嬢の魅了によるものだと結論がでています。媒体はクッキー。おそらく調理室かどこかで本格的に量産しているのではと思われますぞ」
スヴェンがメガネをくいくいと忙しなく動かす。
すると横から別のメガネが口を開いた。
「過去に似たような事例がありますね。およそ四十年前に集団魅了による騒動がおきていますが、その時はアクセサリーを媒介していました」
メガネくい。シグルドはメガネの真ん中をくいっとするタイプらしい。しかもレンズ越しにがっつりこっちを見てくるので少し気まずい。まばたきくらいしたらどうだ。目が合ったらそむけるくせに。そうしているとスヴェンがふんすと鼻息を荒くした。
「そこで、魔術オタクのアンダース氏が画期的なものを開発したのです!」
どこからか取り出したのはハリセン。厚みのある大きな紙を蛇腹に折った、由緒正しいハリセンだった。
「開発というより既存の組み合わせで……」
ぼそぼそと詳しい説明をしてくれるが内容が専門的すぎてさっぱりわからない。体内をめぐる魅了魔法にハリセンから出る魔力を勢いよくぶつけることが肝なため、ハリセンは強く叩けるだけ叩いた方がいいとのことだ。
このハリセンはもともとはエリザベト嬢のファン活動の一環で作られた魔術回路付きハリセンで、マヌグスが大事に保管していたものだ。その回路をいじったらしい。スヴェンがマヌグスを同志と呼ぶのは同じファンクラブ会員だからのようだ。
「つまり、このハリセンで対象の頭を叩くと魅了状態を解消できるのです。実際、フレデリク氏が魅了クッキーを食べて豹変したところをこのハリセンで無効化することができました」
エーリクは驚いて思わずフレデリクを見た。
「あのクッキーを食べたのか?」
「は、はい。実験もかねて、その、はい」
それで魅了状態から脱出できたのだとしたらすごいことだ。
「たまたま、別の友人がくれて、それで」
「ファインプレーですぞフレデリク氏」
「そ、そうかな。えへへ」
はにかむフレデリクは一見してかわいい。しかし、巷でいうロマンス小説とは大人向けの描写がてんこもりのお話ではなかったか。こんな儚くかわいらしい容姿をしていてロマンス小説家を夢として掲げるとはとんでもない男だ。もしかするとこの中の誰よりも漢なのかもしれない。
「しかしながら……」
スヴェンがしぶるように口ごもった。
「正義のため、平和のため、我々の中では比較的大丈夫そうなオラフ氏がトライしようとしたのだが、やはり、見ず知らずの人を叩くことができなくて……」
オラフが肩を落として「うす」と返事をした。
確かにオラフはこのメンバーの中で一番体格がいい。背は低いが筋肉質だ。きっと馬の世話をしながら自然と身に着いたのだろう。けれど、それでもできなかったとスヴェンたちは肩を落としていた。
「我々もやってみようとしたのですが、あとで何か言われるかなとか、いろいろ考えてしまって……特に女の人とか……」
全員がずうんと暗い顔をする。
確かにハリセンで女生徒をはたくのは別の意味で恐怖だろう。スヴェンが言うように、人助けであろうと女性を叩いてはあとでなんと言われるかわからない。だからと言って放ってもおけず。
エーリクは改めてスヴェンたちを見た。
背格好はいろいろだが、集団の中ではぱっとしないだろう男たちだ。
正直に言えば、スヴェンたちは頼りないと思われる部類だと思う。もっと言えば隠キャ。運動能力が低く変な趣味を持っていそうな変わり者。事実かどうかは関係ない。子どもなんて頭のよさより運動能力が全てなところがあるし、そこがうまくいかないと勝手に三軍扱いしてくる風潮に思うところはある。フィジカルの強さが男の全てじゃない。しかし残念なことに確実に見られているところでもあった。太古の昔からわかりやすい男の魅力なのだ。困ったことがあったって、腕っぷしと気の強さがあればなんとかなる。
でも問題解決能力なら、力が全てではない。
知識や技術も大事だし、変化していく状況に対応できる柔軟さも必要だ。そしてなにより大事なのは行動力。
「だ、だから、我々には難しくともエーリク氏ならもしかしてと思って。まだ正気のようですし」
すがるように瞳を向けてくるスヴェンたち。
きっと彼らなりに考えたに違いない。
自分たちができなければ、できそうな人へ繋ぐ。
「べべべべ別に女性に手を上げそうだからとかノンデリそうとかどうせ陽の者たちは男女問わず距離感がおかしいからツッコミの延長で頭を小突くとか全然ありそうとか思ってるわけではなくて――」
「いや思ってるだろそれは」
エーリクはひとつ息を吸い込み、腹を決める。
「……やってみる」
ただ逃げることしかできなかったエーリクに、武器をくれると言うのだ。だったらありがたく使わせていただく。
作戦はこうだ。
まずは機動力のある男子生徒数人をハリセンを使って正気に戻す。そして彼らと団結して力のある教師を。女生徒を正気に戻してもらうのはその教師に任せたい。
「学園全員を正気に戻そうと思ったらハリセンひとつじゃ少ない。もっと作れるか?」
マヌグスが耳打ちするとスヴェンが小さく頷く。
「あとひとつなら可能だと」
「よし。それで頼む」
このまま魅了がはびこっていては大いに困る。エーリクには好きな人がいるのだ。自分の気持ちが消されるのも嫌だし、好きな相手が魅了されたままではエーリクなど眼中にも入れてもらえない。それでは困るのだ。できれば両想いになりたい。デートしたい。
「この騒動が終わったら、俺はあの人に告白する……!」
大きな決意を胸に、ハリセンを強く握りしめるのだった。
◇
「おりゃあっ!」
エーリクは遠慮なく友人のロイに一発を入れた。
すぱんと叩かれ、ロイが呆気にとられたような顔をする。
「俺は……いままでいったい……」
「元に戻ったのか!?」
聞くと魅了クッキーを食べてからの記憶が曖昧らしい。
「おまえの好きな相手は?」
「……ミレナちゃん」
「よし」
大丈夫だ。ちゃんと元のロイに戻っている。
このハリセンの力は本物だと証明された。
ついでに近くにいた友だち二人をすぱんと叩き、仲間に引き入れた。改めて状況を説明し、ハリセンを使って学園にはびこる魅了を一掃しようと一致団結する。
「狙いは武術教師のオーディン先生だ。あの人なら教師だし風紀を取り戻すためなら性別身分構わずスパンスパンやってくれる」
「でも、俺らだけであの鬼みたいな人に一発入れられるのか」
「やるしかない。追加のハリセンは今スヴェンたちが用意してるから、それまでに少しでも正気の人間を増やすんだ」
今ならまだ花占い中だ。そこをエーリクがうしろからこっそり近づいてハリセンで一発。実に明瞭でシンプル計画だ。うまくいかなかった場合にはロイたちがオーディンをとり抑える。どこでもいいから、とにかく一発入れることが大事だ。いくら武術教師とはいえ今や花占いに没頭するふわふわ頭だ。やってやれないことはない。
中庭の真ん中。エーリクたちはオーディンの背後からゆっくりゆっくり近づいていった。でかい背中だ。そのぶん的もでかい。抜き足差し足で物音を立てないよう静かに近づいた。そして十分にハリセンが届く位置まできて、エーリクは思いきり腕を振り上げる。
「――誰だ」
まずい、と思った次の瞬間にエーリクは地面にうち伏せられていた。腕を後ろにとられてギリギリとひねり上げられる。
「ぐあああっ」
「吾輩の花占いを邪魔しないでくれるか。いいところなんだ」
さすが武術の教師だけはある。けれど絶体絶命だ。力の入らない右手からぽろりとハリセンが落ちていく。本能で危険を察知したのか、オーディンは落ちたハリセンを手に取った。まずい。あれを取られては魅了を解くことができない。エーリクはじたばたともがくも押さえつける手を跳ねのけることができない。
強襲が失敗してしまったのでロイたちが一斉にオーディンへ飛び掛かる。背中や太ももへ絡みついて、なんとかオーディンの持つハリセンをもぎ取ろうとした。でもうまくいかない。
(これはまずいかもしれない)
焦りから心臓が大きく音を立てる。
しかし次の瞬間、信じられない声がエーリクの耳に届いた。
「エーリク殿どこですかー! ハリセンができましたぞー!」
地面に押さえ付けられたままエーリクは声を張り上げる。
「ここだスヴェン!」
「エーリク殿!?」
団子のように固まっているエーリクたちをみてスヴェンはぎょっとしていた。
すでにオーディンからの抑えつけに息も絶えだえだったが、気力を絞り、エーリクは叫ぶ。
「スヴェン!! オーディン先生をそれで叩いてくれ!!」
スヴェンの後ろにはひょろがりの魔術オタク・アンダースをはじめ陰キャたちが勢ぞろいしている。しかし絶望的とも言えるこの状況に皆一様に不安を露わにする。
「しししかし、拙者などが、そんな――」
「頼む、おまえたちしかいないんだ……!」
ハリセンとは言え他人を攻撃することに抵抗があるスヴェンたちにこれを言うのは酷かもしれない。でもこの状況では頼らざるをえない。
説得を重ねようと口を開きかけたその時、ぐわりと体が浮いた。
「たかだか生徒四人でこのオーディンを止められると思うなああ!」
突然オーディンが吠え、ロイたちを振りほどいた。男子四人では足りなかったのだ。エーリクだけはいまだ掴まれているが、それも大したハンデになるようには思えなかった。
「強すぎるって……」
後ろずさりながらロイがつぶやく。
絶望が這い上がってくるなか、それでもエーリクは抵抗を試みた。だがそれらを軽くいなし、オーディンは持っていたハリセンを地面に落とし足で踏みつけた。そして空いた手で懐を探るとクッキーが入っているとおぼしき包みを取り出す。
「仕方がない、おまえたちもこのクッキーを食べるがいい。あとでまた食べようと大事にとっておいたが、生徒の心身を守るのも教師の務めだろう。さあ皆で心をひとつにし、ソフィア嬢を慈しもう」
「そ、そんな……」
ここにいる全員にクッキーを食べさせるつもりだ。
このままじゃ魅了にかかってしまう。
エーリクやロイ、他の友人やスヴェンたちも。
「それだけは絶対ダメだ……!!」
誰かの気持ちを強制的に上書きするなんて、そんなの絶対に許されない。誰かを想う心は自分だけのものなんだ。エーリクと同じことを思ったのか、ロイがゆらりと立ち上がる。
「俺はもう魅了にかかりたくない……」
一度は好きな子からの手渡しクッキーで魅了されてしまったロイ。
「俺は、ミレナちゃんと両想いになりたいんだああああッ!!」
そう叫びながら再びオーディンに向かっていく。
触発された他の友人たちもそれに続く。
「お、俺だって、幼なじみの関係はもういやだよエルヴィラ!」
「魅了なんてしなくても好きだぞソフィア嬢!」
「許されるならハーレムを作りたい! 俺が全員を養う!」
それを見ていた陰キャたちも動きだした。
「僕たちもお手伝いしようよっ」
「うす!」
フレデリクやオラフ、残りの陰キャたちが加勢し、総勢十名でオーディンの手足や胴体をそれぞれ抑えて地面に縫い付けた。それでも抵抗されてメガネがふっ飛び、声にならない悲鳴が響く。そしてひとり、なみだを浮かべながらたたずむ男がいた。
「ぬ、ぬ……っ」
覚悟を決めたスヴェンが顔を上げ、ハリセンを強く握りしめ駆けだした。
「ぬおおおおおおっ!」
勢いよく走りすぎて足がもつれスヴェンが転倒する。しかしすぐさま立ち上がり、よろけながらもハリセンを振り上げ突進してきた。よく見れば全身汗まみれで腕は震えている。相変わらず視線は違う方を向いていて、それでも力強く、まっすぐに走ってくる。
「我らがエリザベト嬢をふたたび栄光の座にいいいいっ!!」
酸欠で視界が霞み始めたエーリクも、最後に声を振り絞る。
「いけスヴェン、思いっきりやるんだ……!」
「ぬおりゃああああッ」
見事、豪傑オーディンの頭はハリセンですぱんと叩かれたのであった。
◇
こうして事件はなんとか収束した。
正気を取り戻したオーディンに事情を説明し、片っぱしから生徒たちをハリセンで叩いてもらった。全員が正気に戻れば今度は元凶探しだ。
ソフィア嬢は調理実習室に軟禁される形で魅了クッキーの量産を強要されており、それを指示していたのは学園に併設されている教会の司祭見習いだった。ソフィア嬢へ狂信的なまでの好意を持っていて、いわく、彼女を神と崇め敬えば世界から争いがなくなり平和になると考えたとのこと。あらましを聞いた多くの人間が理解できずに唖然とした。
犯人には危険思想があるとして専門家へ任されることとなった。ソフィア嬢については少し悶着があったが、全寮制の学園という限られた空間で起きたことと被害者でもあることが考慮され、再発防止として今後一切の調理をしないという念書にサインをし、これで一件落着となった。
「やりましたな、エーリク殿」
「おまえもお手柄だったぞ、スヴェン」
「ふひっ、そ、そんなおだてても何にも出ませんぞ!」
ばんばんと遠慮なしに肩を叩かれる。痛いと言うと、なぜかスヴェンは嬉しそうな顔をした。相変わらず目は合わない。
あれからスヴェンたちはいっとき事件解決の立役者とはやし立てられ困惑していたが、熱が過ぎればまた教室の隅っこで楽しそうにしていた。
エーリクは宣言通り、好きな人へ想いを告げた。
美人で年上のおっとりしたお姉さんタイプ。ひと目ぼれしたのち、相手の家格が上だと判明してからは尻込みをしていた相手だった。けれど困難を乗り切った今ならと、勇気を振り絞って告白した。好きです。お付き合いしてくださいと。けれど。
「ごめんなさいね。弟のことが心配で、今はそういうこと考えられなくて」
なんでも跡継ぎであるのに問題だらけで親族一同気が気でないのだとか。
親族一同に心配される跡継ぎとはなんぞや。疑問に思うも玉砕したのは事実で、しばらくは落ち込んで友人のロイに泣きついた。弟のことが心配だといい憂いの表情を見せる彼女がこれまたキレイで、一向に消えない恋心を恨んだ。
しかし、のちにその弟がスヴェンだと判明し絶叫。
「スヴェンこのやろてめえ!!!」
「ひえええええっ!?」
その後はエーリクが紳士教本なるもの片手にスヴェンを追いかけ回す様子がたびたび見られたとのことだ。
「か、勘弁してください戦友!」
「んなもんじゃねえ! いいから一緒に筋トレするぞ!」
「じゃあししし親友ですか!? 拙者まだ心の準備が――」
案外仲が良さそうだとの評判である。




