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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
伸子の原稿

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第88話 リハサール前夜〜伸子の原稿 1

台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO

第88話 リハーサル前夜〜伸子の原稿


「11:15:27」か――。


スマホに表示された数字を見て、伸子は思わず肩を落とした。


十五分なんて、あんなに長いと思っていたのに。

実際に声に出して読むと、意外なほど短い。


子どもたちの前で話す原稿を、もう一度めくる。

今度は、幼稚園の先生をしている未希の顔を思い浮かべながら、ゆっくり語りかけるように読んでみた。


……はずなのに、終わりのほうでは、結局いつもの“猛ダッシュ早口練習”になってしまった。


世の中の人はもっと軽々とやってのけているように見えるのに――。

そんなことを思いながら、ため息がひとつこぼれる。


「頑張れ、自分」


言葉の代わりに、炊飯器のふたを開け、炊き立ての白いご飯を茶碗によそった。

桑田さんの声を思い出し、「四六時中」を小さく口ずさみながら、納豆をかき混ぜる。白い糸が、するすると伸びて、別世界へ誘われていくようだった。


     ◇


伸子の原稿(本文)

日本水道システムの起源



黒船が浦賀に姿を見せたのは嘉永6年(1853年)。

その衝撃から数年後、日本は開国し、横浜の港が開かれました。


――どうして水道の話なのに横浜から始めるのか不思議におもうかもしれません。


実は、日本で初めて「日本人のためにつくられた近代水道」ができた場所が、横浜だったからです。

(長崎にも水道施設はありましたが、あちらはオランダ人専用でした。)


当時の横浜は、まだ小さな漁村。

港が開かれて十年ほど経って、ようやく町らしい姿が見え始めたころです。


住民の多くは漁業で生計を立てていて、商業の発展は「これから」という段階でした。

人口も、開港したころはおよそ五百人ほど。


今の大都市・横浜を思い浮かべるより、北海道の積丹や奥尻の港町を想像したほうが、ずっと近いかもしれません。


そんな横浜に、明治元年(1868年)。

イギリス人技師・パーマー氏が政府の依頼を受け、水道施設をつくるためにやってきました。


関内には外国人居留地がつくられました。


“関内”とは、字の通り「関所の内側」という意味です。

位置でいうと、今の横浜スタジアムの海側あたり。

──ここ、ベイスターズの本拠地ですね。


まず、こちらが現在の横浜の地図です。(スライド①)

横浜スタジアムの位置に印をつけています。


次に、同じ場所の幕末の地図を見てみましょう。(スライド②)

黒船が入ってきた港が、すぐ目の前にあります。


「そこに、黒船がやってきました。」


そして十年ほどたったころのことです。

パーマーさんが、この横浜村に水道をつくりました。


まるで宇宙船が降りてきて、見たこともない町をつくっていく――。

そんなふうに、外から見ていたら思えたかもしれません。(想像ですがね)


そのころ、関内の外側にはもちろん水道管なんてありません。

横浜スタジアムのあたりも、幕末には埋め立てて間もない原っぱでした。


だから、関内の外側は――


「どんぶらこ、どんぶらこ」


川で洗濯をしていると、桃が流れてくる世界。

それは「大昔」の話ではなく、わずか百五十年前の、ごく普通の日常でした。


桃に赤ん坊がのって登場する昔話が生まれたのも、案外自然なことだったのかもしれません。


朝起きて、蛇口をひねると水が出る。

いま当たり前のその暮らしのほうが、当時は“夢物語”だったのです。


川のあるところには、江戸時代から自然とコミュニティができていました。

上流の水はきれい。でも上流の人が川を汚せば、下流の村は魚を食べられなくなる。


だからこそ、水は「みんなのもの」として大切に守る文化が、江戸時代にはすでに根づいていました。


川とともに、井戸も生活の中心でした。

井戸には「井戸番」と呼ばれる人がいて、水源を守っていたのです。


井戸端って言葉、ありますよね。

昭和10年生まれの母は、よく話してくれました。


「おばあちゃんは、井戸端会議ばっかりしていたよ」


井戸端会議は、ただのおしゃべりではなく、当時の地域社会の大事な情報交換の場でした。


――昭和が進むにつれて、井戸の役割は少しずつ減っていきます。

水道インフラが整備され、蛇口をひねれば水が出るようになったからです。


その“井戸端会議の時代”に、横浜に最初の水道システムが築かれました。

明治元年(1868年)。――157年前のこと。


おばちゃんのおばあちゃんくらいの、そんなに遠くない昔の話なのです。


     ◇


「……こんなふうに話せたら、子どもたちも身近に感じてくれるかな」


伸子は、また一息つこうと、キッチンに立った。


* * *


 次話へつづく


* * *


◇◆◇ あとがき ◇◆◇


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

どこかで、それぞれの「台所」から、小さなせかいを動かしています。

日々の中にある記憶や香り、音のひとしずくを、どこかで感じていただけたなら幸いです。


つづきは――


 次話予告:『第89話 伸子の原稿 2(仮)』

心のスイッチが、またひとつ灯ります。

◇◇◇

感想・ブックマーク・評価などで応援していただけると、今後の執筆の励みになります。


お会いできたみなさまへ、心より感謝をこめて。

あなたの一言が、つぎの物語を運んでくれます。


◇◆◇



―― 朧月おぼろづき みお

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