第85話 鍵のかかったひきだし
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第85話 鍵のかかったひきだし
だれが、この国の開かずの引き出しを埋めこんだのだろう。
父の開かずの引き出しも、海の一粒のようだ。
あの特攻隊記念館だけで、太平洋を一粒分。
悲しみが怒りに変わり、さらにその怒りが膨れ上がったら――。
どうにかなってしまいそうな気がする。
自宅のリビングのテーブルに置き忘れた本の表紙。
Switchの白シャツ。
今を生き、今を歌う君が言った「当事者意識」。
その言葉が、まるでブーメランのように、私の五十七年をまっぷたつに引き裂いていく。
戦争を知らないというわけではない。
私は育ててもらったのだ。
血と汗と、見せない涙で。
この国は、引き出しどころか、いくつものものすべてを奪ってきた。
なんで、もっと早く気づかなかったのだろう。
気づいたからって、変われる? 変われない?
飛行機が降りる準備を始める。
鳥のように。
ライト兄弟が孵したグライダーが、たった二百年でクジラのような燕に進化した。
バラコさんが言う「品種改良」という技術革新のおかげで、みんなで飛びたいという夢が、たった百年で実現した。
私は五十七歳で、この羽田に何度降り立ったのだろう。
羽田に降り立ったのは大学一年の夏。鳥と同じこの風景に涙を流していた。
迎えに来た家族は、満面の笑みで響香を迎えてくれた。お月様のようにふっくらしてきたねと笑われた。
羽田を見上げると、いつでも思い出す。
成人式さえしていなかった響香に、この羽田が、成人になったことを教えてくれた。
飛行機が下りる。
重力のバランスを崩さぬような息遣い。
モナ・リザの微笑みのように、知覧の盆踊り大会が、7歳の夏の夜に浮かんでくる。
父の手に引かれて歩いた距離のすぐ横に、忘れられない光景があった。
思い出しては、忘れようとした。
幻だと言い聞かせていた幼い響香が見た光景。
知覧の花火大会。
縁日で、モナリザの絵のレプリカが売られていた。
何千の火の玉に囲まれていた。
「おとうさん、白い魂みたいなものがたくさん見える」と言った響香に、父は静かに前を見つめながら言った。
「それは、いきたかった人たちの魂なんだよ。こんなにたくさんいるんだよ」
――確かに、言った。
何日も眠れなくなった。
怖かったけれど、ずいぶん後になって、お母さんに聞いた。
「知覧で、火の玉みたいなものを見た。すごい数だった」と。
お母さんは言った。
「昔はよくあったのよ。火の玉が。土葬だったからね。骨にリンという成分が含まれていて、それが反応すると火の玉になるのよ」
高校の化学の教科書で習った「リン」という言葉が、母の口からポンと出てくるのが後になってからも不思議だった。
もしかしたら。
父は、まっすぐ前を見ながら、考えてくれていたのかもしれない。
どちらにしても――。
もうお母さんに聞くのはやめようと思う。
* * *
次話へつづく
* * *
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
また次話で、お会いできましたらうれしいです。
◇◆◇
次回予告:「第○話 ○○」
◇◆◇
―― 朧月 澪




