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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
知覧

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第81話 鰹節 美しく 散る

前書き


 ※この章から読む方へ

ここから読んでも、物語の流れはやわらかくつながります。

台所の音、鹿児島の風、響香の小さな決意――

その一瞬一瞬が、あなたの時間と静かに溶け合いますように。


響香は、鹿児島・知覧に心の故郷を探すようにして訪れ、

帰りに立ち寄った枕崎で、小さな小料理屋を営む夫婦――

真知子と拓紀(通称キムタク)と出会います。


台所は、彼らにとって過去と未来が出会う場所。

伝統のしずくを受けとめながら、ふたりは新しい料理を生み出していく。

リビングでもあり、秘密基地でもあるその場所には、

いつも未来の香ばしさが漂っている。

台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO

第81話 鰹節 美しく 散る


枕崎の市場近く。

木村真知子の台所は、朝の光に淡く染まり、木の床が静かに温もりを放っている。


鍋の湯気がゆらぎ、空気の温度が少しずつ変わる。

時間が、ゆっくりと濃密に流れ始める。


この台所は、夫婦の小料理屋の第二の厨房でもあり、リビングでもある。


拓紀は鼻歌まじりに、テレビで流れる再放送アニメ

『ベルサイユのばら』に合わせて歌っていながら台所にたっている。


白いワイシャツの片袖をまくり、片手で鰹節を削る。


しゃっ、しゃっ――

薄く削れた鰹節が空気に舞い、光に溶けてふわりと散る。


指先に伝わる節の乾いた感触。


ばらっ――

鼻腔をくすぐる香ばしい匂いが、まるで潮風の記憶のように広がる。


そのとき――


「ただいま。」


響香を空港近くまで送って戻った真知子が、足音の振動を床に残しながら入ってきた。

響香とはおそらく初めて会ったはずだが、空港までの一時間近く、絶えず語りあった。

もしかしたら、本当に6歳の知覧の盆踊りのとき近くにいたのかもしれない。


拓紀はキッチンで、また新しい料理の試作をしているようだ。


「あら、キムタク。また新作作ってるの?」


「やめろって、その“鈴木京香の真似”。」


グランメゾン東京……ではなく、枕崎の小さな台所。

真知子は微笑み、まるで時間そのものを含んだ目で彼を見た。


「ここはグランメゾンじゃないわよ。べらんメゾン、べらんめぇキッチンってとこかしらね。」


「べらんメゾン枕崎。いいじゃねえか。」


「ほら、まんざらでもない顔してるわよ、“き・む・た・く”。」


湯気と光と香りが交わる空間で、ふたりの影がゆっくりと重なる。


鍋の湯気が揺れるたびに鰹節の香りが海のように広がる。

空気の熱を手のひらがかすかに感じ、時間がゆっくりと滲むように流れる。


「……あー、やり直しだ。」


「タイミングが大事なんだ。集中させてくれ。」


「わかったわ、キムタク。テレビなんか見ながらやるからよ。」


真知子がリモコンを置くと、画面はフランス革命の群衆が立ち上がる場面で止まった。

その光景を背に、二人は台所に立ち、光と香り、音の波に身を預ける。


伝統のぬくもりを抱えながら、ここではいつでも次の一皿が生まれる。

ふたりの微笑みがそろった瞬間、新しい料理がそっと顔を出す。


受け継いだ味のしずくと、まだ見ぬ未来の香ばしさが、同じ湯気の中にやわらかく混じっている。


※※※

拓紀と真知子の台所は、枕崎漁港まで車で五分ほどの距離にある。


海霧の朝。本土最南端にあるこの町の港では、真冬の今日でも人々の営みが途切れることなく続いている。


カツオが本格的に水揚げされるのは、春と秋の二度。


枕崎の港に銀のうろこが並ぶ季節になれば、一尾のカツオは、すでに長い旅の記憶をその身に刻んでいる。


春には黒潮に乗って日本近海へ北上し、

秋には暖かな南方の海へ戻る。

季節ごとに太平洋を縦横無尽に巡るその体には、数千キロもの旅の足跡が刻まれている。


包丁がすべるたび、海の匂いがふわりと立ちのぼる。

身は三枚にひらかれ、静かに「節」へと姿を変える。

大釜の湯気の中で、魚はゆっくりと身を締められ、骨一本さえ置き忘れぬよう、丁寧な手が触れていく。


そして焚かれる薪。

木々の煙が青くからまり、時の層を重ねるように、節は何度も燻され、乾いてゆく。

その表面には、やがて白い命――カビが宿り、陽の下で静かに呼吸をはじめる。


数ヶ月という時間が、まるで海の記憶を磨くために流れていくかのようだ。

人の気配と自然の循環が交わりあい、ようやくひとつの鰹節が生まれる。


この緻密で気の遠くなる作り方が形をとったのは江戸のころ。

けれど、そのはじまり――干しカツオの原型は、

アメリカが独立を宣言するよりも。

フランスに革命の炎が灯るより。

もっと昔。


奈良の風が古都を吹き抜けていた時代から、鰹の干物は静かに受け継がれてきた。


海と火と風が育てた、日本の“時”の結晶――

それが、鰹節なのだ。


※※※

「最初の基本の鰹節のだし、丁寧にやりたかったんでしょう? ロンドン二号店の前に――」

真知子は、また“女優気取り”の声色で拓紀をからかう。


「だから、その真似やめろって。名古屋二号店だ。」

口元に、否定しながらもどこか誇らしげな色が浮かぶ。拓紀は小さく肩をすくめて返す。


「べらんメゾン名古屋店ね。」

真知子が追い打ちをかけるように言うと、拓紀は思わず笑ってしまう。


「……どうでもいいから、そっちの雌節とってくれ。雄節だけだと味に丸みが出ない。」


真知子が雄節と雌節を手に取り、軽く揉む。

節の硬さと薄さ、乾いた感触が指先に伝わる。

香ばしい匂いが立ち、時間の粒子のように漂う。


拓紀は節を鍋に落とす。

しゃっ、しゃっ――


音が台所に静かに響き、香りが揺れ、湯気が光に反射する。


口に含むだしは、雄節と雌節の調和で舌の上で柔らかく広がる。

丸みを帯びた味が、海の奥行きのようにゆっくりと心に染みる。


♬ たたった たたっつた 〜〜 ♬


真知子がグラスを掲げ、光を受ける琥珀色が揺れる。


「ウイスキーと鰹節で――大陸と海を、ひとつにしましょう。」


一呼吸置く。

時間はゆっくり、香りと音と光に溶け、台所全体を包み込む。


ナポレオンのボトルの琥珀色が、まるで帽子の下で笑ったかのように揺れた。


「……革命よ。」


鰹節の香りがまだ空気に残り、光がゆらぐ。

二人の小さな台所は、世界そのものとつながった一瞬の詩になった。

* * *


 次話へつづく


* * *


◇◆◇ あとがき ◇◆◇


読んでくださって、ありがとうございます。

どこかで、それぞれの「台所」から、小さなせかいを動かしています。

日々の中にある記憶や香り、音のひとしずくを、ふと感じていただけたなら幸いです

 


◇◇◇

感想・ブックマーク・評価などで応援していただけると、今後の執筆の励みになります。


お会いできたみなさまへ、心より感謝をこめて。

あなたの一言が、つぎの物語を運んでくれます。


◇◆◇


明日の次回予定:『挿話   知覧』◆◇  お話は、終わったわけではないのですが、少し本流からはなれます。 

―― 朧月おぼろづき みお

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