第79話 ピースの中身
台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO
第79話 ピースの中身
1 父の傘と煤の宝石
ドバイの婦人が羽織ったショールの奥、その薄地の手提げ袋のあいだに、ひっそりと記憶が宿っていた。
そこには、折りたたみの紺色の傘が入っていた。
なぜかあの傘の記憶だけがそっと蘇った。
そこに見えたのは、たしかに父の傘だった。
妙蓮寺キャッスル前のバス停に置きざりにしていた父の傘。
忘れ物名人だった父の傘が、四十年の時を越えて見つかったような気がした。
スーツケースの中にあった、母の手で「上野十猪」と白く書かれたあの傘。
中東から戻ってきたとき、
傘が収まっていたあの場所は、
いつの間にかピスタチオの缶に変わっていた。
——なんて、いとおしい傘だろう。
四十年の時を越えて見つかる傘──それは、「父の痕跡」だった。
そして、まさにさっき見つけたパズルのピースのかけら。
あきらめかけ、心の隙間を探し続けても埋まらなかったその断片が、
ようやく、ここにあったのだ。
2 スーツケースの空白を埋めたピース
傘。
父のわずかな着替え。
喜ばれると信じて用意した、日本製の黒いボールペンの束。
そして——あの隙間に入っていたもの。
それは、「煤」に包まれた黄金の宝石。
目の前の鰹節だった。
父は、母に頼んで知覧から取り寄せたその“すす色の原石”を、
丁寧にスーツケースへ詰めていった。
一つひとつを新聞紙で包みながら、
まるでパズルのピースをはめ込むように、収まる場所を確かめて。
あの頃の新聞には、王貞治やパンダの写真が載っていた。
その紙面のどこかに、未来への言葉も綴られていたのだろうか。
中東の平和を祈る記事だったのか、
あるいは、新しい時代への希望を語るものだったのか。
削れば輝く——
黒い鎧をまとった宝。
それが、祖母の手、母の手、そして父の手によって海を渡った。
外殻を削ると顔を出す輝きは、まるでこう語りかけてくる。
黒灰色の大地に隠された黄金の鉱脈。
削れば光る、煤の中の宝。
漆黒の鎧を裂くと現れる、光をまとう金色の心。
黒茶の皮を削るたび、金の粉が舞い踊る。
あれは、父が中東へ持っていった「お土産」であり、
同時に、母と祖母の“手の記憶”でもあった。
いま思えば、少しも大げさではない。
あの黒い延べ棒は、きっと——
「中東の未来はどこに」という見出しの新聞にくるまれ、
祖母と母の指先に触れ、父のスーツケースの中に収まった。
同僚と母と私と弟に見送られながら、
羽田空港から空へ舞い上がった。
あの頃は、ハイジャック事件のニュースが絶えなかった。
父がいなくて寂しい思い出は少ないけれど、
飛行機の事件の映像が流れるたびに、
知覧のおばあちゃんから黒電話が鳴った。
「どの国にいるのかもわからなくてね」——
母はそれだけ言うと、そっと受話器を置いた。
鹿児島と横浜をつなぐ長距離電話。
あのころの料金を思えば、それ以上は話せなかったのだろう。
黒電話の前には、言葉の消えた沈黙だけが残っていた。
やがて黒電話の時代が終わり、携帯電話が世の中に広がっていった。
その頃、ちょうど父が仕事を引退することを決めた。
3 父の携帯電話がつないだもの
子どもの頃は、スマホどころか、携帯電話さえも
ドラえもんの未来道具のように思っていた。
携帯が普及し始めたころと、父が仕事を辞めると決めた時期は、
ほとんど同じだった。
心臓に持病のある父に携帯を持たせようと話しても、
「仕事をやめるのに、そんなものいらん」と言って、首を横に振った。
それでも、哲郎が機種変更をしたいと言い張り、
旧機種を無理やり父に持たせた。
——そして、あれが父との“唯一の長電話”になった。
あのとき、父はこの近くの道路を走っていたのだと思う。
眠るおばあちゃんを乗せた霊柩車の中からだった。
見ていないはずなのに、父の無言の横顔だけがはっきりと浮かぶ。
あんなに長く話したのに、声の抑揚しか残っていない。
言葉はすべて、風にさらわれてしまった。
思い出そうとすると、心が波にのまれそうになる。
けれど、その波は——
二月の南国の風に似ていた。
やがてやさしく、
そっと胸を撫でるものに変わっていく。
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実家の本棚の上のお菓子の箱にはいっていた中川さんの手紙。
最後に綴っていた追伸:
「ギブミーチョコレートも悪くなかったけれど、
君が知覧から取り寄せた“黒い宝石”——あれこそが真の証だった。」
「黒い宝石」をみつけた。
* * *
次話へつづく
* * *
潮風の匂いがまだ袖に残っていた。
魚市場のざわめきも、父の声の余韻も、
すべてが一枚の風景になって、知覧の空の下に還っていった。
◇◆◇ あとがき ◇◆◇
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
また次話で、お会いできましたらうれしいです。
◇◆◇
次回予告:「第80話 ドバイ、鰹節、知覧、横浜」
◇◆◇
―― 朧月 澪




