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台所でせかいをかえる Revolution Starts in DAIDOKORO  作者: 朧月 澪(おぼろづき みお)
知覧

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第75話 茶畑

第75話 茶畑


こゆきに留守番を頼んだ瞬間、

まるで“追想と覚醒”のボタンを押したかのようだった。


気がつくと、響香は鹿児島、知覧の茶畑に立っていた。

あれは――たしか、2025年の2月も終わりごろのこと。


いつのまにか、あの巨大扇風機の前にいた。

あまりにも高くて、足元から見上げても、その頭上はわからない。

少し離れて、並ぶ扇風機の「次の、さらに次」の方をようやく見て、

やっと、その全体の姿をつかむことができた。


知覧の巨大扇風機は、今も静かに佇んでいた。

あの頃と、変わらない風景。

けれど、時は確かに流れている。


「霜にあたると、せっかく出た新芽が黒く枯れてしまうから、

この扇風機が必要なんだよ」


誰かがそう教えてくれた記憶がある。

父だったか、農家の人だったか。思い出せない。


地面近くにたまった冷たい空気を、

上空の暖かい空気と混ぜて霜を防ぐのだという。

風速1〜2メートルの、かすかな風が茶の命を守っている。


——響香が父とここを訪れたのは、戦後50年の節目の年だった。


あの時も、この扇風機はあった。

幼い響香は、それが当たり前の風景だと思っていた。


茶畑も、戦後少ししてから育ったのだと。

けれど――この茶畑の木々はもっと古く、薩摩藩のころから根を張っていたという。


空腹の時代も、戦中の混乱も、戦後の混迷も、

この茶の木は切られず、生き延びてきた。

守られていたのだ。

人の手によって。あるいは、風によって。


電気がこの町に通ったのは戦後十年ほど経ったころ。

まだ町は暗く、静かだっただろう。

人々が最初に電気をどこへ使うか考えたとき――

この茶畑が思い浮かんだのかもしれない。


風は静かに回っていた。

今も昔も、変わらぬ音で。


知覧町郡 53◯◯番地にて


川辺郡知覧町郡53◯◯番地──響香の祖母の住んでいた住所。

今はもう、知らぬ誰かが住んでいる。

けれど耳をすませば、あの音たちが聞こえる。


鶏の声。

振り子時計の音。

畳をほうきで掃く、サッ、サッという音。

湯を沸かす音。

おばちゃんの、お茶を入れる静かな手元。


見たわけでもないのに、

祖母たちが井戸の水でお茶を淹れる音まで、心の奥に残っている。


幼い頃覚えた番地というものは、忘れないものだ。

知覧町 郡 53◯◯番地──。


宿題におわれる小四の夏休み。

初めて、一人で飛行機に乗って知覧に行って戻った妙蓮寺キャッスルの台所。

朝食のお茶碗に注がれた緑茶をゆっくり口にふくみながら、響香は得意げに言った。


「知覧ではね、朝ごはんの前に、お茶の時間があるんだよ」


今思う。

あの時間がどれほど尊く、どれほど豊かだったか。

なんでもない所作のなかに、どれほどのぬくもりと祈りがあったか。


記憶は、いつのまにか茶畑へと落とし込まれている。

まるで、茶の根に吸い込まれ、芽吹いたように。


祖母は言った。


「響香、鹿児島は男尊女卑の土地っていう人がいるけど、あれは嘘よ。

鹿児島のおなごはね、すごか。強かとよ」


そして両手のひらを上に向け、

目の前の“見えない玉”をそっと転がす仕草をした。


「“だんなさま、だんなさま”って言いながらね、実はこうして動かしとるのよ」


なだこおばちゃんは、その様子を見つめて、静かに笑った。


言葉にされない力が、確かにあった。

見えない玉は、祖父をこえ、父をこえ、もっと大きなものを、ゆっくり動かしていたのだろう。


特攻隊の飛行機が空を駆けた、その地で、響香は一人、空を見上げている。

目の前には、あの時と変わらぬ、静かな茶畑。


井戸の水のように澄んだお茶。

土とともに生きた味。

響香は結局、特攻隊記念館にも、武家屋敷にも寄らなかった。

茶畑に立つことで、知覧で過ごした時間と、

そのずっと奥の昔までが、まぶたに映っていた。


また、なぜだか、あのメモのことを思い出した。

いや本当は、いつもなぜだか、ずっと気になっている。


そして、ついこの間、実家のひんやりした和室の本棚の上でみつけた手紙。

中川さんの手紙のさいご。


追伸:

「ギブミーチョコレートも悪くなかったけれど、

君が知覧から取り寄せた“黒い宝石”——あれこそが真の証だった。」


父が、全ての仕事を引退する決め手となったという手紙。

マングルーバのレシピだったメモも、きっと中川さんが写したのだろう、と

その手紙を読み返したときに思った。


やっぱり、黒い宝石っていうのは、お茶のことなのよね。

「どうみても、緑だけど……」


茶畑に立てば、わかるような気がしたけれど、そう簡単にはいかなかった。

「まあいいか。」

それでも、響香のこころは満たされていた。


そのとき、バスが止まった。行き先は枕崎。

かつて哲郎と来たとき、父が電話の声で道案内してくれた町。

帰りの飛行機のことなど考えず、迷わず乗った。


知覧から三十五キロ。向かう先は海。枕崎。

太平洋の息吹を真正面から受けとめる場所。

黒潮の力が集い、海と陸が出会う、

日本列島の“海の玄関”。

人知れず、静かに歴史を刻む町。


響香は、海とともにある記憶へと向かっていった。


第75話 おしまい


* * *


 次話へつづく


* * *

◇◆◇ あとがき ◇◆◇


ページをとじたあとに、少しでも心に残りますように。


物語はまだ続きます――

どうぞ次のお話もお楽しみに。


◇◆◇

次回予告:「第76話 枕崎」

◇◆◇


作者 朧月 澪

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